2020年8月7日金曜日

ミラーニューロンと解離 13

ここの部分、書いては消し、書いては消しである。全く収斂していかない。

例えば二つの人格状態

もちろん

ここで臨床的な具体例として、

この

また果たしてA

治療者が個々に出会う交代人格に対して、彼らは全体の部分に過ぎないという見方を取った場合、たちまち治療関係を損ねる可能性があろう。例えばある交代人格がこのように言われたらどうだろうか? 「あなた(

私はこれは

それぞれの交代人格に対して、その人格のもつ自己の感覚をリスペクトすることは、きわめて重要である。ところが交代人格を完全なる他者ととらえる臨床家は少ない。精神分析の伝統では、あくまでも心は一つという方針が変わることはない。しかしそれは解離を扱う臨床家にとってもあまり変わりない。

結局臨床的な観察から言えることは

ただしこの統合されていない交代人格の状態から連想されるのは、いわゆる精緻化されていない人格の存在である。人格の中にはそのプロフィールがあいまいであったり、ぶれたりする状態も少なくない。いわゆる「顔なし」であり、解離性トランス状態において見られる状態 にむしろ一歩近い状態である。


2020年8月6日木曜日

ミラーニューロンと解離 12

DID についてのDSM-5の記載の2)は以下のとおりである。

解離性同一症をもつ人は,自らが突然自分自身の発語や行為の離人した観察者となり,それを止める力 自己感覚)がないという感覚を報告することがある.そのような人は声の知覚 (:子どもの声,泣き声,霊的な存在からの声)について報告することもある. 場合によっては,声は,多数の錯綜し互いに独立した思考の流れとして体験され,それに対して本人は制御ができないと感じている.」

これはいわゆる作為体験の例と言える。これはいわばAという人格がBという人格からの侵入を受けている状態であり、そこには自己感の障害が存在しているといえるだろう。しかしではこれが生じない場合、すなわち人格ABは明確に交代し、その間互いに侵入が体験されない場合もDIDでは頻繁に起き、むしろそのような体験様式の方が、彼らの体験の主たる部分を占めることになる。それらの場合においては自己の障害は見られないということであろうか。
  百歩譲って、自己感覚および意志作用感の突然の変容または不連続が、このような作為体験以外の形で生じていて、それをDSM-5が記載していないだけであるという場合を考える。その場合は、「複数のパーソナリティ状態によるアイデンティティの破綻」という場合、そこにはある統一した、主となるアイデンティティないしは仮想的に統合されている人格を想定していることになることになりはしないだろうか。そしてその仮想的な統一人格が異なるアイデンティティに分断されていることで、自分が誰かがわからず、混乱している様子をこの定義は描いているように見られる。

2020年8月5日水曜日

ミラーニューロンと解離 11

DIDにおいて頻繁に見られる状況を考えよう。人格ACさんと親しくなる。すると人格Bがその関係を面白くないと思い、Cさんがどうして自分との時間を持ってくれないのか、という要求をする。Cさんは人格Bに対してはAさんに感じられるような親密さを感じられていない。そして人格ABの間には緊張状態が生じる。

このA,B,Cには様々な種類の関係性を代入することができるほどに頻繁に起きる状況である。このケースについて考えてみると、ヤスパースの4要素を一つ一つ検討する必要がないくらいにそれぞれが自己感を有していることが分かる。人格ABは、一緒になることで一つの全体に近づくような「人格部分」なのだろうか?

ヴァンデアハートさんらの文章を思い出そう。

私たちがこの人格部分 parts of personality というタームを選択するのは、それらが一緒になることで一つの全体を形成するのであるが、それらは自意識を持ち、少なくとも未発達な自己の感覚を持つ。しかしすでにうえで示したように、それぞれの人格状態は自己の感覚を十全に持っているようである。

この人格A,Bに当てはまるのは後半の3行でしかない。しかも少なくとも未発達な自己感 at least a rudimentary sense of self というが、Aさんと話す時もBさんと話す時もそれは基本的、どころかかなり明確でぶれることのない考えと感覚と願望と行動パターンを有しているように思われる。それははるかに通常出会う人々から受ける印象に近い。

そもそもDIDの人格に関して未発達な自己感を特徴として挙げるならば、どうして私たちはDIDの人に会っても、それが健常者が演技をしているのではないかという疑いを抱くのであろうか。そこまでに彼らは自然に見え、また実際自然な自己感を持ち合わせるのである。もし彼らが未発達な自己感を有しているとすれば、その人に出会った他者もすぐに感じ取るものではないだろうか。しかもDIDにおいておそらくもっとも内部の事情を知らない基本人格や主人格が普通に社会でふるまっているという事実はこれに矛盾すると考えられる。

ちなみに自我障害については、統合失調症に関するものの研究が見られる。それは ipseity (イプセイティ) disturbance とも呼ばれている。

(以下略)

