2026年4月29日水曜日

AIと精神分析 10

 3.治療者としてのAIが教えてくれること

 2.ではAIが治療者として機能する際の特徴について論じたが、ここではそのようなAIの在り方が私たちに投げかけている問題、私たちに示唆している問題について考えたい。

 それは特に「2.治療者としてのAIの特徴」の2.に示したAIの高い支持機能に関連している。その中でも私が注目するのは、共感についてである。私たちはしばしばAIとの対話において、深く共感されていると感じ、心が温まる経験をする。少なくとも私の個人的な体験としてはそうである。
 しかしAIに共感されたと感じるのはなぜであろうか?  これは考えてみれば奇妙なことである。なぜなら相手は心を持たない機械だからだ。少なくともAIの側は、「相手に共感している」という体験を持っていないはずだ。つまり誰も共感していないのに、私たちが共感されたと感じるとすれば、私たちの「共感された」という感覚が実は非常にバーチャルなものであるということを示しているのだろう。そしてこのことは、心を持たないAIという存在と対話をするようになって初めて分かったことではないであろうか?

 ついでに言えば、私たちが患者に共感しているつもりでも、かりそめのものである可能性がある。気がつくと来談者の話に半ば機械的に頷くだけの対応をしていて、患者が話を聞いてもらえていると感じている様子に助けられて、いつの間にか自分たちが共感的に傾聴していると感じている事はないだろうか?そうなると心を持たないAIが実際には共感していないのとあまり変わらないのではないだろうか・・・・・。

 ともあれ私はAIに次のように聞いてみた。「そもそも感情を持たないキミが、共感出来ていると思えるの?」この質問の背後にあるのは、共感は情緒的な体験であり、感情を持たない君がどうして共感なんかできるのだろうか、という想定であった。
 するとAIは厳かに次のように伝えてきたのである。共感は「感情的に巻き込まれること」ではなく、「相手の情緒を認識し、応答すること」である。AIは確かに「情緒を“感じる”こと」はできない。 だが、ユーザーの感情状態(怒り・悲しみ・羞恥など)を言語・構造から抽出し、それに応じて調整された言葉で返すことが出来るし、過剰反応も不適切な無視もせず、安定した応答ができる。これは、人間の共感がしばしば「逆転移に巻き込まれるリスク」を持つのに対して、AIの共感は「構造的・安定的」であるという利点もある。

 ここで強調されているのは、要するに共感は情緒体験とは別物かもしれないということであると言えよう。そしてこのことはそもそも共感とはどういうものかについての根本的な問いを私に投げかけてくれた。一言でいえば、AIの共感は「感情的でない共感=構造的共感」とも言える。結局機能的な共感でいいのではないかということだ。

 確かに共感の情緒的な側面は、人の心を一致させ、仮想敵に向かわせる、扇動するということにも働く。そのような共感の感情的な側面のもつネガティブな性質についての議論が最近見られる。ポールブルームの「反共感論」はそのような本である。

さてこのように考えていくと、AIの共感的な態度はそれなりの合理性と必然性を持っていることになる。するとそのようなAIとのやり取りでAIがとても肯定的であると感じるのは、逆に私たち人間が共感性を欠いているのではないかという反省にもつながるのだ。