2022年8月31日水曜日

パーソナリティ障害 清書段階 2

 いったいこの二か月は何だったんだろう。膨大な時間をかけて書き上げた「パーソナリティ障害概論」。私より適任者はいくらでもいるのに、である。そもそもボーダーラインや自己愛性について書いたことはあっても、パーソナリティ障害に関する専門的な論文など書いたことがない。せいぜいエッセイどまりだ。でもそのおかげで、この年齢で知っておかなければならない知識をいかに欠いているかを思い知った。勉強不足である。好きな事ばかり書いて、読書嫌いな私には、この種の宿題はどうしても必要なようである。そしてそのおかげで大学院での「精神医学概論」を10年間続けることが出来た。いったいこの依頼論文という注文を受けずにいたら、私はどうなっていたことだろう。

ということで「最後に」を書いた。


最後に

本章ではPDについての総説的な解説を行った。PDの概念は今なお流動的で、今後も更なる発展を遂げる可能性を秘めているという事情を伝えることが出来たことを望む。PDは通常の精神疾患と正常の間に位置するという考え方、通常の人格がいくつか有する傾向の偏諱としての考え方とがあり、最近のディメンショナルモデルは後者に従ったものである。ディメンショナルモデルは従来のカテゴリカルモデルに比べてより実証性を重んじた分類と言えるが、それがそれを用いる側にとってどれほど臨床的に有用なのかについては、今後の回答が待たれる。

2022年8月30日火曜日

パーソナリティ障害 清書段階 1

 締め切りまであと4日である。

ディメンショナルモデルに基づく診断

DSM-52013)ではそれまで準備されていたディメンショナルモデル寄りのモデル(正確には「ハイブリッドモデル」)は、「第Ⅲ部 新しい尺度とモデル」の中に「PDの代替案」として掲載されるにとどまった。それとは対照的に、ICD-112022)ではさらに一歩踏み込んで、PDに関して全面的にディメンショナルモデルを採用しているので、それに基づく診断について説明する。

ICD-11ではまず対象となる患者にPDが存在するか否かを問う。いわばPDをそのまま一つの障害として扱うことになるのだ。それは具体的には「自己機能障害」と「対人機能障害」の存在により定義される。前者は (i) 自分のよりどころを持ったアイデンティティを持つ(ii)自分の存在に肯定的な価値を見出す (iii) 将来へ向けた「自己志向性」を持つといった「自己機能」を保持しているかどうか、後者は (i) 他者と親密な関係を確立し、維持できる(ii)他者の立場を理解できる (iii) 他者との対立に首尾よく対処できる、等の「対人関係機能」を保持できるかを問う。そして「自己機能」の問題および/または「対人機能不全」を特徴とする長期にわたる(例えば2年以上)異常をPDと定義する。

またPDが存在する場合には、その深刻さ、すなわち軽度、中等度、重度のいずれかを示す。さらにPDとまではいえず、仕事や交友関係を維持することに支障はないものを「パーソナリティ困難 personality difficulty」として示す。
 PDの存在が診断された場合は、次の段階としてそこに関係している特性 trait を問い、それが際立っている時にはそれを一つ以上記載していく。この様にパーソナリティ困難の記載も含め、ICD-11PDICD-10 と比較してその診断閾値は下がっていると言えよう(加藤、2022

以下にICD-11に掲げられた5つのパーソナリティ特性(否定的感情、離隔、脱抑制、非社会性、制縛性)について述べる。そのもととなったのは、「概念と病態」でも述べたFFM5つのディメンションである。

2022年8月29日月曜日

パーソナリティ障害 推敲 16

  PDの疫学について論じる際に触れなくてはならないのが、米国立精神衛生研究所(NIMH)により2009年に開始されたRDoCResearch Domain Criteria研究領域基準)というプロジェクトである。これは観察可能な行動のディメンション及び神経生物学的な尺度に基づく精神病理の新しい分類法である。このモデルが提起された背景には、従来のDSMICDに基づく研究が、臨床神経科学や遺伝学における新たな進歩による治験を取り込むことに失敗しているという声が大きくなったことがある (Insel, 2010)。米国の精神医学研究の中心となるNIMH2013年のDSM-5 の発表の直前に、今後研究をDSMではなくRDoCに基づいて行うと発表したために、一気にこの動きが加速することとなったという経緯があった。

RDoCプロジェクトは、様々な症状をディメンショナルかつ詳細に評価し、それを遺伝子、分子、細胞、神経回路などの階層と照合するものであり、本プロジェクトにより検査に活用できるバイオマーカー開発、精神障害の病因・病態解明、さらには精神科領域での個別改良の実現が期待されている(尾崎、2018)。このRDoCの概念の骨子にあるのが、「精神疾患は脳の神経回路の異常による」という考えである。もちろんその神経回路は複雑な遺伝・環境要因と発達段階により理解されるものだ(橋本, 2018)。
 
このRDoCプロジェクトの推進は現代の精神医学の進むべき道が示されているといえるが、ここには米国精神医学会とNIMHとの駆け引きも見え隠れする。「概念と病態」で示したディメンショナルモデルの台頭も、このRDoCの推進と深く関連していることは言うまでもない。

2022年8月28日日曜日

パーソナリティ障害 推敲 16

PDの疫学について論じる際に触れなくてはならないのが、米国立精神衛生研究所(NIMH)により2009年に開始されたRDoCResearch Domain Criteria研究領域基準)というプロジェクトである。これは観察可能な行動のディメンション及び神経生物学的な尺度に基づく精神病理の新しい分類法である。このモデルが提起された背景には、従来のDSMICDに基づく研究が、臨床神経科学や遺伝学における新たな進歩による治験を取り込むことに失敗しているという声が大きくなったことがある (Insel, 2010)。米国の精神医学研究の中心となるNIMH2013年のDSM-5 の発表の直前に、今後研究をDSMではなくRDoCに基づいて行うと発表したために、一気にこの動きが加速することとなったという経緯があった。

RDoCプロジェクトは、様々な症状をディメンショナルかつ詳細に評価し、それを遺伝子、分子、細胞、神経回路などの階層と照合するものであり、本プロジェクトにより検査に活用できるバイオマーカー開発、精神障害の病因・病態解明、さらには精神科領域での個別改良の実現が期待されている(尾崎、2018)。このRDoCの概念の骨子にあるのが、「精神疾患は脳の神経回路の異常による」という考えである。もちろんその神経回路は複雑な遺伝・環境要因と発達段階により理解されるものだ(橋本, 2018)。
 
このRDoCプロジェクトの推進は現代の精神医学の進むべき道が示されているといえるが、ここには米国精神医学会とNIMHとの駆け引きも見え隠れする。「概念と病態」で示したディメンショナルモデルの台頭も、このRDoCの推進と深く関連していることは言うまでもない。


パーソナリティ障害 推敲 15

 そろそろテキストを決定していかなくてはならない。

疫学

疫学とは「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」と定義される(日本疫学会ホームページより)。すなわち疫学について論じる際にはデータに基づいた実証的な議論が必要となる。他方PDという疾患概念はすでに見たようにこれまでにその内容が様々な変遷を経ており、今なお流動的である。これはPDに関する疫学を論じることの難しさを意味する。そしてDSM-ⅣまでのPDのカテゴリカルモデルに対する批判には、疫学的な問題も多く絡んでいたことはすでに示したとおりである。

PDは一般人の610%に見られる(Samuels, 2011)と報告される。しかしPD一般の疫学的なデータはその定義そのものに左右されるという問題がある。DSM-52013)によれば、PDは通常は青年期又は成人期早期に認識されるようになり(18歳未満ならその特徴が一年以上持続するもの、ただし反社会性PDは常に18歳以上に適用)、長期にわたって比較的安定した思考、感情、及び行動の持続的様式とされる。ただ長期における安定性の度合いに関しては、時間経過とともに診断の変更が頻繁に起こるともいわれる(Shea, MT, 2002)

またDSM-5の記載によれば、BPDと反社会性は年齢と共に目立たなくなるが、強迫性、統合失調症型はそうはならないとされる。さらに男女差に関しては、反社会性は男性に多く、それ以外(境界性、演技性、依存性など)は女性に多いとも記されている。
 DSMにあげられた有病率については、DSM-5では全米併存症再調査研究National Epidemiologic Survey on Alcohol and Related Conditionsによるデータ(( )内に示す)も併記されているために、その数字にも幅が見られる。猜疑性PD2.3(4.4 %)、シゾイドPD4.9 (3.1), 統合失調型PD4.9(3.9)、反社会性は0.2~3.3%、演技性PDは(1.84%),自己愛性は06.2%、回避性は(2.4)、強迫性PD2.17.9%などの数字が挙げられている。

またPDの遺伝率に関しては、より最近の研究(Torgersen, et al, 2008)では、反社会PD38% 、演技性PD31%、境界性PD35%、自己愛性PD24%とされる。

