2020年12月28日月曜日

死生論 26

 次の章でもベッカーはフロイトについてかなり過激なことを言っている。フロイトは患者が治療者に持つ不気味 uncannyな愛着を転移と呼び、それを催眠現象に人がかかる不思議さと同じものと考えたという。ベッカーはしかしこれも人間の本性、すなわち死を否認するという傾向から考えると不思議な事ではないという。そしてそのことをフェレンチは見抜いていたと論じる。そして彼は、子供は全能の親を信じそれに屈するという傾向を持つが、それはすべての人間が持ち続ける傾向だという。この全能の存在と一体となりたいという願望については、まだ私にはピンとこないが、読み続けよう。要するに私は防衛が強い、という事だろうか。

 ベッカーはこの問題に最善の示唆を与えているのが、フロイトの「集団心理と自我の分析」という論文というのだ。そうか、ベッカーはフロイトを評価している部分もあるのだ。フロイトが見抜いたのは次の点であるという。人間はちょうど子供時代に全能の親に同一化したときと同じように、自らの自我を捨てて集団に従うのだという。ちょうど催眠術師の声に従うように。人は力強いリーダーに付き従いたいという強烈な情熱を持つというのだ。そうだね。私が藤井聡太君のような掛け値なしの天才のファンになり、追っかけたくなるのはそういう意味だろうか。同一化の対象としてスーパーマンを求めるという願望は確かにある。そしてこれは太洋感情を希求することでもある、というのだ(p.132)
 結局ベッカーが言いたいのはこうだ。フロイトの転移の議論は、私たちが自分たちを従属させるような対象を常に求めていることに関連している。そしてそれはネガティブな意味でもそうだという。誰かを憎しみ、何かを破壊する際、私たちは対象をそこに見出しているのであり、それは完全なる孤独から私たちを救ってくれるのである。そしてベッカーは言う。転移とは一種のフェティシズムである、と(.144)。そしてこの問題について真正面から取り上げたのはオットー・ランクであるという。彼の生と死への恐れの議論のことである。ランクは言ったという。「大人は死や性愛への恐れを抱くかもしれない。でも子供は生命そのものへの恐れを抱く。」そしてそれが彼の「出生のトラウマ trauma of birth」につながるのだが、これはフロムの「自由への恐れ fear of freedom」にも関係しているという。なかなか勉強になる。