2021年9月8日水曜日

それでいいのか、アメリカ人 9

褒められると、どうして「サンキュー」なのか? 「アメリカ人は単純で分かりやすい」はこの本での私の口癖である。本当にそのように思う。それとの対比で論じている日本人は単純ではない。おわかりのように、これは単に「単純か複雑か」というのとは違う。アメリカ人は物事を単純化させるような複雑な手続きを踏んでいるといえなくはない。少なくともアメリカ人はコミュニケーションの際にそこに人が余計なエネルギーを用いなくてもいいように、わかりやすく意図や気持ちを伝えようとしていることは常に感じる。というか、英語はそのような意図を十分に反映した言語である。 私がアメリカ人の単純さに感動に近いものを覚えるのは、ごくごく日常的な会話においてである。例えば職場にキャロルが新しい、少しおしゃれなドレスを着て現れる。もう周囲の反応は決まったようなものだ。「素敵なドレスね!I like your dress!」直訳すると、「私はあなたのドレスが好きよ」となる。ここでよく似合っているわね、など込み入ったことを言おうとはしない。だって似合っていないかもしれないじゃないか。でも似合っているかどうかは別として、ドレスが素敵だったらこう言えば嘘をついていることにはならない。 そう、ここで噓を言わないというのはとても大事なことだ。キャロルのドレスを素敵とも思わないのにお世辞を言うことは「単純さ」の追及に反するではないか。奇抜すぎたり、趣味が悪かったりしたら、おそらく人はドレスのことは何も言わないのである。お世辞を言うのは噓になる、というより面倒くさいことになりかねない。キャロルが似合っていると勘違いしてそのドレスを着続けるとしたら不幸なことだし、それはキャロルが真実をそのまま受け取るという単純さに逆行することになろう。 さて私がさらに感心するアメリカ人の、というよりは英語の単純さは、褒められた時の反応である。キャロルは「素敵なドレスね」と言われたら、「サンキュー(ありがとう)」と答えるのである。これが日本ならどうか?さすがに「素敵ね」と言われた人は素直に「ありがとう」と返すかもしれないが、大抵は「そんなことないわよ」などとゴニョゴニョ言うことも多いだろう。素直でないのだ。日本人(メグミさんということにしよう)はもちろん自分のドレスを素敵だと思ってほしいだろう。しかし褒められた時の反応はきわめて複雑だ。なぜだろう? 「ありがとう」と言うことは、「あなたが言ったように、私は自分のドレスを素敵だと思っていますよ。」と言っていることになり、これは日本人には耐えがたいのである。嬉しいはずなのに。 このような時の日本人の心にほぼ間違いなく浮かんでいるのは、「自分のドレスを褒められて喜ぶ姿を見せるのはきっとはしたなく思われてしまう」である。ここでありがとう、なんていうと人から何と思われるかわからない。それこそ妬み、嫉みの対象になるかもしれない。そう、日本人は周囲からの見た目を気にするのだ。でもアメリカ人だって妬みや嫉みの感情があるはずではないか! 実は私はこの問題を17年間時々考え続けてきた。その結果私の中で出た結論がある。それはアメリカ社会では他人が優れていることをそのまま受け入れるということの単純さ、シンプルさを大切にするということを、おそらくその文化の中で刷り込まれているのである。 ここのところをうまく説明できるかはわからないが試みてみよう。例えばキャロルと職場で一緒のアンが、その職場のチームリーダーに昇進したとする。キャロルはひょっとしたら面白くないかもしれない。「アンよりあたしのほうが優れているのにどうして!」となってもおかしくない。そして確かにアメリカ人だって他人への妬みや嫉みは当然体験するはずだ。でも同時にアンが確かに優れていると感じられるのであれば、嫉妬や羨望などの余計な感情はなるべく持たないようにすることの大事さをキャロルは知っている。 ただしこう書くと「でも自分とアンの実力の差をどうしてキャロルは客観的に知ることができるの?」となるだろう。確かにキャロルとアンに大した差はないのかもしれない。その差を客観的に示す指標などだれも持っていないかもしれない。ただしアメリカ社会ではその差とは、ある意味では明白なのだ。そしてその半分以上はアピール力なのである。もしキャロルもアンと同じくらいにチームリーダーの座を望んでいたとしよう。キャロルは当然そのためのアピールを周囲に対して示す必要がある。キャロルは「アンより私のほうが優れているから、アピールはしなくても大丈夫」とは決して思わないであろう。アメリカはそういう社会ではないからだ。だからキャロルはアンとその座をオープンな形で競うことになるであろうし、それをしないでウジウジと「どうしてアンなんかが…」とはなりにくい。これってとても単純で分かりやすくないだろうか? ともかく話を元に戻そう。アメリカでは優れたものは周囲がそれを受け入れ、余計な嫉妬や羨望は持たないということの重要さをどこかで身に染みているのだ。だから褒められたらそれをそのまま受け取ってもそれはさほど危険なことではないから、「サンキュー」はアメリカ社会では正解なのである。