2020年1月22日水曜日

遊びと揺らぎ 4


揺らぎが作る可能性空間、そして不確定性

この様に考察を勧めていくと、ウィニコットが提唱した可能性空間 potential space という概念そのものが、揺らぎの問題と密接に結びついていることがわかる。しかもそれは最初は観念的なものではなく、実際の事物、すなわち移行対象を介したものであるということが大事なのだ。フロイトの孫の糸巻の遊びも、積み木遊びも、それが実際のものであり、いわば物質性 materialiry を有していて、子供が現実にコントロールできることが大事だ。「毛布であることのポイントは、その象徴的価値よりもその実在性 actuality にある。毛布は乳房(や母親)ではなく、現実であるが、それは毛布が乳房(や母親)を象徴している事実と同じくらいに重要である」(W,p8, 1971
この移行対象の実在性、物質性は二つの意味を持っている。一つはそれを自分で扱うことが出来て、コントロール可能だということだ。ぬいぐるみは自分の布団に持ち込むことが出来る。それは自分の意のままになるというところがある。自分がそれを所有し、だれにも渡さなくていい。突然取り上げられることもない。しかしそれはもう一つの重要な要素を持っている。それはある意味では物質であるがゆえにコントロールの領域外でもあることだ。ウィニコットはこの点にも言及していて、それを不確かさuncertainty と表現する。「遊ぶことについては常に、その個人にとっての心的現実と、実在す対象をコントロールする体験との相互作用の不確かさがある。」
つまり現実の移行対象は思わぬ変化を遂げる。例えば劣化だ。これを書いているとどうしても浮かんでくる絵本がある。「こんとあき」子供が小さいころ母親が読み聞かせているのを聞いて衝撃を受けた。あきというおんなのこが、「こん」という狐のぬいぐるみをいつも連れて歩く。「こん」は何でもあきの言うことを聞いてくれる。ところが・・・衝撃の行がカミさんの口から読まれた。「やがてこんは古くなってしまいました。」えー!
こうしてこんは修復が必要になってしまうわけだが、「古くなる」という言葉に衝撃を受けたのは、こんがファンタジーの世界での生き物であると同時に、現実の世界ではモノであることのギャップを、あるいはその揺らぎを衝撃的に味合わされたからだ。(何か書いていて大げさだなあ。)でもこうしてあきは何かを学ぶわけである。現実に直面して、その世界を生きるようになるということか。それにしてもいい絵本だったなあ。こんのぬいぐるみもネットで売られているぞ。まあ脱線はともかく・・・・・。
このモノの持つ意外性、主体のコントロール外の性質、ウィニコットの言った uncertainty とは、まさに揺らぎの一つの重要な性質であったことを思い出していただこう。揺らぎはそれ自体が先が読めない、予測不可能、という性質を有するのである。