2020年8月4日火曜日

ミラーニューロンと解離 10

一昨日書いた部分、どうも気になって手を入れた。これ自体がとても大きな問題だと考えている。自分とは、意識とは何か。

解離性同一性障害は、一人の人間が複数の心を持つという病態を示すが、それは私たちの多くにとってcounter-intuitive な現象である。のちに述べるように、私たちの自己意識はその単一性、分けられないことindivisive に支えられているからである。The sense of the self in each individual is sustained by its being in-divisive. そのために一般人だけでなく臨床家にとっても十分な理解を得られていなかったり誤解を生じたりするという事情がある。そしていくつかの人格状態が存在するという脳科学的な基盤がほとんど解明されていないという事情は、その誤解や偏見を後押ししているという印象がある。

従来の精神医学的なDIDの理解では、アイデンティティが、複数のパーソナリティ状態と呼ばれるアイデンティティの存在により破綻していることを問題としている。

例えばICD-11のドラフトの定義はこうだ。

解離性同一性障害は、「二つ以上の、他とはっきりと区別されるパーソナリティ状態(解離性アイデンティティ)の存在を特徴とするアイデンティティの破綻が生じ.・・・各パーソナリティ状態は、独自の体験と知覚と思考や、自己や身体や環境とのかかわり方のパターンを有するとされる」(ICD-11 draft).これはDSM-5でもほとんど同じである。

このきわめて多くの臨床家のコンセンサスを得たはずのDIDの定義は、一つのあいまいさや、ある種の矛盾点矛盾を抱えている可能性がある。「複数のパーソナリティ状態によるアイデンティティの破綻」という場合、そこにはある統一した、主となるアイデンティティないしは仮想的に統合されている人格を想定していることになることになりはしないだろうか。そしてその仮想的な統一人格が異なるアイデンティティに分断されていることで、自分が誰かがわからず、混乱している様子をこの定義は描いている。しかし実際のDIDを有する人は、このような形でのアイデンティティの混乱を体験していない可能性がある。例えば二つの人格状態A,Bが互いに完全な健忘を残す場合、ABの人格はそれぞれがアイデンティティの破綻を体験するであろうか。彼らの主たる体験はむしろ、一定期間の健忘である。そしてBの体験も同様である。しかしこれは彼らのアイデンティティの破綻なのであろうか。このA,Bの体験は私たちが睡眠に入り、一定時間ののちに覚醒する体験と似ている。A,Bという個別の意識体験を考えた場合、この種のアイデンティティの破綻は体験されてはいないのではないか。

もちろんDIDのケースによっては、A,Bの人格が共に覚醒することもある。その場合は二人の人格が掛け合いを行うという事も生じる。ではその場合はアイデンティティの障害が生じているのであろうか。

(中略)


例えば解離性障害の研究の主導者であるvan der Hart らは、解離性の人格部分 parts of personality という呼び方を提唱しつつ、こう書く。

We describe the division of personality in terms of dissociative parts of the personality. This choice of term emphasizes the fact that dissociative parts of the personality together constitute one whole, yet are selfconscious, have at least a rudimentary sense of self, and are generally more complex than a single psychobiological state. These dissociative parts are mediated by action systems.

 私たちがこの人格部分 parts of personality というタームを選択するのは、それらが一緒になることで一つの全体を形成するのであるが、それらは自意識を持ち、基本的な自己の感覚を持つ。しかしすでにうえで示したように、それぞれの人格状態は自己の感覚を十全に持っているようである。

2020年8月3日月曜日

ミラーニューロンと解離 9

自己の感覚として、ヤスパースらは基本的な自己感を4つの領域に関して述べた。

【能動性】【単一性】【同一性】 【限界性】の4つである。英語では living as a self-present, single, temporally persistent, and bodily and demarcated (bounded) subject of experience and actionとなる。このうち最初を除いた三つはうまく対応している【単一性】= 【同一性】= 【限界性】= という風に。そして最初の能動性が英語では self-presence, ドイツ語だとselbst-Presence となる。この self-presence は何となく個人的には「自己現前」などと訳したくなるが、あまり定訳がないらしい。まあ self-present が「能動性」という事でいいや。この文章はこれから英語に直すので、とりあえず英語表現を決めておけばいいのである。

さて私はかつて書いた論文 Problem of Otherness で、この点について書いているのだ。つまり交代人格はそれぞれが一つの意識を持っていて、どれ一つとして中途半端ではありませんよ。という事を主張したかったのである。(この文では、Aさんが、別人格Bさんから「ありえねーだろ!」と怒鳴られたという例を挙げている。) 

Ÿ   [Jaspers] indicated that, in schizophrenia, there are serious disturbances among these domains. In contrast, each PP in individuals with DID would not manifest disturbances among any of them. Consider Ms. A’s example of experiencing someone yelling from behind during driving (the case presented at the beginning of this article). With reference to the sense of self-presence, it is certain that Ms. A knows that she is behind the wheel, attempting to start the car on her own motive. It is because of her sense of agency that B’s ‘‘remark’’ came across as abrupt and it made her think of him rather critically, such as ‘‘Can’t he be more patient?’’ As for her sense of singleness, certainly, she feels that she is on her own and that she is distinct from B. As for her sense of temporal continuity, Ms. A would still claim that, even if she is amnestic about events that occurred yesterday, when B was mainly out and active, she could provide an ‘‘alibi’’ for herself, such as that she was ‘‘inside’’ and ‘‘in a deep sleep,’’ or was vaguely watching what B was doing, as a bystander somewhere inside or through a kind of video screen (as several of my DID patients describe). The sense of demarcation of Ms. A certainly exists although she might sometimes feel in a different location as compared with other non-DID individuals. She might feel that B is very close, even inside her head, such as at the back of her head, which however, is still outside the limit of her control.

