2019年6月30日日曜日

解離への誤解 推敲 6


しかしそれでも現在でも「ヒステリー」という言葉は使われるのだ。例えば次のような使われ方を目にしたことがある。
最近仕事に行けないという若い新入社員の男性。上司の指導の理不尽さを訴え、職場のブラック気質について話し、仕事をしばらく休むためにうつ病の診断書を書いてほしいという。しかし診察した様子ではその男性からは抑うつ的な印象は受けず、むしろ自分の思いを通そうとしているように思える。その医師はこうつぶやく。「うつ、というよりはヒステリーだな…。」

このような時に用いられるヒステリーは解離性障害とは無関係で、むしろ患者自身のある種のスタンスないしは態度をさしている。ただしそれはその患者に固有の性質というよりは、それを周囲がどう受け取るかを言い表している。すなわちその人が疾病により何らかの利得を得るという意図、すなわち「疾病利得」の存在を感じさせるという意味だ。ここでトラウマ神経症が生まれるまでの経緯を、すなわち100年前のことを思い出そう。トラウマは症状の発生には触媒的な意味を与えるだけであり、そこには「願望複合体 wish complex が出来上がるのだと当時の臨床家は考えた。そしてそのことがこの疾病を呈する患者の爆発的な増大ないしは流行を引き起こすことが懸念されたのである。
現在の見地からは戦闘体験や自然災害その他のトラウマにより人が精神を病む可能性があるということ、そしてそれはその他の身体、精神疾患と同様にケアや賠償を必要としていることは識者の間で十分受け入れられていることだ。しかしそれでも上の例に見られた「ヒステリー」という呼び方には治療者側の同様の疑いが込められている。少し話を広げるならば、同様の傾向は現代の社会保障制度が整備されつつあるにもかかわらず存在し続ける。生活保護の制度についても同じことが言えるかもしれない。働けない人の経済的な援助を公的な機関が行うという概念は、それが成立するためには社会の成熟が必要となる。「ただ働きたくないだけの人がそれを悪用するのではないか?」という声を凌駕するだけの良識ある人々の声が反映される必要があるからである。
以上をまとめるならば、解離に対する誤解の原因は以下のいくつかの項目に整理することが出来よう。
1. それが疾病利得を伴うものとの疑い。
2. 心が複数存在するという事そのものへの信じがたさ。
 その結果として本稿の冒頭のクライエントのような体験が生じたと考えることが出来よう。ここで誤解を避けるために筆者自身の立場を明らかにしておこう。私は精神疾患において「疾病利得」が存在しないという立場とは異なる。私はおそらく疾病利得と呼ばれるものはあらゆる疾患に関与していると考える。寒い朝学校に行くのが少し億劫な時、熱を出して休みの電話を入れて温かい布団にいることでどこか安心した部分を感じる人はいるだろう。私たちが体験するあらゆることに何らかのトレードオフ、差し引きが存在する以上、疾病利得は必ず存在する。問題はそれが主たる原因で精神、身体症状が生じやすいという、私たちが持ちがちな考えはどこまで信憑性があるか、という事だ。そしてトラウマ神経症の概念が成立するまでにかかった途方もない年月を考える場合、「病気ではなくてワガママだ」と考える事がいかに私たちにとって気軽で容易なのか、ということを反省しなくてはならない。
すでに論じたように、かつてビスマルク政権が事故による精神的な後遺症にも賠償を与える法律を成立させたことで大論争が生じ、賠償を求めて症状を示す患者が急増することへの懸念が高まったが、実際には事故保険請求で精神症状が問題となる事例は12パーセントに過ぎなかったという歴史がある。このような歴史が示しているのは、疾病利得が存在しないことではなく、それがいかに過大評価されがちであるかという事である。そしてその結果として解離性障害、転換性障害全体があたかも詐病や疾病利得を求めて誇張された症状の表し方をしているかのように、一律に見なされてしまうという傾向があり、おそらくその傾向は現代社会においては依然として生じているという事である。
一つの例として某先生の「『心の傷』は言ったもん勝ち」 (〇〇新書 2008) を例にしてみよう。要するに現代社会は「心に傷を受けた」と言ってしまえば、あとはやりたい放題という状態であるという。そしてうつ病セクハラパワハラ医療裁判痴漢事件などを例にあげて、被害者が優遇されすぎてはいないか、と主張する。このような声がもし蔓延した場合は、ドイツで一世紀前に起きた動きが形を変えて(望むべくは小規模な形で)これからも繰り返されていくことを暗示しているのではないだろうか。

