2020年3月30日月曜日

あるエッセイ


脳と心のあいだを揺らぐこと

未だに私たちに巣くう心身二元論

以前から気になっていることだが、私が臨床の話をしていて脳の話題を持ち出すと、聞いている人たちから当惑の眼差しを向けられることが多い。私としては心の話をしていても、脳のことには時々気配りをしながら話していることを示すつもりだが、あまり理解を得られないのである。
私は精神科の医師であるから、初診で深刻な鬱状態を体験している患者さんの話に共感的に耳を傾けても、最終的には薬の処方を考える立場にある以上、心と脳を同時に考えることはむしろ仕事上要請される。もちろん心の問題と脳の問題を考える際には異なる視点に立った、異なる心の働かせ方を必要とするという感覚はある。だから両者の話を交えて人と話す時は、何か相手の話の腰を折ってしまうようで、後ろめたさを覚えることもあった。しかし両者の視点のあいだを常に揺らいでいることは、やはり重要なことだと、最近開き直って考えるようになった。その理由を以下に述べたい。
ひとつには、聞いている人を当惑させるのは、脳の問題とこころの問題を一緒に論じることに留まらないということに気が付いたからだ。私達は異なる文脈にある議論を敬遠しがちだと思う。例えば精神分析的な考察をしているときに、「この患者さんには認知のゆがみが…」とか「行動療法的なアプローチがいいかもしれません」というような話をすると、同じ心の話をしていても、何かタブーに触れてしまったような感覚がある。つまりある文脈になじみのない用語や概念が入ることの違和感が問題となるのである。何か「和を乱す」という印象を与えてしまうらしい。
しかしこれらのタームは、私がどきどき大学関係で出会う外国人の心の専門家たちは、脳の話をしても「あ、それね」ということで当たり前のように受け入れるという印象を持つ。
 昨年しばしば交流する機会のあったベルギー出身のA先生は、英国の精神分析家ビヨンの研究でも有名な方だったが、彼は精神分析についての講演の中で急に「これはデフォルトモード・ネットワークに相当する」などとおっしゃった。Default mode network は脳科学の話である。人の心がいわばアイドリング状態になっているときの脳の活動パターンのことであり、精神分析の話とは全く異なる文脈の話だ。もちろんそこに理論的な必然性があったからこの話が出て来たのであろうが、そのような時に周囲の空気をさほど気にしているという印象はない。むしろそのような文脈の飛躍は、彼の思考がカバーする範囲の広さをそれによって示しているという印象を受ける。精神分析の時に脳の話はご法度、というのは日本だけの現象ではないか、と私は思うのである。

心と脳科学のあいだを揺らぐ必要性
さて私の立場はいわば心の問題と脳の問題を揺らぐことはむしろ必要ではないかというものだが、これは私が元来持っていた性癖のようなものでもある。一つのことについて対立している二つの意見を聞くと、その両者を取り持ちたいと思うと同時に、どちらか一方に与することがとても損をしたような気持ちになる、というところは昔からあった。どちらにも決められない性格ということかもしれない。そして精神についても、心の側と脳の側とのアプローチについては、どちらの立場にも偏らず、どちらも取っていたい、両方のあいだを揺らいでいたいと思うからである。そのような気持ちを特に抱いた最近の例を挙げたい。
私が職場には多くの心理学の専門家が属するが、心を扱う心理学者(臨床心理の専門家など)と脳を扱う心理学者(認知心理学者など)ではかなり毛色が異なる。同じ大学の、それぞれが相当の学識と学問的なキャリアを積んだ方々が、人の心に対して全く違うアプローチを取るのは非常に興味深い。たとえば母子の関わりという一つのテーマを取ってみよう。
脳科学を専門とするA先生は、ある実験を試みた。何人かの赤ちゃんを対象にして、ある言葉を発して、同時に皮膚に刺激を加える。他方のコントロール群には言葉を発するだけで皮膚刺激は加えないでおいた。そして後になりに両グループに同じ言葉を聞かせると、
赤ちゃんの脳波は明らかな違いを示した。言葉と同時に皮膚刺激を与えた赤ちゃんの方が、より明確な反応を示したのである。これは母子関係においていくつかの感覚のモードを併用した、マルチモーダルな関りの際に赤ちゃんがそれをよりよく習得することを示唆している。これは素晴らしい知見であると同時に、ある意味では私たちが常識的に考えていたことを証明したことになる。
他方臨床心理学のB先生は、あるクライエントさんからこんなことを聞く。「これまであまりお話ししなかったことですが、私のお母さんは小さいころから決して私を抱っこしたり撫でたりしてくれませんでした。今でもそのことに悲しみや怒りのような気分がこみ上げてきます。」B先生はそのクライエントさんがなかなか人と信頼に基づいた深い関係が築けないことに、その母子関係が影響していたのだろうと理解した。

以下略