2018年4月30日月曜日

精神分析新時代 推敲 67



初出:精神療法の倫理 「臨床精神医学」第471月号(2018)


はじめに
精神分析療法における倫理の問題は極めて重要である。それは臨床家としての私達の活動の隅々にまで関係してくる。まず倫理について考える素材として、簡単な事例を挙げることから始めたい。
ある夏の暑い日、(省略)
このような反応は、特に駆け出しの治療者にはありがちであろう。そこで次のように問うてみよう。この治療者の行動は倫理的だったのだろうか? 
 もちろんこの問いに正解はないし、この治療者の行動の是非を論じることが本稿の目的でもない。ここで指摘しておきたいのは、この治療者の行動に関連した倫理性を問う際には、大きく分けて二つの考え方があり、その一方を治療者である私たちは忘れがちだということである。それらの二つとは、
  「治療者としてすべきこと(してはならないこと)」という考えまたは原則に従った行動だったか?
   クライエントの気持ちを汲み、それに寄り添う行動だったか?
である。そして筆者が長年スーパービジョンを行った体験から感じるのは、このうちに関連した懸念が治療者の意識レベルでの関心のかなりの部分を占めているということである。「治療者として正しくふるまっているのか」という懸念は、おそらく訓練途上にある治療者の頭の中には常にあろう。彼らはスーパーバイザーに治療の内容を報告する際に、「それは治療者としてすべきではありませんね」と言われることを恐れているかもしれない。それはすなわち上のへの懸念を促すことになり、それに従った場合は、事例の治療者のように「面談室での飲食は禁止」という治療構造は守られるだろう。しかしそれは同時にを検討する機会を奪うことになりかねない。そしてその結果としてミネラルウォーターを拒まれたクライエントは、その好意を無視されていたたまれない気持ちになってしまう可能性も生じるのである。
 ところでこのような問題を考える際に、倫理に関するある理論が助けとなろう。それは1970年代より提唱されている、慣習的倫理か、道徳的倫理か、という分類である。その提唱者の一人である Elliot Turiel1977)は、「慣習的なルール conventional rules」と「道徳的なルール moral rules」との区別を挙げ、次のように説明する。すなわち前者は地域や文化に依存し、守られなくても具体的な被害者は出ないが、後者はより普遍的で、それが守られない場合には具体的な被害者が出るのである(Kelly, 2007)。
 この分類は前出の①,②におおむね相当すると言えるだろう。そして治療者が①、②のどちらを優先させるかで、その振る舞いはまったく異なったものとなる可能性がある。もちろんこれら①、②の間に優劣の関係はない。これらは倫理の異なる側面であり、どちらが優先されるべきかは状況に依存する。①を犯すことは、たとえば治療者として守るべき治療構造を揺るがすことになるかもしれない。しかし②を犯した場合には、目の前の患者の気分を損ね、治療関係に大きな影響を及ぼすかもしれない。治療者として常にこの二種類の倫理の存在を念頭に置くことはその治療関係を維持するうえでも極めて重要となるのだ。そしてその上で言えば、現在の精神療法の世界では、従来の慣習的な倫理を重んじる立場から、道徳的な倫理を重要視するという方向性への転換が見られるのだ。そしてこの転換は、特に精神分析的な文脈において顕著にみられたという事情を以下に示したい。

精神分析における倫理の問題
精神分析における倫理の問題については筆者は別の論考(2012)で考察を加えているが、そこでの骨子を述べるならば、以下のとおりである。
 フロイトが精神分析の治療技法ないしは治療原則として示したものは、匿名性、禁欲原則、中立性などの治療原則として論じられることが多い。またそれ以降の精神分析的な理論の発展の中で、転移解釈の重要性も指摘されるようになった。精神分析の草創期には、「いかに倫理的であるか?」ということと、「いかに治療原則を遵守し、転移解釈に力を注ぐか?」ということの間に本質的な区別はなかったといえる。なぜなら正しい技法を用いることこそが患者の利益(症状の改善ないしは自己洞察の深まり)につながると考えられたからだ。すなわちそこで主として問題となっていたのは、上述の Turiel の分類で言えば、「慣習的な倫理」であった。他方では当時は分析家と患者が治療的な境界を超えて親密な関係に陥るという、反道徳的な問題が後を絶たなかったが、フロイトはそれに懸念を表明してはいたものの、弟子たちを厳しく戒めることはなかった。
 やがて米国では1960、70年代を経て、そのような倫理観に変化が生まれた。精神分析の効果に関する研究への失望(Wallerstein, 1986)や、境界パーソナリティ障害の治療の困難さを通して、分析的な治療原則を厳格に遵守するという立場よりも、実際の臨床場面で治療者がいかに支持的な介入を交え、柔軟に接するかに治療者の関心が移行したからである。さらにフロイト自身は実際には自らが唱えた基本原則からかなり外れた臨床を行っていたという報告(Lynn, et al. 1998)も、そのような変化の追い風になった。また「オショロフ VS チェストナットロッジ」の訴訟(薬物療法を行わずに精神分析を行ったことで回復が遅れたために、患者本人が病院に対して起こした訴訟)を通じて、精神分析においてもそれを開始する前に、その方針の利点やそれによる問題点などを明確に示して了解を取ることが必要とされるようになったのである。筆者はそのような流れについて、分析的な「基本原則」から臨床上の「経験則」へと変遷したとして論じた (2012)。たとえば Ralph Greenson の「転移の解釈は、それが抵抗となった際に扱う」(1967)というような、分析療法を効果的に進める上での教えがこの「経験則」のよい例であろう。最近の米国精神分析協会による倫理綱領(Dewald, 2001)もそのような流れを反映したものと言える。そこには「フロイトの基本原則を守り、正しい精神分析療法を施すべし」と書いてはいない。むしろ以下の倫理項目(抜粋)は、それにある意味では逆行しているとの印象すら受ける。
・ 理論や技法がどのように移り変わっているかを十分知っておかなくてはならない。(「コンピテンス」2)
・ 分析家は必要に応じて他の分野の専門家、たとえば薬物療法家等のコンサルテーションを受けなくてはならない。(「コンピテンス」3)
・ 患者や治療者としての専門職を守り、難しい症例についてはコンサルテーションを受けなくてはならない。(「相互性とインフォームドコンセント」5)
これらの倫理的な規定はどれも、技法の内部に踏み込んで分析家の治療のあり方を具体的に示しているわけではない。むしろ分析家は治療原則に厳密に従うことなく、それを柔軟に応用する必要を示しているのだ。中立性や受身性も、それにどの程度従うかは個々の治療者がその時々で判断すべき問題となる。すなわち匿名性や中立性の原則などは、「必要に応じて適用される」という形に修正され、相対化されざるを得ないのである。
 ただし禁欲原則については、それを治療者に当てはめたもの、すなわち「治療者側は自分の願望を満たすことについては禁欲的でなくてはならない」は、まさに倫理原則そのものといっても過言ではない。結局上に述べた「経験則」の方は関係性を重視してラポールの継続を目的としたもの、患者の立場を重視するもの、といえるが、それは倫理的な方向性とほぼ歩調を合わせているといえる。「経験則」はいかに患者の立場に立ちながら分析を進めるか、ということに向けられているのである。 
 ちなみに精神療法における倫理を考える上では、米国の精神分析協会だけでなく米国心理学会の動きにも注目すべきであろう。米国においては精神分析に先駆けて1950年代には 心理学会で倫理原則 ethics code を作成する動きが生じていた。これは第二次大戦で心理士が臨床に多く携わった結果として生じたことである。そこで生じた倫理上の多くのジレンマが、この倫理原則を作成する動因となった。現在すでに9回改訂されているが、その最新版(1)には、治療原則に盲目的に従うことに対する戒めが加わっているのが興味深い。例えば「導入と応用範囲」には、 (1) 専門家としての判断を許容する。(2) 起きうるべき不正、不平等を制限する。(3) 広く応用可能なものとする。(4) すぐに時代遅れになってしまうような頑なな規則に警戒する、とある。すなわちここでも大きな流れとしては、細かな技法にとらわれず、より道徳的な倫理を重視するという立場がうたわれているのである。