2019年6月29日土曜日

関係性理論 仕切り直し 3


さてこの Wauchope-安永の理論に従えば、「儀式-自発性」もパターンを形成すると考えられるが、これは上に示した「生きた挙動-死・回避の挙動」のパターンが治療関係においてどのように反映されているかを言い換えたものと言える。なぜならHoffman は儀式を「技法的な熟練」を、自発性を「特殊な種類の愛情や肯定」と言い換えているが(Hoffman p.xix)、このうち特殊な種類の愛情や肯定はそれ自体が独立した体験として理解され、それはある種の自発性や快と結びついているからである。そして技法的な熟練は、愛情や肯定だけが暴走するだけでは非治療的、ないし非倫理的になってしまいかねない部分を回避し、ある種の構造内に収める部分と言えるからだ。ただし Hoffman の「儀式と自発性」はそれをパターンと見なすならば、「自発性―儀式」と表記されなくてはならない。なぜなら自発性≒生きた挙動は、儀式≒死・回避の挙動に比べて上位にあるからである。
このように Hoffman の表した「儀式と自発性」の弁証法を、Wauchope - 安永の理論の言う「パターン」という文脈から捉えなおした場合にそれが意味することは比較的明快と言えよう。すなわち「治療にはまず治療構造や技法的な熟練を用います。」という表現は一見理にかなっているようで、正確ではないのである。「治療はそもそも治療者から患者に向かう特殊な愛情や肯定の気持ちがあり、それは同時に技法的な熟練によっても支えられています」という言い方のほうが正確ということになる。
さて、ここまででもう結論に向かい始めようと思ったが、ここでひとつ気になる論点がある。特定の治療関係、たとえばAというクライエントとBというセラピストの間で生じる治療関係において生きる挙動と死を回避する挙動の弁証法は成立しているであろう。しかし治療は真空の中で行われているわけではない。治療をクローズドシステムではなく、オープンシステムで生じていることと捉え直そう。たとえばセラピストBは、仕事として臨床活動を行っている。Aさんとの治療は彼の臨床活動の中に埋め込まれているといえるだろう。そしてBの臨床活動そのものが、生きる挙動と死を回避する挙動の弁証法を有している。そしてそこにはAとの治療関係にはとどまらない事情が存在することになるだろう。
たとえばBはセラピストとしての仕事を天職と感じ、喜びに満ち溢れながら仕事を行っているのかもしれない。あるいは逆に別の職業を目指していて、そちらに比べればセラピストの仕事には低いモティベーションしか持てず、しかし経済的な事情からやむなく患者と会っているのかもしれない。そしてこのことはABの治療関係というシステムに実はきわめて大きな影響を及ぼしていることになる。ただしたとえばBが治療を喜びに魅して行うからと言って、Aとの治療関係が生ける挙動、つまり積極性をより多く含んだものとなるという保証はない。Bは治療という行為を楽しむからこそ、それが儀式的な部分を多く伴った比較的困難なプロセスであっても、それを耐え忍ぶことが出来るかも知れない。逆にBは治療活動そのものを楽しめない事情があり、だからこそAとの治療を「楽しいもの」にしたいという気持ちになるかもしれない。Bが積極性と自発性をはっきり、構造を超えたプレイフルなスタイルの治療を行うことにもつながるかもしれないのだ。しかしそれはBにとっては生き生きしたものであっても、患者Aに対してそうなるとは限らない。この様に考えると改めて明らかになるのは、生きる挙動と死を回避する挙動の弁証法という関係は、Aの体験する治療と、Bの体験する治療では異なるものであり、基本的には分けて考えてしかるものであるという事だ。
しかしこれ以上こうやって考えていくと頭が混乱してしまうので、ここまでとしよう。

まとめ
 治療とは自発性(Hoffman によれば特殊な形の愛情、肯定)がその底流にあるという提言は精神分析的な考え方の根本部分に反するのであろうか?あるいはそれと整合性を有するのだろうか? 私の答えは出ないが、ひとついえるのは、関係精神分析的な流れはこの自発性と深くかかわって来たということがわかる。そもそもフロイトのリビドー論や解釈を中心とした治療技法を越える形で生まれた関係精神分析は、治療者と患者の間の生きた交流に焦点を絞り、いわば血の通った治療関係を目指そうとしたところがある。関係精神分析を間接的、直接的に支えてきた人々、ウィニコット,フェレンチ、サリバン、コフート、スティーブン・ミッチェルらを思い浮かべた場合に感じるのは、彼らの持つ積極性やバイタリティである。それは精神分析をより開放された自由なものへと作り変えていくことを目指していたということがある。さらにはその全体の動きと平行している乳幼児精神医学は赤ん坊の持つ「生きた挙動」にその研究の全体を依拠させているところがある。現代の精神分析はおそらく、その治癒機序を技法的な熟達に求めるのではなく、いかに特殊な形の愛や肯定が真に治療的な価値を用いるための技法の最高へと向けることを最大のテーマとして提起しているのである。

2019年6月28日金曜日

書くことと精神分析 6


さてネット出版に関しては私自身の体験も含めて語ってみたい。かつてアメリカの知人が素人ながら哲学的な文章を執筆していた。彼は黙々と書き溜めたその内容を、出版するという。そんなことは出来るのかと思ったが、彼はアマゾンを通してそれを無料で自費出版したという。米国ではそのような積極な方が結構いらっしゃるようである。そのことが私の興味を引いた。私には英語の著書はないが、日本語の著書はあるので、そのうちの一冊をざっと英訳して(何年も前にこのブログでも連載したからご存知の方もいるだろう。半年ほど毎日英語の文章を書いていた、アレである)。私はごく単純に、日本語で書いた本を英語に自分で翻訳したらモノになるのかが知りたかったのだ。作業はさほど苦痛でもなく、むしろ楽しかったくらいだ。ただしもちろん英語に直した後にネイティブチェックが必要であり、それにかなり費用をかけることとなった。まあ必要経費だから仕F方ない。(ネイティブチェックとは、英語を母国語としない人の文章を、ネイティブスピーカーに校正してもらうことである。)そしてさっそく米国の出版社に売り込んだのだが、ことごとくボツである。もちろんその事情はよくわかる。日本の専門書の出版社に出版の経歴のない人間が原稿を持ち込んでも、門前払いを食らうのがふつうである。それが解離関連の本なので、何人かの専門家に送ったが・・・・・。全く反応なし…であった。そこでアマゾンを通してE出版を試みると、あっさりできてしまった。今でも私の名前を入れるとその本が出てきて、数ドルでキンドル版をダウンロードできる。しかしどれだけ読まれたかは調べようもない。

