2018年8月7日火曜日

他者性の問題 1

同時に進めなければならない論考として、「解離における他者性」というテーマがある。
例えばこんな例を考える。
「交差点で赤が青に変わった時、前の車が一瞬で遅れた。すると頭の後ろで、『何をぐずぐずしてるんだ!』という声が聞こえた。『なんて怒りっぽい人なんだろう』と私は思いました。」
この方(Aさん)は異なる人格Bさんを持つとしよう。この頭の後ろの声は、Bさんのそれだったのだ。この場合二人のものの感じ方は大きく異なる。つまりAさんにとってBさんは十分な「他者性」を帯びているのである。
この「他者性」については、Aさんという主観にとっては自明で直接的な体験だろう。ところがそこで用いる「他者性」は、次のような例を考える際にはたちまち影が薄くなるだろう。
同じような交差点での状況でこんな例を考える。Aさんが運転席にいると、後部座席に乗っていた夫Bさんが「何をぐずぐずしてるんだ!」と声を上げる。「夫はなんて怒りっぽいんだろう」とAさんは思う。Aさんは夫のことを、自分とは異なった考え方を持つ他者として認識する。
この二番目の問題については、この「他者性」とは自明なものだ。こちらはもちろん現実の他者であるから、その声が他者性を帯びているのは当たり前だ。それに比べてDIDの別人格からの声は、それを「他者性」を帯びていると表現することには様々な躊躇が生まれるであろう。一つの典型はBさんの声が他者性を帯びること自体が問題であり、それは本来的な人間の在り方である。それはいわば望ましくない他者性である、という考え方だ。この考え方は識者の間にも広く蔓延していると言える。たとえばDSMのDIDの定義を見てみればいい。
Dissociative Identity Disorder reflects a failure to integrate various aspects of identity memory, and consciousness.」
つまりDIDは、種々のアイデンティティの統合が失敗した状態である、という考えを反映している。すなわちAさんに問題なのは、Bさんの声を他者として認識することそのものにある、ということになりかねない。しかしそうだろうか? 考え方によっては、Bさんの声を他者の声と認識することでAさんは混乱せずに済んでいるとは言えないだろうか? 
もしこの問いかけが、DIDは正常である、という主張と捉えられかねないのであれば、次のように言いかえることが出来る。DIDの病理は、AにとってBが十分な他者性を持って認識されるという性質を持つ。そしてDIDのそのような性質は、DIDの神経学的な基盤からある程度説明が出来るであろう。
もちろんDIDの神経学的な基盤について説いた説はまだないわけだが。

2018年8月6日月曜日

解離―トラウマの身体への刻印 17


  これまで本のまとめばかりしていたが、そろそろ何かを書き出さなくてはならない。このテーマが「解離―トラウマの身体への刻印」ということであるが、実は難しいテーマである。というのもトラウマが身体に刻印される現象は普通は転換 conversion として捉えられるからだ。もちろんICDのように転換も解離に含まれるという分類もあるが、ふつうの用法であれば、解離は精神症状を表す事になる。
 トラウマの身体への刻印として、二種類を提示することにしよう。一種類はフラッシュバックに伴う身体反応である。これはある程度その性質が知られている。もう一つは転換症状としての身体反応であり、おそらくこの機序はほとんど知られていないのである。
1の反応についてはその仕組みをバンデアコークの書著をもとにまとめてみよう。
Bessel van der Kolk (2015) The Body Keeps the Score: Brain, Mind, and Body in the Healing of Trauma Penguin Books  (柴田 裕之翻訳 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法紀伊国屋書店2016)
大脳皮質に入ってきた多くの断片的な情報は、視床という部位に送られる。そこで出来事に大まかな意味が与えられる。たとえば森を歩いていたら、長い棒状のものが上から降ってきたとしよう。視床が意味を作り上げるのは、おそらくこのレベルだ。視覚野から送られてくる情報を集め、長い物体を認識し、それが上から接近してくるという動きを伴う。そしてその次に起きるのが、扁桃核と前頭葉への情報の伝達ということになる。扁桃核の刺激は視床で得られた情報から、「大変だ、蛇に襲われた」都いう反応を生じ、それは視床下部へと伝達され、種々のストレスホルモンが放出されると同時に、心臓の活動が昂進し、血圧が上昇し、筋肉への血流が増大する。こうして人は闘争逃避反応を見せることになる。

