2012年8月7日火曜日

続・脳科学と心の臨床 (71)

サバン症候群が示す脳の宇宙 (3)

私がタメット氏に興味があるために、彼のことについで急いで書きすぎたかもしれない。もう少し話を戻そう。サバン症候群の興味深いことは、それが脳の障害とかなり密接な関係を持っているということだ。ある脳の障害を持つということは、それを担当する皮質が使われないということを意味する。するとそれをいわばフリースペースとして、別の能力が占拠することになる。知能の遅れと盲、そして天才的な音楽的な才能の三つがそろうケースは非常に良く知られているが、それは視覚が大脳皮質に閉めるエリアが非常に広いために、そこが使われない代わりに、音楽をつかさどるエリアが「張り出す」という現象が起きていると考えられる。私は脳科学の専門ではないので、細かいことは間違っているかもしれないが(我ながら情けないいいわけである)
一つある原則的なことを述べよう。大脳皮質は実は一つのことに役割が分担されているわけではない。皮質は別のことにも使われる。これを「脳の地図は描きかえられる」ともいう。たとえばよく知られた幻肢(ファントムリム)という現象がある。手を切断した場合、すでに手の感覚はないはずなのに、顔をふれた時、同時にあたかも(すでにそこにない)手をふれられたような気がするという現象だ。これは手からの入力がなくなり、使われなかった皮質が、顔からの入力にも反応するようになったことになる。ここに一生懸命図を作ってみた。

  最上層にあるのは大脳皮質の感覚野の神経細胞である。下の手と顔の絵から矢印が向かっているが、それらは手や顔の感覚入力を皮質の神経細胞に伝える神経線維だと思っていただきたい。ここで手術で手が切断されたとする。すると手からの感覚を伝える神経線維が絶たれることになり、それを受けることが出来ない皮質の細胞は遊んでいることになる。ところがそこに左側の、顔からの感覚を伝える神経線維が伸びてくる。それが下の図である。

この図は、顔をふれると切断されたはずの手を触られている感覚がするという事態をあらわしているわけだ。何しろ体はその神経細胞が刺激されると、それは手からの信号であるということを覚えているから、そのように感じ続けるわけだ。
「脳の中の幽霊」より
ラマチャンドランの「脳の中の幽霊には、それを地図に書いた図が載っている。この図では、顔の1の部分をふれると切断した手の親指が、2の部分をふれると人差し指が触られている気がする。(以下、3は中指、4は薬指、5は小指である)。言うまでもなく、その手自体はもう切断されてしまっている。(もちろんこの時その顔の部分を触られているという感覚も伴う。)


No Title (11)


The fate of TIP
I would mention briefly the way in which TIP perished (I cannot choose any milder expression) in 2001, which certainly involved my training. I finally graduated from the institute in 2002, nine years after I was accepted to the program. I was admitted to TIP, but did not graduate from TIP, but GKCP (greater Kansas City Psychoanalytic Institute.) Upon closure, TIP joined the institute in Kansas City, approximately one hour of drive from Topeka. Although this closure was tragic, and so was the closure of Menninger Clinic (which then partially joined the Bayler College in Houston, Texas.), I liked the influence that TIP had from GKCP which was visible in many ways at TIP. Although GKCP was a very young institute which itself was sponsored by TIP and accepted their first candidate in 1996, it already had a very liberal ambiance, with its heavy influence of self psychology and relational psychoanalysis. I felt a very different and often very liberating experience when the lecture and classes were given by the staff of GKCP who visited at TIP.