BPDの疫学的データにはある程度の蓄積が見られる。DSM-5によれば、有病率の中央値は1.6%ということだが5.9%に達することもあるという。有病率は一次医療場面では6%、精神科外来では10%、入院患者の20%を占めるともされる。しかし機能障害と自殺の危険性は、年齢と共に安定する傾向があり、30代や40代になれば対人関係も職病面での機能もずっと安定するとも記載されている。また追跡調査では10年後には半数が診断基準を満たさなくなるとも言われる。遺伝負因は高く、第一度親族には5倍多くみられ、また物質使用障害、反社会性PD、気分障害の家族性リスクもあるとされる(以上DSM-5より)

2022年8月27日土曜日

不安の精神病理学 推敲 17

  フロイトが不安について語りだしたのは、精神分析を確立する前の話だ。1895年の「『不安神経症』という特定症候群を神経衰弱から分離する理由について」で不安について論じた。そして彼自身が、E.Hecker 1893)、Kaan (1893) によって概念化されているとする。そこで彼は全般的な焦燥感general irritability 不安な予期 anxious expectation などの分類を行っている。
 フロイトの原文を追っていくと(フロイトの著作をすべて一本にした例のデータ,全3881ページ)を使っている。これをFと表記しよう)フロイトは神経衰弱NAについてとても頻繁に言及している。最初の言及は1895年の「ヒステリー研究」だが、NAの記述は単調で、心的な要素が何もない、と不満を言っている。そしてこのNAから不安神経症を切り離すべきだと書いてある。(F190)そしてしょっぱなから、性的な起源をもつ生理的緊張の蓄積 an accumulation of physical tension (of sexual origin)と言っているのだ。ただ面白いのは精神医学では当時は一番近い概念がこの身体症状の記述ばかりのNAの概念であったということである。
 そしてこうも言うのだ。NAと不安神経症はしばしば混在する。(F191)そもそも1895年の彼の論文の題がそのことに関するものだ。「『不安神経症』として記述される特定の症候群を神経衰弱から切り離す根拠について」そしてそこに混在する不安神経症は全く異なる起源を有するという。そしてこんなことも言っている。「NAは十分な活動が不十分な活動、つまり最も好ましい形での性交ではなく、マスターベーションや夢精に置き換わった場合に生じる。」(F271
 つまりはBeard により概念化されたBAはフロイトの手により、これもまた性的な起源をもつものとされてしまったのだ。

2022年8月26日金曜日

不安の精神病理学 推敲 16

 「トラウマ状況を予見、予測する時、それを危険状況danger situationとしよう(p.102)

最終的にフロイトは述べる。「不安とは対象の喪失という危険に対する反応として生じる。(ISA105)」これを待って、私達はフロイトが示した図式を次のようにまとめることが出来る。

D(危険状況)――危険(対象の喪失)を予測し、能動的に準備する心を有する時。

T(トラウマ状況)――危険(対象の喪失)を受け身的に体験し、寄る辺なさを感じる時。

フロイトは迷わず、不安の起源として母親の不在を例に出す。その時赤ちゃんが母親の不在に耐えられず、母親の出現のneedsを有するなら、それはトラウマ状況、そのneeds がなく、赤ちゃんが母親の不在に耐えられたら、それは単なる危険状況であるというまっとうな判断を下す。 (ISA, .106)

この図式にはある種の時間の経過と記憶という二つの極めて重要な要素が絡んでいることは疑いない。この部分をフロイトに代わって明確化しておこう。まずTにおいては、今直接起きていることである。Dはそれを未来に起きることとして、心の準備をしておくことである。おそらくそれは時々Tの状況を想像して、ある意味では下見、ないしは疑似体験する。もう一つはTの記憶はそれが徐々に受け入れられていく。それはある種の情緒を伴った回想であり、それによりTはそれとしての機能を失っていく。それがフロイトが注目した除反応という現象である。昔のトラウマ記憶は想起されることで症状が消失するとフロイトは考えた。これはトラウマ状況で生じたことが除反応を伴って回想され、受け入れられていくことでそのトラウマ的な色彩(フラッシュバックなどを伴う)を失っていくということである。
 このプロセスは記憶の面から考えることが出来る。記憶には自伝的な記憶とトラウマ記憶の両方の成分が含まれる。後者は受け身的に対処するしかなく、それは神経症的である。そしてこの様に考えるとフロイトはすでに現代的なトラウマ記憶の理論を既に先取りしていたことになるのだ。

さてここまで考えを進めたフロイトは、当然次のような疑問を持っただろう。ある強烈な体験を受け身的な形で持ち、それを徐々に吸収していくプロセスはないだろうか。それをフロイトは喪mourningや苦痛 pain であるとした。

ISAの巻末に収録されている「アペンディクスCでフロイトはその重要な問題に触れている。彼は「不安、苦痛、喪 anxiety, pain, mourning」についてこう自問する。対象の喪失に対する反応は不安以外のものがあり、それが喪であり、苦痛でもある。これらの区別は何か?私なら次のように言いたい。恐怖も喪失も痛みも、不快な体験である。それがある種のトラウマとして受け身的に体験された後、人はそれを予想し、予見しようとする。恐怖の場合はそれを不安として、喪失の場合は、喪の先取りとして、苦痛の場合は抑うつ?として、というわけである。

 

 

2022年8月25日木曜日

不安の精神病理学 推敲 15

 さてこのような不安の脳科学的な捉え方とフロイト後期の不安の理論はある意味で非常に整合的な関係であるということだ。
 以下は岡野の仮説的な理論であるとご理解いただきたい。最近の「自由エネルギー原則」(Karl Friston)が雄弁に述べているように、私達の中枢神経は常に予測誤差の最小化prediction Error Minimization (PEM) に向けられていると言っていい。それは将来起きる出来事、その中でも特に快と苦痛に関する出来事を予測し、心の準備をして備えるということである。恐怖に対する憂慮をするという不安の仕組みは非常にこれに合致したものである。しかしそれ以外にも、将来の喪失に備えてあらかじめ心の準備をしておくという働きがある。一般に不安、痛み、喪失などの苦痛の体験を持った心は、将来それが到来することを常に予測することに心を砕く。またそれだけではない。快楽についてもそれが癒え、ドーパミン系ニューロンが快を予測しその誤差に従って作動するという研究はよく知られる。いざ実際の痛みが訪れた場合、生体はそこでの痛みを和らげることで、ホメオスタシスの乱れを防ぐ。また予測誤差を減らすことが出来るということは、事故による思いがけない苦痛を味わう可能性を低下させるのだ。

では予測とは何か。それは喪失、痛み、恐怖を仮想的に体験する。いわばそれらを表象として体験して、その痛みの大きさを査定するのである。すなわち不安とは、恐怖を想像して一瞬味わう味見foretaste なのである。ただしこれがただの味見では済まないことがある。それがPTSDなどにより生じるフラッシュバックやパニック発作である。外傷的な出来事がありありと目の前で展開するとき、それはもはや表象的ではないのだ。それは強迫神経症についても言える。そしてこれがCSTCループの病的な過活動ということになる。

さてここからどうやって結論に持って行こうか…・

2022年8月24日水曜日

不安の精神病理学 推敲 14

  不安の起源は Beard の「神経衰弱」の概念だった、という路線でこれまで書いてきた。しかしどうも気になることがある。Beard の論文はネットでダウンロードして読むことが出来るが、肝心の「不安」というタームが出てこない。あくまでも体の病気として言っている。ということは…・私は不安の概念の歴史に関して一つの発見を自分なりにしたということになるのだろうか?

不安という概念は精神医学において、一つの病名として古くから同定されていたわけではなかった。むしろアメリカの神経学者であるGeorge Beard  (1869) により提唱された神経衰弱 neurasthenia の概念が広く浸透した。これは神経過敏、頭痛、めまい、神経痛、不眠、疲労感、心気的訴えなどの複合的な症状を「神経の力nervous force の枯渇」と見なしたもので、不安に関連する疾患はほとんどこのカテゴリーに属していた(加藤敏,2011)。

ちなみにこのBeard の論文には「不安」という言葉が出てこない。あくまでも身体症状の列挙である。ということは不安という精神症状を初めて取り上げる際に、フロイトはこのBeard の概念に不十分さを感じていたとしてもおかしくない。この様に考えると、不安を精神医学の俎上に載せたのは、精神分析を創始する前の一精神科医としてのフロイトだったということにならないだろうか。

2022年8月23日火曜日

不安の精神病理学 推敲 13

フロイトに関する記述を少し書き換えた。

  この当時特にフロイトが印象付けられたのが、カタルシス効果ないしは除反応の臨床的表れであった。病者が昔の外傷的な記憶を想起するとともに、ある種のせき止められた感情が一挙に放出、浄化され、それが治癒につながるという現象である。ある種の量的な何かが滞ったり発散されたりするというプロセスが不安や症状に深く関連しているとフロイトは考えたのである。彼の中では快と不快を連動させて一元的に説明する傾向があり、そのためにリビドー論が使われたというニュアンスがある。精神の緊張が不快、その開放が快という図式はあまりにもフロイトの頭の中では確固たるものとして出来上がっていたため、フロイトの不安の図式がある意味で常識的なものとなるのは、その後の業績においてということになる。その後のフロイトの不安理論はより現実的で、関係論的、トラウマ論的なものに変わっていった。

