2015年12月11日金曜日

フロイト私論(2)


フロイトとユングとの関係

フロイトとユングとの数年にわたる関係については、何冊かの本でかなり詳しく窺い知ることが出来るが、そこではフロイトが対人関係の中で具体的に何につき動かされていたかが分かる。それは彼の精神分析理論とは別に、実生活で彼が見せた行動とその病理の可能性を表現しているといえよう。そこで感じられるのは、フロイトとユングとの関係は合理的な関係に留まるものではなかったということだ。単に互いの理論が食い違うだけならば、そこで冷静に議論をして、お互いに得るところを模索するべきであろうし、そのような付き合いを通じて互いを高めあう事が出来るだろう。ところがフロイトとユングの関係を支配していたのは、理論とは別の、むしろ情緒レベルでの交流であり、その破綻が二人の訣別を決定的なものにしたのだ。
ともに心理学史上の巨人とみなされ、一時期はあれほど親密な関係にあったフロイトとユングは、どうして別れなければならなかったのか?19073月に最初に出会った時は、13時間もノンストップで話し続けたという逸話は有名であるが、それほどまでに意気投合した彼らが、どうしてほんの数年後には訣別してしまったのだろうか? 二人の関係を追って行くと、フロイトはユングが自分の理論を作りはじめ、自分から独立して行くことに耐え難かったという事実が浮かびあがってくる。この時期のフロイトには、自分の作り上げた精神分析理論をそのまま肯定しない人に対しては、感情的になりそれを排除する傾向が目立ってきた。もっともフロイトは自分の理論に一致しない考えをことごとく排除しようとしたわけではない。それが自分の理論の根幹部分に関わるものでない限りは、比較的寛容な姿勢を示す事もあった。つまり相手の理論より自分の方が優れ、それを説得により変える自信がある限りは、そこに自己愛的な傷つきが伴わないわけで、それだけ心の余裕を保つ事も出来たのだ。とすればやはり自己愛的な問題、つまり相手が自分を受け入れていると感じられるかどうかが、フロイトがその相手の理論を受け入れるかいなかの鍵であったといえる。
事実フロイトはユングが理論において自分と非常に隔たっていることがわかっても、最初のうちは寛容だった。たとえばリビドーは性的なものに留まらず、一種の生命エネルギーであるというユングの考えは、二人の関係が始まった最初のころからユングの中にあり、それをフロイトも知っていたのだ。あるいはユングは患者と性的な逸脱を起こしてかなり奔放なふるまいをしたことが知られているが、たとえそれがいかにフロイトの唱える禁欲原則に反していたとしても、フロイトはユングを破門するどころか、それを慰めるような手紙さえユングに送っている。ユングが自分に従う意思を示し、手紙を頻繁に送ってくる限りは、この様な決定的ともいえるユングの逸脱行為もフロイトは許す事が出来たのだ。
ところがフロイトにとって痛手だったのは、そのようなユングからの手紙の頻度が次第に減っていったことだった。1911年頃になると、ユングはフロイトから精神的に独立する態度を表し、フロイトはユングからの手紙が遅いことを非難するといった姿勢が見られた。1912年二月、ユングは、「自分は自分自身の仕事の方により多くのリビドーを向けるようになった」と認める手紙を送っている。こうしてユングはもはや自分が任されていた国際精神分析学会会長としての仕事を続ける意欲を失って行き、それを許す事の出来ないフロイトは苦悩のうちにユングとの訣別を決心することになる。
しかしそれでも二人は本当に別れたかったのかがわからないようなエピソードもある。いわゆる「クロイツリンゲンの振る舞い」も1912年に起きた出来事だったが、スイスのクロイツリンゲンに病床にあったビンスワンガーを見舞ったフロイトが、近くのチューリッヒに棲んでいたユングのもとに立ち寄らなかったことを、いつまでもユングは恨みがましく思っていたという。このフロイトとユングのやりとりをみていると、お互いに相手に振られたと勘違いして分かれていく、二人の非常にプライドの高い恋人達のようだという印象すら受ける。ユングの方もフロイトとの訣別に深く傷つき、アーネスト・ジョーンズにフロイトとの仲の修復を頼んだりしたとつたえられている。たとえ信じる理論が異なろうとも、ともに人間の深層心理に魅せられた心の探求者であることには変わらなかったのであり、二人が何等かの形で関係を維持する事は互いに有益であったに違いない。しかし二人とも関係を続けて行くことは、自分の自己愛やプライドが許さなかったのであろう
ただしこの場合私はやはりフロイトの方により多くの非を感じてしまう。というのも、彼は20歳もユングより年上でありながら、ユングが自己を確立して、独自の理論を打ち立てていくことを許せなかったからだ。一方のユングとしては、自分の独自の理論を作り上げることによりフロイトと理論的な距離が出来るのは当然であるし、フロイトのプライドを守ってあげるために汲々とする必要はなかったのだ。いうならば、年齢的にはユングの父親に近いといってもいいフロイトが、ユングに対して本当の意味で父親的な態度を示せず、まともにライバル心をむき出しにしてしまったことが問題だったわけだ。これはやはりフロイトが持っていた自己愛の病理の未解決な部分のせいといえるだろう。
 



2015年12月10日木曜日

フロイト私論(1)