まとめ
さてこの長い論考もまとめに入らなくてはならない。企画者の期待にどの程度沿うことが出来たかわからない。しかし著書を作るということについて私が思っていることの一端は伝えることが出来たと思っている。私の主張をまとめるならば、自己表現と言う目的のためには、著述というのはリスクの少ない、とても有意義な手段だという事である。元手をかけて建物を用意し、内装も整えて始める事業は、失敗した場合には多大な借金を背負うことになる。殆んど元手がかからない株の売買なども、一歩間違うとものすごい損失を背負うことになる。あるいは自分の事業の従業員に人身事故などが起きた場合は、まさに取り返しのつかないことになる。ところが本を書くことにはその種のリスクはない。最悪は初版が何百冊と裁断の憂き目にあうことくらいだが、痛くも痒くもない、という人もいるだろう。(出版社には申し訳ないが。)ただしおそらく出版には我慢強さが必要かもしれない。著作はゆっくりとレンガを積み上げながら建物を建てていくようなものだ。幸い肉体労働的な部分はない。特にワープロの出現とともに、原稿用紙の束を抱えて喫茶店をいくつか渡り歩く、という様な昔の物書きの姿はもう見られない。という事で私にとってはこれほど楽しいことはない。これは仕事と同時に全くのレクリエーションと言ってもいいかもしれない。仕事の合間に人は山に登ったり、旅行に行ったり、ゲームを楽しんだりするかもしれないが、そこで味わうことのできる快適さの質は、モノを書くという事でほとんど味わえてしまうのである。しかし物書きの家族はとても味気ない思いをするかもしれない。一日中ワープロに向かっていても、「これも仕事だ」とか言われると文句をつけるのも難しいだろう。何しろ一日ゲーム三昧、というのと違い、家族から見たらとても楽しめないような文章作りをしているのだから、何も言えなくなるだろう。それに微々たるものとは言え印税が入ってくるとしたら、そして若干ではあるがキャリアーアップにもつながるとしたら、もっと文句が言えなくなる。私としてはそれにしっかり甘えているというところもある。という事は家族に感謝、という事になるだろう。


2019年6月27日木曜日

いいかげんさ 推敲 1


「揺らぎ」とはいい加減であること
この章では「揺らぎ」ということの心理学的な意味を考えてみよう。そこでのキーワードが「いい加減さ」、というテーマである。「いい加減さ」はわが国の代表的な精神分析家である北山修が2019年にいくつかの講演で積極的に論じているテーマである。「いい加減さ」とは何かユルいテーマのように感じられるが、決していい加減なテーマではない、という事を最初に申しあげたい。実はこれまでで論じてきた揺らぎの問題と密接に関係しているのが、この「いい加減さ」というテーマなのである。ただし本章の目的は北山理論の詳しい説明ではなく、いい加減さと揺らぎとの理論的な関連を私自身が考えることが目的である。北山の「いい加減さ」の理論は極めて多岐にわたっているが、その定義として「あれかこれか」の二者択一でも「あれもこれも」という欲張りでもない状態と述べているのが興味深い。
ここで「あれかこれか」、という姿勢を「ABか」と、「あれもこれも」を「ABも」と言い直しておこう。いい加減さはこの二つの間を揺れ動く状態ということが出来るが、それは具体的にはどういうことなのだろうか?
一つ言えるのは、この「いい加減さ」はどちらにも決めかねて揺らいでいるという消極的な姿勢ではないということだ。むしろ積極的に、両者の間を漂っている状態とも言えるだろう。タイミングや文脈によってはABのどちらかの選択をする用意を持ちつつ揺らいでいる状態といえるでしょう。それはどうしてだろうか?
そもそも私たち人間の生きた体験とは、各瞬間に小さな二者択一を常に迫られているようなものだ。か か、という大げさなものではないにしても、「か か」くらいの選択は始終行っている。生きるというのはそういうことなのだ。毎日朝電車に乗り通勤するときのことを考えよう。目の前に三つある改札口のどれかを選んで通っていかなければならない。ホームに下りると発車間際の電車に飛び乗るか、それともあきらめるかの選択が必要になる。いざ電車に乗っても、今度は目の前に空いている席に座るかどうかの選択がある。その際空いた席から同じくらいの距離に立っている別の乗客の動きを判断し、その人に譲るのか、それとも自分が積極的に取りにいくかを決めなくてはならない。そんなことを常にやり続けてようやく職場にたどり着くというわけである。
しかしこのような小さな選択をくり返している私たちはさほどそれを苦痛に感じたり、頭を悩ませたりしないはずだ。というのも私たちは生命体であり、生命体は常にABかを選択することで生命を維持し、種を保存してきたからだ。つまり次のことが言えるのではないか。
「いい加減さとは、各瞬間に、必要に応じて選択できることだ」
つまり選択が必要な時はいくらでも起きてくるわけで、その際にはABかを決めることが出来るという前提で、決める必要がなければそのままほっておく。どうやらいい加減さとはそういう状態を意味することなのだ。そしてその意味では、これは決してイイカゲンで生半可な話ではないという事だ。