さて第2の身体反応、すなわち転換症状に関しては、その機序は全くと言っていいほどわかっていない。しかしながら患者はこれを頻繁に体験する。こちらはその症状の性質のつかめなさは、解離現象のつかめなさでもある。それをひとことで言うならば、神経性の疾患の症状の症状なのだ。これをDSM5ではこう言っている。機能性神経症状症 functional neurological symptom disorder つまり神経内科で扱うべき症状でありながら、機能的であるということだ。たとえば片足が麻痺したとする。神経内科では、そこに何らかの器質的な原因を探る。たとえば神経が途中で切断されたり、圧迫されていたりした場合だ。ところが神経は正常につながっている。しかしそれでも足が動かない。そのような場合だ。ここで「機能的」というのは非常に苦し紛れな、しかしそれ以外に表現しようのない問題なのである。足は神経自体に問題がない。しかし機能的には異常がある。つまり動かす、という機能が発揮されていない。これは更にどういうことか。人の脳は、足に向かう神経に対して、足を動かすような信号を送るように命令する。運動野の前段階としての運動前野の働きだろう。ところがここにはほかの命令も入り込む。「足を動かすな!」とか。そして実際に「足を動かせ」という命令と「足を動かすな!」という命令が共存しているために、その人は足を動かせない。さてここで一つの問題がある。その当人が、「足を動かすな!」という命令を意識しない場合はどうだろう? その命令が、その人の心の別のところからやってきていたら?
100年前のフロイトならこう考えた。「心の中で抑圧している部分、すなわち無意識がそうさせているのだ。」そしてその意図が無意識になっているということは、その理由を意識化したくないのだ。たとえば「足が動かなければ、仕事をさぼれるから。」ところがもし無意識以外の別の場所からその「足を動かすな」という命令が来ているとしたら? 解離の理論は、脳の解離された、別の場所からの命令が生じる、と考えるのである。

2018年8月5日日曜日

解離―トラウマの身体への刻印 16


  前頭前野に話が移る前に。VDK先生の本で、私が知らなかったのは、トラウマでは視床の機能そのものも阻害されるということだ。つまりは長い紐のようなもの、という認識すら出来ない可能性があるのだ。
 ところでこのMFPCは人間で最大に発達している部位だが、ここを働かせて、冷静に自分の心や身体や世界を見渡す力を「マインドフルネス」だ、と言っている。彼らしい割り切り方、あるいは単純化だと思うが、ちょっと矛盾しているという事情がある。MFPCはいわゆる脳の「アイドリング状態」、デフォルトモードで活動する場であるが、マインドフルネス瞑想とは、デフォルトモードに陥りやすい心をいかに何事かに集中させるかという瞑想である。とするとマインドフルネスはこのMFPCを働かせないトレーニングというニュアンスがあるのだ。理論的に考えれば、ということである。これは矛盾している。デフォルトモードって、人の心にいいの、悪いの、という話になってくる。しかしまあVDK先生のおっしゃりたいことはよくわかるつもりである。
 続けて第5章「体―脳の連結 body-brain connection」この次に出てくるのが、いわゆる「ポリベーガルセオリー polyvagal theory」自律神経に関するちょっとややこしい理論だが、VDK先生なりの理解の仕方を学べそうだ。
1994年、Porges ポージスという学者が考え出したこの理論。もともとはダーウィンの理論に端を発しているという。要するに自律神経とは交感神経と副交感神経。この二つは常にバランスを取っている。私も良くやるが、息を吸い続けていると脈拍が上がり、ゆっくりはくと今度は下がる。吸気時には交感神経の刺激、呼気時にはその反対。これが常に綱引きをしている。HRVという値が在り、要するに heart rate variability 脈拍数がどのように変動するか、という値だが、これは高いほどいい、という。つまりいつも脈拍が一定、というのは、一件よさそうで、実は交感神経、副交感神経の綱引きがちゃんと行われていないという意味では不健康だという。どうだろう、ボリベーガルの説明に、ここから説き起こすというのは、VDK先生はさすがだ。

