少ししつこいようだが、今までの私自身の理解を確かめるために書き記しておく。
「この人はいつも自分のそばにいて、私のことをわかってくれて、こちらが望む前にいつでも手を差し伸べてくれる」という幻想は、初期の養育者との関係の中で生まれるという仮説が、エクスタインの「基本的な一致 unity 」であり土居の「素直な甘え」である。その後に現実を体験してそれが現実の世界ではかなわないと知ることで脱錯覚が起きるわけだ。そしてその代わりに心の中で「誰かがどこかで自分のことを本当にわかってくれる」という気持ちを持てるようになることが「基本的な結合 union 」の成就ということになる。後者に至ることが私たちの目標になるわけだが、これはやはり幻覚的な要素を持つことは確かであろう。
ところでこの結合はかなり矛盾を含んでいて、そもそもそれは現実の他者との結合ではない。自分の心の中だけで起きているからだ。しかしそれは確かに対象イメージを含んでいるから、一応結合と呼んでいいのだろう。「お前は大丈夫、特別だ」というメッセージはやはり外部性を含まなくてはならない。そしてある程度は外部の実際の関係性により析出され、高められる必要がある。それがいわゆる自己対象の機能であろう。
とにかく自分のことを百パーセント認めて欲しい、夢であってもいつか叶えて欲しい、たとえあの世であっても…という考えは狂気に近いが、それを自分が持っていて、同時にそれが今の現実の世界ではかなわないことも認めることが「素直な甘え」ということだろう。つまり自分の中に狂気を抱えつつ、それを容認していることが「基本的な結合」なのだが、その祖型を作ってくれたのは、初期の愛着関係であると考えることができる。それはその時期の養育者との脳のシンクロの体験であり、その時にできた脳の回路が原型となっている可能性がある。そしてそれを治療者がブーストするのが「愛着に基づく精神療法」の意義なのではないか。またそのブーストは日常の人間関係でも少しずつ起きている可能性がある。親しい友人や配偶者との関係である種のやさしさに触れると「この人は基本的な結合の『かけら』を与えてくれている」と思えること。あとは自分で幻想を膨らませればいいのである。