2019年6月26日水曜日

AIと精神療法 補遺


補遺)
さて以上の論考をとりあえず書いた後に、いくつかの思考の素材が加わった。それらをもとに少し書き換えが必要らしい。思考の素材は3っつある。
1.とりあえず原稿を書き終えた段階で、だいぶモヤモヤ感が残った。何かがおかしいような気がする。私は常に学生に、精神療法には治療者と患者の関係性のファクターが根幹にある、と説明してきた。どのような治療的なテクニックを用いても、そこに人間としてのふれあいがなければ意味がない、という様な趣旨である。そして私が自分がその流れに属していると考えている「関係精神分析」の流れでは、その点が最も強調されるのである。では関係性とは何かといえば、他者、たとえば治療者と気持ちが通じ合い、お互いに分かり合っているという感覚が生まれ、お互いに対する敬意の感情が生まれるような状態である。そしてそこで前提となるのはやはり生きた人間同士の心のふれあいなのである。それなのに治療者が「人間でない」のでは話にならないではないか。ところが私の論考の結論は「AIセラピストも捨てたもんじゃない!」になってしまったのである。どこかで理論の組み立て方を誤ったのではないか? 
ただこのように書くと次のような論駁の声が頭の中に聞こえる。「では相手が人間ならそれでいいのか?」それについては即座に「いや、そういうわけではない」という答えが出てくる。私たちは「独りでいると寂しいが、彼(女)といるともっと寂しい」という体験を実にたくさん聞くのである。いわゆる「在の不在」の議論である。人といると癒される、分かり合える、という考えや主張は実に安易であったり誇張であったり、理想主義的であることも確かなのだ。人間結局は一人である。他者との関係は多くの場合お互いを豊かなものにする形で成立するとしても、それは一時的であり、やがては必ず別れが来る。「関係性のファクター」とは他者との継続的な関係ではなく、ある種の断続的な出会いであり、体験の共有である。それは生後の養育者との連続性のある愛着関係において形成されるべきものの、部分的な修復や再構築の意味を含んではいても、治療者やパートナーにより再構築されるものではない。むしろ個人が治療者やパートナーとの関わりを媒介にして自分自身で育て直し、ないしは取り戻すものであろう。
すると関係性のファクターが提供される治療関係についての新たな見方が可能になる。それは相互理解を基礎とし、決め付けや差別的な発言や加害行為という阻害因子となるような要素を排した関係性である。そして生身の人間は実はこれらを提供することのできる第一の候補者でありながら、同時に自己愛や悪意や嫉妬を併せ持つという宿命がある。その点AIは少なくとも人間であることによる加害性はない筈であり、それによるアドバンテージを有していると考えられるのである。
2.私は最近 NHKで再放送された「BS世界のドキュメンタリー『ロボットのお悩み相談室』という番組を見た。最初の放映は20181219日(水)である。イギリスの Channel 4 uses が2017年に制作しThe Robot Will See You Now」という番組の紹介という形を取る。これは驚くべき内容で、私のこの論文全体の論旨を変えかねない内容であった。ジェスというAIが悩み相談に現れた人々の問題をどんどん解決していく。高さ数十センチでディスプレイに表情豊かに動く目を映し出すジェスは、機械的な声やぶしつけな質問をするものの、人間のカウンセラーに取って代わるほどの、あるいはそれをはるかに超えた働きをする。人間を超えた部分は、たとえば瞬時に相談者のプロフィールを検索し、SNS に投稿した内容を映し出して相談者の話の矛盾を暴いたり、相談者を嘘発見器にかけてその発言の真偽を即座に判定したりする点だ。そこで紹介されているエピソードを一つ紹介しよう。最初の相談者は息子二人と現れた夫婦である。明らかに恰幅のいい母親が、その肥満の原因について、ジェスから容赦ない質問を浴びせられる。そして家族に秘密でピザのデリバリーを頼んで過食をしていることがばらされる。しかし話はやがて浮気を繰り返して妻を悩ませている夫の問題に映り、彼女の過食はそのつらさを埋めるためのものだという事をジェスが指摘し、夫婦はお互いを信頼することを誓い合うことで幕になる。ジェスの素早い直面化、情報の収集、推論の展開などは見事の一語に尽きる。すでにこのようなAIが存在するならば、「AIにサイコセラピーは可能か?」への答えは「イエス」、という事になる。
 しかし実はこのジェスにはかなり「人工の手」が加わっているらしい。製作スタッフによるシナリオが出来ているらしいのだ。「らしい」というのはその点が番組の紹介の際に明示されず、それはchannel 4 のサイトに行っても同じだからだ。そのためか日本の視聴者の反応の多くは、「現在のAIがここまで進んでいるとは知らなかった!」 「すばらしい!」というものである。一方欧米での視聴者の反応は「これは一種のフェイクである。ロボットがどれだけのことが出来るかを大げさに誇張しているだけだ」という反応も目立つ。私は個人的には、番組の制作側が、ジェッスの振る舞いのどこまでがシナリオに沿ったものかを明示していないことは極めて重大な問題をはらむと考える。ジェスのずけずけと相手のプライバシーに入っていく様子や、個人データを暴露していく様子は倫理上の問題もはらみ、そして極めつけのうそ発見器の機能を果たすところなどは、現在の嘘発見器をめぐる現実とかけ離れている。
 しかしその上でこの番組が教えてくれたことは、簡単なディスプレイにいくつかのバリエーションを持った目の表情を映し、人の言葉を話させるだけでも、そこに人格を読み込むことなどいとも簡単に出来てしまいそうだという事だ。関係性のファクターを生身の人間でなくても成立したものと感じてしまうような特異な才能を人は持っているらしい。そしてジェスのようなセラピストが将来可能かという事に関しては、最終的には実現が可能であろうという事だ。ただしそこでジェスの果たす機能はおそらく非常に限定されたものから始まらなくてはならない。それは情報の収集、直面化を進めるという機能である。そしてその基本にあるのは、本論で示したフィードバックである。その上で治療的な判断を下したりアドバイスをするためにはあまりに膨大なデータが必要であり、またその種のアドバイスに正解など存在しないことが多い。AIにできることは、できるだけ良質のデータを提供し、その上で最後の判断を相談者にゆだねることである。
3.最近私は「拡張知能」という考えにもであった。現在ある論者が提唱しているのは、人とAIが対峙するのではなく、人がAIのアシストをいかに効率よく得、それにより自分自身の判断を下すか、という事である。AIはクライエントに関する情報を総合し、それをフィードバックとして提供する。その意味ではAIは私たちに対面するセラピストというよりは、アシスタントとして位置づけをされるべきであろうという事だ。これについて伊藤穰一という方が書いている。「新たな知性について語るとき、わたしたちは人間と機械の対立という図式から判断するのではなく、人間と機械を統合していくようなシステムを考えていくべきだ。ここではAIにとどまらず、さらに進んだ「拡張知能(extended intelligenceEIまたはXI)」という概念の話をしている。」(MACHINE 2019.06.15 SAT 19:30 「人工知能」は終わる。これからは「拡張知能」の時代がやってくる:伊藤穰一)
そう、AIは私たちが用いる道具と考えると、余計な期待や依存をしなくても済む。それは不十分な点があって当然なのだ。なぜなら道具はそれを使いこなす私たちにその有用性を大きく依存しているからだ。そしてそう考えると、私たちはAIがかしこくなり、セラピストとして使い道があるものにまで発展することを待つ必要はなくなる。AIは今の段階で、もうセラピスト的なアシスタントとして使うことが出来るのだ。ではどのように、であろうか? 実は私が想像したような使い方になるのだろう。セラピストを作ろうとしても、どうしてもアシスタントのようになってしまう理由がようやく分かった。そしてそれがどうもセラピストとしてはモヤモヤするような、生身の人間ではないことによる関係性の要素を書いた部分も含めた問題をはらむのは、当たり前のことだったのである。結局人間は一人で、他者を用いつつも一人で生きるものであるし、時々出会ってまた一人に戻って行くというのが一番気楽なのだ、という私の結論も案外悪くなかったのだろう。

