日本型のWDについて
ここで日本型のWDについて論じる資格は私にはないのかもしれない。私は具体的な実践を行っていないからだ。しかしこのWDの概念は一般に私たちが行うあらゆるグループディスカッションに深く関連している可能性があり、グループでの体験について、米国、フランスでの体験を比較的豊富に有する私にもある程度その資格があると考える。またこのWDが日本社会において行われる際にどのような点が問題かについては、またそれが本格的には論じられていないという点もある。WDが日本に導入されてからかなりの年数がたっていることを考えると、そろそろそのような議論が出てきてもいいのではないかと考える次第である。
ちなみに日本でのディスカッションそのものの特徴については金子智香・君塚淳一 (2007) の論文が参考になる。彼らはWDとは直接関りがないながらも、大学英語教育を行う上でのグループディスカッションが持つ様々な問題について論じている。彼らは英語によるディスカッションにおいて、「ディスカッションどころか会話も成立しない」という問題にしばしば遭遇し、日本において学生のディスカッションへの抵抗感を取り除いたり緩和したりすることの重要さを説く。そしてその背後には、西欧文化と日本文化の違いがあり、「意見を戦わせて議論で解決して行く文化と、個は出来る限り抑制し集団で動く文化の違い」(p.77)について指摘する。
金子智香・君塚淳一 (2007) 日本の大学英語教育におけるディスカッションの指導法とは[1] ―授業における効果的方法を考える― 茨城大学教育実践研究 26, 75-87.