甘えの有するネガティブな側面
本章の最後の部分は、甘えの有する文化的な側面、特にそのネガティブな側面である。先ず臨床的な事実から述べたい。私が臨床で関わる人の中に、日本を出て海外での生活を送ることに解放感を味わう日本人が少なからず存在するということがある。
ある20代の女性はこう言った。「イギリスに行ってみたら、他者がそもそもこちらのことを気にしていないから、こちらが彼らのことを気にしないでもよいということがわかった。」
このことが私を驚かせたのは、その女性がどちらかと言えば人目が気になり、周囲が自分のことをどう思っているかについて様々に空想を膨らます人だからである。仕事を辞めて引きこもりがちの生活を送る彼女は、平日の昼間に外出することで、周囲の住人に「あの人は平日に何をぶらぶらしているんだろう?」と疑いの目で見られることを恐れていたという。しかしある機会に英国に数週間過ごす機会があり、始めは言葉のハンディもあり、ホテルから一歩も出られなくなるのではないかと思ったという。しかし英国についてそこの空気が、いい意味でも悪い意味でも他人に関心を持たないことがすぐにわかったという。
この件について私はかつて、日本での甘えをベースにした人間関係を、「互いのニーズを読みあう社会 society of mutual mind-reading」と表現した(Okano, 2019) 。まさにその意味で日本社会と欧米社会は、ネガとポジの関係なのである。日本社会ではお互いに心を読み合う、忖度し合う、ということが習慣になってしまっている。
ここで土居の言葉を思い出そう。「分離の事実を止揚し、もっぱら情緒的に自他一致の状態を醸し出すという甘えの心理は、まさしく非論理的と言わねばならない。」(土居,1971,p.82)「このように甘えの世界を批判的否定的にみれば、非論理的・閉鎖的・私的ということになるが、肯定的にみれば、無差別平等を尊び、極めて寛容であるとさえ言えるであろう。」(同p.84)
このことを土居自身もよくわかっていたようである。甘えを重視する養育において母親が子供の甘えのニーズを読み取ろうとする傾向は、それが高じた場合には常に「母親からの干渉」を引き起こす可能性がある。この件について、屈折した甘えについての指標を作り研究を行った楠見孝らは、過剰に甘えさせること、すなわち「甘やかし」は、土居が論じた「屈折した甘え」をもたらす(楠見ら、2024)とする。(文献省略)