現代精神分析における「倫理的転回」の動き
歴史的に見て、精神分析の流れは心理療法一般の流れを先導する役割を担ってきたという側面があるが、現代的な精神分析理論、特に関係精神分析における倫理の問題の展開についても紹介しておこう。Irwin Z Hoffman (1998) によれば、技法について論じることは、治療において弁証法的な関係を有する両面の一方にのみ目を注ぐことにすぎないことになる。彼によれば精神分析家の活動においては「技法的な熟練」という儀式的な側面と「特殊な種類の愛情や肯定」という自発的な側面との弁証法が成立している。ここで言う「技法」は、フロイトの提唱した治療技法に相当するが、Hoffman の説に従えば、それは分析家の患者とのかかわりの一部を占めるに過ぎず、分析家の持つもう一つの側面、すなわち分析家もまた患者と同じく死すべき運命にあり、同じ人間である、という面での関わりに常に裏打ちされている。そしてこの二つの側面は、すでに述べた二つの倫理、すなわち慣習的倫理と道徳的倫理に対応すると考えられる。すなわち技法的な側面は、治療者としてなすべきことを行うよう促し、自発的な側面は「特殊な種類の愛情や肯定」を患者に提供する道徳的な配慮に対応する。そして Hoffman によれば、この倫理的な二両面もまた弁証法的であり表裏一体の関係を有するということになるのだ。
 以上の Hoffman の視点に反映されるように、精神分析における技法の問題に、従来とは異なる視点が与えられることになったことには、精神分析における新しい動きが関係している。富樫 (2016) は関係精神分析の流れにおけるいわゆる「倫理的転回 ethical turn」という概念を紹介している。この倫理的転回は、いわゆる「関係論的転回 relational turn」という概念に対応するものとして提唱された。関係論的転回は、従来の精神分析的な理論が前提としていたような心の明確な構造体や組織がもはや存在しないことを示す。そして「倫理的転回」は、心を扱う上での共通した理論やそれに基づく治療技法が存在せず、むしろ治療場面における二者関係そのものに注目すべきであるという、新しい心の理解であった。その意味でこの倫理的転回は「精神分析の行動規範や価値観の転回」として言い表すことが出来るという。もちろんこの倫理的転回が直ちに治療者がいかに振る舞うかという具体的な指針を提供するわけではない。しかしこれは確かにある種の視点の転換を反映するものであり、それは先に見た規範的な倫理から、より道徳的な倫理を加味した視点への発展的な転換と言い表すことが出来るであろう。このことは幾つかの倫理綱領が異口同音に示している項目、すなわち「理論に左右され過ぎてはならない」という項目とも一致するのである。
身近に出会う倫理性の問題の例
最後に精神療法を行う際に必要となる倫理的な配慮の中でも基本的なものとして、三つを挙げて概説しておこう。
.インフォームドコンセント
治療者の側の倫理としてまず問題とされるのが昨今議論になる事の多いインフォームドコンセント(IC)であり、それと密接な関係にある心理教育の問題である。ICとは患者に治療の選択肢としてどのようなものがあり、どのような効果やリスクが伴うのかを説明した上で、治療の合意を得るプロセスである。そしてその前提となるのが、患者の問題についての見立てを情報として伝え、必要に応じて心理教育を行なうという能力である。これらをきちんと行なうためには、かなりの時間と精神的なエネルギーを要するし、そのための治療者側の勉強も必要となる。ちなみにこの IC の考えは、伝統的な精神分析の技法という見地からは、かなり異質なものであった。治療の内容についてあらかじめ患者に語ることは余計なバイアスを与え、治療者のブランクスクリーンとしての機能を損なうものと考えられる傾向にあったからである。しかし現代的な精神療法においては、治療者側がより謙虚に自ら行う治療のメリットとともにその限界を把握する姿勢が求められているのである。
.個人情報と症例発表の承諾
学会や症例検討会などで症例の報告及び検討は欠かせないものであるが、実はその際に患者から得るべき承諾の問題は、決して単純ではない。症例報告にはことごとく患者の承諾が必要なのか、それとも個人情報を十分な程度に変更したり一般化したりする場合には、承諾の必要はなくなるのか? これは決して単純に答えを出すことができない実に錯綜した問題である。その根底にある一つの大きな問題は、はたして承諾するか否かを尋ねられた患者の側に、どの程度それを断るという自由な選択肢が与えられているかという問題だ。この問題に関連し、Gabbard  (1995) は以下のように述べている。
[治療を記録してスーパービジヨン等に用いることについては] このアプローチの主要な欠点は、治療を行なう二者のプライバシーが侵害されるということや、そのような環境では機密性が犯されていると患者が感じてしまう危険があるということである。そのような状況で行なわれるインフォームド・コンセントが本当に自由意志によるものであるのかどうかには疑問符が付く。なぜなら,転移が強力すぎて嫌とはいえないのかもしれないからである。(p.228
このことはおそらく治療が終わった際の承諾にもある程度言えることであろう。しかし症例提示は精神療法家としてのトレーニングや学術交流のために必要不可欠なものである。そのためにこの問題について深刻に論じること自体が一種のタブーとなりかねないであろう。ちなみに筆者は過去に公開された症例を積極的に再利用することは、この問題を回避する手段の一つとなりうると考えている。
3.境界侵犯
境界侵犯の問題は、精神分析が始まって以来の懸案であった。フロイトの多くの弟子が患者との親密な関係を持つ結果となった。当時の分析家たちには治療構造や境界の意識が低く、また逆転移への理解も十分でなく、フロイトの直接の弟子である Carl Jung Sandor Ferenczi Ernest Jones も患者との性的な関係を持ち、フロイトがそれをたしなめる必要があった。しかしその後は逆転移に関する理解が進むとともに、あらゆる治療者が境界侵犯に陥る危険を有するものとして、比較的オープンに語られるようになった。
 境界侵犯は現実的な問題でもある。少し古いがある米国での報告では、510パーセントの治療者が患者との性交渉を持ったことを認めたという(Pope, et al, 1986)。この問題について Gabbard (19952001) の示す視点が興味深い。彼は境界侵犯を特に上級の分析家が犯した際の、組織ぐるみの抵抗 institutional resistance が生じることを観察している。彼はまた境界侵犯を犯した治療者の心理テストから、彼らが必ずしも自己愛的で反社会的な所見を示すわけではなく、むしろ寂しさや対人関係を持つことへの飢餓感を表していたという。
以上本章では精神分析的療法における倫理の問題に関して論じた。今後の精神分析療法においては、この倫理の問題はますます重要性を増すと考える。

