チューリングテストと知性 intelligence
AIの有するあたかも心のようなもの、すなわち私が【心】と言い表すものはどのようなものかについて考える上で決定的に重要なのが、いわゆる「チューリングテスト」という概念である。そこでまず復習したい。
前世紀にアラン・チューリングという天才がいた。彼は今から四分の三世紀以上前に、機械が心のようなものを宿す可能性を見越して、その存在を確かめる手段としてチューリングテストと言うものを提唱した。1950年に”Computing Machinery and Intelligence”という論文に書かれたものである。
Turing, A (1950), “Computing Machinery and Intelligence”, Mind. Vol. LIX (236): 433–460,
このチューリングテストとは次のようなものであった。
ある隔離された部屋にいる誰かに質問者が書面 text messege で質問をする。するとそれに対して答が返ってくるとする。それに対して質問者がまた問いを発する、という形でやり取りをする。するとそれが実は機械(まだコンピューターは存在しなかった)であっても、あたかも人間のふりをして巧みに回答をすることで質問者を欺くことができたら、それはその機械は「知性 intelligence」を有する。
このチューリングテストは一見わかりにくいかもしれないが、現代ならメールやラインのやり取りを考えればいい。やりとりをしていて、人間とのやり取りと同じような自然さを感じるのであれば、相手は人間ではなくても「知性」を持った存在とみなすというのがこのテストの意味である。(ちなみに後に哲学者ジョン・サールが「中国語の部屋」と称して同様の考えを示している。)
ところで チューリングはやがて機械もそのレベルに至る日が来ると予言したのであるが、ここで非常に注意深く、敢えて「知性」という言い方をした。つまり意識、とか心、という言葉を使うと「意識とは何ぞや」という非常に難しく容易に答えの出ない問題に陥ってしまうのを避けたわけである。(ちなみにアラン・チューリングはコンピューターの生みの親として知られる天才で、2014年には映画「イミテーション・ゲーム ーエニグマと天才数学者の秘密」にもなった。この映画は第二次世界大戦中にナチのエニグマ暗号の解読に取り組み、のちに同性愛行為のかどで訴追を受けたイギリスの暗号解読者アラン・チューリングを描いたものである。)