フロイトがその不安理論をより洗練したものに変えていったのが1920年代であるが、ちょうどその過渡期にあたる記述がある。フロイトは「性欲論のための3篇」(1905年、岩波6 p289)に1920年に付けた注で、不安についてこのようなことを言っている。
 ある3歳の少年が暗闇で叔母さんに話しかける。暗闇が怖いので返事をして欲しいという。そして叔母さんの声を聞いた子供は安心する。叔母さんが「部屋は暗いままなのにどうして安心するの?」と尋ねると男の子は「叔母さんの声を聞くと明るくなる」と言ったという。フロイトはこのようにして不安は愛する対象の不在によるものだとする。これは至極まっとうな理論のように思える。ここでフロイトはこの例が、不安がリビドーから生じることの例証だとしているが、むしろ母親という対象を失うことへの反応としての不安というある意味ではごく常識的な考えに繋がるような例となっているのは興味深い。フロイトが「性欲論三篇」(1905)にこの注を付けたのは1920年だが、すでにフロイトはこの不安学説に矛盾を感じていたのだろう。

2022年8月22日月曜日

パーソナリティ障害 推敲 14

 本日、精神科の先輩である関直彦先生の訃報に接した。埼玉大学大学院で教鞭を執っていらした傍ら、都内での開業臨床もされていた。ご冥福をお祈りする。
 私にとっては忘れられない先輩だった。豪放磊落。しかも博識で勉強家。何を聞いても即座に答えが返ってくる。生協の購買部に行くと、いつも紙袋一杯の書籍を購入していた。あまりに本が増えて、マンションの床が抜けたといううわさも聞いた。
 関先生というといつもニコニコした姿しか思い出されない。サンドイッチマンの伊達さんに似た風貌。私が精神科医となった時にすぐ上の先輩としていた関先生―柴山雅俊先生のコンビの後を追って彼らのいく勉強会や飲み会について行き、冗談を言い、学問の話をし、弟分として可愛がられ/からかわれ、共通の師匠である森山公夫先生の勉強会にも出席した。一緒にじゃれ合っていた、遊んでもらったという記憶の方が圧倒的に多い。
 体格がよく健啖家で、森山先生の勉強会の帰りに、彼と一緒に東京駅の中華屋さんで「豚の角煮」をいつも一緒に頼んで食べていたことを思い出す。とんでもないカロリーの不健康食という意識があり、関先生と一緒の時だけ食べることにしていたが、関先生は他の誰かとも「豚の角煮」を食べていらしたのだろうか。
 関先生はその後恐らく食生活にはそれほど気をお使いにならなかったのか、その後病を得たことをお聞きしてはいた。もう最後に会ったのは2004年に私が米国から帰った年だったと思う。このところご活躍の様子に触れることはなかった。今になってネットで彼の近影を探してもどうしても見つからない。「どうなさっているのかな…」と気に掛けつつ今回の訃報である。私の心の中での関先輩は永遠である。

2.疫学
 疫学とは、「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」と定義される(日本疫学会ホームページより)。すなわち疫学について論じる際にはデータに基づいた実証的な議論が必要となる。他方PDという疾患概念はすでに見たようにこれまでにその内容が様々な変遷を経ており、今なお流動的である。これはPDに関する疫学を論じることの難しさを意味する。そしてDSM-ⅣまでのPDのカテゴリカルモデルに対する批判には、疫学的な問題も多く絡んでいたことはすでに示したとおりである。
  PD一般の疫学的なデータはその定義そのものに左右されるという問題がある。DSM-5(2013)によれば、PDは通常は青年期又は成人期早期に認識されるようになり(18歳未満ならその特徴が一年以上持続するもの、ただし反社会性PDは常に18歳以上に適用)、長期にわたって比較的安定した思考、感情、及び行動の持続的様式とされる(DSM5, p637)。ただ長期における安定性の度合いに関しては、時間経過とともに診断の変更が頻繁に起こるともいわれる(Shea, MT,2002)。
  またDSM-5の記載によれば、BPDと反社会性は年齢と共に目立たなくなるが、強迫性、統合失調症型はそうはならないとされる。さらに男女差に関しては、反社会性は男性に多く、それ以外(境界性、演技性、依存性など)は女性に多いとも記されている。
 DSMにあげられた有病率については、DSM-5では全米併存症再調査研究National Epidemiologic Survey on Alcohol and Related Conditionsによるデータ(( )内に示す)も併記されているために、その数字にも幅が見られる。猜疑性PDは2.3%(4.4 %)、シゾイドPDは4.9% (3.1%), 統合失調型PDは4.9%(3.9%)、反社会性は0.2~3.3%、演技性PDは(1.84%),自己愛性は0~6.2%、回避性は(2.4%)、強迫性PDは2.1~7.9%などの数字が挙げられている。
  またPDの遺伝率に関しては、より最近の研究(Torgersen, et al, 2008)では、反社会PDが38% 、演技性PDが31%、境界性PDが35%、自己愛性PDが24%とされる。
  BPDの疫学的データにはある程度の蓄積が見られる。DSM—5によれば、有病率の中央値は1.6%ということだが5.9%に達することもあるという。有病率は一次医療場面では6%、精神科外来では10%、入院患者の20%を占めるとも考えられる。しかし機能障害と自殺の危険性は、年齢と共に安定する傾向があり、30代や40代になれば対人関係も職病面での機能もずっと安定するとされている。追跡調査では10年後には半数が診断基準を満たさなくなるとも言われる。遺伝負因は高く、第一度親族には5倍みられ、そして物質使用障害、ASPD、気分障害の家族性の危険もある(以上DSM-5より)。
 なお本章の冒頭で示したBPDが減ったのかという問題についても、それまでPDと捉えていたものに発達障害やトラウマの関与が考えられることが関係し、結局は減っているか否かについての結論は出せないのが現状であるという(田中伸一郎,2020)。
  なおPDに関する疫学的なデータはまだ十分とは言えないが、それはPDの疾病概念や定義、分類などに関する識者の意見が一致していないこととも深く関係している。ただし今後PDの疾患概念やその分類がディメンショナルモデルに従うことになれば、その事情も異なるものとなっていくであろう。一般的にはPDの基礎には遺伝的要因が深く考えられる。PDの特性領域の遺伝性は約50%とされ、また特性側面はそれより低いと言われる(Jang, et.al. 1996)。
  PDの疫学について論じる際に触れなくてはならないのが、米国立精神衛生研究所(NIMH)により2009年に開始されたRDoC(Research Domain Criteria研究領域基準)というプロジェクトである。これは観察可能な行動のディメンション及び神経生物学的な尺度に基づく精神病理の新しい分類法である。このモデルが提起された背景には、DSMやICDに基づく研究が、臨床神経科学や遺伝学における新たな進歩による治験を取り込むことに失敗しているという声が大きくなったことがあった (Insel, 2010)。
  RDoCプロジェクトは、様々な症状をディメンショナルかつ詳細に評価し、それを遺伝子、分子、細胞、神経回路などの階層と照合するものであり、本プロジェクトにより検査に活用できるバイオマーカー開発、精神障害の病院・病態解明、さらには精神科領域での個別改良の実現が期待されている(尾崎紀夫、2018)。
  このRDoCの概念の骨子にあるのが、「精神疾患は脳の神経回路の異常による」という考えだ。もちろんその神経回路は複雑な遺伝・環境要因と発達段階により理解されるものだ(橋本, 2018)。
  米国の精神医学研究の中心となるNIMHが2013年のDSM-5 の発表の直前に、今後研究をDSMではなくRDoCに基づいて行うと発表したために、一気にこの動きが加速することとなった。ただしここには政治的な駆け引きも見え隠れする。「概念と病態」で示したディメンショナルモデルの台頭も、このRDoCと深く関連していることは言うまでもない。
   