文献) 省略

2018年4月29日日曜日

解離の本 22



2.受け入れの段階
家族による協力の最初の段階は、患者さんが自らの意図やコントロールを越える形で別の人格に後退してしまい、その人格が新たな意識と記憶を持ち、それなりにまとまった行動を取る、という現象を家族に受け入れてもらうところから始まります。まずは家族が率先して、それらがDIDの症状であるという認識をもつことになります。
もちろんこの事実は人によってはとても信じがたく、受け入れがたいことです。心の問題を専門に扱う精神科医や心理士でさえこのDIDにおける心の基本的な性質を理解して受け入れる段階を超えることが出来ない場合が少なくないことからも、それは容易に想像できます。ましてや自分が育て上げ、自分の子供のことは自分が一番知っているという感覚を持つ親御さんにとってはなおさら難しいかもしれません。ただしおそらく後から振り返ってみれば、ときどき急に子供っぽくなったり、乱暴な口調になったりする様子をこれまでに目にしたことが多く思い出されるでしょう。しかしそれを大抵家族の方は、本人の気分の不安定さやわがまま、甘えなどと見なしてきた可能性があります。
 そして実はそれに呼応する形で、患者さん本人にも自分のわがままや甘えがこのような行動を起こすものと信じ込んでいる場合もあります。実はそのようなエピソードは患者さん自身も記憶していない場合が多いのですが、自分自身に人格の交代が起きているということは、本人にも分からない、あるいは信じられないことが少なくないのです。そしてもっぱら患者さんたちは自分を責めることになります。
そこには、患者さんが身の回りに起きた問題の原因のすべてを自分の責任と考える傾向も関与しています。彼らは物事が順調に運ばないことを「自分がもっとこうしていれば」「自分さえうまくやっていれば」など、自らの努力不足のせいにするのも、DIDの患者さんの思考様式の特徴です。障害に原因を求めるのは、自己責任を回避する甘えの態度と捉え、自己批判に陥ります。
患者さん本人がこうした考えをもつ背景には、家庭内の厳しいしつけや、両親の激しい感情表出が影響している場合が多いのですが、そのような両親の場合はなおのこと、虐待や外傷と結び付けられやすい解離症状が自分の子供に生じていることを認めるのは非常に難しくなります。そのような場合は、解離性障害という診断が下ったあとも家族が自覚のないまま患者さんを追い詰める行動を取り続ける場合があります。患者さんがまだ未成年などで、原家族のもとにとどまる必要がある場合には、治療者は患者さんの家族とも信頼関係を形成するために、家族の意向をうかがいながら理解を得るための工夫を重ねる必要があります。




2018年4月28日土曜日

精神分析新時代 推敲 67



認知療法的なアクセルをどれだけ踏みこむか?

私は認知療法とは、あるいは行動療法、精神分析的な転移解釈などは、結局は「面談」という素地を保ちながら、「どれだけアクセルを踏むか」という感覚と考える。認知療法であれば、患者の思考、感情、行動パターンを探求し、治療的な解決の方向性を探るというプロセスを遂行するためには、患者の側のモティベーションと体力、精神力が必要である。他の療法に関しても同様のことが言える。それらの療法におけるいわば「技法部分」を続けるためにはそれなりのエネルギーが必要なのだ。するとたとえばフォーマルな認知療法を行うという経験を持つことは、いざとなったらそれに移行したり、その専門家を紹介するという用意を持ちながら、つまりいつでも認知療法のアクセルを踏むことができる用意を持ちながら、「面談」を行うことができるようになることと考えることが出来るだろう。
認知療法のトレーニングを経ることで踏むことが出来るようになるアクセルとはいかなるものだろうか? もちろん患者の自動思考やスキームを捉え、それを治療的に応用する能力を備えるということであろうが、具体的には患者に宿題を課したり、ノートを用いたりすることに習熟することが挙げられよう。私の精神科外来の患者さんの中には、自発的にメモやノートを持参する方は結構多い。彼らはそこに書かれた内容を読み上げたり、面談の内容を書き付けたりする。精神分析療法では、それらのことはご法度とされることが多い。治療場面で起きた生の体験を言葉で伝え合うことの意義が強調されるからだ。しかし患者にとってはこのような具体的な手続きが有効となる場合も否定できない。
結局は認知療法をどのように捉えるか、という問題は、汎用性のある精神療法をどのように定義し、トレーニングし、スーパービジョンしていくか、という大きな問題につながってくる。認知療法も、EMDR も、暴露療法も、森田療法も、効果が優れているというエビデンスがある一方では、汎用性があるとはいえない。つまりそれを適応できるケースはかなり限られてしまうということだ。すると認知療法家であることは同時に優れた「面談」もできなくてはならないことになる。
 
「汎用性のある精神療法」の中での認知療法的な要素

このあたりでこれまで「面談」と呼んできたものを「汎用性のある精神療法」と呼び変えよう。もちろん「汎用性のある精神分析療法」と読んでもいいくらいだが、その場合の「精神分析」とは私がかなり広い意味で用いているものなので、精神分析として伝統的なそれのイメージを持っている人には馴染まないであろうため、このような呼び方をしておく。私が雑談の一種と思われがちな「面談」にこれまでかなり肩入れしてきたのは、これが患者一般に広く通用するような精神療法を論じる上での原型となると考えるからであった。
「汎用性のある精神療法」とはいわばジェネリックな、一般的な精神療法と言えるだろう。私は認知療法のトレーニングを経験することで、この「汎用性のある精神療法」の内容を豊かに出来る面があると考えるし、それが本章の一つの結論と言える。といっても、「汎用性のある精神療法」を認知療法的に組み立てるべきである、と主張しているのではない。「汎用性のある精神療法」はいずれにせよさまざまな基本テクニックの混在にならざるを得ず、いわば道具箱のようになるはずだ。そしてその中に認知療法的なテクニックも入ってこざるを得ないということだ。
ちなみに私は「汎用性のある精神療法」に当てはまる原理は倫理則であると考えるし、そこに30の基本指針を考えて本にした(心理療法/カウンセリング 30の心得』みすず書房、2012年)。
「汎用性のある精神療法」についてもう少し述べたい。私は臨床家は「何でも屋」にならなくてはならないというつもりはない。しかしいくつかのテクニックはある程度は使えるべきであると考える。試みに少し用いてみて、それが患者に合いそうかを見ることが出来る程度の技術。それにより場合によっては自分より力になれそうな専門家を紹介することもできるだろう。臨床家が使えるべきテクニックのリストには、精神分析的精神療法も、おそらく暴露療法も、EMDRも、箱庭療法も候補としては入れるべきであろう。そしてそこに認知療法も行動療法も当然加わらなくてはならない。
精神医学やカウンセリングの世界では、学派の間の対立はよく聞く。認知療法はとかく精神分析からは敬遠される、という風に。しかしこれからの精神療法家はむしろ両方を学び、ある程度のレベルまでマスターすることを考えるべきだろう。なぜなら患者は学派を求めて療法家を訪れるわけではないからである。彼らが本当に必要なのは優れた「面談」を行うことのできる療法家なのである。

最後に

本章では、「認知療法と対話する」として、私たちが精神分析療法とは異なる種類の療法、その中でも主として認知療法について、それがいかに通常の精神療法、いわば「汎用性のある精神療法」に組み込まれるべきかについて論じた。最後の部分で少し触れたように、私はこれは「汎用性のある精神分析療法」だと考えている。なぜなら治療関係を考えつつ何が患者にとってベストとなるかを考えて治療を組み立てていくことが、今後の精神分析のあるべき姿の基本部分となると考えているからだ。そして療法家がいざとなったら踏むことの出来るアクセルは他にもたくさんある。行動療法、支持療法、暴露療法、EMDR・・・。それらの基本部分を踏まえたうえでの受身性や中立性は、それらなしの分析的な姿勢に比べてはるかに大きな力を持っているであろうと考える。



