記憶や感情を抑えることの是非、というテーマは、トラウマ治療では常に問われている問題だ。トラウマを直接扱うべきか否か、という問題はトラウマの治療にとって極めて重要でかつ日常的な問題なのである。そしてこれに関しては二つの考え方が対立する形で存在する。 先ず感情は扱わないに越したことがないという立場としては、例えばマインドフルネス瞑想などが挙げられるかもしれない。マインドフルネスにおいては自分の呼吸への集中、あるいは居心地のいい場所にいるイメージなど、ニュートラルなテーマに留まるトレーニングであるが、その根幹部分はそこから離れた場合に元に戻すという手続きである。私はこれをいわゆるDMN(デフォルトモードネットワーク)への回帰というプロセスと同類と見ているが、要するに心を何にも注意を向けていないという状態、いわばアイドリング状態に戻すことだ。ちょうど私達が何かを考えている時の視線は、何にも焦点を合わせずに宙を舞うだろう。あれと同じだ。禅の高僧も瞑想によりこの境地に至ることが出来るだろう。 DMNに回帰するだけでなく、何かに集中することにも同様の効果がある。ある外科医は、自らが進行性の癌を宣告されたが、翌日は、昼間の数時間を執刀医としてオペに没頭することでそのことについて考えないように出来たこと助けになったという逸話を書いていた。飲酒などによる酩酊ももちろん薦められるものではないが、似たような効果を生むだろう。