2019年2月24日日曜日

心因論 推敲 3


さて3番目に挙げた疾病利得にまつわる症状群については、より注意深い議論が必要となるだろう。この意味の「心因性」には「症状を意図的に作り出している」というニュアンスがある。そしてそれは2.適応障害とは異なるようでいて、実は踵を接している。2.の例として「仕事のストレスからAさんは抑うつ的になった」という状況を、そして3の例として「Aさんは仕事のストレスから逃れるためには抑うつ的になるしかなかった」という状況を考えてみよう。あるいはその中間のニュアンスを持つ「Aさんは抑うつ的になることで、初めて仕事から逃れることが出来た」を加えてみてもいい。これらは「仕事量が増えてそれがストレスと感じられた → そのうちに鬱状態になった」という共通した事実関係があり、それをどのように理解し、あるいはどのように(周囲が)意味づけするかということにより2か3かの違いが生まれると言っていい。そしてそのいずれが正しいのかを判断することは非常に難しい場合が多い。誰もその患者の主観世界を覗くことが出来ないからだ。否、その患者自身にもいずれかを区別することは原則として不可能と言えるだろう。もし当人が鬱という症状を「意図的に作り上げることが出来る」としたら、それはほとんど詐病に近いことになるだろう。しかしその前に「鬱という症状を意図的に作り上げることが出来るか否か」いう問題が生じる。そこで当人が「無意識的に」鬱の症状を作り出したのであれば3を満たすかということになるが、「鬱という症状を無意識的に作り上げることが出来るか否か」という問いもまた答えの出ない問題なのである。このようにある症状が3に該当するかは実に恣意的な問題である。しかしそのようなカテゴリーにきわめて長い間入っていたのが、いわゆるヒステリーという病気なのである。
3.をどのように扱うかについて、少なくとも米国の精神医学の見解はより慎重になっているようである。端的に言って3.のカテゴリーに属するような疾患をあまり想定しないという方針に移行しているようだ。その根拠を示してみよう。
まず1952年のDSMを参照してみる。ここには 著名なストレス反応 Gross stress reaction という診断名がある。まあPTSDの前身のようなものだが、こんなことが書いてある。
「異常なストレスを被ると、圧倒的な恐れに対して正常な人格は確立された反応のパターンを用いることで対処する。それらは病歴や反応からの回復の可能性や、その一時的な性質に関して神経症や精神病とは異なる。すぐに十分に治療されることですぐに状態は回復するだろう。この診断は基本的に正常な人々が極度の情緒的ストレス、たとえば戦闘体験や災害(火事、地震、爆発など)を体験した場合につけられる。」
それともう一つ、成人の状況反応 Adult situational reaction というのがあるが、実はこちらにも出てくるのが「健康な人が難しい状況で表面的な不適応を起こしたもの。これが直らないと精神神経症的な反応に移行する」、という表現である。つまりこれらの反応は正常な人の反応ということを強調している。そしてそれ以外は神経症、となるのである。
 ではDSMにおける心因性Psychogenic はどのような理解になっているのかと言えば、こう言いかえられている。「Without clearly defined physical cause, without brain tissue impairment」。つまり明らかな脳の障害は見られず、機能的な障害である、という意味となっている。DSMに特徴なのは、ことごとく「~反応」という名前が付けられていることだ。内因性の病気の最たるものであるはずのschizophrenia も schizophrenic reaction(分裂病反応)である。つまりある意味ではすべて環境に対する反応、という巨大な心因論の世界があったわけだ。その中で脳自体に何ら変化を被っていない場合と、結果的に被っている場合、という分け方にしたというわけだろう。