2018年4月27日金曜日

精神分析新時代 推敲 66



第17章               分析家として認知療法と対話する 

 本章では、精神分析から見た認知療法について論じる。はたして両者は全く異なるものなのか? 歩み寄りは可能なのか? このテーマは私がかつて「治療的柔構造」(岩崎学術出版社、2008年)という著書でいくつかの章にわたって問うた問題であるが、ここでその後10年を経た私の考えをまとめたい。


「面談」はすべてを含みこんでいる

私は精神分析家であり、認知療法を専門とはしていないが、分析的な精神療法の過程で、あるいは精神科における「面談」の中で、患者と認知療法的な関わりを持っていると感じることがある。特に患者の日常的な心の動きを一コマ一コマ患者とともに追うことはそのようなプロセスであると認識している。
そこでまず、あまり問われていないが重要な問題について論じたい。精神科医が行う「面談」とはいったいなんだろうか? 医者が患者とあいさつを交わし「最近どうですか?」などと問う。患者はその時頭に浮かんだことや、あらかじめ用意しきてきたテーマについて話す。場合によってはそれが5分だったり、10分だったりする。これほど毎回行われる「面談」の行い方の教科書などあまり聞かないが、それはなぜだろうか?
この種の面談はもちろん精神科医の専売特許ではない。たとえば心理士との面接でも、特に構造を定めていないセッションでは、近況報告程度で終わってしまう場合も少なくないだろう。これも一種の「面談」の部類に属するといえる。
 「面談」の特徴は、基本的には無構造なことだろう。あるいは「本題」に入る前の、治療とはカウントされない雑談のような段階でこれが現れるかもしれない。しかしこれは単なる雑談とも違う。二人の人間が再会する最初のプロセスという意味では非常に重要である。相手の表情を見、感情を読みあう。そして精神的、身体的な状況を言葉で表現ないし把握しようと試みる・・・。ここには認知的なプロセスも、それ以外の様々な交流も生じている可能性がある。「面談」を精神医学や精神分析の教科書に著せないのは、そこで起きることがあまりにも多様で重層的だからだろう。
私は数多くの「~療法」の素地は、基本的には「面談」の中に見つけられるものと考える。人間はそんな特別な療法などいくつも発見できないものだ。だから私は認知療法にしても精神分析にしても、互いにまったく独立した独特な治療法だとは考えない。

「面談」の特別バージョンとしての認知療法
私はこのように、認知療法を「面談」の中で日常生活に現われる情緒的、認知的な出来事を拡大して具体的に扱うバージョンとしてとらえる。その効果的な面としては、「面談」のうち無構造で焦点が定まらない部分は最小限に済ますことができるだろう。またノートを持参して一週間の振り返りをすることを好む患者もいるだろう。しかし治療者が最初から認知療法以外を施す気がなく、それを患者に押し付ける場合は逆効果となるはずだ。もちろんそれは認知療法についてのみ言えることではない。
これは認知療法以外にも当てはまることだが、治療状況によっては実際の「~療法」を行っている時間が短くなってしまうことも多々あると聞く。特に患者が何か特別な出来事を体験したなら、「面談」の段階でそれを話そうとする患者を制して「それでは早速EMDRを始めましょう」とはならないはずである。そのように考えると、どのような特殊な療法も、結局は結局「面談」を主体にして、それに「~療法」の部分を適宜はめ込んでいく、という考え方のほうが無難ではないだろうか? 
それではそもそもの精神療法の主体となる「面談」をより豊かにするために、認知療法のトレーニングは有効なのだろうか?おそらくそうであろうと思う。認知療法的な要素を「面談」に組み込むとしても、そのトレーニングを経ていないとしたら、それを臨機応変に用いる能力は限られよう。以下にそう述べる理由を書いてみよう。
まずは認知療法における自動思考の考えについて思い出そう。Aaron Beck のテクストに出てくるものには、以下のようなものがある。( )内は、私なりに翻訳した内容である。
 All-or-nothing thinking 全か無かという考え)、Catastrophizingこれは大変だ、とすぐパニックになってしまう、Disqualifying or discounting the positive(ポジティブなことに目をつぶる)Emotional reasoning(感情的に推論をする、Labeling(レッテルを貼る)、Magnificationminimization(過大/過小評価する)などなどである。
認知療法家は患者さんの話を聞きながら、このような自動思考がはたらいていないかに注目し、もしそれが同定されれば、それを患者さんに指摘することになるだろう。そこで私がそのような問題について敏感に指摘し、扱うようになることで、私の「面談」の仕方はより豊かになるのだろうか?私はそれを否定しないが、あまり役に立たないのではないかとも思う。
しかし実は私はこれらの概念を非常に重宝に感じているとは思えない。結局  Beck が示したようなこれらの自動思考は、オールオアナッシング、あるいは精神分析でいうスプリッティングの考え方をいろいろ言葉を変えて表現しているだけという気がする。しかし人間の心の根源的な性質であるスプリッティングを深く理解することは、認知療法以外でも、例えば精神分析でも必須なのである。しかしこのようなネーミングとともに患者に告げることには効果があるかもしれない。そう、むしろこれらの思考パターンのネーミングにこそ認知療法の本質部分があるのかもしれない。
私は上に挙げたいくつかの自動思考以外にも、患者さんの話の中に見られるいくつかの思考パターンを抽出することにはやはりそれなりの意味がある。ただしここで問題となるのは、それを行うことは患者さんたちにとってかなりきつい作業となる可能性があるということだ。なぜなら思考パターンとはその人の習い性、考え方の癖のようなものだが、当人がそれにある程度慣れ親しんでいる以上、それを手放すのにはかなりの抵抗が伴うはずだからだ。
たとえばある患者さんの思考、行動パターンの中に、「他人に問題を指摘されると、『こいつは、俺を馬鹿にしている』と思ってしまう」を抽出したとしよう。彼はしょっちゅうこのような形で逆切れをしているのだ。そしておそらくその具体的な体験は、患者にとってはあまり思い出したくないような、恥ずかしい、情けない体験だろう。その反省のプロセス全体が、「ダメ出し」というニュアンスを含み、よほどエネルギーや治療意欲がない限りは、毎回のセッションの多くの時間をこれに費やすのは相当つらいだろう。もちろん私はこのプロセスが不可能と言っているのではない。たとえば PTSD の治療の一つである暴露療法では、毎回トラウマの状況を疑似体験して慣れていくというかなり過酷な治療が行なわれるが、それが良好な治療関係のなかで、そして患者さんが十分なモティベーションを持っている場合には、その有効性が確かめられている。
しかし中には認知療法を自ら進んで受け始めても、途中で耐えられなくなったり、方向転換を望んだりする人もいる。多くの患者は、表向きの目標とは裏腹に、あるいはそれと平行して、むしろ癒しを求めて、「それでいいんですよ」という肯定の言葉を求めて治療者のもとに通うことになるものだ。「自分を発見したい」「自分が歩んでいる道を正したい」という目的を最初は意識していても、それ自体は大きなストレスを伴うこと、結局は心のどこかで治療による安らぎを期待していたことに気がつき、むしろ治療者をざっくばらんな会話に引き込もうとしたりするかも知れまい。すると結局は認知療法的な試みを適宜組み込んだ一般的な「面談」というところにまたしても落ち着くことになるのだろう。