2019年6月25日火曜日

解離への誤解 推敲の推敲 2


ヒステリー・解離に対する誤解の歴史

トラウマ関連障害の概念は19世紀に生まれたが、それ以前に誤解や曲解を受けていたのが「ヒステリー」と呼ばれる病態であり、そこに広く関与していた可能性のある解離、転換性障害である。ヒステリーの歴史は、きわめて誤謬や差別感情に満ちたものであり、それはある意味では現在においても部分的に存在していることは、本稿の冒頭で示した通りである。本稿ではその誤解の原因について、精神分析理論の隆盛に付随したもの、そしてそれと関連したいわゆる多心主義の受け入れがたさという二つの項目に分けて論じたい。
ヒステリーが「子宮遊走」を意味し、女性の性的欲求不満と結び付けられて考えられてきたことはよく知られる。それが十数世紀続いた後に19世紀に J-M. Charcot が医学の俎上に載せ、その後の Freud, Janet によりそれが継承されたわけであるが、その後の精神分析の隆盛と解離性障害への誤解にはおそらく深いつながりがある。Freud はその業績の初期にヒステリーが実際の性的な外傷に由来するものであり、そこには解離の機制が深く関与するという考えを放棄し、ほとんど解離という概念を用いなかった。またFreud はその概念をたとえ初期には (J. Breuer の「類催眠」という用語で用いたとしても、あくまでも防衛の一種であると考えた。それは結局は人格交代を含めた解離症状が防衛の産物であり、それは解釈により取り除くべきものという考えが主流となった。そのために1980年代にトラウマ関連障害の一つとして解離性同一性障害の存在が注目され始めた頃も、精神分析のオリエンテーションを持つ治療者の中にはその存在を疑問視したり、その「防衛」を解釈するという姿勢が見られた。それは交代人格そのものとのかかわりを拒否することを意味していたが、それは解離性障害が本来扱われるべき治療態度とは異なるものであった。そしてその根本にある分析的な考えは、心が一つのものである、というモノサイキズムの考え方に従ったものと考えるべきであろう。
 「トラウマ関連障害に対する誤解」の項で見た疾病利得をめぐる誤解は、解離性障害に関してもその誤解を助長する重要な要素であったが、その考えは精神分析から発している点も注意を向けるべきであろう。そしてそれはいわゆる転換性障害と呼ばれる障害の処遇に対する異なる見解が提出されるという形で表れている。転換性障害とは知覚や随意運動に見られる異常に神経学的な所見が伴わない状態を言うが、その「転換」という呼び方はフロイトに由来する。フロイトは、受け容れがたい無意識の心的葛藤が抑圧され、身体症状へと置き換えられる過程を転換/変換(conversion)と呼んだ。そしてこの概念に疾病利得という考え方も密接に関係している。すなわち症状は無意識的な葛藤を回避するための手段と見なされたわけである。
ところが同様の身体所見については、解離の立場からは Van der Hart, O らはそれを解離の諸症状の一系と考え、それを身体表現性解離症状somatoform dissociative symptoms)と考え、精神に現れる精神表現性解離症状psychoform dissociative symptoms)と並行して論じられることになった。こちらの考えによれば、いわゆる転換症状とは解離の一つの表現形態という事になる。それは心的トラウマにより生じた症状の一環であり、そこに無意識的な防衛としての意味を特にふくまない。
ちなみにvan der Hart らによる構造的解離理論 structural dissociation の淵源は Pierre Janet によるが、Janet は解離が有する防衛的な可能性についてほとんど言及しなかったことで知られる。彼の立場は解離においては心に別の中心が出現し、さまざまな症状を生み出すというメカニズムが想定されていた。
 以上の Freud と Janet の見方は対照表が作れるほどに異なる。
l   Freud によれば、転換症状は防衛であり、無意識的に形成されている。治療はその防衛を解釈し除去することである。
l  Janet によれば転換症状はトラウマにより意識下に心の中心が形成されたことが原因である。(したがってそこに作為性はない。)
言い換えるならば、心の理解の仕方には、この Freud 的なそれとJanet 的なそれが、二つのプロトタイプとして私たちの心を捉え続けている可能性がある。
ところで私は解離性障害の中でも DID に対する誤解は特に根強いと考えている。それは複数の人格がひとりの人間の中に存在するというきわめて不思議な現象に対する信じがたさであり、これ自身についても長い歴史がある点について触れておきたい。
力動精神医学の発展の歴史を詳述した「無意識の発見」において、Ellenberger は心はいくつかの部分により構成されているという考えをポリサイキズムPolypsycism 多心主義として紹介している(Ellenberger, 1970)。18世紀において Mesmer の唱えた動物磁気説やそれに伴う手技において人々を驚かせたのは、磁気睡眠magnetic sleep を誘導すると、それまで姿を現したことのないパーソナリティが出現することがあることだった。19世紀の精神医学界においてはこの新たな人格の存在は極めて強い関心を集めた(Ellenberger, p.145)。 
Ellenberger, H.F. (1970): The discovery of Consciousness; the history and evolution of dynamic psychiatry; Basic Books, New York 木村・中井監訳 (1980): 無意識の発見 - 力動精神医学発達史. 弘文堂、東京
このポリサイキズムという概念を最初に唱えた Durand de Gros の概念はかなり大胆なものであったという。彼は人の脳は解剖学的にいくつかのセグメントに分かれ、それぞれが自我を持ち、その自我は独自の記憶を持ち、知覚し、複雑な精神作用を行うといった。しかし普通は「主自我 ego in chief」がそれ以外を統率するが、催眠下ではほかの自我にコンタクトを取れるようになるという。Janet はこの立場を守り解離の理論を打ち立てたが、Freud は早々と解離の理論を棄却し、いわば一つの心の中にポリサイキズムを想定する形で、意識、無意識、前意識からなる局所論モデルを提唱した。おそらくフロイトの中では彼はポリサイキズムをこのような形で保持していたと考えていたのかもしれない。その後精神分析の隆盛とともに解離や多重人格、ポリサイキズムへの関心は急速に失われていった。

