2026年2月25日水曜日

バウンダリーについて 16

 結局境界侵犯の典型例であるCSAの問題も、私がすでに示していた考えに行きつく。それはハイリスクであり、危険水域にある関係性である。「臨界状況」での出来事であると言っていい。そしてトラウマとしてのポテンシャルを多く含んでいる。しかし現実のトラウマとなるかどうかには高い偶発性が介在するのだ。  これを書いていて、通常の恋愛についても考えてみたくなった。両者が合意し、そしてそこに力の差 power differencial のない二人が恋愛関係に入るとする。そこにトラウマ性は? もちろんあるのだ。恋愛のかなり多くが(大部分が?)破局に終わることを考えればいい。大抵の場合両者は程度の差こそあれ、傷ついて別れていくのだ。  このように考えると恋愛はそれそのものがトラウマ的、ないし悲劇的である可能性がある。しかしそれにもかかわらず私たちはそこにかなりポジティブな価値を置くのはなぜか。そして失恋において振った方が振られて傷ついた人への加害責任を通常は問われないのはなぜだろう? それは恋愛に入る場合は、お互いにそこに自主的な選択があったという前提があるからだ。すると結果的にどちらかが傷ついたとしても、それは自己責任という事になる。ここで鍵となるのは自由な選択であり、だからこそCSAのように自由な選択が一方に与えられていない場合の加害性が問題となる。  書いているうちにますますわからなくなってきたが、よくわからないままに書き進んでいこう。二つのシナリオを考える。  シナリオ① 対等な関係の成人(ともに22歳としよう)AさんとBさんとの恋愛が始まるが、やがて破局を迎える。そして振られたAさんが言う。「Bさんは最初は私のことを『心から愛している』と言ったんです。将来結婚しようとまで言いました。しかし後になって『もうAさんには興味がなくなった』と言ったんです。これは一種の詐欺です。」そこでAは訴訟を起こそうとする。  しかしAさんは周囲に止められる。「もともとあなたがBさんを誘ったのでしょう。」これでお終いだろう。あるいは逆に最初にBさんの方からの誘いがあって始まった関係であっても「あなたはBさんと同い年で社会人なのだから、Bさんとの付き合いを最初から拒否できたはずでしょう。 」で終わるのが社会常識である。(もちろん結婚を約束してさんざん相手に貢がせたうえでの破局であれば問題はずっと複雑になるーたぶん後述。)  ところが少しシナリオを変えて、シナリオ②:Bさんは成人(22歳)で、Aさんが未成年(17歳)であったとする。たとえAさんからの誘いによる関係により始まったとしても、Aさんが傷つきを覚えて訴訟を起こしたならばまったく事情が違ってくる。Aさん(ないしはその保護者)は恐らく正当にBさんを訴えることができる。いったいどこが違うのだろうか?  一つにはシナリオ①も②も、同じ質のトラウマが生じている。Aさんの苦しみの質は類似しているはずだ。「相手は愛を誓っていたのに自分を裏切った。さんざん弄ばれた上に捨てられたのだ。」  さてそこに②の場合は歳の差(25歳と17歳)が加わることでAさんのトラウマは、本質的に異なるのだろうか?Aさんは「Bさんは17歳で社会人でもなく、正常な判断が出来ない私をBがかどわかしたんです!そこが絶対に許せないところです!!」となるだろうか。あまりそうならない気がする。ここからがよく分からなくなってくるところだ。おそらく多くの場合Aさんは次のような反応をするかもしれない。私は17歳でもう大人です。精神年齢から言ったらBさんと本質的に変わりません。というよりBさんの方がよほど幼稚で浅はかだと思います‥‥。」