2019年10月20日日曜日

ランダム性の支配する世界 3


物質と細胞をつなぐランダムウォーク

結局生物と無生物の違いは、少なくとも揺らぎという問題に関しては見えなくなってしまう、というのが私の結論である。再び水に垂らした墨汁のことを思い出そう。例のブラウン運動の話だ。微小な炭素の粒はもちろん無生物である。それはしかし顕微鏡で見れば常に微少な揺らぎ、微妙なランダムウォークを繰り返している。そしてこれは生命体における細胞内のタンパク質の揺らぎや震えと同等であることがわかる。ではたんぱく質は生物なのだろうか? これは微妙な問題である。。もちろんたんぱく質の分子だって無生物だ。しかしそれが独特の揺らぎを伴った動きによりある種の働きを担うのが、細胞内であり、それはれっきとした生物に属するとしたらどうだろう? それはもう生物とも無生物ともいえない分野である。いわば細胞は物質と境界を接しているエリアであると言っていい。
ところで大学の勤務する京都大学のオフィスの地下は(物質-細胞統合拠点)アイセムズiCeMS (Institute for Integrated Cell-Material Sciences)という施設が陣取っている。この建物の地下の半分がアイセムズであり、残りの半分は我らが心理相談室という臨床系の相談室という事を思うと、この大学の中で起きている動きを象徴しているように思う。昔ながらの心を扱う臨床心理学の分野では、人が心と心を通わせるという地道な作業が繰り返されている。しかしその隣ではまさに生物と物質の境目の研究がおこなわれている。
考えてみれば、生物と無生物という二つの相容れない(と考えられていた)分野を結ぶ現象の一つとして揺らぎが意味を持つと考えられるだろう。そしておそらくは水も、と私は言いたい。なぜ水であり、揺らぎであろうか?それは水がものを溶かすうえでの最高の媒体だからだ。多くの物質が水に溶けるが、溶けるという事はその中で揺らぐという事だ。そして揺らぎの中で初めて物事は進行していく。そしてその進行の極致が生命体とも言えるだろう。水という媒体の中で揺らぎが生じ、そして雷というスパーク、そして隠し味としての鉱物の分子が介在することでアミノ酸が生まれ、核酸が生まれ、RNAがたまたま生じ、それが生命体となって発展したと考えられている。そして物質の形成は分子が揺らいでいることで初めて成立する現象という事になる。
こんな風に考えよう。ある媒体(水を選ぼう)の中にたくさんのレゴブロックの塊が浮かんでいる。水と同じ比重に作ってあるので、浮くことも沈むこともない。ブロック同士は緩やかに引き付け合い、ぶつかり合う傾向にあるとしよう。しかしそこからブロックの新たな組み合わせや分解が起き、さまざまなブロックが形成され・・・・・。絶対にありえない。ブロックたちはただプカプカ漂い、時々ぶつかるだけだろう。
そこでこのブロックたちにある種の細工を加える。ブロックの一つ一つがブルブル震えるような仕組みを持っているのだ。すると様々なことが生じる。ブロックの塊ごとの接触の頻度が格段に高まる。それだけでなく、レゴブロックの塊を構成しているブロック動詞が、実はわずかな隙間を残して震えており、付いたり離れたりを繰り返しているではないか。つまりブロックの塊と言ってもそれぞれががっちり組み合わさっているわけではないのだ。それとブロックの塊自体が全体として揺れ動いている。固まり自体が何か周囲から押されてランダムウォークを行っている。今ここにあったと思っていたブロックの塊はあっという間に遠くに離れていってしまう・・・・。
さてここでレゴブロックに対して私は魔法をかけたわけではない。単に縮尺をおよそ
10-程度、つまりナノの世界にしてみただけである。そしてレゴブロックを酸素や水素や窒素の分子に見立てている。そこでは揺らぎはいよいよ際立ち、それどころか媒体の水分子もまたブルブル震えているのである。このように微少レベルでは揺らぎという点で生命体と無生物は繋がっているのだ。