2018年4月26日木曜日

精神分析新時代 推敲 65

精神分析の分野では、米国の分析家 Irwin Hoffman が、この死生観の問題について他に類を見ないほどに透徹した議論を展開している。彼の死生学はその著書「精神分析過程における儀式と自発性 Ritual and Spontaneity(Hoffman, 1998)の第2章で主として論じられている。Hoffman はこの章のはじめに、フロイトが死について論じた個所について、その論理的な矛盾点を指摘している。フロイトは1915年の「戦争と死に関する時評」(3)で「無意識は不死を信じている」と述べているのだ。なぜなら死は決して人が想像できるものではないからだというのがその理由である。しかし「同時に死すべき運命は人の自己愛にとって最大の傷つきともなる」という主張も行なっている (ナルシシズム入門(4))。人が想像することが出来ない死を、しかし自己愛に対する最大の傷つきと考えるのはなぜか? ここがフロイトの議論の中で曖昧な点である、と Hoffman は指摘しる。そして結局彼が主張するのは、フロイトの主張の逆こそが真なのであり、無意識に追いやられるのは、死すべき運命の自覚であるというのだ。つまり人は「自分はいずれ死ぬのだ」という考えこそを抑圧しながら生きているというわけだ。こちらのほうが常識的に考えても納得のいくものだと私も考えるが、精神分析の世界では死に関するフロイトの矛盾した主張が延々と繰り返され、場合によっては死への不安はその他の無意識的な概念を覆い隠していると主張されることさえあるのだ。
Hoffman, I.Z. (1998) Ritual and Spontaneity in the Psychoanalytic Process. The Analytic Press, Hillsdale, London.ホフマン、IZ 著/岡野憲一郎,小林 陵訳 精神分析過程における儀式と自発性 弁証法的-構成主義の観点. 金剛出版 2017
 さてそこから展開される Hoffman 自身の死生学は、Jean-Paul Sartre Maurice Merleanu-Ponti などの実存哲学を引きつつ、かなりの深まりを見せている。簡単に言えば抽象的な思考というのは、すでに死の要素をはらんでいるというのだ。抽象概念は無限という概念を前提とし、それは同時に死の意味を理解することでもあるというのがその理由だが、ここでは詳述は避ける。
それから Hoffman はフロイトにもどり、彼の1916年の「無常ということ」(5)という論文を取り上げている。そしてこの論文は、死についてのフロイトの考えが、実はある重要な地点にまで到達していたとしている。この「無常ということ」の英語版の原題は、“On Transience”であり、つまりは「移ろいやすさについて」というような意味である。この論文でフロイトはこんなことを言っている。「移ろいやすさの価値は、時間の中で希少であることの価値である」。そして美しいものは、それが消えていくことで、「喪の前触れ」を感じさせ、そうすることでその美しさを増すと主張し、これが詩人や芸術家の美に関する考え方と異なる点であることを強調している。フロイトは詩人や芸術家たちは、美に永遠の価値を付与しようとするというのだが、それはその通りなのだろう。詩にしても絵画にしても、それが時間とともに価値を失うものとしては創られないだろうからである。いかに永遠の美をそこに凝縮するかを彼らは常に考えているのだ。そしてフロイトの論じる美とは、それとは異なるものとして論じられているのである。
ここで少し考えて見よう。たとえば花の美しさはどうだろうか? やがて枯れてしまうから、私たちは美しく感じるのだろうか? 美しいと思った花が、実は「決して枯れない花」(たとえば精巧にできた造花)だと知った時の私たちの失望はどこからくるのだろうか? フロイトの言うように、花はやがて枯れると思うから美しいのではないだろうか?しかし考えてみれば、芸術とは、いかに美しい造花を作ることとは言えないだろうか? 美しい花を描いた絵は、結局は一種の造花ではないだろうか? しかしこのようなことを言ったら、たちまち芸術家から反発を受けるだろうから、これはあくまでも私の思い付きということにしておきたい。
ともかくもフロイトはこのようなすぐれた考察を残しながら、結局は死すべき運命への気づきを彼の精神分析理論の体系の中に組み込まなかったようである。その意味で彼の理論は反・実存主義であったと Hoffman は言うのだ。そこで彼を通してみる死生観とは、私なりにまとめると次のようなものとなる。
「死すべき運命は、常に失望や不安と対になりながらも、現在の生の価値を高める形で昇華されるべきものである。死は確かに悲劇であるが、外傷ではない。外傷は私たちを脆弱にし、ストレスに対する耐性を損なう。しかし悲劇は私たちが将来到達するであろうと自らが想像する精神の発達段階を、その一歩先まで推し進めてくれるのだ。」
ここに森田の考え方との共通性と微妙な違いも見ることが出来るだろう。森田は、「死への恐れは、生に対する欲望の裏返しである」という表現をしたと私は理解している。生への欲望があるからこそ死を恐れることになる。しかし森田のこの言い方に、私は少し突き放されるような気がするのだ。「では生への欲望を抑えることが死への恐怖の克服につながるのか?」と疑問に思ってしまうのである。その点 Hoffman の示唆はもう少しその点をクリアに示していると思えるのだ。それは「死の恐怖は、それを現在の生と切り離すことから生じる。両者を表裏のものとして見ることで『克服する』というよりはより現実的にそれを生きることが出来る」というメッセージなのである。 

3.いかに死の内面化(存在論的な二重意識の獲得)を目指すのか
最後に死の内面化をどのように目指すかについて考えたいと思う。私はそのためには毎日の生活の中で、常に以下に述べるような努力をする以外にないと考える。私たちの生は、とらわれの連続である。生きているということは雨露を凌ぎ、栄養を摂取し、冬は暖を取り夏は涼を求めるという営みの連続だが、これらは全て生への執着である。そこで過去の修行者は様々な形で日常的に死の内面化を行う努力をした。ある人は只管打座に明け暮れ、ある人は経文を唱え、ある人はお伊勢参りをし、ある人は托鉢僧や修行僧となったのだ。ただし私たちは療法家であり、人と関わるのを生業としている。そこで私が考えるのは、やはり人との関わりとの中で日々自らを確かめることができるような営みである。
 特に私が考えるのは、常に我欲を捨て、人に道を譲るという生き方である。ただしその障碍となるのが意外にも、周囲が自分に道を譲らせてくれないことが多いという事情なのだ。というのも我が国では年長者や肩書きを持った人間は、その人間性とは無関係に持ち上げられ、甘やかされるという傾向があるからだ。しかし歴史的な人物の中には、本当に「この人は我欲を捨て、徹底して他人に謙ることで死を内面化することを実践していたのではないか?」と思わせるような例がある。その一つの例が、作家により描かれた幕末のある傑人の姿である。