フロイト私論 
-自己愛の文脈から見たフロイト
-恥の病理から見たフロイト
-スタイリストとしてのフロイト


この論考は、フロイトを様々な視点から眺めることを目的としている。私はフロイトは彼が自らについて作り上げていたイメージや、彼が打ち立てた理論と実像とに大きな違いがあるように思う。そして彼の実像に迫ることが、その理論を逆照射するという意味を持つと思う。彼が活躍した時代から一世紀が過ぎようとしているのに、フロイトの理論がこれほど大きな影響を及ぼし続けている以上、この様な作業にもそれなりの意味があると考える。
私の彼の理解は、もちろん私の理論的なバイアスの産物でもある。それを承知の上で、フロイトに対する三つの視点を挙げたい。それは、自己愛的な文脈、恥の病理という文脈、そしてスタイリストとしてのフロイトという文脈である。

自己愛の文脈から見たフロイト
-精神分析の祖は自己愛的な人間だったのか?

フロイトの人生を辿ってみると、人がつながったり離れたりするきっかけとしてもっとも大きなものの一つはプライドであり、裏切られることによる自己愛の傷つきの恐れであるという印象を強く持つ。端的に言えば、フロイトの人生はまさに「コフート的」な世界であったといえよう。というのも彼の人生を振り返ると、フロイト自身はコフート的な治療者を追い求めていたのではないか、という印象を受けるからだ。彼を支えた人々、つまりブロイアー、妻のマルタ、フリース(フロイトより2歳年下)、フェレンチ(フロイトより22歳年下)、ユング(フロイトより20歳年下)、その他の人々は、まず第一に彼の説の良き聞き役であった。そしてフロイトが彼らに話を聞いてもらい、わかってもらっていると感じる限り、それらの人々との良好な関係は続いたわけである。そしてまた、それの周囲の人がそのような役割を負えなくなった時、フロイトは彼らから精神的に遠ざかっていった。(とはいえ彼は妻のマルタとは添い遂げたわけだが、婚約時代にあれほど熱烈な手紙を書き送ったフロイトが、結婚後はその情熱を別の人々に振り向けてしまったという印象は否めない。)だからもしフロイトがコフート的な治療者を一生持ち続けたら、フロイトの交友関係はもっと安定したものになっていた可能性があるだろうと思う。でもそのかわり、二十巻以上の全集を生むようなあれほどの多産さを示したかどうかはわからない。というのもフロイトの書くという作業の一部は、それにより自分の説の正しさを証明し、周囲から理解して欲しいという願望に基づいたものだったからだ。例えばフロイトの「科学的心理学草稿」という初期の論文は、本来フリースに宛てられた手紙を集めたものである。またシュレーバー症例は、精神分析が分裂病の治療に有効であるということを、その頃分裂病に興味を示していたユングに対して示すという目的があったともいわれる。
ところで私がフロイトの人生を考える上で一つの仮説として考えていることは、彼の人生の後半になり、その自己愛の質が変ってきたのではないか、ということである。結論から言えば、フロイトの自己愛的な欲求は、彼が業績を積み、地位を確立していくにしたがって、私の考える自己愛の第一のタイプから第二のタイプに変わっていったと考えられるのだ。
ここでいう二つの自己愛のタイプは、相手に「わかってほしい」という願望の種類により分けられるものである。第一のタイプは,患者さんが話を聞いてもらえるだけでとりあえず満足するような,つまりコフートのいうミラーリングを体験することでとりあえず満たされるような種類のものである。そこで患者さんは, 自分の存在そのものを肯定され.受け入れられながら生きているのだという感覚を昧わうわけ
だ。この場合,わかって欲しい対象は,自分の存在そのもの, と言うことができよう。それに比べて第二のタイプでは,患者さんは自分の持っているもの,容姿,業績,地位といったものについて肯定してもらうことを望む。患者さんは自分の存在そのものというよりは, 自分を定義するような何か、自分が持っている何かについて見てもらい司認めてもらうのだ。つまりこの場合,「わかって欲しい」対象は,自分の持っているもの,自分に属しているもの,と言うことができまる。

 この第一から第二のタイプの自己愛への推移は、フロイトのフリースとユングとの関係の違いに顕著に表れているといえるであろう。フリースはおそらくフロイトが第一のタイプの自己愛を満たすための相談相手であったのに対して、ユングはフロイトの第二のタイプの自己愛に関わっていたのだ。
もう少し具体的に見てみよう。フリースを相談相手にしていた1890年代は、フロイトはフリースを自分にとってのアドバイザーとして扱っていたというニュアンスがある。だから情緒的には、フリースはシャルコーやブロイアーなど、彼を教え導く父親的な人々に類似した存在だったといえる。実際にフロイトは自分の理論にフリースのいくつかの説を取り入れたりしているのだ(たとえば周期説や、両性具有説などである)。
ところが1900年代にユングにのめり込むようになり、さかんに手紙を交わすようになったフロイトは、自分の方が20歳も年上であることもあり、相手に対して自分の説を全面的に受け入れる事を期待し要求するような、絶対的な師弟関係を求めるようになる。そしてフロイトは自分の説に関しては、かなり融通が利かなくなっていった。これはむしろ自分がこれまで積み上げた理論や精神分析の組織が、自分を取り囲む自己愛的な衣服や鎧のようになり、それを防衛することにエネルギーを注ぐようになったことを意味する。そしてこの自己愛的な病理は、かなりカーンバーグ的な、あるいは先ほどの第二のタイプの自己愛のニュアンスを帯びてきたといえよう。



