昨日は表を作るだけで終わってしまったが、DSM-5とICD-11の違いは微妙だ。たとえば同調性⇔対立という軸の代わりに、好社会性⇔非社会性が入っていることだ。これは似てはいるものの、同一のこととは言えないであろう。前者(DSM-5)は要するに人とどれほど対立するか、という問題だが、後者(ICD‐11)は人にどれほどの悪さをするか、ということである。敢えて言うならば、
同調性⇔対立 はどれだけ天邪鬼か、ということの表現であるのに対して、好社会性⇔非社会性は、どれだけ人を喜ばせるのが/苦しませるのが、好きか、ということになる。これらは矢張り似て非なるものだが、これを両方採用するとビッグ5ならぬビッグ6になり、煩雑になる。ただし私としては後者の方が特性として入ってほしいと思う。なぜならこれはいわゆる反社会性パーソナリティやサイコパスに関するものだからだ。そもそもパーソナリティ障害の始まりは、この犯罪者性格をいかに扱うか、というところから出発していたからである。
そしてもう一つ悩ましいのが、ICD-11で5のかわりに採用された制縛性(強迫性)anankastia である。だいたい「アナンキャスティック」なんて表現、ものすごく古い用語なのだ。「セイバクセイ」という表現も、ワープロ変換されないし、日常語としてはほとんど聞かない。だからせめて「強迫性 obsessive」くらいにしてくれないだろうか。
DSMの精神病性 psychotic の代わりにこちらが選ばれた理由についてはある文献に書いてあった。それによるとこの精神病性は他のパーソナリティ障害とは一線を画し、むしろ統合失調症関連としてとらえるべきだから、というのである (Bach, et al, 2018)。それにICD-11では「パーソナリティ障害の深刻さ」のなかに現れるのだ。要するに精神病性は別格、その代わりに強迫性を入れよう、というのは私も賛成である。なぜなら強迫的な性格の人って結構周囲にいるような気がするからだ。
Bach B, First M. Application of the ICD-11 classification of personality disorders. BMC Psychiatry 2018.
しかしDSMの側では、制縛性(強迫性)を入れなかったのにもそれなりの理由があるという。制縛性(強迫性)は二つの要素に分かれ、一つは完璧主義(⇔脱抑制)、もう一つは保続(同じパターンを繰り返すこと)だが、だから保続は陰性感情の一つだというのだ。だから制縛性は思慮深さと陰性感情ですでに表現されているのだという。だから独立させる必要はないと考えたそうだ。しかし保続が陰性感情という説明は私には今ひとつピンとこないので、これについては意見は述べられない。
ともかくもこの両方を採用すると、いよいよビッグ7になってしまう!