2018年8月4日土曜日

解離―トラウマの身体への刻印 15


4章「生き延びることの解剖学 (the anatomy of survival)」あたりを読む。
 VDK先生の本のすごいところは、彼が脳科学をどのように自分なりに理解し、消化しているかを惜しげもなく教えてくれるところである。サービス精神が旺盛なのだ。たとえば脳幹と大脳辺縁系を合わせて「感情的な脳」と呼び、他方大脳皮質は「理性的な脳」とする。後者は人間でめちゃめちゃ発達している、ということは人間は大変に理性的なしかし動物ということになる。そしてこの理性を与えてくれる大脳皮質、特に前頭葉は、時々機能停止を起こすという事実にも言及する。そしてp.58あたりにミラーニューロンの話が出てくる。ある人はこれを「ニューラル WiFi 」と呼ぶという。これも絶妙な表現だ。他人の心が無媒介に自分に伝わるという意味である。
 ここら辺のVDKさんの脳の部位とその機能の比喩が素晴らしい。まず彼は視床はコックさんだという。どういう意味か。それは視床は大脳皮質から送られてくる情報を一気に統合して、「何が起きているのか」という意味を作り上げるという。沢山の具材から一つの料理という形あるものを作り上げる。ただしそれはあまり練り上げられたものではない。
 例を挙げよう。森を歩いていたら、ひも状のものが上から降ってきたとしよう。視床が意味を作り上げるのは、このレベルだ。視覚野から送られてくる情報を集め、長い物体を認識し、それが上から接近してくるという動きを伴う。視床としてはこれで精いっぱいだ。何しろ視神経の細胞から送られてくるパズルのピースは途方もない数だ。それを合わせるためには、高いレベルの情報処理がいるからである。とにかくありあわせの材料をまとめてお皿の上に盛るという働きをする。これがコックさんというわけだ。
 そしてその次に起きるのが、扁桃核という「煙探知機」の働き。つまり視床からの情報を見てピーンときて「大変だ!」という騒ぎを起こす。上から降ってきたひも状の物体は「蛇に違いない!」というわけだ。
 さてその僅か後に働き出すのが、内側前頭前野(MFPC)という名の「見張り塔 watch tower」。こちらは冷静に全体的な判断を行う。「よく見れば蛇じゃなくてただの木の枝じゃん! 焦りは禁物!」というわけだ。
視床 = コックさん
扁桃核 = 煙探知機
内側前頭前野 = 見張り塔
見事な比喩だ。

2018年8月3日金曜日

解離―トラウマの身体への刻印 14


VDKさんの本の12章の残りの3ページに描かれている症例が印象的。卵管の結紮術を受けている間、麻酔が弱くて覚醒していた女性のトラウマ体験。Anesthesia awareness という状態で、米国で毎年3万件ほど起きているらしい。この記述を読む限り、全身麻酔中は、覚醒してしまえば痛みをことごとく体験してしまうという。それはそうだ。全身麻酔と局所麻酔を両方使うことはしないだろう。ということは全身麻酔が効かずに覚めてしまうと恐ろしいことになる。何しろ筋弛緩剤が打たれて手を動かすどころか声を出すことも出来ない。呼吸もできないので人工呼吸器に繋がれた状態だ。するとそこで起きていることが、例えばメスで皮膚が切られて血が噴き出す感覚まで記憶に残るという。あるいは手術チームが術中に誰かの噂話をして盛り上がっているというのもトラウマになってしまう。あざ笑われている感じがするのだろう。そしてこの患者さんはそのトラウマから回復するのに何年もかかり、最後はピラテスに救われたとある。
教訓:全麻手術を受けるときは、薬を多めに使ってもらおう。