2015年12月9日水曜日

精神分析技法という観点から倫理問題を考える(4)


関係性精神分析における技法と倫理性                                    
以上の議論を踏まえたうえで、現代的な精神分析理論、特に関係精神分析における技法論について論じてみよう。
 精神分析はこの半世紀の間に実に様々な技法論を生み、多種多様な理論的立場が提唱されている。このことは、技法論の一元的なテキストを編むことをますます難しくしているといっていいだろう。また立場によっては技法の持つ意義に対する根本的な疑問すら唱えられている。たとえばいわゆる間主観性理論の立場や関係精神分析においては、技法を越えた治療者と患者の関係性の持つ治療的な意義に重点が置かれる傾向にある。そのような空気の中で、精神分析的な技法論という大上段に構えた著作は影を潜め、精神分析的なかかわりの持つ技法以外の側面が強調されるようになったのである。
  現在の精神分析においては、一般に分析状況における技法を超えた治療者と患者のかかわりや出会いの重要性がますます強調されるようになってきている。ボストングループではそれを、暗黙の関係性の了解 implicit relational knowing, 出会いのモーメントmoment of meeting などと称している( 14 )Renik (13) によれば、治療関係はいつも、目隠しをして飛行をしているようなもので、何が有益だったかは、あとになってわかるようなものであるとする。
 これらの議論は精神分析が技法を学ぶことによりマスターされるといった見方から、より臨床経験を積み、また自らの教育分析の経験を役立てることの意義が問われるといってよいであろう。それは先ほどの分類で言えば「基本原則」からのますますの乖離であり、またそれぞれの立場からの経験値の蓄積、すなわち「経験則」の積み重ねということも出来る。
倫理性の問題は、関係精神分析における関係論そのものの基本概念ともつながる。関係精神分析の立場にあるHoffman, I 7)によれば、技法について論じることは、治療における弁証法的な両面の一方に目を注ぐことにすぎないことになる。彼によれば精神分析家の活動には、「技法的な熟練」という儀式的な側面と、「特殊な種類の愛情や肯定」という自発的な側面との弁証法が成立しているという。この理論に従えば、技法は、分析家の行う患者とのかかわりの一部を占めるに過ぎないことになる。
 彼の主張によれば、分析家が技法を用いることに伴う権威主義は、もう一つの側面、すなわち分析家もまた患者と同じく死すべき運命にあり、患者と同じ人間である、というもう一つの側面を併せ持つことにより意味があるという。その意味で、分析家のかかわりは、結局は患者が幼少時に持つ事が出来なかった母親との関係の代用に過ぎないという側面を持つことになる。彼の文章を引用しよう。

しかし私たちは分析家が限られた予定時間内の料金による関係の中で、早期の情緒的な剥奪を補ってくれることをどの程度期待出来るのであろうか? それは実際に、現実の世界における誰かとの良好で親密な関係の、まさに不出来な代用でしかないようであり、ましてや神との信頼すべき関係のようなものではないのは言うまでもない。そして確かに精神分析には、支払う側の方が支払われる側よりも援助を必要としかつ傷つきやすいという側面があり、それは最適とは言えず、有害で搾取的でさえあるという言い表し方も無理からぬ側面がある(中略)。しかしその不満で頭がいっぱいになっている患者は、おそらく分析の外で親密な関係を築く上でも同様の不満を持つことで、ハンディキャップを負っているであろう。結局それらの親密な関係も、両親像との早期の理想的な結びつきの空想にはかなわない限り、不出来な代用として経験されるであろう。こうして分析的な関係の持つ目を覆うべき限界にもかかわらず、その価値を評価して高めていく方法を見つけられる患者は、他の関係性についても、それを受け入れて最大限に活用したりするためのモデルを作り出していくであろう。(ホフマン「儀式と自発性」第一章)

つまり精神分析における治療者患者関係は、それ自体が、分析家の権威主義に抗する形での平等主義を内在化したものとして説明される。分析家の態度が権威により引っ張られる傾向にある分だけ、分析家自身の持つ倫理性はより大きな意味を持つということになる。ただしこのことは、分析家の技法を用いる態度を否定するものではない。分析家という専門技能を有し、それを用いることに伴う権威は、むしろ分析家の人間としての側面が治療的な意味を持つためには必要な要素と言えるだろう。

最後に
精神分析技法という観点から倫理問題を考え、最後に関係精神分析の立場を論じた。技法という点からは、それを便宜的に「基本原則」と「経験則」にわけて論じた。最近の流れの中で尊重されるようになった倫理原則に鑑みながらこれらの原則について考えた場合、少なくとも「基本原則」に関しては、それを相対化したものを考え直す必要があるという点について述べた。他方の「経験則」についてはむしろ倫理原則に沿う形で今後の発展が考えられるであろう。そして関係精神分析の趣旨とおおむね一致していると考えることができるのだ。