西郷隆盛の例
私の愛読書に池波正太郎の「人斬り半次郎」という本があるが(6)、そこに幕末期の西郷隆盛が何度も登場する。そこでの西郷はまさに死を恐れない人間として描かれている。この書の中で西郷は、当時高まりつつあった東アジアで諸国の間の緊張を和らげ、かつ自国の正当な立場を主張すべしと唱え、自分が特使となって朝鮮にわたることを申し出る。そして当時の政府内の権力者である岩倉具視や大久保利通らの反対に遭うが、それでも彼は自分の考えを主張し続けた。
 この西郷と、岩倉や大久保との対立は、少なくとも西郷にとってはいわゆる政争とはまったく違った意味合いを持っていた。政争の場合、政治家同士が腹の内を探り合い、自らの政治生命は温存しつつ、攻防を繰り広げる。お互いに政治生命を賭ける、などといっても結局負けたほうが政治家をやめることは普通はしない。ところが西郷はこの自分の主張が通らなかった場合には政府内の役職を一切捨てて、故郷の鹿児島に帰り農業に専念するという覚悟を持っていたのだ。これは決して単なる脅しやブラフではなく、真剣にそのような選択肢を持ちつつ朝鮮への特使の道を探ったのでした。西郷は健康上の問題もあり、いずれは自分の政治的な力はおろか、生命そのものが尽きることを予知している。彼はそれを恐れたり、回避しようとすることなく、むしろその時期を自らが選択したことになる。それが自らの主張が通らなければすべてを捨てて鹿児島に帰り帰農する、という行動であり、実際自分の主張を岩倉らに聞き入れられなかった西郷は、その翌朝には桐野利秋らを従えて鹿児島に引き上げてしまったのだ。
この西郷の鹿児島への帰郷は、傍目には潔い決断に見えるのであろうが、彼の頭の中ではすべてが最初から想定内であり、決断はかなり前からすでに下されていたといえよう。その意味では帰郷の時点で大きな葛藤はなかったのだ。もちろん自分の考えを大久保らに聞き入れてもらえなかった西郷が感情的になる部分も出てくる。しかし同時にそのような事態をどこかで客観視していた様子も伺える。
 池波正太郎により描かれた西郷は、Hoffman が言うような、死を見据えたうえでの生を地で行ったという印象を受ける。死を「内面化」した人の生き方の実例といっていいだろう。彼には自分の名誉も、生命さえもいつ失ってもいいという覚悟で物事に当たっているのだ。
その西郷が鹿児島に帰ってからのエピソードに、忘れがたいものがあります。それを紹介しよう。
・・・雀ヶ宮の長瀬戸という崖に挟まれた細い道で、西郷は向こうから来た百姓とぶつかってしまったことがある。二人とも馬を引いている。すれ違うことのできぬ狭い道だし、どちらかが譲って引き返さなければならない。百姓は若い。「おい、じじい」と言った。「はアい」西郷が頭を下げ、「お前さアが引き返した方が早よごわす。」とていねいに答えると「うるさい!!」百姓が怒鳴りつけて、「何言うちょっか。じじいが下がれ。おいは急ぐんじゃ。先へゆずれ、先へ引きかえせエ」わめいた。これに対して西郷は「それじゃ、引き返しもそ」若者の怒声を浴びつつ、引いた馬を後ずさりに苦労してもとに引き返したそうだ。・・・(「人斬り半次郎」(賊将編)415ページから。)

このエピソードがどこまで作者池波正太郎の脚色によるものかはわからないが、この西郷の覚悟ということと実人生の中で見せた愚直なまでの謙虚さとは実は結びついているというのが私の考えである。大いなる決意を持って物事にあたる、常に決死の覚悟で物事を選択する、ということは聞こえは勇ましいのだが、どこまで実を伴っているのかは定かではない。政治家が「不退転の決意で」「背水の陣で」「一兵卒に戻り」などと言っても、それはむなしい掛け声に過ぎないのだ。しかしそれがどの程度その人の内面からの真の決意を表すかは、彼らがどの程度各瞬間に自らの生を、死を背景にしたものとして享受できているかによる。そしてこちらのほうは極めて見えやすいことになる。その人が日常生活で生じた些細な不都合にどのように対処しているかを見ればいいことになるからだ。
4.最後に:死への備えは謙虚さの追求にあるのか
愚直なまでに謙虚だった西郷隆盛。道を譲るように乱暴に要求されてすごすご引き下がった西郷隆盛。彼に「とらわれ」はなかったのでしょうか?ここで「とらわれ」という言葉を使わせていただいていますが、私が言う「とらわれ」とは日常の些事において、死すべき運命にある自分がたまたま生きていられる事の幸せに鑑みてそれを受け入れることができない状態、生に執着している状態を意味するものとします。
 私は西郷にも捉われはあったのだろうと思います。彼が特使として朝鮮に赴くと言い出したとき、そこには多少なりとも名誉欲があり、自己愛を満たしたいという気持ちはあったはずです。しかしそれが岩倉や大久保らにより拒絶されたとき、それを受け入れて自らの政治生命を葬り去ることにほとんどためらいはなかったのです。また崖に挟まれた細い道で若い百姓に無礼な言葉をかけられたときも、一瞬はムカッとしたはずです。しかしそれを一瞬の後に収め、一介の「じじい」の身に甘んじて、若者に道を譲る。そこで彼の心に生じていたと私が想像するのが、先に述べた二重意識である。一方では揺れ動きつつ、それを遠くから見ているもう一つの意識、精神分析家なら、観察自我、observing ego と称したくなるものの存在である。
 さらに西郷隆盛の例から私たちが学ぶことが出来るのは、彼がとらわれを乗り越え、死を内面化した仕方だ。彼はそれを愚直なまでの謙虚な姿勢で示している。いつでも死すべき運命にある人間にとっては生きているだけで僥倖ということになる。すべてのプライドや名誉や見栄や外聞は余計なものということになる。その覚悟を一瞬一瞬に確認し、試す為に彼が行なっていたのが、すべての人に対して謙虚であること、自らをありのような存在として振舞うということではないだろうか? 私はこのことは瞑想を何時間も重ねたり、座禅を組んだりするよりも効果があるのではないかと思う。人は内面の変化について自分でもわからないし、他人もその人を判断できない。密教の修行を何年も積んでついに解脱したはずの高層が世間を騒がせ、サリンをまき散らし、人々を混乱に陥れるような世界に私たちは住んでいるのだ。
森田先生が考えたように、あるいは分析家ホフマンが主張しているとおり、私たちは決してとらわれから逃れられない。私たちが出来ることは、とらわれつつも、それを見つめることのできる、私が実存的な二重意識と表現したものに可能な限り近づくことだと思う。それがいわゆる死の内面化にもつながるものであろうと考える。それをいかなる形で実現するかというひとつの実例として、西郷隆盛の生き方を紹介した。徹底的に謙虚になること、それは自分が持っているものすべてが僥倖であること、実は全てを失っている状態が本来の姿であるということを思い出させてくれる。そしてそれが死の内面化へとつながるのではないだろうか。
 ただし世俗で人と交わり生きている以上、とらわれから逃れることはできない。謙虚さを持ちこたえることは自己愛との戦いでもある。ちょうど西郷隆盛が若い百姓の言葉に一瞬はムッとしたであろうように。あるいは死に際にも「死にたくない」とさめざめと泣いた森田先生のように。死ぬ間際もそしてそのような自分をどこかで見つめている二重意識を持ち続けることが、おそらく森田先生が示唆していたことではないかと考える。
参考文献) 省略

2018年4月25日水曜日

精紳分析新時代 推敲 64

第17章 死と精神分析 
初出:死生学としての森田療法(第31回日本森田療法学会 特別講演2)森田療法学会雑誌 第25巻第1号、p.1720(2014)

1.はじめに ―受容ということ

本章では「死と精神分析」というテーマを扱う。途中で森田療法やその創始者森田正馬についてしばしば言及しているが、それはもとになった論文が森田療法学会での発表原稿だからである。そのことをまずお断りしておきたい。
さて本章での私の主張を一言で表現するならば、精神分析や精神療法においては、どのような種類のものであっても、そこに治療者側の確固たる死生観が織り込まれているべきであろう、ということである。
まず最初に示したいのは、フロイトの次のような言葉である。

