2021年6月8日火曜日

どのように伝えるか 推敲 2

2. 患者さんにいかに伝えるか?

解離性障害とはどのようなものか?についての説明

 精神科医師は患者に対する心理教育を行う際に、たとえ話や比喩を用いることが多い。例えばうつ病であれば「ストレスによる心の疲れ」とか「過労による体調不良」、「精神的な疲労」などの表現が、漠然とうつ病の姿を描き出す。統合失調症やその他の精神病状態の場合は、「現実と空想の区別がつかなくなった状態」や「自分の妄想の世界にとらわれてしまった状態」などと表現できるだろう。また神経症一般については、「気の病」「神経質」「心身症」などの表現がなされ、多くの人が自分の日常心性をそれに重ねることが多い。「自律神経の乱れ」などの表現はこれらの精神疾患を曖昧に言い表す場合に用いられることが多い。
 ところが解離性障害の場合、そのように一般的な言葉でその病気を伝えることはなかなか難しい。臨床的な文脈でしばしば用いられる「知覚や思考や行動やアイデンティティの統合が失われた状態」(ICD-11, DSM-5)という説明も、具体性に乏しく、今ひとつ説得力に欠けるようにも思える。それに加えてDIDのように複数の人格が一人の中に存在するという現象は、それ自体が常識を超えていて荒唐無稽に聞こえてしまう恐れがある。そのことが解離性障害を理解し、説明教育を行う上での大きな問題となりうる。
 私自身は解離を脳における神経伝達路のレベルでの異常と考えている。上に示した神経症や精神病や気分障害には比較的緩やかに始まり、その回復にも時間を要するという特徴がある。それは全体として炎症反応になぞらえることが出来るであろう。ところが神経伝達上の問題は、癲癇発作等に見られるように急激に発症し、回復するという特徴がある。そのために心を脳の神経ネットワークとして理解してもらうことが一番の近道であると信じる。
「解離性障害とは何かを一言で言い表すのは難しいのですが、次のように考えてもらえば比較的わかりやすいのではないかと思います。心とは一種のネットワークだと考えてください。このネットワークは神経細胞と神経線維からなるので、これを神経ネットワークと言います。神経細胞は結び目、神経線維はそれらを幾重にも結ぶ電線のようなものだと想像してください。私たちが何かを覚えるときは、あるネットワーク上のつながりのパターンが出来上がることですし、体からの感覚や体を動かす運動は、そのネットワークが皮膚や筋肉に繋がっていてそことの信号のやり取りをします。私たちは普通意志の力でそのネットワークの働きをコントロールしていますが、時々混線が起きて、筋肉に信号がいかなくなったり、記憶のネットワークの内容を取り出せないという不思議なことが起きます。すると心の機能や体の機能がバラバラになってしまい、いろいろ不思議な症状が起きます。急に物を思い出せなかったり、急に声が出なくなったり、という事はそうしておきます。どうしてこの混線が起きるかは詳しいことはわかっていません。」

ただしこれではDIDの説明にならないので、DIDに関しては次のように説明します。「さてDIDについては少し込み入ったことが起きます。私たちの心、というのも実は一つの大きな神経ネットワークから生まれてくるものなのです。ところが人間の脳にはいくつかの神経ネットワークが同時に出来上がるという不思議なことが起きます。すると一人の頭の中にいくつかの心が同時に存在するという事が起きます。でもお互いに別人のように感じるのです。なぜならそれは複数の脳が共存している状態、つまり一人の家に同居している状態にかなり近いからです。そしてその複数の人が一つの体、つまり一組の耳、目、口を共有するので、混乱してしまうという事が起きるのです。」

 ここまで説明した時にパソコンにある程度詳しい人なら次のように伝えてもいいかもしれません。「実は一つの人格はパソコンやケータイに入っている一つのアプリのようなものと考えてもいかも知れません。私たちはいくつかのアプリを同時に立ち上げることが出来ますね。ユーチューブなどで、いくつかの映像を同時に流してしまい、声が重なったりすることがあるでしょう。DIDではそれと似たようなことが起きているのです。