いまだに使われる「ヒステリー」という僭称
以上解離性障害がいまだに誤解を受ける原因について、それを疾病利得という概念、精神分析的な理論の隆盛、ポリサイキズム自身の持つ信じがたさという三点から論じたが、実はそれらは時代を超えて今でも存在していると考える。しかし少なくとも精神医学において、疾病概念の刷新がこれらの誤解を配する方向で行われていたことは言及しておくべきである。そしてそれを最もよくあらわしているのが米国において2013年に発表された DSM-5である。そこで行われたことについて、以下の柴山の簡潔な記述を引用しよう。
2013年に発刊されたDSM5二次的疾病利得美しき無関心la belle indifference)は変換症に特異的であるとはいえないため、診断に際して用いるべきではないと明記された。二次疾病利得とは病気になることで二次的に生じる利得のことである。(ちなみに一次疾病利得とは無意識的葛藤が症状形成によって回避されることである。)一般に二次疾病利得は神経症の症状を維持する要因として働くとされる。心理的ストレス因や二次疾病利得など、従来重視されがちであった特徴はあくまで付随的情報にとどめるべきであるとされている。また症状が故意に生み出されたことが明らかである場合には、変換症ではなく作為症 (factitious disorder)詐病 (malingering) と診断されるべきであり、変換症とは診断されない。DSM--TRで診断基準に含まれていたこうした確認が実際には困難であることから、変換症の診断基準から削除された。
 過去においてヒステリーに向けられがちであったのは、症状の背後に、隠された(意識的ないしは無意識的な)真の意図を見つけ出そうとする眼差しであった。前述の、心因、美しき無関心、疾病利得などは、こうした眼差しに通じるものであり、これらにとらわれることは診断や治療において好ましくないことから、こうした今回のDSM-5の変更は、臨床に沿った望ましいものである。」(「脳科学事典」(Web版)「変換症」の項目)

2019年6月24日月曜日

解離への誤解 推敲の推敲 1


解離ケースの治療の普及に向けて

解離の治療に関する最新の、あるいは将来に向けてのテーマについて論じるのが本稿の趣旨である。確かに解離の臨床はいまだに「未開拓」の域を出ていないのではないかと感じることがある。私はこれを決して誇張して言っているつもりはない。それは解離性障害の外来や入院治療の場で現実に露呈していることだ。それらの現状を見る限り、解離はいまだに多くの誤解を受け、おそらくこれからも当分受け続けるであろう。「トラウマ臨床の明日」という本特集のテーマに沿って書かれる本稿で、私はきわめてペシミスティックな見解を述べる事になりそうだ。ただし私は「そのような誤解をなくしていかなくてはならない」という論調で書くつもりはない。むしろ「解離が誤解を受けるという宿命は何に由来するのか?」について改めて考えてみたいのだ。
まずある臨床場面を描いてみる。
私のクライエントAさんは30代前半の女性であり、派遣社員であるが、一箇所での雇用がなかなか安定しない。Aさんは複数の人格を有し、時々人格交代が起きて暴れたり、幼児のように振る舞ったりすることがあり、そのために仕事を継続することにかなりの支障をきたしているのだ。そのAさんは常に一つの懸念を抱えている。それは「自分がDIDの演技をしていて、そのために周囲に迷惑をかけているのではないか」というものである。ある日Aさんは職場でのストレスから急激に抑うつ状態が悪化して自殺念慮が高まり、ある精神科単科のB病院の病棟に入院することになった。その病棟で彼女は数分間意識を失うというエピソードを何度か体験した。そしてその間は男性の人格が出て大声を上げたり、急に幼児のように振る舞ったりしたらしい。彼女はそのようなエピソードの後は目をつぶったまま固まった状態になり、徐々に意識をもとに戻していくというパターンを取るが、その時も次第に周囲の話し声が聞こえてくるようになり、意識を取り戻しつつあった。しかしその時Aさん彼女はかなりはっきりとある看護師の冷ややかな声を聞いたという。「笑っちゃうわね。あそこまでして周囲から気を惹きたいなんて。」リーダー格のその看護師の声に複数の看護師が同意する気配が感じられた。Aさんは深く傷つき、一刻も早くその病院を去ろうと考えたという。しかしそれではその病院を紹介してくれた医師に悪いという理由で数日間入院を続けたという。その後別の病院Cへの転院となったが、そこで担当の精神科医との間でこれまでとはまったく別の体験をしたという。そこのD医師は言ったという。「解離のことは勉強不足で分からないことばかりなので、いろいろ教えてくださいね。」そして病棟のスタッフはAさんがどのような状態のときにどう対処して欲しいかをAさん自身に尋ね、それを守ってくれたという。

AさんがB病院の病棟で受けた看護師からの「誤解」は、何に由来するのだろうか? B病院の病棟が解離性障害を有する患者を扱う経験が足りなかったからというのとも異なるだろう。事実B病院にはそれまでも解離の患者をお願いして、大きな問題は起きていなかったのである。それに比べてC病院ではむしろ解離の患者に慣れていなかったが、無難な対応が出来たようである。するとむしろ「誤解」は各々の精神科病棟を支配する文化や想定と関係している可能性があろう。
B病院の病棟におけるカルチャーは、おそらく解離の症状にある種の疾病利得を想定し、それが「他人(スタッフ)の注意を惹く」という目標を達成しようと意図されたものとみる傾向を有するのだろう。その意味でB病院の病棟の看護師達の間で起きていた会話は容易に想像できる。それは「解離の症状にいちいちまともに対応していると患者を甘やかすことになる」という類のものであろうし、私は実際にそのような会話が聞かれる現場に居合わせたこともある。
もちろん解離性障害以外にも疾病利得が疑われる傾向のある精神疾患はいくつもある。最近の「新型うつ病」などはその典型かもしれない。しかし本稿で扱う解離性障害は、その種の理解やそれに伴う誤解が顕著に表れやすい障害と見なすことが出来る。
この誤解はいわば長い歴史を担っているといえるが、本稿ではそれを以下の二つの観点から考えたい。一つはトラウマに関与した精神障害そのものに向けられた誤解の歴史であり、もう一つは特にヒステリーないしは解離性障害に向けられた誤解の歴史である。