参考文献
(1) Fenichel, O.: Problems of Psychoanalytic Technique. AlbanyPsychoanalytic Quarterly., 1941. 
(2) Freud, S.: Recommendations to Physicians practicing psycho-analysis. S.E.12., 1912. 
(小此木啓吾訳 : 分析医に対する分析治療上の注意. 著作集 第9, 1983)
(3) Freud, S. : On Beginning The Treatment. S. E.12, 1913. (小此木啓吾訳 : 分析治療の開始について.  著作集 第9, 1983)
(4) Freud, S.: Remembering, repeating and working-through. SE, 12, 1914
(小此木啓吾訳:想起,反復,徹底操作 フロイト著作集 第6巻,1970年)
(5) Freud, S.: Zur Technik der Psychoanalyse und zur Metapsychologie. Internationaler Psychoanalytischer, 1924.
(6) Greenson, R.: The Technique and Practice of Psychoanalysis. Vol. 1. New York: International Universities Press, 1967.
(7) Hoffman, I.Z.: Ritual and Spontaneity in the Psychoanalytic Process. The Analytic Press, Hillsdale, London, 1998.
(8) Langs, R.: The technique of psychoanalytic psychotherapy: volume I ,II Jason Aronson, 1977, 1989.
(9) B.ロー著,北野喜良,中澤英之,小宮良輔監訳:医療の倫理ジレンマ.西村書店, 2003Lo, B: Resolving Ethical Dilemmas: A Guide for Clinicians Lippincott Williams & Wilkins; Third edition, 2005.
(10) Menninger, K. Theory of Psychoanalytic Technique. Basic Books, New York, 1959.
(11) 小此木、その他編: 精神分析セミナーIII フロイトの治療技法論. 岩崎学術出版社,1983年.
(12) Renick, O.: Practical Psychoanalysis for Therapists and Patients. Other press, 2006.
(13) スターンD.N.著 奥寺崇 監訳/津島豊美訳 プレゼントモーメント 精神療法と日常生活における現在の瞬間 Stern, DNThe Present Moment in Psychotherapy and Everyday Life. W. Norton & Company, 2004.


2015年12月8日火曜日

精神分析技法という観点から倫理問題を考える(3)


米国精神分析学会における倫理綱領の抜粋
米国精神分析協会による倫理綱領Dewald, Clark, 2001を一つ一つ読むと、時代の流れを感じる。アメリカの精神分析協会といえば、最も保守的で伝統を重んじる機関のはずだが、そこで定められている倫理規定は決しては、以下にみられる通り「フロイトの唱えた基本原則を守り、正しい精神分析療法を施しなさい」という事ではない。ここで特に従来の「基本原則」に触れる可能性のある条項をいくつかピックアップして列挙してみる。
分析家としての能力
自分が訓練を受けた範囲内でのみ治療行為を行う。
理論や技法がどのように移り変わっているかを十分知っておかなくてはならない。
分析家は必要に応じて他の分野の専門家、たとえば薬物療法家等のコンサルテーションを受けなくてはならない。(以下略。)
平等性とインフォームド・コンセント
精神分析はインフォームド・コンセントに基づき、互いの同意のもとに行われなくてはならない。
立場を利用して、患者や生徒やスーパーバイジーを執拗に治療に誘ったり、現在や過去の患者に自分を推薦するよううながしてはならない。(以下略。)
正直であること
キャンディデート(候補生)は、患者に自分がトレーニング中であること、スーパービジョンを受けていることを伝えることが強く望まれる。
分析の利点とそれによる負担について話さなくてはならない。
 嘘をついてはならない。(以下略。)
患者を利用してはならない
現在及び過去の患者、その両親や保護者、その他の家族とのあらゆる性的な関係は非倫理的であり、それは分析家からの誘いによるものもその逆も同じである。身体的な接触は通常は分析的な治療の有効な技法とは見なされない。
現在および過去の患者やその両親ないし保護者との結婚は許されない。(以下略。)
患者や治療者としての専門職を守ること
難しい症例についてはコンサルテーションを受けなくてはならない。
病気になったら同僚や医者に相談しなくてはならない。
患者の側からスーパービジョンを受けることを請われた場合は、その要求を真摯に受け止めなくてはならない。(以下略。)
医療倫理の四原則

ちなみにこの精神分析的な倫理綱領は、特に精神分析や精神医学に限定されない医療全般に関する倫理原則を背景としているといえる。そこでいわゆる医療倫理の4原則についても紹介しておきたい。それらは「無危害」、「善行」、「正義」、「自律尊重」と呼ばれるものだ。もう少し詳しくこれらを説明すると以下のようになる(9