私が楽観主義者であるということは、ありえないことです。(しかし私は悲観主義者でもありません。)悲観主義者と違うところは、悪とか、馬鹿げたこととか、無意味なこととかに対しても心の準備が出来ているという点です。なぜなら、私はこれらのものを最初から、この世の構成要素の中に数えいれているからです。断念の術さえ心得れば、人生も結構楽しいものです。(下線は岡野による)』(フロイト:ルー・アンドレアス・サロメ宛書簡、1919年7月30日付)
このフロイトの最後の部分は、私が常々感じていることでもある。それはあきらめ、断念ということの重要さである。私は人間としても臨床家としても老齢期にあるが、この問題は年齢とともに重要さを増していると感じる。これは森田療法的にいえば、「とらわれ」の概念に深く関係しているといえる。
この諦め、諦念のテーマは、日常の臨床家としての体験にも深く関係している。日常臨床の中で私たちが受け入れなくてはならないのは、患者が望むとおりによくなっていかないということだろう。勿論時には改善を見せる人もいる。しかしたいがいの場合その改善には限界があり、多くの患者は残存する症状とともに生きていかざるを得ない。このことをどこかで受け入れない限り、患者はその苦しみを一生背負っていかなくてはならない。また臨床家としても、患者がこちらの望みどおりに治ってくれるとは限らないということをどこかで受け入れる必要があるのだ。
もう一つ私たちが手放さなくてはならないのが、治療的な野心である。私は過去にある患者から次のようなメールをいただいたことがある。
「先生にはがっかりしました。先生は研究者向きかもしれませんが、患者の気持ちは分かっていないと思います。」

 もちろんこのようなメールや手紙はあまり頻繁にいただくわけではないために、私にとっては印象深いものとなっているわけだが、一部の患者にとって私がとんでもない精神科医であるということを、私が受け入れることが必要であるということをこのメールは物語っている。それはつらいことであるのは確かだ。しかしその文面(もちろん個人情報保護のために必要な変更は加えてあるが)をこのような形で公にできるのは、実は私はこれらのメッセージにあまり深刻に動揺しているわけではないということだと思う。そしてそのような心境に少しでもなれるとしたら、私の精神分析のトレーニングがある程度関わっていることになる。

受容と精神分析理論

 私は精神分析家であるが、分析的な概念の中で、この諦念の問題に極めて大きく関わっているのが、いわゆる逆転移の考え方であるように思う。逆転移には様々な定義があるが、一言で表現するならば、それは治療者が持っている邪念のようなものだ。(もちろん邪念を持ってはいけない、という趣旨でこの言葉を使っているわけではない。)通常の場合、患者の状態の改善は治療者にとっても喜ばしいことだ。しかし治療者の喜びの一部は、自分が適切な治療を行ったから患者がよくなったのだと考えることからも来ている。これはいわば治療者が自分の自己愛を満たしたい、という部分であり、患者の症状の改善を純粋に喜ぶ気持ちとは異なるものなのだ。
 私自身の一つの例をあげよう。20年以上前に米国で精神分析を行ったMさん(中年の男性)という方がいた。Mさんは分析治療を開始してしばらくして、うつ症状がかなり改善した。私はそれを分析の成果だと思ったのだ。そこでMさんにうつが改善した理由をどう考えるかについて尋ねてみた。すると彼は「N先生が、抗うつ剤に加えて最近炭酸リチウムを処方してくれるようになってから、急に気分が改善したのだと思います」と話したのだ。(N先生とはMさんの薬物療法を担当してくれていた精神科医である。)それを聞いて私はがっかりしたのだが、そのような自分の反応を興味深く感じてもいた。この「がっかり」の分が私の逆転移、つまり邪念による分というわけである。患者の気分が改善したことは、患者とともに喜ぶべきことである。しかしそれは自分の治療のせいではなかったと思い、その分私はがっかりしたのだ。
ところでMさんの分析家である私は、炭酸リチウムの話を聞いてがっかりしてはいけなかったのだろうか? 分析家として修業を積むことでこのような邪念を一切排除することができるようになるのだろうか? 私にはその可能性は非常に低いように思う。それに炭酸リチウムの話を聞いてもし私が全くがっかりしなかったとしたら、おそらく自分自身の治療に対する思い入れはかなり薄いことになり、果たしてそのような状態で患者を治療しようという意欲がわくのかどうかも疑問かもしれないとさえ思う。
 精神分析の世界における最近の逆転移の考え方は、フロイトの時代の「逆転移は克服せよ」という考え方とはずいぶん変わって来ている。フロイトは「逆転移は持つだけでも良くない、なぜならそれはその人が教育分析や自己分析により無意識を克服していないからだ」と考えた。しかしその後の分析家たちは、むしろ逆転移は不可避的なものであり、それに気が付き、それを治療的に用いるという姿勢こそが大事だと強調するようになった。すなわち治療者の個人的な感情は決して回避することができず、むしろそれを意識して、対処できることが大事であるという考え方である。治療者の個人的な感情を敏感に反応する心の針に例えると、むしろ心の針が振れる状態でいるのは大切なのであり、ただそれが振り切れたりせず、早く中心付近に戻ること、そしてその心の針の触れをどこかでしっかり見守っている目を持つということが大切なのである。そしてその意味では自分の心に対する高い感性と、それを見守る観察自我という二重意識の状態を持つことと考えられるかもしれない。
さてこのような逆転移に関する考え方を森田療法的に捉えるならばどうなるのだろうか?すでに述べたように、私たちは治療者という立場にある以上、自分の治療により患者によくなってほしいと願う。それは森田療法でも精神分析療法でも、CBTでも同じであろう。患者が良くなることで感謝され、治療者としてのプライドも保たれる。患者の症状の改善を願うという私たちの願望は治療者としては大切な部分なのだ。
 しかしこれは同時に治療において私たちは常にとらわれを体験しているということでもある。なぜなら症状を改善したいという願望の一部は、まさに患者が陥っているとらわれが投影されたものである。そしてそこにさらに、治療者のプライドというもう一つのとらわれが付加されているのだ。
 しかし逆転移についての考えが教えてくれるのは、私たちは患者によくなってもらいたいというとらわれを捨てようとするのではなく、そのとらわれを見つめている部分を持っていなくてはならないことなのであろう。その見つめている部分は、患者はよくならないかもしれない、自分はこの患者を助けることはできないかもしれないという事実を受容している部分である。これが森田が言った「症状と戦うな」ということの真意だと思うが、それは「症状と戦わないことが症状と戦うことだよ」という禅問答にも似た狡知ではなく、先ほども述べた二重意識、すなわちとらわれを持つ部分と、そのとらわれにより一瞬でも苦しんでいる自分を、醒めてた目で見つめている部分ということではないだろうか。

 ここで少しうがった言い方をするならば、森田の教えは「とらわれを捨てよ」、ではなく「とらわれに対するとらわれを捨てよ」だったのだと考えることで、森田療法と精神分析の逆転移の概念はつながるのではないかと思う。とらわれにとらわれる、とは分析的には、逆転移を捨てよ、ということだが、それは治療者が人間として生きている限りは無理な注文なのだ。そしてこの自分のあり方に対して同時に別の視線を持つということが、後に述べる実存的な二重意識ということにつながるのである。