トラウマ関連障害への誤解の歴史

解離性障害を含めたトラウマ関連の精神障害一般は、それが正式に精神疾患と見なされるまでに多くの時間を要した。最初はその存在が否認ないし無視されることから始まったということができる。

マーク・ミカーリポール・レルナー (編集、金吉晴(訳)(2017) トラウマの過去 みすず書房、2017(Mark S Micale, Paul Lerner, Charles Rosenberg eds. (2001) Traumatic Pasts: History, Psychiatry, and Trauma in the Modern Age, 1870-1930) Cambridge University Press.
19世紀の後半は、技術的な近代化と共にその途方もないエネルギーによる被害、特に鉄道災害が、身体的精神的な障害をもたらす可能性が注目されるようになった。そしてドイツの精神科医Hermann Oppenheimは鉄道事故により中枢神経に目に見えないような器質的な影響があった可能性を考え、トラウマ神経症の概念を提出したが(Oppenheim, 1889)、彼は同時に精神的な部分についても注目していた。同じ時代にパリのJ-M. Charcot はこれをヒステリーと同類と考えていたが、Oppenheim はそれとトラウマ神経症を分けるべきだと考えた。ただしOppenheimはその後徐々にベルリン大学における居場所を無くし、ドイツ精神医学の世界においても多くの批判にさらされることになった(ミカーリ、2017)それは1889年にビスマルク政権が事故による精神的な後遺症にも賠償を与えるという法律を成立させたことに端を発した。それをきっかけに、賠償を求めて症状を示す患者が急増することへの懸念が高まり、「年金神経症pension neurosis」という用語さえ現れた。トラウマ神経症概念に反対する急先鋒が精神科医Alfred Hocheであり、彼はトラウマは症状の発生には触媒的な意味を与えるだけであり、それにより願望複合体wish complex が出来上がり「神経伝染病nervous epidemic」が生じると論じた。そして1890年のベルリンでの国際医学界ではOppenheimは集中砲火を浴びることとなり、結局戦争被害者への賠償を定めた法律は1926年に覆されることとなった。そしてそれ以来ドイツ精神医学界では第一次大戦まではトラウマ神経症の概念は省みられず、代わってヒステリーの診断が用いられるようになったという。
このように前世紀の初期の段階では、鉄道事故や戦争により精神に障害をきたすという考えが精神医学において十分な理解を得るには至らなかった。それは疾病利得を求めた一種の詐病、ないしは「ヒステリ-」として扱われる傾向にあったのである。ただしこれらの動きは、男性にもヒステリーが存在するという考えを広めることには役立ったといえるだろう。なぜなら鉄道事故や戦争による被害に巻き込まれる可能性が高いのは成人男性だったからである。
この後数十年を要してDSM-Ⅲ(1980)においてようやくPTSD概念が登場したわけであるが、PTSDの三主徴となるフラッシュバック、回避麻痺、過覚醒を備えた外傷性障害の概念は、実はKraepelinの「驚愕神経症Schrtecke Neurosen(1915) Kardinerの「戦争神経症」(1941)などの形で提案されていたということは注目すべきである。しかしその臨床的な重要性や治療的アプローチは精神科医の間で十分認知される事はなかった。その後米国では1950年代にDSM-Iにおいて「著名なストレス反応」が掲載されたが、これもPTSDのレベルには程遠かった。それは先述の三主徴が盛り込まれた包括的なトラウマ精神障害の概念とは言えなかっただけでなく、正常人が異常なストレスに対して見せる正常範囲の反応というニュアンスがあった。
1980年のDSM-ⅢにおけるPTSDの記載はある意味では時代の必然とも言えたが、そこには紆余曲折があり、退役軍人局のロビー活動やその他の偶発的な事情に後押しされてようやく実現したとされる(金、2012) 。この様に見ると、トラウマ性精神障害の概念が「疾病利得」に基づくものという誤解をようやく払拭し得たのは、比較的最近のことと言えよう。そしてその誤解は実は現代でも全く姿を消したわけではない。

金吉晴 (2012) PTSDの概念とDSM-5に向けて 精神神経誌 114 第9号 10311036
Kardiner, A (1941) the Traumatic Neuroses of War. National Research Council, Washington.
Kraepelin, E.; (1915) Psychogene Ekrankungen. Ein Lehrbuch fur Studierende und Arzte, achten Auflage, Verlag non Johan Ambrosius Barth, Leipzig, 1915. (遠藤みどり訳:災害精神病、心因性疾患とヒステリー みすず書房、東京、1987)


2019年6月23日日曜日

関係性理論 仕切りなおし 2


弁証法的な心の在り方の背景にある「揺らぎ」について

このような心の働きを弁証法としてとらえることについては、それを一種の知性化と見なすことではないかという批判もあるだろう。しかしこれはおそらく私たちの心が基本的にもつ性質であり、それについてのなんらかの呼び方が必要なのである。北山修が最近論じる「いい加減さ」もまさにそのような性質を持っているのだ。そして私はこれを「揺らぎ」としてとらえることにしている。この「揺らぎ」とは、心が二つの方向性のあいだを常に彷徨うという事である。一方では世界を感情的、直感的にとらえ、それに基づいて判断を下し行動しようとする傾向であり、Hoffman が「自発性」と呼んだ部分である。そしてもう一方は、自発性により生じる危険から身を守り、従来続けていたような保守的、因習的で安全なやり方へと回帰しようとする傾向であり、Hoffman の言う「儀式的」な部分である。私たちの心はこのような二つの傾向の間を常に揺れ動いているというところがある。そのうちのどちらかに偏ってしまっても、私たちの心は自由な動きを取り戻すことが出来ないのだ。
この種の揺らぎについては実は数多くの論者が語っているが、一つの例としてDaniel Kahnemanの二つの思考モードの研究がある。彼は自動的に高速で働く直感的なシステム1と、遅く緻密な思考としてのシステム2を区別する。システム1は瞬間的に危険を察知したり、相手の表情を読み取ったりするという風に、日常の活動では主にシステム1が活躍している。システム1はある種の安易な直観に頼っており、それにより多くのバイアスが生じる。これがいわゆる「ヒューリスティクス」である。そしてもう一方のシステム2は熟考型で、合理的、論理的な思考ができるが認知的な負荷もかかる。そのために人間は無意識のうちに、できるだけ軽いシステム1でさまざまな判断を行おうとするのだ。
Kahneman, D. (2012) Thinking, Fast and Slow. Penguin. (ダニエル カーネマン , 村井 章子訳、『ファスト&スロー』、早川書房、2014.)