1.無危害原則・・・「来談者に害悪や危害を及ぼすべきではない」。
2.
 善行原則・・・「来談者にとって医学的に最も適切で利益が多いと思われる治療行為を行うように勤める」。
3.
 正義原則・・・「社会的な利益と負担は正義の要求と一致するように配分されなければならない」。すなわち医療現場では、医療資源の公正な分配が必要であり、不正行為や不公平が生じてはならない。
4.
 自律尊重原則・・・「来談者が自分で考えて判断する自律性を尊重しなければならない」。来談者の主体性を尊重せよということである。
 従来の医療においてはこのうち善行原則が重んじられたが、最近では自律尊重原則を重視するようになり、そこではインフォームド・コンセントが特に重要であるとされている。
以上に示した精神分析学会の倫理綱領(抜粋)や、その背後にある医療倫理の4原則は、精神分析における技法にどのような影響を与えるのであろうか?一ついえるのは、これらの倫理的な規定はどれも、技法の内部に踏み込んでそのあり方を具体的に規定するわけではないということである。しかしそれらが「基本原則」としての技法を用いる際のさまざまな制限や条件付けとなっているのも事実である。
 倫理綱領の中でも特に「基本原則」に影響を与える項目が、分析家としての能力のひとつとして挙げられた「理論や技法がどのように移り変わっているかを十分知っておかなくてはならない。」というものである。これは従来から存在した技法にただ盲目的に従うことを戒めていることになる。特に匿名性の原則については、それがある程度制限されることは、倫理綱領から要請されることになる。すなわちキャンディデートは、患者に自分がトレーニング中であること、スーパービジョンを受けていることを伝えることが強く望まれる」という項目に従った場合、分析家は自分が修行中の身であり、ケースが上級の分析家により監督されていることを告げることになるであろう。このようなことは、従来の精神分析療法においては想定されなかったことであり、現在でもそのような方針は分析家の匿名性を犯すものとして、抵抗を示す分析家も少なくないであろう。
 同様のことは中立性や受身性についても当てはまる。分析家が沈黙を守ってもっぱら患者の話を聞くという姿勢は、それが患者にとって有益となる場合も、そうでない場合もあろう。それは患者によっても、またその置かれた治療状況によっても異なる。そうである以上、中立性や受身性は、それにどの程度従うかは個々の治療者がその時々で判断すべき問題となる。すなわち「基本原則」の中でも匿名性や中立性は、「それらは必要に応じて用いられる」という形に修正され、相対化されざるを得ない。
 ただし「基本原則」の中で禁欲原則については、少し事情が異なる。なぜならこの原則は倫理原則にある意味では合致した原則と考えられるからである。フロイトの「治療は禁欲的に行われなくてはならない」というこの原則については、禁欲する主体が治療者か患者かという問題について曖昧さが残るが(11)、通常はそれを治療者側のそれと患者側のそれとに分けて議論される(12)。このうち「治療者側は治療により自分の願望を満たすことについては禁欲的でなくてはならない」とするならば、それはまさに倫理原則そのものといっても過言ではない。また逆に「治療者は患者の願望を満たさすことには禁欲的でなくてはならない」とするのであれば、これは上述の意味で相対化されるべきものであろう。なぜなら患者の願望の中にはかなえられるべきものとそうでないものがあるであろうし、一律に患者の願望をかなえないという原則を設けることは、非倫理的との批判に甘んじなくてはならないであろうからだ。 
 他方治療技法の中で「経験則」のほうはどうであろうか?先ほど「経験則」は関係性を重視し、ラポールの継続を目的としたもの、患者の立場を重視するもの、と述べたが、それはある意味では倫理的な方向性とほぼ歩調を合わせているといえる。倫理が患者の利益の最大の保全にかかっているとすれば、「経験則」はいかに患者の立場に立ちながら分析を進めるか、ということに向けられているといってよい。たとえば表層から、というのはそれにより患者のショックや侵入された感を和らげるという意味では倫理的な姿勢と方向性が一致するのである。


2015年12月7日月曜日

精神分析技法という観点から倫理問題を考える(2)