2018年8月2日木曜日

解離―トラウマの身体への刻印 13


12章あたりを読んでいる。やはりこの本は「読物」として面白い。このテーマとは直接関係ないが、第一次世界大戦でPTSDの前身の概念である「シェルショック」が提唱された際に、それが戦意を削ぐということで、イギリス政府がその使用を禁止したとある。もちろんPTSDをきたす患者は出たが、それに対してつけられたのが、NYDN (not yet diagnosed, nervous、神経症的だがまだ診断されていない状態) という診断名、つまりUFOのように「未確認の状態」とよばれたというわけだ。それを診た医者が下す結論は「この男はもともと戦闘体験に耐えるだけの強さを備えていなかったのだ」だったという。それからVDK先生がアメリカの軍人病院で体験した、第二次世界大戦の戦闘兵について書いてある。彼らの多くはPTSD の診断を下すべき状態にあった。しかし彼らは主として身体症状を訴えていた。頭痛、腰痛、消化器症状・・・・。この p189の部分は、書こうとしている論文への引用に値する。「身体は依然として刻印を残す。彼らは消化不良を起こし、動悸がし、パニックに翻弄される。Their bodies still keep the score; their stomachs are upset, their hearts race, and they are overwhelmed by panic.」 
これも驚くべき記述。1974年の「カプラン・サドック」の精神科テキストには、近親姦は極めてまれで、110万人に一人の率で発生する…。そのような体験は統合失調症に罹患する可能性を低くし、社会適応をよくする・・・・」なんと!本当にこんな記述があったのだろうか?
続いて一番印象に残った記述。これも「身体への刻印」とは異なるが…。1970年代初期になされたLinda Meyer Williams 医師の研究。10歳から12歳までの性的虐待を受けた少女 206人をフォローアップしたという。17年後、すなわち少女たちが2730歳になったころ、彼女たちのうち136人に面会することが出来た。すると38%の人たちは、記録にも残っている虐待をそもそも覚えていず、12%は、最初から虐待などなかったと言ったという。

2018年8月1日水曜日

解離―トラウマの身体への刻印 12


 やはりこの本は面白い。VDK先生はベトナム帰りの兵士8人に頼んで、暴力的な映画(戦闘シーンあり)と平和的な映画を見てもらい、どちらの映画を見ていたほうが、氷水の中に手を長く浸していられるかという実感をやった。(侵襲性のない痛み刺激を与える、となるとこの手法がよく用いられる)。すると暴力的な映画を見ていたほうが、30%長い時間手を浸しておけたという結果が得られたという。そしてこれがなぜ戦闘兵が手術の際に麻酔を必要としないことが多いということを説明するという。要するにエンドルフィンだ。P33には扁桃核とセロトニンの関係も出てくる。扁桃核が過剰反応しないためには、そこの部位がどれだけセロトニンを含んでいるかによるという Jeffrey Gray 先生の研究報告。これと関係している可能性のあるサルの研究。ボス猿は高いセロトニン濃度を示すという実験結果。あるいはセロトニンの濃度を人工的に上げられたサルはボス猿にのし上がるという実験結果。つまりセロトニンが低いとビビリ症、高いと肝が据わる、と言い換えることができるだろう。もちろん日常的に坑鬱剤を投与している我々はSSRI(脳内のシナプス間隙のセロトニンを増やすことになっている)のグループの抗鬱剤がそれほど劇的に効かないことをよく知っているのだが。
 読み進めると、ここでVDK先生が書いてあることは私も何年か前に読んで、アレっと思った部分である。本書でも採録されている。それは最初のSSRIであるプロザック(日本では結局発売されず) をPTSDに使ったところ、非常に効果があったという話である。もちろんSSRIPTSDにはよく使われるが、ここまで感動、ということはあまり私自身は体験していないのだ。