2012年8月6日月曜日

続・脳科学と心の臨床 (70)

サバン症候群が示す脳の宇宙 (2)


実は私のサバン症候群に対する関心が格段に増したのが、ダニエル・タメット氏の存在である。彼については、NHKで彼についての番組があったので、見た方も多いかもしれない。彼について私はちょうど2年前のこのブログで、次のように書いている。

実はもう一人私が期待しているアスペさんがいる。こちらはかなり有名な人で,私は彼の本を読み,ユーチューブでその実際の表情や物腰を見て気に入った人だ。彼は実に優しく穏やかな印象をあたえるが,その持つサヴァンとしての能力はとてつもない。超能力といった感じがする。ダニエル・タメット31歳。彼の自叙伝“Born on a Blue Day” は日本語で訳されている。(「ぼくには数字が風景に見える」 講談社2007年)
彼は例えば数桁同士の掛け算を、いくつかの色を伴った図形同士の結合のように捉え,二つの図形が混じり合った図形の色と形がそのまま積を示しているという。実際に彼の「計算」の様子を見ていると、紙の上で指先を動かしながら図形をイメージするだけで、決して数字を扱う計算はしていない。

彼には著しいこだわりもあり,例えば毎朝食べるシリアルは,厳密に重さを計量して同じ量を食べるという。その意味で彼は立派なアスペルガー症候群なのだが,でもとても温かく繊細という印象を受ける。しかしもちろん彼の実際の人柄は知らないから、私は「期待」するのである。
実は彼の温かさと彼のホモセクシュアリティーとは関係しているように思える。米国に滞在中常に思っていたことがあるが、細やかな気遣いをする、「日本人的」な白人男性はその多くが男性のパートナーを持っていた。私は彼らの多くが好きで、親交もあった。後にタメット氏の同性愛傾向を知ったとき,彼を映像で見た時の細やかさは,それと関係していたのか,と納得がいったのである。

自分のサバン振りを雄弁に語る人は実は希少である。なぜなら大部分のサバンは同時に精神遅滞があり、コミュニケーション不能だからだ。彼はサバン症候群で生じていることを教えてくれるまたとない人でもあるのだ。
サバン症候群がどのような問題から生じるかについては様々な仮説が設けられる一方ではその真相はつかめていない。ただし一つ重要な提案を彼がしている。それはサバンにおいては脳の中で、ある種の混線が起きているのではないか、ということだ。彼は自分自身の数学的な才能を考えるとき、それが言語野の働きや視覚野の働きとかかわっていることを自覚している。彼は数字を見たとき、その色や形が直感的に感じられるだけでなく、それを構成している素数までわかるという。(彼は素数はスベスベしていて、それ以外の数字はごつごつしているという。)そして数がいくつかの素数に分解される様子が、たとえば英単語がいくつかの部分に分かれるのと同じ感覚で生じるという。たとえば incomprehensibly が、"in"  "comprehend"  "ible"  "ly" とに分かれる、という風に。(天才が語る サバン、アスペルガー、共感覚の世界 ダニエル・タメット 古屋美登里訳 講談社 2011年より。これも非常に面白い本である。)
そして言う。「この仮説を裏づけるいくつかの証拠がる。第一に、言語(左前頭葉)と数字(左頭頂葉)のために特化していると研究者が指摘している脳の領域が、左脳内で隣接している点だ。左頭頂葉には、連続した論理的な空間把握能力も含まれていて、これは計算するときに使われるが、左頭頂葉、特にブローカ野は、順序だった統語的文章を作る能力をつかさどっているといわれている。つまり、様々な計算をするときに脳の中で数字の形を切り分けて処理するというぼくの能力は、言葉と語句を意味のある文章に構築処理することとまったく同じなのだ。(167ページ)



No title (10) 




Another factor which certainly helped me develop my own clinical style was the issue of trauma. After I came upon this issue, my way of looking at mental illnesses in general changed greatly and possibly for good. Trauma was a hot issue at Menninger when I began studying there, mainly among those staff who are non-analytic. 1990s was a period where trauma began to be an issue in psychoanalysis as well. I hit across a DID case in 1993 and realized that dissociative pathology is not discussed at all in psychoanalysis.
In 1990s I also got many request from Japanese professional journals to write on traumatic mental disorders, such as PTSD and dissociative disorders. This was a time where trauma began gathering attention from Japanese clinicians but there were not enough people who can manage to discuss the topic in academic papers. The request was so numerous that I decided to publish a monograph on trauma psychopathology which was published in Japan in 1995. This gave me a fortunate byproduct. As I was reading Freud’s original text the institute’s classes at the same time, I was given a chance to look at the issue of trauma from a psychoanalytic standpoint. I finally came to believe that modern analytic theories should include the issue of trauma and dissociation.