POST・支持療法が生まれるのは必然的であった
さて私は支持療法についての議論がこのようにして生まれたことには必然性があったと思う。まず第一に週一回、ないしはそれ以下の頻度で(隔週50分、週一回30分、月に一度50分など)で行われる心理療法が圧倒的なマジョリティであり、そこで「ユーザーのニーズ」(山崎)を最重要視することなしには心理療法が存続しえない(さもなくばユーザーがドロップアウトしてしまう)からである。しかし精神分析と同じ治療論をただ単に週一回の臨床に「平行移動」するわけにはいかない(藤山)。週4回以上の精神分析のエスタブリッシュメント達からは、「週一回で精神分析と類似のことが出来るはずがないし、軽はずみに同じ理論を用いることは許されない」と言われてしまう。ただ伝統的な週4回のやり方に対するユーザー(患者)離れが生じたことは、ユーザーも精神分析とは違う何かを求めていたことを意味するのだ。そして精神分析の内部から生まれた表出的(分析的、洞察的) ⇔ 支持的という表現に沿って、「週一回」は「支持的療法」と表現するようになった。しかしこのような図式が生まれた際には、支持的アプローチは表出的(分析的)なそれと対等の価値をあたえられていたはずである(Wallerstein, Gabbard )。そして週一回の支持的療法にもそれなりの治療論や作用機序の議論があって当然なのだ。ただし同時に支持的療法は「分析的=表出的」ではないものというスティグマを背負うことになったのも事実なのである。
それゆえにこの支持的療法を精神分析の世界で行うことには多大なる困難が生じるのは当然である。1970年代に精神分析の世界で突然異質のことを言いだしたコフートのように、「それは私たちが慣れ親しんで、基本理念として持っている治療論とは全然違うではないか。それは精神分析ではないのだ」という反発を受けて四方八方から矢が飛んできて、非常に肩身の狭い思いをすることになる。(よくぞコフートは耐えたものだ。若手の信奉者たちが支えたのだ。)
だから支持的療法について論じるためには、その提唱者たちは狭い精神分析の世界を離れて新たな独自の臨床や学問活動の場を求める傾向にある。そしてそれが実際に欧米で行われたことであるが、日本ではそれが精神分析協会の内部で、しかも今のところは精神分析と共存する形で生じているのだ。
私はこれは非常に日本的な現象だと思う。思うに古澤平作先生が1930年代に精神分析を持ち帰り、週一回~2回を開始した時に、古澤先生は非常に「常識的」で「適当」だったのではないかと思う。それも日本的な意味で。古澤はこう考えていたのではないか。「精神分析は素晴らしい。しかしフロイト先生の熱意はよくわかるが、毎日分析というのはやり過ぎではないか。『毎日治療に来なさい』と言ったら患者さんはびっくりするだろう。『私はそんなに重症なのですか』と驚かれる人もいるだろう。まあ週1,2回から始めようか‥…。」ここを書いていて私は少し自信がなくなったので前田先生の著書を読んでみた。するとやはりそうだった。
前田重治氏(前田重治 (1984) 自由連想法覚え書-古沢平作博士による精神分析. 岩崎学術出版社)によって語られている古沢先生の言葉を引用しよう。精神分析の開始にあたって古沢先生は前田先生に次のように言ったとある。「当面は、一週二回にしましょう。これまでの僕の体験では、毎日続けてやることは、かえって小さいことにとらわれ過ぎて、全体を見失うことがありますので。」(p.18)
「えー!!!」である。天国でフロイトが聞いたら激怒するのではないか。しかも古沢先生は「僕の経験では」とフロイトに堂々と異論を唱えている。フロイトはこれを聞いて次のように思ったかもしれない。「あのコザワとかいう男はちょっと分析を受けただけで日本に帰って、勝手なことをしておる!! やはり少し高いお金を払ってでもワシから分析を受けるべきだったのだ!(古沢先生はウィーンで教育分析を受ける際に、フロイトのセッションの料金が高すぎたのでお弟子さんのリチャード・ステルバから低料金で分析を受けた。)
でもこの古沢先生の異論はそれなりに分かる。所詮肉食の西洋人と違い、草食系の私たちは彼らほどのエネルギーや情熱に欠ける。まあ、ほどほどでいいんじゃないか?ということだ。私の知っている小此木先生も週一回のプラクティスに疑問を抱かずにそれを「精神分析」と呼んでいた。彼もその意味では「適当」だったが、それはそれで古き良き時代のように思える。アムステルダムショックにより日本の分析家の見識のなさが正され、すべてが正常化に向かったというのも何か違う気がする。戦後のアメリカ文化の流入とともに戦前の日本文化を過剰に否定した日本人と重なる気がする‥‥。全く話がそれてしまった。