 交代人格によってはこれらがすべて存在していることがある。それはもう立派な自我であり、主体なのだ。実は前報告ではそのことを示したわけだが、個別の自我が、例えばこのように言われたらどうだろうか? 「あなた(Bさん)は結局Aさんの心の一部です。やがてはあなたはAさんと統合されなくてはなりません。なぜならあなたはAさんから分かれてできたのですから。」

私はこれはBさんの人権を軽んじていることにはならないか? しかしこれは解離性障害の臨床ではザラである。さらに言えば、「貴方は自分がBさんだと思い込んでいるだけです。」という事を医療側から言われたりすることさえある。この場合Bさんの人権はほとんど抹殺されたといっていい。

それぞれの交代人格に対して、その人格のもつ自己の感覚をリスペクトすることは、きわめて重要である。ところが交代人格を完全なる他者ととらえる臨床家は少ない。精神分析の伝統では、あくまでも心は一つという方針が変わることはない。しかしそれは解離を扱う臨床家にとってもあまり変わりない。

2020年8月2日日曜日

ミラーニューロンと解離 8

解離性同一性障害は、一人の人間が複数の心を持つという状態であるが、それは私たちにとってcounter-intuitive (日常感覚に反する)な現象である。そのために一般人だけでなく臨床家にとっても十分な理解を得られていなかったり誤解を生じたりするという事情がある。そしていくつかの人格状態が存在するという脳科学的な基盤がほとんど解明されていないという事情は、その誤解や偏見を後押ししているという印象がある。

従来の精神医学的なDIDの理解では、アイデンティティが、複数のパーソナリティ状態と呼ばれるアイデンティティの存在により破綻していることを問題としている。

例えばICD-11のドラフトの定義はこうだ。

解離性同一性障害は、「二つ以上の、他とはっきりと区別されるパーソナリティ状態(解離性アイデンティティ)の存在を特徴とするアイデンティティの破綻が生じ.・・・各パーソナリティ状態は、独自の体験と知覚と思考や、自己や身体や環境とのかかわり方のパターンを有するとされる」(ICD-11 draft.

これはDSM-5でもほとんど同じである。

Disruption of identity characterized by two or more distinct personality states, which may be described in some cultures as an experience of possession. The disruption in identity involves

このきわめて多くの臨床家のコンセンサスを得たはずのDIDの定義は、一つの矛盾を抱えている可能性がある。「複数のパーソナリティ状態によるアイデンティティの破綻」という場合、そこにはある統一した主たるアイデンティティないしは仮想的に統合されている人格を想定していることになる。そしてその仮想的な統一人格が異なるアイデンティティに分断されていることで、自分が誰かがわからず、混乱している様子を描いている。しかし実際のDIDを有する人は、このような形でのアイデンティティの混乱を体験していない可能性がある。しかし例えば二つの人格状態A,Bが互いに完全な健忘を残す場合、ABの人格はそれぞれがアイデンティティの破綻を体験するであろうか。彼らが体験するであろうことは、一定期間記憶が飛ぶこと、自分の体がその間誰かに乗っ取られていたということ以外にはないであろう。そしてBの体験も同様である。

そしてこの体験は例えばシャム双生児の体験になぞらえることが出来よう。シャム双生児の兄弟は、二つの意識と一つの体を有する。彼らはかわるがわる、あるいは相談をしながら行動を起こすだろう。そして彼らのいずれも「複数のパーソナリティ状態によるアイデンティティの破綻」を体験しないだろう。それぞれ独立した意識を有し、自分のアイデンティティについての揺らぎはないであろう。DIDのケースの中にはいくつかの人格が同時に覚醒し、互いを意識し合う場合も多いが、その際はむしろこのシャム双生児のような体験に類似するのである。

このように考えると、DIDの定義に見られるような人格状態は一つの独立した人格ではなく、未統合で独立した意識を形成していないということになる。事実DIDの定義には常にそのような記述がみられる。すなわち「複数のパーソナリティ状態はそれが未統合状態である」という意味では自意識を形成することが出来ていないということと同義に思える。しかし多くの場合、それぞれの人格状態は自己の感覚を十全に持っているようである。

2020年8月1日土曜日

ミラーニューロンと解離 7

次に幼児が母親から微笑みかけられているのではなく、逆に激しく叩かれるという虐待的な状況を考えてみよう。この場合は、微笑みかけられる場合と異なり、幼児はある種のトラウマ的な体験を持つことになる。

(中略)

そこでまとめると次のようになる。

● 叩かれるという体験(MNSを介した、叩くという間接能動体験 叩かれるという直接受動体験)-(マイナス)受動体験の際の身体感覚

  = 傍観者人格の成立(体外離脱体験)

または攻撃者人格の成立 ← MNSの過活動??