2021年7月13日火曜日

嫌悪の精神病理 2

 一つ考えられるのは、人類は従来甚大な不快や痛みに常に直面していたからであるという可能性だ。自然や人災がもたらすあらゆる苦痛にさらされ、麻酔も鎮痛薬もない状態で私たちの祖先は耐え忍んだ。一方で人類は強烈な快感を味わうすべを従来は持たなかったのだ。古代人にとって考えられる限りの大きな快楽や享楽としては、せいぜい性的なエクスタシーや飢餓状態に置かれた後の飽食、あるいは特別の機会に限られた飲酒程度だったのであろう。すなわちいかに享楽を求めても、その手段や機会はきわめて限られていた。だから古代人は常に苦痛を回避することに腐心し、いわば快原則は不快原則に従属的にならざるを得なかったのだ。
 ところが近代になり科学技術の高まりとともに生産性が上がり人々の暮らしが豊かになった。そして口当たりの良い食糧品やアルコール飲料は安価でほとんどいくらでも手に入る世の中になった。また純度の高いモルヒネやアンフェタミン、コカイン、大麻成分などを精製できるようになった。これらの薬物は人類がこれまで経験したことのない強烈な快感を体験させてくれる。純度の高い依存物質を、肺からの吸入によりきわめて急速に摂取することによる快感は、オールズとミルナーのネズミがレバーを夢中になって連打した時のような至福の体験に匹敵するだろう。さらに現在の私たちの身の回りにはギャンブルやゲームなどの報酬系を手軽に刺激できるような手段にあふれているのだ。
 ここで問題なのは、私たちはそのような報酬刺激に対してきわめて脆弱であるということである。私たちの脳は、脳はそのような過剰な報酬を安全な形で体験するようには設計されてこなかった。その代わりに脳は過剰な快が結果的に耐え難いほどの嫌悪刺激をもたらすのである。ここに嫌悪の精神病理の核心部分があるのだ。