2022年8月21日日曜日

不安の精神病理学 推敲 12

 制止、症状、不安」で至った不安理論の高み

1926年の「制止、症状、不安Inhibition, Symptoms and Anxiety」(以下、ISA論文)でFreudはそれまでの不安に関する自身の説を大幅に変えることになる。そしてリビドーが不安に変換されるというリビドー的な理論を放棄している(Quinodoz,2004)つまりリビドーの高まりが不安を生むのではなく、不安の高まりがそれを抑圧しようとする順番であろうと説く。
「ここでは不安が抑圧を作り出すのであり、私がかつて考えたように抑圧が不安を作り出すのではない。」(岩波19、p108—109)
このISA論文でフロイトが述べていることは、現代の私達には概ね常識的なことだ。つまり将来危険な、ないしはトラウマ的な状況に陥るという予感に伴う感情が不安である、というものだ。ではその不安が通常のものと病的なものに分かれるのはどのような条件か。彼はそれをその将来の出来事が既知なのか、それとも未知であるかに沿って分けた。
「現実的不安は、すでに知っている外的な危険に対するものであり、神経症的不安は知られざる危険unknown danger に対するものである(ISA p.100)。それは本能的な危険(本能的な要求instinctual demand p103での表現)から来るものである。
ただしもちろんこれははっきりと二つに分かれるわけではない。そこで以下のような観点を付け加える。
「時には現実不安と神経症不安は混じっている。危険は知られていて現実のものであっても、それに対する不安は過剰で、それに対し適切と見なされるものを超えているとしよう。このいわば余剰の不安surplus of anxiety こそが、そこに神経症的な要素の存在を垣間見せているのである。しかしこれに対して新たな原則は必要とされない。なぜなら分析が示してくれるのは、知られて現実的な危険に、知られざる本能的な危険が付着しているということだからだ。」(ISA101)
つまり自分がそれを知っていて、心の準備が出来るようなものへの不安は、正常、ないしは現実的で、未知で心の準備が出来ないものを神経症的とするという考えだ。そしてこの発想を土台にしてそこでフロイトは最終的に次のように考えた。ある原初的な体験があった。それは自分が現実に圧倒されて、寄る辺ない体験をしたことである。それを彼はトラウマ状況であるとした。フロイトはトラウマ状況について次のように定義する。
「危険状況の意味をそれは知らせる。明らかにそれは、危険の大きさに対する自分の強さの査定と、それに対する寄る辺なさhelplessnessを主観的に認めることからなる。危険が現実なら身体的な寄る辺なさであり、それが本能的な危険なら精神的な寄る辺なさである。」(ISA p.101)
「すでに体験されているこのような寄る辺なさを外傷状況traumatic situation と呼ぶこととしよう。(p101)
つまり外傷状況の体験は、まだ受け身的にしか体験されず、つまり普通の記憶に改変されずにそれは繰り返し襲ってくる。そしてそれだけ不安も過剰に感じる。フロイトの言う「余剰分」である。その分が神経症的だとフロイトは言ったが、むしろPTSDだといってもいいだろう。これに受け身的に対処するしかない。つまりトラウマに対する反応とは、その状況のうちわかっていずに、そのために立ち向かっていけない部分があるということだ。それに比べてそれを準備することが出来るようになると、不安は現実的不安のみになり、それに対して準備をすることが出来るようになる。
「トラウマ状況を予見、予測する時、それを危険状況danger situationとしよう(p.102)」 。
つまり記憶の面から考えることが出来る。記憶には自伝的な記憶とトラウマ記憶の両方の成分が含まれる。後者は受け身的に対処するしかなく、それは神経症的である。そしてこの様に考えるとフロイトはすでに現代的なトラウマ記憶の理論を既に先取りしていたことになるのだ。不安は以下の二種に分類される。
l 概ね予測できたり、すでに体験して知ってたりする記憶(自伝的記憶)に対する不安。準備の為に積極的に先取りをすることで感じるもの。
2
 トラウマ記憶に対する不安。押し寄せて来るもの、症状としての不安。

2022年8月20日土曜日

パーソナリティ障害 推敲 13

自己愛性PD
自己愛性PDに対する精神療法的アプローチはBPDの治療理論と共に発展したという経緯がある。それは1970年代よりHeinz Kohut (1971) とKernberg (1975)がそれぞれ提出したかなり異なるパラダイムの間の論争に触発された。Kohut は患者が幼少時に十分な共感を得られなかったことによる自己の断片化に注目し、共感的なアプローチの重要さを強調した。それに対してKernberg は自己愛PDが有する貪欲さと要求がましさを問題とし、それらが直面化を駆使して検討されるアプローチを目指した。前者は患者の体験の肯定的な側面により多くの注意を払い、後者はむしろ否定的な側面への直面化を重視することになる。しかし現実の治療ではこれらの治療論のいずれかに偏ることなく、患者の言葉に耳を傾け、転移と逆転移の発展を観察し、試みの介入による患者の反応に注目しながら治療を進めていくべきであろう(Gabbard, 2014, p.414)
反社会性PD
反社会性PDの治療については1970年代より有名なRobert Martinson (1974) の研究もあって、概ね悲観論が支配してきた。反社会性PD、特に純型の精神病質者の治療は精神療法においても薬物療法においても希望が持てないという意見が支配的であった。ただし反社会的特徴を有する自己愛PDや気分障害が見られる場合には症状の改善の余地があるとされる。(G,443)一般に不安や抑うつの存在は、治療効果が見いだされるサインとなるが、逆に器質的な障害、過去の逮捕歴などは治療効果があまり見られないとされる。
一般にASPDの患者は外来で通院を行う環境では自らの感情に触れようとせず、衝動を発散する行動のはけ口をすぐに見出す傾向がある(Gabbard p437)。他方では幾つかの報告では入院治療に効果があるとされる(Salekin, et al, 2010)。ただしASPDの入院治療においては厳しい治療構造やルールの順守が要求される。患者が治療構造を破壊しようとする傾向やスタッフの抱く強い逆転移感情がしばしば問題となる。そのため一般病棟にASPDの患者を入院させることには極めて強い配慮と治療的な構造が必要とされる。均一なASPDのグループ治療では互いに手の内を知っている患者同士の直面化が功を奏する可能性がある。(Raid 1985, Yochelson and Somenow 1977.)また意外なことに、ASPDの薬物治療に関しては、効果のあるものは報告されていない。しかし近年Mark Lipsey (2007)という研究者により、犯罪者の治療についての研究がまとめられ、それはそれまでの悲観論を変える可能性のあるものであった。そこでの結論が興味深い。それは適切に行われた認知行動療法は再犯率冒さない率をコントロール群の1.53倍に広げ、それはハイリスク群でより効果を発揮したとのことである。

2022年8月19日金曜日

パーソナリティ障害 推敲 12

BPDの社会心理的治療(心理療法)
BPDの精神療法的アプローチは、洞察を目的とした精神分析療法よりはむしろ、様々な支持的アプローチを取り交ぜた力動的な精神療法が試みられ、それを追って認知行動療法をはじめとする様々なアプローチが試みられている。ただしBPDで試みられた治療を横断的にみて言えるのは、それらの治療は効果としては優劣つけがたく、また概ね前頭前野の抑制機能の向上や偏桃体のより効果的な制御を結果としてもたらしている可能性がある(Gabbard, 2017)。
 現在BPDの治療として無作為化対照比較試験 (randomized controlled trial: RCT)による有効性が確かめられているのは以下のものである。
メンタライゼーションに基づく治療 mentalization-based therapy (MBT, Bateman and Fonagy, 2009)
転移焦点づけ療法 transference-focused therapy (TFP, Clarkin et al. 2007),
弁証法的行動療法 dialectical behavior therapy (DBT, Linehan 2006),
スキーマ焦点づけ療法 schema-focused therapy (Giesen-Bloo et al. 2006),
情緒予見性と問題解決のためのシステムトレーニング Systems Training for Emotional Predictability and Problem Solving (STEPPS, Blum et al. 2008),
一般精神科マネジメント general psychiatric management (GPM, McMain et al. 2012),
力動的脱構築精神療法 dynamic deconstructive psychotherapy (DDP, Gregory et al. 2010)

である。このうちのいくつかについて、以下に述べる。

MBT(メンタライゼーションに基づく治療)の治療の要は、患者のメンタライゼーション機能の強化である。治療者は患者の子供時代の安全な愛着の欠如への認識を持ち、明確で首尾一貫した役割イメージを保持し、自分自身と他者の行動が内面の状態により動機付けされることの理解を促進する。そしてそれにより可能な限り自己及び他者に関する多様な視点の可能性を示すのである。そのために治療者は患者の現在あるいは直前の感情状態を、それに付随する内的表象とともに示すことを試みる(Bateman and Fonagy, 2004)。

TFP(転移焦点付け療法)はOtto KernbergのBPD治療概念に基づき、心的表象は内在化された養育者との愛着関係に由来し、治療者との間で再体験されるものとする。主たる治療技法は、患者と治療者との間で展開する転移関係の明確化、直面化、解釈である。週2回行われる個人療法は、治療契約と明確な治療の優先順位に基づいて構造化された枠組みを持つ。

DBT(弁証法的行動療法)は米国の心理学者Marsha Linehan により開発された認知行動療法の一種であり、米国精神医学会によりBPDの治療として推奨されている。患者はそれにより自らの能力や生きることへのモティベーションを高める。治療は個人療法とグループスキルトレーニング、電話での相談受付、コンサルテーションミーティングから成る複合的な構造をなし、このうちグループスキルトレーニングでは、マインドフルネス・スキル、対人関係保持スキル、感情抑制スキル、苦悩耐性スキルを高めることを目指す。

薬物療法 BPDに対する効果的な治療薬として認可されたものはない(Parker, Naeem,

2019)。ただしBPDの50%が大うつ病を併発しており、その意味ではその治療は優先されるべきであろう。ただしBPDに関する脳科学的な所見も挙げられている。前頭前野の抑制制御の減弱や扁桃体の過活動などはその例である(Gabbard, 365)。そのため今後それに特化した治療法が開発される可能性はあろう。

