2026年7月17日金曜日

甘え 推敲 11

 たとえば同じ古沢との精神分析体験を描いた前田重治の「自由連想覚え書」(1984、岩崎学術出版社)には、古沢の「解説」をむしろ有難く学ぶ前田の姿が出てくる。こちらは精神分析を師から一から学ぶ学徒の姿勢が表れているが、土居の場合はかなり違う。当時の精神分析の大家であり大先輩である古沢の態度に対して、まだ30過ぎの、いわば駆け出しの精神科医が古沢を「これが本当の精神分析であるはずはない!と怒り、一刀両断にするのだ。

 結局土居は「もっと本場の精神分析を受けに行き、土居先生の姿勢が間違っていることを明らかにしたい」とばかりに米国に再び向かう。そしてサンフランシスコの精神分析協会に入会し(おそらくキャンディデイトとして入り)ライダー先生の分析を受ける事になる。

 この土居の姿勢は不遜で生意気で挑戦的と言えるだろう。しかし私の反応は「土居先生、あっぱれ!」なのである。土居や古沢の時代はおそらく精神分析は一種の学問であり、知的に学ぶものであり、その知的な理解が洞察につながるという考えが主流であった。しかし土居はごく自然に、本来は精神分析は人間的な関り、今でいう関係精神分析的な関りであることをわかっていたのであろう。土居はいかに時代を先取りしていたのだろうか。