2024年6月25日火曜日

PDの臨床教育 推敲 7

  ここから先はこれまでのことをドラえもんを例にして書いたものだが、実際は省略してもいいだろう。私自身が理解のために書いたようなものだ。でも面白いかも知れない。

 カテゴリカルな診断の例として、ドラえもんの登場人物を考えよう。ジャイアン,のび太、スネ夫という登場人物が出てくる。それぞれが癖のあるキャラである。と言うか、そのようにして書かれた漫画なわけである。漫画ではそれぞれの性格が誇張されることで理解もしやすくなるのだ。そこでジャイアン型PD,のび太型PD,スネ夫型という明確なカテゴリーを思い描くことが出来るであろう。人間って結局はこの3タイプに分かれるよね、という議論が聞こえてきてもおかしくない。実際に実社会で、例えばある上司のことを「彼は典型的なジャイアンタイプじゃないか!」と思うことはある。しかしでは一癖ある課長さんのことを考えた場合、すぐにはどのタイプか思いつかない。典型的なジャイアン型もなく,かと言ってすね夫タイプものび太のようでもない。それでもこのモデルに従って分類しようとすると、結局はジャイアン30%、のび太30%,スネ夫30%付近の人ばかりになり、結局は「ドラえもん混合型」PDの人ばかりになってしまう。それにそもそもこの3タイプは恣意的ではないか?例えばしずかちゃん型は?肝心のドラえもん型はあるのか?鬼太郎型は?目玉の親父型は?(急に水木しげる登場。)
 ともかくDSMのカテゴリカルモデルで問われていた問題を(まさに)「戯画化」したらこうなるのである。

 一つの解決策は、「ドラえもん混合型」とせずに、それぞれの%で記載するという手段があるだろう。すると例えば「ジ30・ス40・の30」となり、これはまさにディメンショナルモデルということになる。しかしここには問題がある。①「ジ30・ス40・の30」では何のことだかわからない。その人のプロフィールを直感的に思い描けない盧だ。そしてもうひとつ、上に述べたカテゴリー分けの恣意性の問題だ。本当にジャイアン、のび太、スネ夫を抽出するのが一番妥当なのか?漫画家が別のストーリーを描いてそれが売れたら、そこに出てくるキャラを抽出してもいい気がしてくる。現に子・F・不二雄の「キテレツ百科」という漫画にはトンガリと言うキャラが出てくるが、これは一説によればのび太50%+スネ夫50%という組み合わせで表されるという。じゃあ、トンガリじゃダメなのか?