2022年8月18日木曜日

不安の精神病理学 再考 11

 先日の部分、少し書き改めた。

不安に関しては、神経学的な研究が進み、それらの知見を基にして不安を恐れfear と心配 worry とに分けることが提案されている。Stahl は不安と心配が異なる神経ネットワークに関係しているとする。

● Fear 恐れ 扁桃核中心のサーキット

● Worry 心配(これから起きること)皮質線条視床皮質ループ(CSTCループ)

 このうち恐れに関しては、扁桃核-眼窩前頭前野、扁桃核―前帯状皮質の二つのネットワークが過活動している状態とされる。そしてそこで中心となる扁桃核はHPA軸を刺激してストレスホルモンを分泌させ、青斑核を刺激して血圧や脈拍の亢進を引き起こし、傍小脳脚核 parabrachial nucleus を刺激して呼吸に影響を与える。

また心配に関わるCSTCループとは皮質-線条体-視床-皮質ループ cortico-striatal-thalamo-cortical loop のことであり、機能的神経疾患の原因を考えるうえで最近注目されている神経ネットワークである。大脳皮質から大脳基底核視床に至る経路にそれぞれ運動認知情動に関する回路が近接して存在し連携して活動しているという。このループは、運動サーキット、連合サーキット、辺縁サーキットの三つが組み合わさっている、という説明も見られる。これらのどれかの異常により機能障害が関与していると考えられる疾患としてパーキンソン病ジストニア強迫性障害トゥレット症候群などが挙げられるこれらの疾患では運動認知情動のどの回路が主に障害されているかで疾病としての表現型も異なってくる。ちなみに最近注目されている脳深部刺激療法のターゲットは, CSTCループのいずれかの部位に設定されることが多いという(深谷、2016)。このループは眼窩前頭皮質、前帯状皮質、腹側線条体(側坐核)を含むという。すなわち情動面のかかわりもより深いことになる。

深谷親山本隆充(2016Neuromodulation: 皮質-線条体-視床-皮質ループ機能障害とその治療脳神経外科ジャーナル252137-142.

ちなみにCSTCループの研究の発端の一つは、いわゆる「脳深部電気刺激」である。そして深部刺激のターゲットとしては視床下核(subthalamic nucleus, STN)を含む CSTCループのどこかの部位が選ばれることが多いことから、このループに焦点が当たったのである。

ここはOCDで過活動になっているという仮説や、いわゆるsalience networkSN にも関係しているという説もある。SNはデフォルトモードネットワークdefault mode network と中央執行ネットワーク central executive network の代打のスイッチングを行っている。このSalience networkに関連するのが、島と背側前帯状束(dACC)であるという。そしてここにCSTCが深く関連しているというのだ。

Peters, S K.  Dunlop,K  and Downar, J: :Cortico-Striatal-Thalamic Loop Circuits of the Salience Network: A Central Pathway in Psychiatric Disease and Treatment  Front. Syst. Neurosci., 27 December 2016
https://doi.org/10.3389/fnsys.2016.00104


このCSTCループは、前頭葉から出るフィードバックループである(Stahl,395)。これが機能しないとそれが過活動を起こし(Stahl,p398)、同じ思考を何度も繰り返すことになるが、それが心配やOCDやうつ病で見られる現象であるという。そしてここをつかさどるモノアミンの中でも最も重要なのがドーパミンであり、その代謝に関係するCOMTのジェノタイプにより物事に動じないwarrier か、くよくよ悩む worrier かに分かれるのだという。

つまりこういうことだ。生物学的に見ても、不安は二層構造をしている。中核に恐怖があり、それを恐れる不安がある。

 

 

2022年8月17日水曜日

パーソナリティ障害 推敲 11

ディメンショナルモデルに基づく診断
 DSM-5(2013)ではそれまで準備されていたディメンショナルモデル寄りのモデル(より正確には「ハイブリッドモデル」)は、「第Ⅲ部 新しい尺度とモデル」の中に「パーソナリティ障害群の代替モデル」として掲載されるにとどまった。それとは対照的に、ICD-11(2022)ではさらに一歩踏み込んで、PDに関して全面的にディメンショナルモデルを採用しているので、それに基づく診断について説明する。
 ICD-11ではまず対象となる患者にPDが存在するか否かを問う。いわばPDをそのまま一つの障害として扱うことになるのだ。それは具体的には「自己機能障害」と「対人機能障害」の存在により定義される。前者は (i) 自分のよりどころを持ったアイデンティティを持つ(ii)自分の存在に肯定的な価値を見出す (iii) 将来へ向けた「自己志向性」を持つといった「自己機能」を保持しているかどうか、後者は (i) 他者と親密な関係を確立し、維持できる(ii)他者の立場を理解できる (iii) 他者との対立に首尾よく対処できる、等の「対人関係機能」を保持できるかを問う。そしてPD「自己機能」の問題および/または「対人機能不全」を特徴とする長期にわたる(例えば2年以上)異常と定義する。
そしてそれが存在する場合にはその深刻さ、すなわち軽度、中等度、重度のいずれかを示す。またPDとまではいえず、仕事や交友関係を維持することに支障はないものを「パーソナリティ困難 personality difficulty」として示す。そして次の段階として、そのPDに関係している特性 trait を問い、それが際立っている時にはそれを一つ以上記載していく。この様にパーソナリティ困難も含めPDふくめOCD-10 に比べて診断閾値は下がっていると言えよう(加藤、2022)
参考文献
加藤 敏:  パーソナリティ症および関連特性群―正常なパーソナリティ機能とパーソナリティ症,パーソナリティ特性― 連載 ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類と病名の解説シリーズ 各論⑬ 精神経誌. 124 (4): 252-260, 2022

2022年8月16日火曜日

パーソナリティ障害 推敲 10

教科書を書くというつらい作業ももう少しでおしまいになる。

 DSM-Ⅲの発刊後の2007年に発表された改訂版DSM-Ⅲ-R (1987) ではいくつかのマイナーチェンジが行われた。それらはポリセティック(基準のいくつを満たせばよいというもの)なものとモノセティック(基準をすべて満たさなくてはならないもの)なものに分かれていた診断は、すべてポリセティックなものにと移された。
 DSM-IV(1994) におけるPDは基本的にはDSM-Ⅲの基本路線の踏襲に留まった。それは新たなディメンショナルモデルの可能性についても言及されていたが、大きな改訂を総計に行うことで研究や臨床実践の継続性に影響が出ることを考慮したためとされる。
現代におけるPD:カテゴリカルモデル(DSM-5、第二部)からディメンショナルモデル(ICD-11)へ 
 PDの概念の最近の動向に関して触れておかなくてはならないのは、いわゆるカテゴリカル(類型)モデルからディメンショナル(次元)モデルへの移行である。カテゴリカル
モデルとは、従来のICD, DSMに見られた、いくつかのPDの類型(カテゴリー)を挙げ、患者の示す臨床所見をこれらのいずれかに当てはめるという考えに基づく。その代表が、DSMに提示されている10のPDである。しかしこのモデルについてはかねてから問題が論じられてきた。それを一言で言い表すなら以下のようになろう。
「特定のPDの診断基準を満たす典型的な患者は、しばしばほかのパーソナリティ症候群の診断基準も満たす。同様に患者はただ一つのPDに一致する症状型を示すことが少ないという意味で、他の特定されるまたは特定不能のPDがしばしば正しい(しかしほとんど情報にならない)診断となる。」DSM-5.p. 755)
 これはたとえばBPDを満たす患者の一部は自己愛PDや反社会性PDを同時に満たしてしまう可能性がある。この問題はPDとして概念化される幾つかのPDについての疫学的なデータを集積させることに深刻な問題を及ぼすことになる。カテゴリー的なPDはそれぞれの概念は直感的に理解できるものの、実際にどのように分布してどれだけ多く存在するかといった疫学的な視点は希薄であった。
 そのためこれまでのカテゴリカルモデルの持つ幾つかの問題に対応するためにDSM-5(第Ⅱ部)ではいくつかの変更点が加えられた。一つには多軸評定の撤廃(119)によりⅡ軸に記載されるPDとI軸の精神障害との高率の合併に制限を加えたことである。もう一つは「特定不能のPD」が多く下される傾向にあったことに対して、それが「他のPD」として再編されたことである。そしてこの「他のPD」の下に「他の医学的疾患によるパーソナリティ変化」、「他の特定されるPD」,「特定不能のPD」が設けられた。この分類はICD-10におけるPDの分類と共通したものとなった。