2.生への捉われと死への備え
とらわれや受容の問題を考える時、やはり最終的に残ることは死の問題である。とらわれの究極は、やはり生へのとらわれや死の回避に関するものだろう。治療により症状は完全には消えない、という受け入れをさらに突き詰めていくと、最終的にはその症状を持っている自分という存在が消えてしまうということの受け入れ、つまりは死の受け入れというテーマにつながっていくであろう。そしてそれは森田が常に考えていたことでもある。私は一つの精神療法が患者を支えるためには、そこにはやはりしっかりとした死生学があってしかるべきだと思う。
森田が死の恐怖について広く論じていることはいまさら私が言う必要はない。死の恐怖をいかに克服するかというテーマが森田療法の始まりにあった重要なテーマだったのだ。森田療法を編み出すことにより、森田先生は死を克服できたのであろうか? 
この点に関して少し詳しく見てみよう。ある論文から引用する。
「森田正馬は,死をひかえた自分自身の赤裸々な姿を,生身の教材として患者や弟子たちに見せることによって,今日言うところのデス・エジュケーションをおこなった人である。彼は1938年に肺結核で世を去ったが,死期が近づくと,死の恐怖に苛まれ「死にたくない,死にたくない」と言ってさめざめと泣いた。そして病床に付き添った弟子たちに「死ぬのはこわい。だから私はこわがったり,泣いたりしながら死んでいく。名僧のようには死なない」と言った。いまわの際には弟子たちに「凡人の死をよく見ておきなさい」と言って「心細い」と泣きながら逝ったと伝えられている。
弟子のひとり長谷川は,次のような追悼の文をしるしている。「先生は命旦夕に迫られることを知られつつも,尚生きんとする努力に燃え,苦るしい息づかひで僕は必死ぢゃ,一生懸命ぢゃ,駄目と見て治療してくれるな』と悲痛な叫びを発せられた。『平素から如何に生に執着してひざまづくか,僕の臨終を見て貰いたい』と仰せられる先生であった」。虚偽,虚飾なく,生の欲望と死の恐怖を,最後まで実証しつつ死んでいったのである。(岡本重慶(1))


2018年4月24日火曜日

精神分析新時代 推敲 63


「心の動かし方」の3つの留意点
さてミット打ちの比喩、症例A,Bと紹介してきました。そして私のいう「心の動かし方」は構造を内包している、という話をしました。その心の動かし方について、いくつかの特徴を最後にまとめておきます。
1.バウンダリー上をさまよっているという感覚
一つは私はその内的構造を、いつもギリギリのところで、小さな逸脱を繰り返しながら保っているということです。バウンダリーという見方をすれば、私はその上をいつもさまよっているのです。境界の塀の上を、どちらかに落ちそうになりながら、バランスを取って歩いている、と言ってもいいでしょう。そしてそれがスリルの感覚や遊びの感覚や新奇さを生んでいると思うのです。これは先ほどのミット打ちにもいえることです。コーチがいつもそこにあるべきミットをヒュッとはずしてきます。あるいは攻撃してこないはずのミットが選手にアッパーカットを打つような素振りを見せます。すると選手は怒ったり不安になったり、「コーチ、冗談は止めてくださいよ」と笑ったりする。もちろんやりすぎは禁物ですが、おそらく適度なそれはミット打ちにある種の生きた感覚を与えるでしょう。
あるいは実際のセッションで言えば、私はBさんに「まあ、どうぞどうぞ、お茶でも」と言って、ペットボトルのお茶を紙コップに入れてBさんに振舞います。こんなことは普通は起きないので、Bさんは私が冗談でやっているのか本気なのかわからない。私が時々言うジョークにもその種の得体の知れなさがある。Bさんはそれに笑うことが出来て、「これは掛け合い漫才ですか?」といったりする。私とBさんはそんな関係を続けているわけですが、この種のバウンダリーのゆるさは、仕方なく起きてくると言うよりも、実は常に起きてしかるべきものであり、治療が死んでいないことの証だというのが私の考えです。
通常私たちは、この種のバウンダリーには極めて敏感です。欧米人なら、通常交し合うハグの中に、通常より強い力、長い時間、不自然な身体接触の生じている場所にはすぐに気がつくでしょう。あるいはほんの僅かな身体接触はとてつもない意味を持ち、性的な意味を持つものは即座に感じ取られる。そしてそれはまたそれが生じる文脈に大きくかかわってきます。あるセッションの終わりに、治療者が始めて握手を求めてきたら、特別な意味が与えられるでしょうが、終結の日なら、極めて自然にそれが交わされるという風に。言葉を交わしながら、私は同じようなバウンダリーをさまよっています。実はそのことが重要なのであり、そこに驚きと安心がない混ぜになるからなのです。そう、バウンダリーは、それがどのようなものであっても常にその上をさまようものなのです。週一回、50分、と言うのはそのほんの一例に過ぎないのです。

2「決めつけない態度」もやはり治療構造の一部である
もう一つは決め付けない態度 non-judgemental attituede ということです。Aさんの場合も、Bさんの場合も、かなり世間から虐げられ、誤解を受け、辛い思いをしてきたということが伺えます。人からこんなことを指摘されるのではないか、こういうところを疎ましがられているのではないか、ということが感じられます。たとえばAさんの場合は、曲がりなりにも国家の資格は持っているにもかかわらず、職を得ていません。Bさんの場合も、自称元治療者という経歴を持っていますが、今はフラフラしている毎日です。彼らは少なくとも私が厳しいことや、彼らが曲がりなりにも持っているプライドを傷つけるようなことは言わないことを知っています。働いたらどうかとは決して言わないし、お説教じみたことは私の発想には全くありません。私は彼らを「直そう」とは特に思いませんし、彼らが生活保護をこれから続けなくてはいけない事情をよくわかっています。彼らの中に深刻な孤独感と対象希求があるのをわかっているつもりです。彼にとっての私は、おそらく変わった精神科医で、必要に応じて投薬をし、診断書を書くという以外は、白衣を着たただの友達という感じでしょう。もちろん私は白衣は決してきませんし、持ってもいませんが、私が医師であるということは彼にとっては意味があることは確かで、そのことを私が知っているという意味です。
私にとって決めつけないというのは構造の一つです。それはスパーリングで言えば、そこに遊びはあっても、基本的にはミットが選手の痛めている右わき腹や狙われやすいアッパーカットを打ち込むと言うことはありません。その安心感があるからこそ、そのそぶりはスリルにつながるのでしょう。
3.やはり自尊感情セルフエスティームか?
私は心の動かし方のルールとして、やはり患者のプライドとかセルフエスティーム、自尊心を守るということを考えてしまいます。ヘンリーピンスカーという人の支持療法のテキストに書いてありましたが、支持療法の第一の目的は患者の自尊心の維持だといっています。私もその通りだと思うのは、彼らの自尊心を守ってあげることなしには、彼らは自分を見つけるということに心が向かわないからです。ですから私がAさんやBさんとやっていることが、ただ彼らに支持的にふるまっているわけではないということをわかっていただきたいと思います。彼らはある意味ではだれから見ても目につく特徴を持っている人たちです。私はついいたずら心から彼らの特徴を指摘したくなることもあります。ところがある意味では私との面接外では、彼らはそれらについて過剰に指摘され、傷ついている可能性があります。それに振れないことは、私の発揮できるニュートラリティ、中立性とも考えます。
以上本章では、精神療法の強度のスペクトラム、内在化された構造としての「心の動かし方」というテーマで論じました。