2020年1月4日土曜日

揺らぎと心の臨床 4


治療者の揺らぎの姿勢としての「柔構造」

さて治療者が揺らぎの心を有しつつ患者と会う際、ひとつの心がけとして考えるべきなのが、治療者の持つ柔構造的な姿勢である。治療構造とは心理士がクライエントと会う際に備えている枠組みのことである。これは、外的、物理的なものでもありうるし、内的、心理的なものでもありうる。
たとえば患者さんが午後5時にAクリニックに訪れ、50分間のセッションを持ち、8000 円の料金を支払う、というのはいずれも外的な構造だ。そしてそこで治療者は基本的には黙ってクライエントの話に耳を傾ける態度を示す、というのは内的、心理的な構造となる。クライエントの話の邪魔をしたり、反対したりという価値判断を示したりしないということもこの内的な構造に含まれるだろう。
この種の治療構造が患者と治療者、あるいは治療関係全体を保護するという考え方は極めて重要であり、わが国でも多くの臨床家がその原則を守ってきた。それは確かにそのとおりである。精神療法が決められた枠組みで行われることは患者にも安心感を生み、より落ち着いて自分の心について考えることが出来る。また治療者の側もスケジュールに沿って患者と会うことで仕事も効果的にこなすことも出来、安定した収入を得ることが出来る。
しかしこの治療構造をいわゆる剛構造としてとらえると、融通が利かず、柔軟性や人間味を欠いた治療態度になってしまう。治療構造はあくまでも柔構造でなくてはならない。
この柔構造、剛構造という表現は、私がかつて「治療的柔構造」という題で発表した著書でも詳しく解説している。もともとは建築用語であり、柔構造は日本家屋に見られる、鉄筋やボルトなどを使わない、木材を組み合わせたしなやかで地震にも強い建築の様式である。他方の剛構造は西洋建築に見られ、古くは煉瓦を組み合わせ、近代以後は鉄筋コンクリートや鋼材を用いた、緩みのない建築を意味する。柔構造は地震や風雨によりポキンと折れることのない五重塔のような構造をイメージしていただくといい。中心にある「心柱」自身がしなやかで外力をたわみにより受け流し、それが建物の各階層の全体をつっている形なので、崩れる心配もない。しかし足を踏み入れると全体がぐらぐら揺れるようで、足元がおぼつかないかもしれない。
ちなみに私が学生時代に住んでいた建物はかなり古い学生用の住宅で、階段を上る時はそれこそ建物全体が揺れ動く体験をした。柔構造のことを思うたびにあの時の感覚が蘇る。柔構造は揺れて使いにくい、というのはそういう感覚である。
それに比べて剛構造は使い勝手がいい。安定性があり、また構造がしっかりとしていて、部屋と部屋との境界線がはっきりしている。でもなんとなく冷たい感じ、人工的な感じがする。また特別な免震構造を備えない限りは地震によりぽっきり折れてしまう恐れがある。わが国に西洋建築が導入された明治時代に起きたいわゆる「明治地震」(1894年、明治27)では、洋風建築の煉瓦建造物の被害が多く、煙突の損壊が目立ったために、煙突地震とも呼ばれたという話だ。自然災害の多い日本には、(あの当時のレベルの)剛構造はもろくて使いにくかったというわけだ。