2019年10月31日木曜日

アトラクター 推敲 7


ハマることとアトラクター

あることに嵌る、という体験は心のアトラクターの最たるものかもしれない。
あるテレビ番組で、東南アジアの某国の河川に住む淡水魚を探し求めることに、ここ10年以上命を懸けている男性(Aさん、と呼ぼう)について報じていた。その某国に移住して、仕事以外の時間は現地の川に入り、魚を探す。そして見つけたら記念に写真を撮ってそれでおしまい。見たところ彼は非常に心優しくかつ情熱的な男性のようである。日本から家族を呼び寄せ、現地の仕事で一家を養っている。ただ彼はそこの河川だけに生息する淡水魚に夢中なのだ。
しかしそれほど情熱的に淡水魚を追いかけながらも、彼に野心のようなものは特に見られない。あえて言うならば、これまでの十何年にわたる彼の追い求めた淡水魚たちを写真集として発表し、達成感を味わうということだという。ふつう私たちが考えるような、社会的な名声や富といったものはAさんには無縁である。
Aさんは変人だろうか? 一般的なスタンダードからは、おそらくそう呼べるかもしれない。しかし彼はそのために特に人に迷惑をかけているわけではない。異国に移住した一家もそれなりに満足しているようだ。それにおそらくほかの大部分の人はそんなことに興味がないという意識はAさん自分にもあるらしい。その意味ではAさんはきわめて正常な人だ。
Aさんが嵌っている対象は、心理学的なアトラクタの一つの典型例と言えるだろう。たいがい私たちはその程度の差こそあれ、何かにかに嵌り、それを追い求める。そしてその対象は人によってさまざまに異なる。Aさんと違って海の魚だっていいだろうし、蝶だって、昆虫だっていいはずだ。でもAさんの場合、淡水魚に特化しているのだ。通常ならあらゆるものにまんべんなく向かってもおかしくない人間の興味関心が、ひとつのものに集中し、そこから抜け出せない状態になっているということに、おそらく決定的な理由などない。
いわゆる健常人(Aさんがそうでない、と言っているわけではないが)は大抵アトラクターをやや意図的に作り出す能力も備わっている。たとえば毎日洗濯をする際も、面倒くさいなと思いつつはじめても、一定の時間それに関心を奪われる状況に入ることで、仕事は片付いていく。そのような時私たちは無理やりある事柄に自分を「ハマ」らせることで仕事をこなすわけだ。
ある事柄や物質への嗜癖はその意味ではアトラクターとしてことごとく理解することが出来るだろう。ただし一般的な嗜癖をアトラクターと捉えることには少し問題もある。それは嗜癖物質や嗜癖行動はそれ自身が自己目的的に繰り返されるというよりは、それが報酬系を刺激するためにその人をそこに繋ぎ止め続けるという事情があるからだ。ニコチン中毒の人は喫煙というアトラクターを有すると考えても別にかまわないのであるが、Aさんの淡水魚に対する情熱のような、偶発性、知らないうちになぜかそこにはまり込んだという不思議さを欠いているのである。