治療技法と倫理との関係
精神分析の理論の発展とは別に進行しているのが、倫理に関する議論の流れである。そして最近の精神分析においては、精神分析的な治療技法を考える際に、倫理との係わり合いを無視することはできなくなっている。精神分析に限らず、あらゆる種類の精神療法的アプローチについて言えるのは、その治療原則と考えられる事柄が倫理的な配慮に裏づけされていなくてはならないということである。考えてもみよう。様々な精神療法に熟知し、トレーニングを積んだ治療者が、実は信用するに足らない人物であるとしたら、いったいどのようなことが起きるだろうか?あるいは治療者があらゆる技法を駆使して治療を行うものの、それが結局は治療者の自己満足のための治療であったら?
 「治療者が患者の利益を差し置いて自分のために治療をすることなどありえない」、と考える方もいるかもしれない。しかし基本的には治療的な行為は容易に「利益相反」の問題を生むということを意識しなくてはならない。「あなたは治療が必要ですよ。だから私のところに治療に通うことをお勧めします」という言葉は一見自然に映るかもしれない。しかしそこには、すでに利益相反の要素が忍び込んでいるのである。
ここで少し私の私的な経験について書いておこう。私が米国のメニンガー・クリニックに留学していた時、最後のスーパーバイザーは少し変わった人だった。彼は若い頃はかなり厳格なフロイディアンだったが、ある時偶然が重なってシカゴにコフート理論のセミナーを受けに行くことになった。しかしその時からすっかり考え方が変わってしまい、後にメニンガーで随一のコフート派の論客になってしまった。彼はそれまでの分析の常識を覆すようなことを語るようになっていたが、ある時バイジーの私に明言した。「ある意味では、分析家は倫理的に問題ないのであれば、何をやってもいいということになるんだよ。」
 私は一瞬「あれ?」と思い、「いくらなんでもそれはないだろう」と思い、一生懸命それを反駁しようとした。しかしそれから二十年くらいになるが、結局彼の言ったことは正しかったと考えるようになってきている。そして彼の言葉は実に重要なテーマを投げかけてくれたとも考えている。「常に自分がやっていることの倫理的な意味を考えよ。」「非倫理的なことであれば、たとえ分析の教科書に載っていてもやるべきではない。」
これは実は何らかの精神療法のマニュアルに書かれている治療原則にのっとって治療を行うよりもはるかに込み入っていると考えている。
近年医療に関しても、サービス産業にしても、消費者ないしは受益者、英語ではconsumerと呼ばれる側の人たちをいかに守るかということが重要な課題となってきている。精神療法においても、患者の利益が最優先されるべきであることは論を待たない。治療の原則がいかにあるべきかは、医療の倫理性の追求と歩調を合わせなくてはならない。
いったいこの受益者優先の考えはどこから来たのだろうか?それはあまりに明らかなことだろう。それはサービスを受ける側であるコンシューマーたちが声を上げるようになったからだ。時代は明らかに一つのベクトルを持っている。それはあらゆる意味での差別や格差を撤廃するという方向性であり、平等主義である。もちろん局所的に見れば、差別やそれに基づく虐待が増加したり悪化している共同体もあるだろう。女性を奴隷扱いするISISなどはその一例かも知れない。しかし全体的な流れとしては明らかにこの平等主義に向かっているし、もちろん我が国も含めていわゆる先進諸国においてはそうである。そしてそれは精神分析の分野についてもいえることだ。私たちが本書で紹介している関係精神分析においても、そこにあらゆる学派に属していたり、異なる資格を有している人たちが集合している以上、そして多くの人権論者やフェミニストたちが属している以上、その傾向は特に強いといえるかもしれない。患者にとってフェアであることはその基本的な精神としてあるわけだ。
他方これを体験する患者の側を考えたらどうだろう? 私の考えでは、実は治療者の倫理性は、患者が感じ取るものであると思う。治療者が結局は同じ人間であるということは、技法やその表向きの表情を通して患者が感じるものである。「この治療者はいつも黙っていて能面のようだけれど、私の話を真剣に聞いてくれている」「この分析家はポーカーフェイスだけれど、それは分析がそういうものであって、本当は良心的で誠実な人だ。」という体験である。もしそれがなかったとしたら、患者はどうやって治療を続ける事が出来るだろうか?唯一の可能性があるとしたら、それをどこかで心地よく思っているマゾキスト的な部分が関係しているのではないか。
倫理の問題と訴訟との関係
精神分析において倫理の問題が問われるようになるという流れの推進力となったのが、訴訟問題である。 平等主義のもう一つの推進力、それは訴訟である。権力を持つ側が、それに伴う力の濫用を自ら反省し、襟を正すことは通常はありえない。力の濫用は被害をこうむった人々からの声により正されていく。ただし被害者は人類が始まって以来つねに存在していた。その声を無視しないだけの社会の成熟が必要だったと言える。
 精神分析に関する訴訟の中でも特に
象徴的な出来事が、米国でのオシェロフV.チェストナットロッジという訴訟(1980年)であった。
 42歳の医師オシェロフ氏は深刻な抑うつ状態に悩んでいた。そしてメリーランド州のチェストナットロッジという精神病院に入院した。しかしそこでは精神分析的な精神療法のみしか行われず、同氏のうつ病が改善することはなかった。同氏は別の病院に転院し、そこで薬物療法を受けて症状は改善した。そこでオシェロフ氏は、妥当な治療を施さなかったとしてチェストナットロッジを訴えたのである。
 この訴訟は最終的には示談となったが、これを一つの切っかけにして精神医学の世界でインフォームド・コンセントの問題がますます重視されるようになった。そしてこの事件が精神分析の世界に与えた衝撃は大きかった。それまで自らの治療の効果に関して比較的楽観的であった分析家達は、その治療法の有効性を説明し、それを薬物療法やそのほかの精神療法に優先して、あるいはそれと平行して行われるべきことを示す必要に迫られることになったのである。また他方では、精神分析の立場からの倫理綱領の作成が促されるきっかけとなった。
 現在米国の精神分析協会では、その倫理綱領を定めているが、その中には技法とのかかわりが重要になるものが少なくない。

身近に出会う倫理性の問題の例
 
その倫理的な配慮の中でも基本的なものとして、二つ挙げておこう。
 1 インフォームドコンセント
一つ目はいわゆるインフォームド・コンセンの問題である。治療者の側の倫理としてまず関わってくるのが、昨今議論になる事の多いインフォームド・コンセントであり、それと密接な関係にある心理教育の問題である。インフォームド・コンセントが何を意味するかは皆さんご存知のとおりだ。患者さんに治療の選択肢としてどのようなものがあるのか、それぞれについてどのような効果が期待され、それに伴うリスクはどのようなものか、などを説明した上で、特に勧める治療に合意してもらう事である。そしてその前提となるのが、患者さんの病気や障害についての見立てを行い、その情報を開示し、必要に応じて心理教育を行なうことだ。これらのことをきちんと行なうためには、かなりの時間と精神的なエネルギーを要するし、そのための治療者側の勉強も必要となる。
 
