質問 1 心のモヤモヤって何でしょう?
難しい問題ですね。「モヤモヤ」という言葉にはいろいろな使い方があるようです。「なんだかモヤモヤする」という場合、腹が立つ、イライラする、という意味だったりします。だから「心のモヤモヤ」にもいろいろな意味があるでしょう。それを前提にしてお話します。
人間の脳にはいろいろな記憶や感情が、いろいろな深さで保存されています。それは時は黒い影の形でしかその存在を知らせてくれません。おそらく直視するにはあまりに辛い過去に関係することなので、無意識近くに深く潜航していたり、その記憶の内容や感情にモザイクがかかった状態だったりします。
そのモヤモヤはいつその姿を明確に表すかはわかりません。そのモザイクが急に取り払われたり、あるいは絵を描いたり夢を見たりすることでその姿を明確に表すこともあり得ます。でもソッとしておくうちに徐々に薄くなって消えて行くとすれば、それは結果オーライなのです。ですから黒い影の正体を無理に突き止めようと焦らずに、少しでも自分にとって安らぎとなるような場所や活動を見つけましょう。その結果として影を潜めたモヤモヤを追求する必要がありません。「寝た子は起こすな」というわけです。
しかしもしそのモヤモヤがいつまでも付きまとって離れない場合には、それに直面するしかないのかも知れません。それは直面するのを待っているかもしれないからです。「起きてしまった子」は今度はあやし、扱わなくてはなりません。しかしそうすることはそれだけで多くのエネルギーを必要としますし、一時的にはフラッシュバックが高まる可能性もあります。そのために、その間は仕事を休む、入院する、いわゆる暴露療法(エクスポージャー)やEMDRや、その他様々な試みがなされています。
質問 2 自分をかわいがることってできるのでしょうか?
「自分に優しくなる」、「自分をかわいがる」、「自分を大事にする」、「自分を好きになる」などの言葉はとてもよく聞きますね。彼方は「自分に厳しすぎます」などと言われることもあり、何となくわかったようなわからないようなもやもやした気持ちにもなります。でも私たちは他人に対して優しくなったり、他人をかわいがるのと同じように自分にそうすることは出来ません。ワンチャンをなでなでする様に自分の頭をなでなでしても少しも嬉しくありません。自分をくすぐれないのと同じことなのです。
自分をかわいがることにかろうじて相当するのは、自分自身に負担をかけないことであり、それはあまりに高い自分に関する理想を変更することだと思います。分かりやすく言えば自分への期待値を下げ、このままでもいいんだと思うことでしょう。自分は~が出来るはずだ、~しなくてはならないという思考を停止することで、自分に過度のプレッシャーをかけることがなくなります。あるいは自分はもう少し人生を楽しんでもいいんだ、と考えるようになること。自分の不完全さやいい加減さを受けいれている事でしょう。
ところで自分をかわいがることは出来ない、と言いましたが、DIDの別人格さんは、他人としての性格を持ちます。だから別人格さんをなでなでしたり、優しくしたりすることはOKです。許してあげることも出来るでしょう。
一つ大事なこと。自分を大事にすることは、人を大事にしないということではありません。相手も自分もハッピーになる関係が結局自分を大事にしていることです。自分は辛いけれど相手は幸せということは、相手にも決していいことではありません。ウィンウィンを常に考えること、それが最終的には自分を大事にすることに繋がります。
やはりなんでも表現のできる相手と関わることです。ペットでも縫いぐるみでも、将来はAIにでも話せるといいですね。日記という手もあります。ちなみに好きなことをしている時の疲れは、ストレスではありません。
質問3 自分の中の人格って、誰なのですか? 「人格は誰なのか?」これは解離現象に関して大問題なのです。そして誰も正解を知らないのです。それがあなたの隠れた「本心」を表しているという説明をする治療者も沢山います。というよりはその様な説明の仕方が主流かも知れません。しかしどう考えても自分のキャラではない人格さんが複数いることの説明がつきませんね。それに人格さんの間でも利害が一致していなかったりして、どれが本心なのかわからなくなってしまいます。
ただ一つ言えるのは、それが誰かの頭にあるあなたのイメージであることが少なくないことです。母親が小さい頃にあなたのことを「お姉ちゃんでエライね」と褒めてくれると、「いいお姉ちゃん」という人格さんがあなたが生まれるという具合に。ですからある専門家は、出会う相手ごとに人格さんが生まれる、という説明をします。要するに相手の心にあるあなたのイメージをいつの間にか取り入れて人格として作り上げるということでしょうか。でもたとえば虐待や暴行を受けると、その人格が直接取り込まれてあなたの中の黒幕的な人格になることもあるようです。
でもそう考えても説明がつかない場合が多く、結局別人格とは夢の中の登場人物と似たような性質を持つのではないかと考えています。夢の中の私は時には自分が普段しないことをしたりして、かなり別人、つまり他者であったりします。その様な私と夢の中で出会う理由が分からず(おそらく脳の中ではとても複雑なことが起きているのでしょうか)分からないままに皆で平和共存をする必要があると考えます。