PDのディメンショナル(次元)モデル
 ディメンショナルモデルとは、パーソナリティ障害における特性、ディメンションごとにその度合いを数量的に捉え、その組み合わせにより示すという方針である。例えば「離脱」というディメンションは3ポイント、「制縛性」は2ポイント、などと示すことになり、いわば多次元空間の一点としてPDを表現することになる。このモデルの成立には多くの議論と時間が費やされてきた。
 個々人が有するパーソナリティの理解は一般心理学におけるテーマでもあったことは言うまでもない。そして精神医学的なPD論とは別に、科学的に検証された方法論に基づく数量的な評価を求める動きがあった。それは人間存在を生物―心理―社会的な三つの次元を統合したものとするという考えに基づいていた。その代表とされるのが Cloninger (1994) のモデルであった。彼は人格の次元として七次元を抽出し、そのうちの四次元を生物学に大きく規定される「気質」と、他の三次元を環境的要因に左右される「性格」と呼んだ。そして気質としては新奇性探求novelty seeking (ドーパミン系)、損害回避 harm avoidance (セロトニン系)、報酬異存 reward dependence (ノルエピネフリン系)、固執 persistance(神経経路は不明)の四つが挙げられ、そして性格としては「自律self-directedness」「協調 cooperativeness」「自己超越 self-transcendence」をあげた。そして私たちの性格はこの四気質と三性格の相互の組み合わせにより説明されるとした。(ちなみに気質と神経伝達物質との関係はその後さまざまに議論されている。) この Cloninger のモデルは、第Ⅲ部における固執は、パーソナリティ特性の一つである否定的感情に収められ、「自律」はパーソナリティ機能の「自己」の領域を構成する「自己志向性」の基礎となっている。
 これと並行して米国心理学会は5つのファクターを抽出するに至った。
統計的な手法(因子分析)を用いていくつかの代表的なパーソナリティ傾向が抽出されたのである。それらは個々人が持つ傾向としては重なり合うことが少なく、いわば独立変数のようにふるまうことが実証されたのだ。それらの代表は、Costa, P.T. & McCrae, R.R.4)(1990) や Goldberg (1990) やTrull T.J.ら(2007) によるモデルであった。
 その後パーソナリティに関しては5因子モデルに基づくというコンセンサスが生まれた。いわゆるFFM(five factor model)である。それらがN (neuroticism), E (extraversion), O (openness to experience), A (agreeableness), C (conscientiousness)である。これをもとにしてPDの5つのディメンションが作成された。それらが以下の5つである。
否定的感情(FFM neuroticism)、離隔(⇔ 外向性 extraversion)対立( ⇔ 同調性agreeableness)脱抑制(⇔ 誠実性 conscientiousness)、精神病性( ⇔ 透明性openness to experience)
  ただしDSM-5(第Ⅲ部代替案)ではこれら5因子のうち、openness to exp はPDとの強い相関が示されなかったため、DSMには採用されず、その代わり統合失調症における認知的知覚的な歪曲を拾い上げるため、精神病性⇔透明性 が代わりに入ったという(井上、加藤 2014, p158)。

2022年8月15日月曜日

パーソナリティ障害 推敲 9

DSMの部分、継ぎ足している。随分勉強させてもらっている。

DSMにおけるパーソナリティ障害
 1980年に発表されたDSM-III におけるPDの診断基準は、現代におけるPD概念の基礎ともいえるものであったが、そこに至る過程についても概観しておこう。
 1952年のDSM (当初は“I”という番号さえ付けられていなかった)では,PDは独立の項目とされ、「パーソナリティバターン障害 (personality pattern disturbance)」として5つ (不適性 Inaedquate, 統合失調症質 schizoid, 循環気質 cyclothymic, 妄想性 paranoid、その他)、「バーソナリティ傾向障害 (personality trait Disturbance)」として4つ (情緒不安定性 emotionally unstable, 受動攻撃性 passive aggressive, 強迫性 compulsive, その他)「社会病質的パーソナリティ症 sociopathic personality disturbance)」として4つ (反社会性反応 antisocial reaction, 非社会性反応 dissocial reaction, 性的逸脱 sexual deviation, アルコール症 alcoholism, 薬物依存 drug addiction) が挙げられた。 
 それらは自我親和的であり、病識をともなわず、外在化されたものとみなされた。またここに物質関連障害や「性的逸脱」が含まれることからも、概念としては恣意的で未分化であった。
 DSM-ll は,ICD-8(1968)の発刊が契機となりDSM (1) に加えて反社会性、爆発性、ヒステリー性、無力性、が新たに付け加えられた(井上、加藤、2014, p153)。これは Schneider の精神病質パーソナリティの類型 と Kretschmer の気質・病質類型に由来するものをいわば合体させたものであった。
 1978年のICD-9 Clinical Modification (ICD-9-CM) は,やはり多くの類型が集められ2年後のDSM-Ⅲの発刊の先駆けとなった。(特にDSM-IIIに正式に採用されることになる境界性自己愛性.統合失調型パーソナリティ症といった類型が追加され、 ヒステリーの語の演技性 histrionic) への呼び変えが行われていることが注目される(林, 2020a)
 DSM-Ⅲ (1980) におけるPDでは1970年代からのBPDやNPDについての議論を反映して10のPDが提出され、現代的なPD論の先駆けとなった。そこには、精神分析の影響と共に生物社会―学習理論的な見地に立ったMillon(1969)の作成した臨床多軸目録の影響が色濃くみられる。この10の類型は、2013年発表のDSM-5(第Ⅱ部)に至るまで、30年以上にわたりほぼこのまま引き継がれることになった。DSM-Ⅲで画期的だったのは、多軸診断の導入である。第2軸に導入されたPD及び精神遅滞は、早期の発症と持続性の病態を特徴とした(井上、加藤 2014,p.153)。しかしPDが第2軸に移ったことで、それが第一軸に比べて軽傷であると誤解されたり、一軸の診断と多数併存するという問題が生じた。

2022年8月14日日曜日

不安の精神病理学 再考 10

  ところでCSTCの研究の発端の一つは、いわゆる「脳深部電気刺激」らしい。脳にきわめて細い電極を挿入し、ある部位を刺激すると、鬱症状がかなり劇的に良くなるということが知られている。さすがに長い抑うつ症状に苦しんで脳に電極をさすことを希望するという方は多くはなく、また手技には危険性も伴うために、うつ病の治療としては一般的ではないが、深部刺激のターゲットとなる視床下核(subthalamic nucleus, STN)という部位に焦点が当たり、結局そこに眠っているCSTCループに焦点が当たることとなったのだ。要するにSTNがこのループの一部をなすという。ここから先は専門家の説明。

「機能的神経疾患の原因を考えるうえで皮質-線条体-視床-皮質ループ (CSTCループ) という概念が注目されている. 大脳皮質から大脳基底核, 視床に至る経路にそれぞれ運動, 認知, 情動に関する回路が近接して存在し, 連携して活動しているという考えである. このループの機能障害が関与していると考えられる疾患として, パーキンソン病, ジストニア, 強迫性障害, トゥレット症候群などが挙げられる. これらの疾患では, 運動, 認知, 情動のどの回路が主に障害されているかで疾病としての表現型も異なってくる. 脳深部刺激療法のターゲットは, CSTCループのいずれかの部位に設定されることが多い. したがって, 運動, 認知, 情動といった機能を個々に切り離して治療することは難しい. パーキンソン病に対する視床下核の刺激により情動面の変化が生じることがあるのはよく知られている.  」 深谷親山本隆充(2016Neuromodulation: 皮質-線条体-視床-皮質ループ機能障害とその治療. 脳神経外科ジャーナル252137-142.

このループは眼窩前頭皮質、前帯状皮質、腹側線条体を含むという。ということは側坐核も含むということだ。だからこのループに情緒面が含まれないといったのは私の誤りということになる。
 このループは色々な話題を含んでいる。ここはOCDで過活動になっているという仮説があるという記載もある。またこれがいわゆるsalience network にも関係しているという説もある。これがデフォルトモードネットワークdefault mode networkと中央執行ネットワークcentral executive network の代打のスイッチングを行っている。
 何しろ世はネットワーク説が花盛りである。fMRIなどを通して見えてくるのは、脳には局所ごとに機能が分かれているのではなくて幾つかのメジャーなループ、ネットワークがあるということだ。そしてその代表が三つということになるが、このSalience networkに関連するのが、島と背側前帯状束(dACC)であるという。そしてここにCSTCが深く関連しているという。もう何のことかわからなくなってきた。ただ脳科学ではこのループに非常に大きなスポットが当たっているということだ。そうか、不安について調べ出すとたいへんなことになってくるのだ。いよいよ安易に「不安の精神病理」など書けなくなってくる。

2022年8月13日土曜日

不安の精神病理学 再考 9

 不安は結局CSTCループの過活動と見なすことが出来るというのが、おそらく神経薬理の立場である。一回それを考えることは「恐れの先取り」の体験を生む。それが何度も襲ってくるのが問題なのだ。もし一週間後に罰ゲームか何かで人前で苦手な歌を歌わなくてはならないという人が、一日の間に平均10回そのことを思い出して、そのたびに不安になるとしよう。その様な時に大きな事件や身の回りの一大事が起きてしまい、その出来事に気を取られて「一週間先の歌」の様な些細なことは全く頭に浮かばなかったとする。それは結局は不安を軽減することになるのだ。