しかしこのインフォームド・コンセントの考えは、伝統的な精神分析の技法という見地からは、かなり異質なものであった。すくなくとも 精神分析の歴史の初期においては、分析的な技法を守ることと倫理的な問題との齟齬が生じる余地は考えられなかったといってよいだろう。精神分析的な技法に従うことは、より正しく精神分析を行うことであり、それは治癒に導く最短距離という前提があったからである。従ってそれをとりたてて患者に説明して承諾を得る必要はなく、またそれは治療者の受身性にもそぐわず、また患者に治療に対する余計なバイアスを与える原因と考えられることもあった。

2 症例発表の承諾

もう一つの例が、症例発表の承諾に関する問題である。学会や症例検討会などで症例の報告及び検討は欠かせないものであるが、実はその際に得るべき承諾の問題は、決して単純ではない。症例報告にはことごとく患者の承諾が必要なのか、それとも個人情報を十分な程度に変更したり一般化した場合には、承諾の必要はなくなるのか? これは決して単純に答えを出すことができない実に錯綜した問題である。その根底にある一つの大きな問題は、はたして承諾するか否かを尋ねられた患者の側に、どの程度それを断るという選択肢が自由に与えられているかという問題だ。これについてはギャバードが以下のように述べている。

10(「スーパービジヨンの使用」)に記したように, このアプローチの主要な欠点には,治療を行なう二者のプライバシーが侵害されるということやそのような環境では機密性が犯されていると患者が感じてしまう危険があるということがある。そのような状況で行なわれるインフォームド・コンセントが本当に自由意志によるものであるのかどうかには疑問符が付く。なぜなら,転移が強力すぎて嫌とはいえないのかもしれないからである。(長期力動的精神療法p228

このことはおそらく治療が終わった際の承諾にもある程度言えることであろう。さりとて症例提示を失くすことは、分析家としてのトレーニングや学術交流のためにありえないことを考えると、この問題については私たちが語るまいとする力が一番強いのかもしれない。


2015年12月6日日曜日

解釈を超えて(4)


自己承認と発見が同時に起きる

1990年から1995年は私が精神分析を受けていた時代だが、一つ印象に残っていることがある。私の分析家ドクターKは私に一つのメッセージを繰り返し送っていたが、私がなかなか受け入れる事が出来ないことだった。今でもひょっとすると受け入れていない。それは「私が私でいい」ということだった。私が自分の人生の中で起きたことを話すと、彼は「どうしてそう考えるのだろう?」などとドクターKは首をかしげることがあった。(といっても私はカウチに寝ていたので、彼が実際に首をかしげたのを見たことはなかったが。)私が私のままでいい。そういわれてもやすやすとは受け入れられない。私はまだ私でないのだ。これからなるのだ。できることならば…。このことは同時にもう一つの重要な点を示していた。「私は私でいい、と思わせてくれるような人に、これまで出会うことがなかった?」私には小此木先生も高橋哲郎先生もいた。「いいよ」と言ってくれているような気もした。でも私は彼らに「よき息子、良き生徒」としてしか接していなかったのだから、「いいよ」と言われるのも想定内なのだ。いわば条件付きのものなのである。ドクターKの場合は、最初から「いいよ」であったと思うし、私はよき息子であり続ける必要があった。
 おそらくドクターKは私がやろうとしていること、してしまったことを「いいよ」とは必ずしも言っていなかった。しかし私が自己承認を行っていなかったことが、結局私の行動や考え方に表れてしまっているということはうかがえた。自己承認が、「自分は自分でいい」という発見とつながっていた? 精神分析により最終的に行き着くのは、自分が自分であっていいということか? というより自分が自分であっていいとどうして思えないのか、という問題がここに絡んでいる。「あの事があったから?」「あんなことをしでかしたから?」「自分がこんなだから?」「あれもできないしこれもできないからか?」それを一つ洗い出していくことも作業の一つかもしれない。 
今私が書いている自己承認の問題は、実はある種普遍的な問題でもある。どれほど多くのクライエントが、自分を受け入れられず、「こんな私ではだめだ」「生きていく価値がない」「消えたほうがましだ」と訴えることだろう?「自分が自分でいい」とはなんと受け入れがたいことだろうか? そして最終的に得られる(であろう)自己承認は発見なのか?解釈により導かれることなのだろうか?
自己承認。それはフロイトがフリースとの間で、ユングやフェレンチとの間で求め続け、部分的にそれを得られることで発見の糧にしたものではなかったのだろうか?
と、ここで読者は絶対に思うはずだ。精神分析家だったらもっと思うかもしれない。「その役目は親が十分にしてくれたのではないか?」
もちろんその問いは意味があるし、当たり前すぎるほどの疑問でもある。常識的に考えたら答えはこうだ。「もし良好な母子関係が存在し、健全な愛着が存在したら、当然しっかりとした自己承認や自己肯定感が成立するはずではないか?」もうこのことは常識の部類に属するといってもいいのではないか? 私に関していえば、もちろん生育環境を自分自身で客観的に評価することはできないまでも、十分なものは提供されてきた気がする。でもどうして「私は私でいい」をなかなか受け入れられないのだろうか? 一つ言えるのは、自己肯定感はおそらくその基本部分はかなり発達早期に備わるべきものではあるが、また同時に常に刷新され、上書きされなくてはならないものなのである。私たちは毎日平穏無事に生きているとは限らない。常に様々なストレスを体験し、自分の能力に限界を感じる。あるいは自分の能力(学力、仕事の能力、知的な能力)に物足りない場合には、より高いレベルの環境に身を置くことで、結局は自分の能力に限界を感じることにもなろう。「自分は自分でいいのか?」はこうして常にチャレンジされ続けることにもなる。このように考えると自己承認は様々なファクターの関数であることがわかる。養育環境、その後のトラウマ状況や喪失体験、野心や向上心の度合、志の高さ。ある意味では「自分は自分でいい」は決して受け入れてはいけないものと感じられてもおかしくない。「自分に満足したら向上が止まる」
と考える人がいてもいい。しかし自己否定の感情は、向上心や探求心そのものを枯渇させてしまう可能性もあるのだ。




