昨日たまたまポージズ( S.Porges) の neuroception の論文 (2004) を読んでいるうちに、一つひらめいたことがある。彼は人が親愛の情を向ける人と、自らを脅威に陥れる可能性のある人とでは、全く異なる反応をすることを論じている。それを嗅ぎ分けるのが彼の言うニューロセプション(ポージスの造語、無意識的な皮質下のシステムを通して生じるもの、認知レベルで上がってくる知覚 perception と区別することを意図した用語だ)というわけである。確かに野生の動物は人間に対して非常に攻撃的になる一方では、子供の頃から世話をしたり、罠にかかっているのを助けた際などは、全く異なる親愛の情を示すことがある。凶暴な虎が育ててくれた人間に対してはデレデレになるという動画を見ていつも驚いているわけであるが、ポージスはこのような二つの両極端の反応がいかに生じるかについて論じているようだ。 解離においては危機的状況で感情的な人格が現れる場合と、安全な環境で子供の人格が現れる場合という両極端な反応がこれに対応することになるであろう。以前から解離が危機的状況で発動するならば、子供の人格の出現はどのようにとらえるべきかを考えていたが、後者はむしろ適応的な反応と考えることができるのではないか。そして少なくともそこで働いているのはポージスのいう腹側迷走神経系VVCなのである。ここが働くことで、闘争逃避反応も、フリージングも抑制される。つまり交感神経系と背側迷走神経DVCが共にこれにより抑えられる。
Porges SW. (2004). Neuroception: A subconscious system for detecting threat and safety. Zero to Three: Bulletin of the National Center for Clinical Infant Programs 24:5,19-24.
ポージスの理論で重要なのは、ストレスでアクセルとブレーキを両方踏むという異常事態を回避する役目をVVCが担っているという点である。このこととDIDにおいてほぼ確実にみられる子供の人格状態とには関連があるのだろうか。あたかも危機的な状況で部分的にVVCが発動して幼児人格を形成するという形を取るのだろうか。あるいは幼少時にわずかに得られた安全な機会に緊急避難的に作られるというニュアンスを持っているのかもしれない。しかし前者に関してはあまり考えられないであろう。なぜなら幼児的な人格は相手に気を許せる状況で出現することが一般的であるからだ。あるケースでは面接者のデスクの上にあったお絵かき用のクレヨンに反応して出現した。あたかも相手との関係性を成立させるための人格状態が発動したという印象を受けるが、これも意識的、意図的な選択ではない。危機的状況での闘争逃避反応と同じくらいに、愛着を求める行動も本能に根差しているというべきだろうか。