2019年7月27日土曜日

人の行動と臨界状況 3


さて、冪乗則は一応なんとなくわかったことにして、これが心理の世界にどのように絡んでくるか、である。これが本来の関心の的だった。ひとつの例として私が考えるのはパラノイアである。私は被害妄想は人間の心理の基本中の基本と考える。どんなに楽天的な人でも被害的になりうる。それは人間の思考の構造がそのようにできているからだ。そしてそれは極めてまれにではあるが、大きな事件に発展する。そしてそれが大きくニュースにとりあげられるのだ。他方では些細なパラノイアは常におきていると考えていい。人間の心は、他者の言葉を普通に受けとることと、裏読みをするとの間を揺らいでいるのである。
まずは大きい事件からだ。ごく最近起きたニュースにヒントを得ている。ある人間が誰かに恨みを持ち、攻撃を仕掛ける。昔の話で言えば忠臣蔵のようなものだ。四十数人の人間を巻き込んで刃傷沙汰が起きた。そしてごく最近ではある恨みを持った人の犯行により、三十数人の尊い命が奪われた。これらがおそらく最大級のレベルのパラノイアの例とするならば、それより小規模の例はずっと頻繁に起きている可能性がある。同僚が自分にことさら悪意を持っている気がして思わずきつい言葉を投げかけてしまう。そのやり取りが周囲に緊張感を与え、周囲はハラハラしながらそれを眺める、といった程度。顕在化した、ちょっとした衝突や口論のレベルで表出するパラノイアはどのような集団でも年に一度や二度は起きるかもしれない。
そしてそれよりさらに多いのが、具体的な発言や行動に移されることなく、「あいつ、何やネン!」という気持ちを抱くような状況である。これなど人が集まって何かをする際には起きないことのほうが少ないのではないか。人がグループを形成するところでは、必ずといっていいほど内輪もめが生じる。そしてその最小単位といえば、それこそ人と人とが交わすコミュニケーションにそれは見られる。人は他人の言葉を額面どおりに取らずに裏読みすると、当てこすり、皮肉、中傷など、こちらに対する攻撃の意図をそこに読み取るのだ。