生下時の右脳優位の体験はそもそも自他未分化の世界である。そこでは母子の右脳どうしの同調が生じ、乳児は母子一体を体験する。これはウィニコット的には「母親の原初的没頭」における「錯覚」の状態である。
愛着関係において錯覚→脱錯覚を体験できると、自分は世界から肯定され生きるに値するのだという幻想を持つようになる。これはかなり生物学的なプロセスであり、前頭葉と皮質下をつなぐ重要な配線(「基本的な結合回路」と呼んでおく)が形成されるのであろう。ここで達成されるのは基本的な二者関係、reciprocity の成立であり、相手の心に自分を見出し、自分の心に相手を見出す能力である。 「この乳房を介した錯覚は離乳と共に脱錯覚を被るが、実世界や現実において我々は自分の望むものを作り出すことが出来るかもしれないという『希望』を抱くときの基盤となる。」「そこには現実原則の受容、痛みを抱えるための包容力の発達、自動的で魔術的要素の衰退、さらに大人においては社会に貢献するための創造力の確立などを伴わなければならないが‥‥。」(北山修) 自分のことを百パーセント認めて欲しい、たとえあの世であっても…という考えは狂気に近いが、その狂気を自分が持っていていることを受け入れることは、同時にそれが今の現実の世界ではかなわないことも認めることになる。「基本的な結合回路」はしかし時々現実の人間関係によりブーストされる必要がある。人生の失敗体験で時々これが揺らぎ、抑うつや被害念慮に発展する場合があるからだ。そして信頼できる人に出会えると、「ほらね。やはり自分は大丈夫だ」という気持ちに戻れるのであろう。そしてこれはコフートの自己対象の理屈とほぼ同じであるとみなしてよい。