儀式と自発性の弁証法と精神分析

私がHoffman の説く心の弁証法的な在り方を応用する上で一番有用だと思うのが、治療関係のあり方である。治療のあり方を考える際にはまず、「治療者はいかにあるべきか」が問われるわけであるが、それは精神分析においては特に際立っていると言える。それは精神分析を創始した時点でフロイトがいくつかの基本原則を掲げたことに端を発している。それらの原則とは匿名性、禁欲規則、受身性、中立性などと呼ばれている。フロイトは「治療者はこのように振舞うべきだ」という原則を打ち立てたわけであるが、残念ながらこれらはトーンとしては「~であってはならない」「~してはならない」という否定形で述べられていたことが特徴であった。すなわちフロイトの治療原則に従う限りは「治療者は自分の個人的な情報を患者に伝えてはなりません。また患者を満足させてはなりません。そして自分の価値観を押し付けてはいけません。」という形で治療者を外から縛っているのである。これでは先ほどの儀式と自発性の弁証法においては「儀式的」な部分のみが強調されていることになってしまう。ところが実際に生きた人間が行う治療は程度の差こそあれ、別の側面を必然的に含んでいることになる。それは「治療者は自分を積極的にそこに関与させたくなるし、患者を援助したり満足感を与えたくなるし、時には自分の価値観を表明したくなることがある」という側面であり、この両者の間を揺らぐのが治療者の本来的な在り方なのである。フロイトは少なくとも自分自身の治療実践においてそれを体現していたと伝えられている(Lynn, Vaillant, 1998)。彼は立派に治療者として「揺らいで」いたのである。しかしフロイトの著作を読み、精神分析の実践を行う上での糧とする人々にとっては、フロイトがゆらぎや弁証法の一方の極しか書き表していないという点への認識はきわめて薄いようである。このことをさらに考察する上で、私はHoffman の「儀式と自発性」の弁証法についてさらに検討を加えたい。

Lynn, D,J., Vaillant, GE. (1998) Anonymity, Neutrality, and Confidentiality in the Actual Methods
of Sigmund Freud: A Review of 43 Cases, 1907–1939. Am J Psychiatry 155:163171.

Hoffman の弁証法の不足部分

ところで以上に考察したHoffman の「儀式と自発性」の弁証法に、私はひとつ補足したい点がある。それはこの弁証法が実は非対称性を有していると考えるべきであるということだ。儀式性と自発性はそれが対象性を有し、治療者はその間で適切なさじ加減を求めるべきだというのがHoffman の真意であるならば、私は実はこの弁証法は自発性の極に傾いた、非対称的なものであるべきだという考えを述べたい。平易な言葉で言い換えるなら、治療者がその仕事を自発的に選択し、生きがいを感じつつ行っているとしたら、それは必然的に自発性が優位になりつつ、そこに儀式性がブレーキをかけるという関係となる筈であるし、それがまさに生きた治療関係と言うべきものであるのだ。
この議論を進めるにあたっては、「ウォーコップ-安永」の理論を援用する必要がある(安永, 1987)。安永浩は1970年代に「ファントム空間論」を発表した精神病理学者かつ精神科医であったが、彼は英国の哲学者O.S.Wauchopeの「パターン pattern 」の理論を解説し展開したことで知られる。「パターン」とは様々なカテゴリー対であり、Wauchope自身による定義では、「カントが自我に適応した言葉を用いて言えば、統一における差異、差異における統一difference in unity and unity in difference である。ひとつのパターンとは、諸部分を持つ一つの全体、その全体と等価なる諸部分である a whole having parts, the parts equaling the whole」(深瀬訳,P17、安永による訂正が施されている、安永、P11)とされる。そしれそれ以外にも「質-量」などがそのパターンと考えられるが、この両方は対称ではなく、そもそも全体とか質とかがない限り、それは体験として成立しないという。すなわち左の項はそれのみで理解でき、右の項は「それでないもの」としてのみ理解可能であるが、その逆は成立しない。
例としてWauchope, 安永らが示す「生きた挙動-死・回避の挙動」というパターンを考える。生きた挙動living behavior は生命を宿したあらゆる生物が見せる躍動であり自発性である。それに比べて死・回避の挙動 death-avoiding behavior は不快や不安、究極の死を回避するために行う行動である。前者は生きている生命そのものを見ればわかるとおりであり、私たちが心地よい環境で何の不安もなく心や体を開放した場合に体験される快楽を伴ったものである。他方死・回避運動は、生きた行動が突き当たり、そのまま続けていたら死に向かうという、やむにやまれぬ状況でそれを回避するという苦痛な行動である。すなわち後者は前者の否定としてのみ体験されるが、逆に前者は後者の否定として体験されるわけではない。その意味でWauchope, 安永はこのパターンの両項目の間に方向性、不可逆性を想定しているのである。
  
Wauchope, OS (1948) Deviation Into Sense. London: Faber & Faber. (深瀬基寛訳.ものの考え方合理性への逸脱. 講談社学術文庫,1984) 
安永浩 (1987) 精神の幾何学 叢書・精神の科学 1 岩波書店