精神分析におけるトラウマ理論 推敲(2)


精神分析におけるトラウマの理論の発展は、ある意味では時代の必然と言える。それは精神分析理論の発展の歴史的な背景に起因していたともいえるであろう。フロイトは性的誘惑説を棄却したと考えられているが、その後の理論の発展の中で、再びトラウマの問題に取り組んだとみなすこともできる(岡野、1995)。しかし彼の堅持したリビドー論や欲動論的な視点は、いわゆる「葛藤モデル」に属するものであり、発達上のトラウマ要因を重んじるいわゆる「欠損モデル」とは袂を分かっていたというところがある。1970年代以降になり、PTSDや解離の病理が盛んに論じられ始めた時、精神分析は出遅れていたという感がある。しかし最近では関係精神分析におけるトラウマの議論のみならず、クライン派によるトラウマ理論も提出されている。ガーランド編 松木邦裕訳トラウマを理解する 岩崎学術出版社、2011Caroline Garland ed.Understanding Trauma: A Psychoanalytical Approach Karnac Books, London, 1998)
このことは次のようなKernberg の言葉にも表される。Kernberg 1970年、80年代に
BPDの病因論としてクライン派の考えに沿って、生まれつきの攻撃性を主張していたが、こう言っている。「私は生まれつきの攻撃性については曖昧でなくなってきている。問題は生まれつきの、強烈な情動状態への傾向であり、それを複雑にしているのが、攻撃的で回避をさそう情動や、組織化された攻撃性を引き起こすようなトラウマ的な体験なのだ。私は最近の身体的、性的虐待や身体的虐待を目撃することが重症のパーソナリティ障害の発達にとって有する重要性についての最近の発見の影響を受け、私ははるかにトラウマに注意を向けるようになった。私の中では考え方のシフトが起きたのだ…。」(Kernberg, O1995An Interview with Otto Kernberg. Psychoanalytic Dialogues, 5:325-363) At the same time, I'm less vague now in talking about inborn aggression; what we are talking about is an inborn disposition to intense, aggressive affect states, complicated by traumatic experiences that trigger aggressive or aversive affect and organized aggression. I'm paying more attention to trauma under the impact of recent discoveries about the importance of physical abuse, sexual abuse, and the witnessing of physical abuse in the development of severe personality disorders, particularly with the borderline personality disorder and the antisocial personality disorder. So there has been a shift in my thinking, and I believe that the common path by which genetic predisposition and trauma are linked is that genetic predisposition is expressed in neurohumoral control of activation of affects.

このように精神分析においてもトラウマへの注目がみられるが、それは精神分析がある種の進化を遂げて、21世紀に入ってやっとその域に達したのだろうか? 必ずしもそういうわけではない。むしろその流れは精神分析の歴史の中に既に存在しつつ、ある意味では傍流として扱われていたという事情がある。
精神分析の歴史を詳細に遡るならば、そもそもフロイトの中でトラウマというテーマがきわめて錯綜した扱いを受けていることがわかる。「ヒステリー研究」(1895)の段階では、トラウマや解離のテーマは、シャルコーやブロイアーの影響を受けたフロイト自身により扱われていた。しかしすでに同著の後半部分において、フロイトはブロイアーとの見解の違い、特にトラウマ状況により生じる「類催眠状態」の概念に同意できない旨を述べている。それに引き続き1897年秋のフェレンチへの書簡で、性的外傷説は彼の中で棄却をされたという経緯は知られている。しかしフロイト自身、「制止、症状、不安」(1923)においてトラウマのテーマ(「トラウマ状況」)を再び自らに取り入れる動きを見せた。ただしそこで想定されていたトラウマは、去勢への脅しという形をとり、子供たちが現実に直面する性的、身体的なトラウマに着目したというニュアンスはなく、また依然としてリビドー論に従った精神病理の説明を行っていた。
 こうしてフロイトはトラウマのテーマを全面的には取り戻さないまま、1930年代になると、あたかも「ヒステリー研究」の内容をより精緻化したフェレンチの発表に対して、フロイト自身が全力を持って公開を阻止したという経緯がある。

近年になり、フロイトの現実の臨床のあり方とその理論との著しい乖離が報告されているが(Lynn, D., Vaillant, G., 1998)ことから推察されるのは、トラウマの現実と精神分析理論との極めて錯綜した排他的な関係をフロイトが維持しつつ、である。分析理論とトラウマ理論が水と油である以上、結局それが取り込まれるのには、長い年月と、分析理論自体の根幹部分への否定が必要だったのだ。