次に1980年のDSM-IIIを見てみると、転換性障害についてこう書いてある。「身体的な障害に一見見えるが、心理的な葛藤なニードの表現のように思われるもの。」つまりDSM-IIIにはまだ心因=ワザと、というニュアンスが残っている。疾病利得的なにおいをかぎ取っているのだ。そしてよく読むと、「疾病利得が特徴」とも書いてある。
次に1994年のDSM-IVを読むと、ちょうど過渡期であるということがわかる。記載は長く、言い訳がましい。ひとことで言えば、疾病利得ということが言われてきているが、気を付けて使いましょうね。患者さんがわざと症状を示していると判断してもいいけれど慎重にね、ということだ。
そこで今度は最新のDSM-5 を紐解くと・・・・、なんと「心因性」という言葉はもう出てこない。この用語は使わないと言う申し合わせがあったかのようだ。何しろ英語の索引にもpsychogenic は姿を表さないのだ。ただし900ページもある分厚いDSM-5に二箇所だけ出てくるのを発見した。403ページに「心因性てんかん」という表現、715ページに「睡眠関連心因性解離症」というわけのわからない表現がでてくる。おそらく紛れ込んだのだろう。
おそらく心因という言葉をもう使わないような流れが起きている。それを思わせる記述が、305ページにあった。「これまでの診断では、いわゆる身体表現性障害において、症状が医学的に説明でいない」ことを強調しすぎていた。でも問題は症状に比べてこだわりが強いことなのだ。何しろ医学的に症状が説明できるかどうか、というのはとても難しい議論なのだから。」つまり医学的に症状が説明できるかどうかはもはや誰も自信を持って主張することができない、ということを認めているわけである。ここで面白いのは、身体症状症は、まず症状があって、それが誇張されて体験されるということだ。だからこれは心因性、というのと逆と言うことになる。むしろ心因性と昔呼ばれていたものの最たるものは、いわゆる「転換性障害」である。
 そこで転換性障害の記載を見てみる。これについては、多くの臨床家が心因性、機能性という言葉を使っている、と認めている。そしてこの転換性、という言葉を残しておくが、正式な言い方も付け加えている。それが機能性神経症状症 functional neurological symptom disorder 言い換えれば、神経症状を呈しているが機能的なものであるような障害。ここで機能的 functional という言葉を使っているのがニクイ。うまい言い方をしたものだ。これはつまり「器質的でないよ」とやんわり言っているのだ。コンピューターの用語では、ハードウェアじゃなくてソフトの問題だよ、と言っているのである。でもこれはよく考えれば「心因性」ということとあまり代わらない。ただ違うとすれば、「心のせい」と言っていないことだ。もうちょっと言い換えると、意図的、ワザと、というわけではないよ、ということを言いたくてこのように書いているわけである。そう、これが現在のDSMの心因論なのだ。
 こんな風に言い換えよう。医学が進むとともに、これまでの神経症症状の多くに脳科学的な異常が見つかっている。何しろMRIなどに明白な形で現れてしまうのだ。強迫症状だって尾状核を含むサーキットのオーバーヒーティングが確認されて、SSRIが有効だとなると、やはり脳の異常と言うしかない。パニック発作しかり。ということは本当に心因性の、と呼ばれうるものは、転換性障害くらいしか残っていない。あとは虚偽性障害(いわゆるミュンヒハウゼン病)だが、こちらはあからさまにワザと症状が形成されているので、むしろ心因性、とすら呼べないのかもしれない。そして「転換性」はフロイトが考えたように、無意識的な葛藤が症状に表れたという考えに基づく命名だが、これも詐病を疑っているようなところがありよろしくない。そこでもっと客観的な呼び名を考えた。それが症状は神経障害的(つまり末梢神経の障害により起きるような症状)なのに、器質的な問題が見当たらないもの、という言い方をしているわけだ。でもこれは実はむかしからある「内因性」の定義そっくりではないか。つまり現代の精神医学は、内因性の概念をこの「機能的な神経症状症」に残したまま消えていくプロセスにあると言うことか? 何しろ他の神経症はMRIで「見えて」しまっているから、古い定義の「内因性」とは言えず、むしろ「器質性」に近くなってしまうからだ。