何が解離性障害の原因なのか、についての説明



身体疾患や精神疾患の際に、患者や家族はしばしばその「原因」を問う。よく私たちは「どういう育て方をしたらこうなるのか?」「育て方を失敗した」などという表現を用いることからも明らかである。そしてそれは解離性障害についても同様である。また両親は自分たちから何かの要因が遺伝したのではないか、と思うことも多い。さらに最近では様々な外傷的な出来事、例えば家庭での虐待や学校でのいじめなどに原因を探ることも多い。また患者当人が「自分がこうなったのは親のせいだ」という考えを持つことも多い。これらの原因はある場合には大いにあり得ることで、また別の場合には考慮する必要があまりないこともあり、応え方は非常に難しくなる。

心理教育の立場からは、「何が原因なのか」という問いかけに対しては、以下のような一般的なものが適当と考える。
「一般的に言えば、子供が幼少時に体験したトラウマや深刻なストレス体験が、精神疾患にかかるリスクを押し上げています。それは精神疾患一般に言えることすし、解離性障害についても同じです。特に幼少時の深刻な性的身体的虐待を含めた幼少時のストレス体験が発症に深く関係しているようです。さらには生まれつき催眠にかかりやすい傾向の人たちがいて、その人たちは解離という心の働きを起こしやすいことが知られています。それに比べて子育ての仕方は、各家庭ごとに様々なバリエーションがありますが、それが精神疾患の発症に影響を与えるとしても間接的で偶発的な形でしかないと考えられます。」
「ただしここで一つ重要なことがあります。子供が小さいころに親からひどい育て方をされて、それを恨んでいたり、傷つけられたと感じている場合、親の側からは、実際の子育ての場面でトラウマ的なことが生じていなかったように思えても、子供にとってはトラウマになってしまう場合があります。そこでそれは不幸な出来事として受け入れざるを得ないこともあります。」そして次に付け加えたいのは、私が最近実感していることである。
「子育ての時期は、親は子供に対して絶対的な力を持っています。その親に叱られたり無視されたりすることは、実は子供にとって想像以上につらく、恐ろしい体験だったりします。もちろんそればかり考えていたら、親は子供を叱ったり、時にはほかのことに気を取られて子供の注意を払わなかったり、ということは一切してはならないことになってしまいかねません。もちろん親も普通の人間ですから、そのような機会を完全に避けることは無理でしょう。でも親の子供へのあらゆるかかわりが、絶大なインパクトを持ちかねないことを念頭に置くことは大切でしょう。」

DIDの治療とはどういうことをするのか、についての説明 特に「解離の治療は症状を悪化させないか?」について

 解離性障害、特にDIDの診断の告知に関連して非常に頻繁に持たれる懸念がある。それは解離性障害と診断されたり、交代人格として特定されることが、患者にとって新たなアイデンティティになり、結局その病理の悪化につながったりするのではないか、というものである。実際に解離症状をそれと認め、治療対象とみなすことは、その障害をさらに悪化させ、固定化するという考えを持っている臨床家は少なくない。杉山も以下のように述べ、その風潮を懸念している。「一般の精神科臨床の中で、多重人格には「取り合わない」という治療方法(これを治療というのだろうか?)が主流になっているように感じる。」(杉山登志郎)

