2018年8月12日日曜日

他者性の問題 4


極めて大きな錯誤であった「意識のスプリッティング」という理解
 
 ところで一つの問題がある。精神医学の歴史を辿ると、
van der Hart, O, Dorahy, M, History of the concept of Dissociation, (In) Dell, Paul F. (ed.)  Dissociation and the Dissociative Disorders - DSM-V and beyond., Routledge (Taylor and Francis), pp.287-325.1800年代の半ばになり、催眠とヒステリー現象が共に、意識のスプリッティグとて理解されるようになった。ジャネでさえそうだった。彼は精神の力が遺伝的に弱いので、統合できなくなっていると考えた。なぜこのようなことになってしまったかはわからない。
ただしこれに異を唱えているのが、オニール先生である。彼は(”D” bookのp.298あたりに記載)解離は複数化的 multiplicative か divisive 分割的か、改めて問う。この違いはお分かりだろうか。前者は増えていくという方向での複数になること、後者は一つのものが分割されていくという形で複数になることである。そしてオニール先生は、「自分ならそれは複数化的、という方を取る」、という。つまり意識が分かれるのではなく、増える、ということだという。そして前者は多重人格をよりよく説明し、後者は機能的な解離を説明するという。
 <精神分析的な伝統>
ところでオニール先生の論文が面白いのは、この人格の複数化、という問題は精神分析では絶対ありえないこととして扱われているという事情である。それ以来メインストリームの精神分析は、解離の問題はいかに取り入れるかよりはむしろ除外するか、ということにエネルギーが費やされているという。そういえば精神分析で解離を論じているスターンやブロンバーグの議論もこちらの方に近いかもしれない。その中で一人気を吐いていたのがクラフト先生だという。そしてここが重要なのだが、スターンやブロンバークも、Beth Howell (最近よく引用させていただいている分析家)もIPAに所属していないという。知らなかった。やっぱりそうか。精神分析の家元は、解離から距離を置いているのだ。