 同様のことは事後的にも起きる。あなたが実際に歌を歌って恥をかいたとする(大概はそう思い込んでいるだけだ。他の人はそんなことを気にしていない)。その後23日はその出来事を恥ずかしくて自分を情けなく思い、他のことが手につかなかったり、落ち込んだりするかもしれない。しかし徐々にそのことを忘れていくのであり、例えば一月後にその体験のことを思い起こしても、恥をかいたという事実は少しも変わらないとしても、そのことで思い悩むことがなくなる。その少なくとも一つの原因は、それが想起される頻度が低下しているからだ。

同様のことは強迫思考を取ればわかりやすい。CSTCループは、強迫思考の時も活性化されているという説もあるというが、すると「自分がここに来るまでに誰かを押し倒してきたかもしれない」という強迫思考(実際にしばしば聞く訴えである)は、まさにそれが襲って来る頻度と執拗さによりその人を苦しめることになるのだ。ということでCSTCそのものが苦痛を生まないとしても、それが「先取りの恐れ」を呼び起こすことで苦痛体験となる、と理解した場合CSTCループを抑制するような、様々な神経伝達物質の効果が期待されるのだ。

2022年8月12日金曜日

不安の精神病理学 再考 8

 ただしこの図式で一つ気になる点がある。それはCSTCループは情動部分を含んでいないであろうからだ。「皮質(頭で考える)→ 線条体、視床→皮質(頭で考える)」というのは結局考えがグルグル回っているということだ。つまりここは不安の苦痛部分を説明していない。しかし不安という明らかに苦痛を覚える現象は情緒に関する脳のどこかの部位を刺激しているはずなのだ。とするとそれはやはりこの時も扁桃核→報酬系を「やんわりと」刺激しているということになるのではないだろうか?つまり不安という体験においては結局は恐怖の前触れforetaste of fear を体験しているのではないか。

私は小学6年のころ何度も扁桃腺が腫れて、除去手術をすることになった。そして夏休みに扁桃腺の片方(右?左?)の除去の手術を行った。麻酔もほとんどなく、とても苦しかったのを覚えている。最初はどんな手術か全くわからなかったから、とても不安だった。しかしその手術を一度経験すると、半年後の二回目(左?右?)の前はさらに不安になった。一週間前から「ああいやだ、いやだ」というのを一日何十回と繰り返して言っていたのを覚えている。一回目で苦しさは十分わかったのだが、それが予想以上に苦しかったので、二回目はさらに不安になった。確かにこの体験は二つに分かれる。予期不安の部分、そして実際に手術室で喉の奥に鉗子を入れられ、メスで扁桃腺を切り取られるプロセス、つまり恐怖の真っただ中の体験は違う。でも連続性がある。手術の最中の私の脈拍は100くらいだったかもしれない。私の通常の脈を66としよう。手術のことを思い浮かべて「ああいやだ」と言っているときは、おそらく私の脈拍は7276(実に適当な数字である)くらいに上がっていたはずだ。ホラ、この時も扁桃核→青斑核の経路はしっかり(でも緩やかに)興奮しているではないか。

実はこの「先取り」の問題は結局は脳科学的にも心理学的にも解決していないのかもしれない。例えば熱い砂漠をヘトヘトになりながら歩いている。喉の渇きが著しい。体が干からびそうだ。その時近くにお茶やポカリの詰まった自動販売機が見えた(ありえない設定である…)。現代の脳科学が教えているのは、この瞬間に報酬系がすでに興奮しているということだ。まだ実際には水を飲んでいないのに。(もう少しいうと、水を飲んだ時に、それが予測していた気持ちよさと全く同じものであったら、報酬系はそれ以上興奮しないというのである。)これなど全く説明がつかない。報酬の先取りはすでに報酬系を刺激して快感を生み、実際に水を飲んでいるときは快感ではない????

ちなみに私の頭の中では次のような仮説を設けて説明している。前者は報酬系をパルス的に興奮させ(タブレットなどで、ボタンのチョイ押しを何度かするという感じ)、後者はトニックに興奮させる(ボタンの超長押しをする)という違いではないかと思うのだが、この種の研究は見たことがない。

喪と、喪の先取りとの関係もこれに似ている。ワンちゃんが死ぬ前に心の準備をある程度は済ませる。喪の先取りだ。ワンちゃんはまだ息を引き取っていないが、すでに喪の作業をするという関係。同じように恐怖体験が偏桃体を長押し興奮させるとしたら、不安は偏桃体をチョイ押し興奮させるのではないか。あるいはリンゴを思い描くという表象体験が視覚野をチョイ押しするのに対して実際のリンゴの視覚体験は視覚野の長押しになるという対比に似ているのかもしれない。

2022年8月11日木曜日

不安の精神病理学 再考 7

   私にとっての精神薬理の教科書である Stahl 先生のテキストを読むうちに、一つのことが明らかになった。不安に関しては、神経学的な研究が進み、特に扁桃核の研究が爆発的に進んだというのが、Stahl 先生の教科書に書いてある。そして彼は不安を恐れfear と心配 worry とに分ける。それぞれ脳において担当する担当する部位が違うのだ。

Fear(恐れ)⇒ 扁桃核中心のサーキット

Worry (心配、予期)⇒ 皮質線条視床皮質ループ(CSTCループ)

というわけだ。そして

恐れとは扁桃核から二つに伸びた経路、すなわち扁桃核-眼窩前頭前野、扁桃核―前帯状皮質の二つが過活動している状態。そして扁桃核はHPA軸を刺激したり、parabrachial nucleus 「傍小脳脚核」を刺激して呼吸に影響を与える。これで息が苦しくなる。それに青斑核に信号を送り、脈が速くなったり血圧が上がったりするのだ。そう、扁桃核が活動するということは身体症状が生じる。これがworry と違う所だ。

 一つの治療法としての「恐れの消去」P414 それは神経症的な不安に対するもの。それは扁桃核が感作された不安ということが出来る。

 こんなにはっきりしている以上、この両者の区別を明確にする必要があるだろう。恐れ≒外傷は扁桃体の興奮と身体症状を伴い、worry はそれを予期する≒予防するためのもの。しかし大概は両者は共存し、後は扁桃核の興奮の度合いに応じてfear が高くなるという分類。これしかないのではないか。

2022年8月10日水曜日

不安の精神病理学 再考 6 

 最近FEP (Free Energy Principle 自由エネルギー原理) という理論のことを聞く。この理論が気になるのは、フロイトのリビドー論と形が似ているからである。フロイトはリビドーは発散される方向にあるとした。これは今ではあまり顧みられていない理論だが、エントロピー逓減の法則には一致している。そしてKarl Friston という数学者であり脳科学者であり精神科医である先生がこの理論を発展させたというのだ。ここで興味深いのはこの理論は少し私が考えている不安に関する理論と似ているようなのだ。ネットで拾える「理化学研究所の「神経回路は潜在的な統計学者-どんな神経回路も自由エネルギー原理に従っている-」(2022114日)を少し参考にしてみる。

私にもよくわからないが、人間は常に将来を予測しているという。そして常にサプライズとなるような情報を逓減ないし回避するという働きを持っているという。それが自由エネルギー原理というわけだ。そしてそれは私がこれまで論じてきたこととも通じる。未来において起きそうなカタストロフィーを前もって知っておくことは、それを少しずつ処理したり回避するためには必須のことである。そしてもちろんこれは人間に限ったことではない。生物一般に言えることだろう。

ここで興味深いのは、脳はサプライズを回避するという場合、体験としては苦痛や恐怖がそのサプライズということになるが、例えばうれしいサプライズはどうなのだろうか。宝くじが当たったらどうしよう、将来素晴らしい出会いがあったらどうしよう?と不安になったり、それを回避することなどあるのだろうか。

そもそも自由エネルギー原理に私が直感的に入っていけないのは、人はサプライズ(により引き起こされる不安)を減らすだけでなく、快を希求しているからである。何しろ複雑なものを構築する(エントロピーを増大させる)ことが快であったりする。その場合はエネルギーはむしろ増大してしまうのではないか? いや、私がここに書いたことは、私がこの理論を全く理解していないから浮かんでくるはずだ。ということでこの本(課題図書)The Brain has a Mind of its Own.でも読んでみよう。

2022年8月9日火曜日

パーソナリティ障害 推敲 8

診断のあたりも大分文章が整ってきた。多くの若い精神科医が使うテキストの様なものなので、とても緊張しながら書いている。

3.診断
カテゴリカルモデルに基づく診断


 これまでに見たとおり、カテゴリカルモデルはICD-10 (2013), DSM-5(2013) 第Ⅱ部まで踏襲されてる。またDSM-5の第Ⅲ部に示された代替案(いわゆるハイブリッドモデル)には、第Ⅱ部で示された10のカテゴリーのうち6つのPD(反社会性、回避性、自己愛性、強迫性、統合失調型)が示されている。
 DSM-5第Il部で示されるPDの10の類型は、DSM-Ⅲ(1980)より30年以上にもわたってその内容に実質的な変化が見られないことは注目に値する。またこれらは1987年のDSM-IIIR(1987)以降3群のクラスターによって分類されるのが慣例とされている。これらの概要を以下に示す(訳はDSM-5日本語版「big book」より)