発達性トラウマ障害と、複雑性PTSDの治療 杉山登志郎 誠信書房 2019年

 この懸念を持つ場合は、交代人格を、本人とは別人として扱う、あるいはDIDの症例に存在する交代人格を数え上げる作業(いわゆる「マッピング」)などは、まさに症状を「悪化」させるものとして捉えられるであろう。このように解離性障害の診断や治療が悪化につながるという考え方に対する心理教育については、次のような考え方を示すことが望まれる。
「解離性同一性障害を含めた解離性障害一般については次のように考えてください。解離性障害とは人間の脳に別の意識が宿っている状態です。それは基本的にあなた自身でも、あなた自身の一部でもありません。いわば「一心同体」ではなく、「異心同体」なわけです。ですからあくまでも交代人格とはできるだけ協力関係を保つ必要があります。ちょうど同じ家に同居している人のように、交代人格もあなたと同じようにそこに住む権利があると感じていることでしょう。ただその同居人はこれまでずっと押し入れに冬眠していて、一時的に今起き出しているかもしれません。あなたとしては同居人がまた冬眠すればそのうちを自由に使うこともできるでしょう。冬眠するか起き出すかはその同居人の事情によるので、あなたが必要以上に気を遣う必要はありませんが、起きている以上は連絡を取り、その都合を聞き、協力体制をとる必要があります。」
 このように説明して、解離性同一性障害の治療の基本はできるだけ起きている交代人格たちの声に耳を傾け、それを主人格にも薦める必要がある。なお、交代人格を扱うと固定化されてしまうという懸念については次のように言うことができます。
「解離症状はそれが生じることが許されることで、表面上は一時的に促進される可能性は確かにあります。解離された部分の多くは、自ら姿を現そうとする圧力を備えています。その場合治療者はそれにブレーキをかける必要も生じるかも知れません。例えば仕事中に子供の人格が出てきては困る場合などです。しかしむしろ抑えられていた解離が治療場面などである程度解放されることで、それ以外ではむしろ出にくくなることも考えられるのです。」
 実際DIDにおいては、ある交代人格の解放及び出現が次々と別の部分の解放の連鎖を生むということがある。その最初のきっかけは、話を聞いてくれる恋人の存在、治療者との関係の深まり、あるいは再外傷体験などである。これは、そもそも解離している部分は自己表現を許されなかったために、存続してきたという事情を思えば、治療的な進展を意味すると考えるべきであろう。そしてそれは患者が抑圧的な環境から逃れ、保護的な環境で生活出来るようになれば、いずれ起きてくるであろうプロセスなのである。
 ただしもちろん一時的な解離症状の頻発は、その時の生活状況にとっては不都合である場合も少なくない。毎日仕事を持っている患者にとっては、そのために仕事に集中できずに自宅療養を必要とすることもあり、またパートナーとの間で頻繁に「発作」を起こしてその介護の限界にまで追い詰めることもある。そこでこのプロセスが安全にかつ適応的に生じるためには、そこに治療的な介入が必要となるのであるわけである。

いつ、どのようにして治っていくのか?統合とはどのようなことなのか?


 これは解離性障害、特にDID に関する最大の問題であり、家族や本人が一番知りたいことのひとつであろう。しかしこれは同時に非常に難しい問題でもあるということを認識すべきであろう。
 これまでの臨床経験の蓄積から私たちがおおむね理解しているのは、次のような点である。まずは解離現象は精神病症状と異なり、その人の現実検討や社会適応能力を長期にわたって著しく損なうというケースは多くはない。筆者の自験例のフォローアップによれば、一部の患者は1,2年の経過で人格の交代現象はほぼ消失すること、またかなりの割合の患者において人格の交代の頻度が顕著に低下する傾向にあること、そして残りの患者の殆どにおいて、治療の初期段階を除いては症状の悪化を見せていない。すなわちDIDの長期的な予後として言えるのは、DIDのかなりの部分があまり問題が長引くことなく解消していくという傾向にあるということである。
 ただし以上は比較的安定した人間関係や生活環境を保て、またうつ病などの併存症を持たない場合、という条件がある。逆に加害的な他者とのストレスフルな同居が長引いたり、慢性のPTSD症状が継続してフラッシュバックが日常的に頻繁に生じているような場合では、解離症状も遷延する傾向にある。

最後に

 解離性障害についていかに伝えるかというテーマで論じた。これを書くことで私は今一度解離について精神科医に、そして患者に伝えることがいかに難しく、多くの工夫を必要としているかを改めて感じた。今後とも少しでもわかりやすい説明ができるように考察を重ねていきたい。