解離は「ストレス―脆弱性モデル」で捉えるべきなのか?
解離性障害は、深刻なストレスや危機的状況で生じるというのが現在の精神医学ではコンセンサスとなっているが、では具体的にどのようなストレスが解離に関与しているのであろうか。臨床家達がこの問題に関心を持った時期に米国にいた私は、Dissociogenic stress (解離を引き起こすようなストレス)というテーマの論文を書いた(Okano, 1997,1998)。
Okano, K (1997) A notion of "dissociogenic stress" Dissociation. Volume 10, No. 2, p. 130-134.
Okano, K (1998) Dissociogenic stress: A transcultural concept. Psychiatry and Clinical Neurosciences. 52:576-581.
そこでの要旨は、人は怒りや恐怖などのネガティブな心的内容を他者に投影したり外在化したりすることが抑制されることによるストレスが解離を生みやすいであろう、ということであった。解離の患者の多くが怒りの感情を表出することが少なく、ストレスに対して受け身的でじっとそれをやり過ごそうとするという印象を持つ。
その頃よく言われていたのは、ボーダーラインパーソナリティはストレスを外在化し、対象をスプリットしてしまう一方では、解離では自分の方をスプリット(解離)してしまうという両極端の臨床的な表れを示すということである。
このネガティブな心的内容の外在化の抑制は、例えば虐待者からその事実に関する秘密を強要されるという形だけではなく、被害者が抱く恥や罪の意識にも由来すると考えらえた。それは数多くの解離を有する患者が、家庭外での被害を両親に決してわかってもらえなかったという背景を持っているだけではなく、その事実を親に決して語ろうとしなかったからだ。否、そればかりでもないだろう。彼らにとってはトラウマの記憶は少なくとも主人格には記憶として残らない場合もあるからだ。
このように考えるとネガティブな気持ちを表出できないのは、解離の結果であるとも考えられる。野生動物でも捕食者に襲われると、生体がそれと戦うという反応ではなく、解離を選ぶ。その結果として敵意や攻撃性などは表現される場を失われるのである。
私がこの頃の臨床経験で印象深かったのは、患者はしばしば母親の前で「母親仕様の」顔を保つということである。母親が自分にこうあって欲しいというイメージを的確に読み取り、それに合わせるという能力を彼らは持っているようであったが、それは決して彼らが意図的に「演技」をしているわけではなく、それはもっと自然で、あえて言えば身体的な反応なのである。しかしそれは確実に、母親に対するネガティブな感情が除外されたものである。母親からすれば、子供は本当に自分のことをわかってくれていて、価値観も趣味も自分と一致していると感じるであろう。そのような時の母親は優しいであろうし、子供は愛情をかけられていると感じられるであろう。だからその時の顔は、より正確には「優しい母親仕様の」と呼ぶべきかもしれない。
このような状況では恐らく母親に対するネガティブな感情はそもそも発想として浮かばない可能性がある。もちろん心のどこかで母親を怖ろしく感じたり、憎しみを覚えたりするという体験も当然ながら存在する。しかしそれはこの「優しい母親仕様の」顔には組み込まれない。おそらくそちらは「怖い母親仕様」の顔に自動的に仕分けられるからだ。そしてそこで単にフリーズした、ちょうど擬死反射を起こした状態になるだけではなく、それが人格を形成してしまう。そのことが最も驚くべきことなのだ。
このように考えると「解離能」に含まれるべきなのは、survival value 生き延びるための価値に留まらないことがわかるであろう。それはある意味での創発であり、創造のプロセスなのである。