(中略)

なおDSM-TRまでは「特定不能のパーソナリティ障害」が掲載されていたが、DWSM-5においては新たに「他のパーソナリティ障害」というカテゴリーが設けられ、その中に「他の医学的疾患によるパーソナリティ変化」、「他の特定されるPD」と共にこの「特定不能のPDが挙げられている。またそれぞれの診断基準は7~9の項目のうち3~5が該当することで満たされるといういわゆる「ポリセティック」な形式を取っているところも従来と変わらない。

ディメンショナルモデルに基づく診断

 DSM-5(2013)ではそれまで準備されていたディメンショナルモデル寄りのモデル(より正確には「ハイブリッドモデル」)は、「第Ⅲ部 新しい尺度とモデル」の中に「パーソナリティ障害群の代替モデル」として掲載されるにとどまった。そしてICD-11ではこのハイブリッドモデルからさらに一歩踏み込んで、PDに関して全面的にディメンショナルモデルを採用している。このICD-11におけるPDをモデルにしてディメンショナルモデルに基づく診断について説明する。

2022年8月8日月曜日

不安の精神病理学 再考 5

 もう一度整理しよう。初めて人前で歌を歌う時のことを考える。その時間を待つ間は不安が一杯であろう。何が起きるか見当がつかない。どのような恥をかくかわからない。いざとなったら声が出なくなるかもしれない。全くの未知の領域でのことだからだ。ところが不安に打ち勝って歌を歌い、その回数を重ねるにつれて、それを知っている部分が増えてくる。「いつものようにやればいいんだ。」不安は全体として軽減するだろう。
 しかしそれでも全く未知な部分がないとは言えない。「歌う間際になって突然せき込んでしまったらどうだろう?」 「突然しゃっくりが止まらなくなったら?」 あるいは「歌う直前にパニック発作に陥ったら?」つまり全くすべてを予想しきることが出来ない以上、待ったなしのパフォーマンスには不安が付きまとう。つまり最後まで残る不安はこの「万が一」の事態に備えたもの、あるいはそれに由来するものと言えないだろうか。そしてそれ以外の余分の不安は、常識的には起きないと想定していいことが起きる可能性に由来するという意味では(つまり突然心臓発作に襲われる、突然大地震が襲ってくる、など普段はそれを気にしていたら生活が成り立たないような心配事)現実的な部分とは異なる部分であり、これをフロイトは神経症的な要素だ、というのだ。気に病んでもしょうがないことを気に病む、それでは逆にパフォーマンスが落ちるような不安を神経症的要素というわけだ。これは自分でもそんなことを気にするのはおかしいと思うであろうし、その意味では自我違和的な不安ということになる。この可能性をフロイトがどこまで考えていたかは不明である。少なくともフロイトはこれよりも別のこと、つまり内的なもの、欲動の高まりとしてとらえようとしているのだ。というよりフロイトにとっての神経症とはこのような欲動論的な理論背景を常に持っているのだ。
 さてここまでで書いたことは現実的な不安は適応的でおそらくシグナルとして必要なものであり、神経症的な不安は「症状的」なものである、とまとめることは出来よう。
ところでこれと少し似た議論を私は思い出す。それは喪の作業だ。対象を失うとする。最初は辛いが、通常は徐々に癒えていくものだ。そして対象喪失が未来において起きることが分かった場合は、この喪の作業は実際の対象喪失の前からすでに生じているものだということを私たちは知っている。心の準備というわけだ。
 例えば愛犬に確実に死が迫ってきているとする。私たちの多くは実際に愛犬の寿命が尽きる前に、その準備を始めるだろう。なぜなら一度ではそれを処理しきれないからだ。そしてフロイトが喪において、「喪の先取り」と呼んだ心の働きだ。そしてある程度知っている未来の危険に心が備えるための不安は、この喪の先取りにとてもよく似ているのだ。フロイトはISA論文でこのことに言及しながらその考察を終えなかった。危険の先取りによる不安と、喪失の先取りによる「喪の先取り」。いっそのことこれを将来の苦痛に備える報酬系の反応と一括してしまえば、これは同じことなのではないだろうか?
一つの結論。現実不安と神経症不安の関係は、喪の先取り部分を構成するだろう。そしてそのうち死去の前までに行った心の準備に伴う苦痛の大部分が現実不安に対応する。しかし実際の死去に際して体験された苦痛の部分がそれより小さかったとしたら、自分は一種の「取り越し不安」を体験していたということになる。この部分が神経症不安に相当するということだろうか。

2022年8月7日日曜日

パーソナリティ障害 推敲 7

 PDの治療に関する議論は、多岐にわたるため、そのうちいくつかのトピックを取り上げることになる。PDの治療論は歴史的には1960年代にはじまるBPDNPDの精神力動的な治療論により促進され、その後BPDの治療に関してはさまざまな取り組みがなされている。

PDに対する治療には主として二つの考え方がある。ひとつはPDそのものに対する精神療法を主とした社会心理学的なアプローチであり、もう一つは併存症に対する薬物療法的なアプローチである。前者については、様々な治療手段が試みられているが、以下に紹介するBPDに対するいくつかの手法以外には、その治療効果がエビデンスとして示されているものは多いとは言えない。

BPDの社会心理的治療(心理療法)

BPDの精神療法的アプローチは、それが洞察の獲得を目指した従来の精神分析的アプローチでは十分な効果を発揮ないという臨床的な経験から出発した。そして様々な支持的アプローチを取り交ぜた精神分析的精神療法が考案され、またそれを追うように精神分析以外の認知行動療法をはじめとする様々なアプローチが試みられた。ただしBPDで試みられた治療を横断的にみてわかることは、すべての治療はすべて特定のケースには有効であるということだ。そしてそこでの治療同盟や明確な概念的枠組みが功を奏すると見られる。そしてそれは概ね前頭前野の抑制機能の向上や偏桃体のより効果的な制御を結果としてもたらしている可能性がある(Gabbard,
 現在BPDの治療として無作為化対照比較試験 (randomized controlled trial: RCT)による有効性が確かめられているのは、7つあるという(Gabbard)それらは以下のとおりである。
メンタライゼーションに基づく治療 mentalization-based therapy (MBT, Bateman and Fonagy, 2009)
転移焦点づけ療法 transference-focused therapy (TFP, Clarkin et al. 2007)
弁証法的行動療法 dialectical behavior therapy (DBT, Linehan 2006)
スキーマ焦点づけ療法 schema-focused therapy (Giesen-Bloo et al. 2006)
情緒予見性と問題解決のためのシステムトレーニング Systems Training for Emotional Predictability and Problem Solving (STEPPS, Blum et al. 2008)
一般精神科マネジメント general psychiatric management (GPM, McMain et al. 2012),
力動的脱構築精神療法 dynamic deconstructive psychotherapy (DDP, Gregory et al. 2010)

である。このうちのいくつかについて、以下に述べる。MBT(メンタライゼーションに基づく治療)の治療の要は患者のメンタライゼーション機能の強化である。治療者は患者の子供時代の安全な愛着の欠如への認識を持ち、明確で首尾一貫した役割イメージを保持し、メンタライズする姿勢を保つことである。それにより可能な限り自己及び他者に関する多様な視点の可能性を示すのである。治療者は患者の現在あるいは直前の感情状態を、それに付随する内的表象とともに示すことを試みる。(Bateman and Fonagy, 2004
TFP転移焦点付け療法)O.KernbergBPD治療概念に基づき、心的表象は内在化された養育者との愛着関係に由来し、治療者との間で再体験されるものとする。主たる治療技法は、患者と治療者との間で展開する転移関係の明確化、直面化、解釈である。週2回で行われる個人療法は、治療契約と明確な治療の優先順位に基づいて固く構造化された枠組みを持つ。

DBT弁証法的行動療法)は米国の心理学者M. Linehan により開発された認知行動療法の一種であり、米国精神医学会によりBPDの治療として推奨されている。患者はそれにより能力や生きることへのモティベーションを高める。治療は個人療法とグループスキルトレーニング、電話での相談受付、コンサルテーションミーティングから成る複合的な構造で、このうちグループスキルトレーニングでは、マインドフルネス・スキル、対人関係保持スキル、感情抑制スキル、苦悩耐性スキルを高めることを目指す。

薬物療法 BPDに対する効果的な治療薬として認可されたものはない(Gabbard,369)。ただしBPD50%が大うつ病を併発しており、その意味ではその治療は優先されるべきであろう。ただしBPDに関する脳科学的な所見も挙げられている。前頭前野の抑制制御の減弱や偏桃体の過活動などはその例である(Gabbard, 365)。そのため今後それに特化した治療法が開発される可能性はあろう。