精神分析はかつては米国を中心にその効果を期待され、広く臨床現場に応用されていたが、現在は全世界的に退潮傾向にあるといえる。無意識の探究のために週に頻回の、それも何年にもわたる精神分析プロセスを経ることを敬遠する傾向は強い。しかしわが国においては、精神分析における治療理念はいまだに期待を寄せられ、また理想化の対象になる場合もある。筆者は精神分析学会とともに日本トラウマティック・ストレス学会にも属しているが、トラウマを治療する人々からも精神分析に対する「期待」が寄せられるのを感じている。それは以下のように言い表すことが出来るだろう。それは精神分析はその他の心理療法に比べてもより深層にアプローチし、洞察を促すものであり、トラウマに関連した症状が扱われた後に本格的に必要となるプロセスである、という考え方だ。
伝統的な精神分析とトラウマ理論
ここで精神分析家としての筆者は、多少なりとも自戒の気持ちを持って次の点を明らかにしなくてはならない。それはフロイトが創始した伝統的な精神分析は、残念ながら「トラウマ仕様」ではなかった、ということである。すなわちトラウマを経験した患者に対して治療を行う論理的な素地を十分に有していてなかったということだ。それを説明するうえで、精神分析の歴史を簡単に振り返る必要がある。
フロイトは1897年に「誘惑仮説」を撤回したことから精神分析が成立したという経緯がある。その年の9月にフリースに向けて送った書簡(Masson
,ed,1985)に表された彼の変心は精神分析の成立に大きく寄与していたと言われている。単純なトラウマ理論ではなく、人間のファンタジーや欲動といった精神内界に分け入ることに意義を見出したことが、フロイトの偉大なところで、それによって事実上精神分析の理論が成立した、ということである。この経緯もあり、伝統的な精神分析理論においては、トラウマという言葉や概念は、ある種の禁句的なニュワンスを伴わざるを得なくなった。
その後のフロイトは、1932年のフェレンチによる性的外傷を重視する論文に対しては極めて冷淡であった。フェレンチの論文の内容はフロイトが1897年以前に行っていた主張を繰り返した形だけであるにもかかわらず、フロイトが彼の論文を黙殺したことは驚くべきことである。彼はまた同様に同時代人のジャネのトラウマ理論や解離の概念を軽視した。このようにして精神分析理論トラウマには、フロイトの時代に一定の溝が作られてしまったのである。
ただし時代の趨勢としてはトラウマの役割を無視できないということは以下のカンバーグの記述にもうかがえるであろう。
「…問題は強烈な攻撃的な情動状態への、生来のなり易さであり、それを複雑にしているのが、攻撃的で嫌悪すべき情動や組織化された攻撃性を引き起こすような、トラウマ的な体験なのだ。私はよりトラウマに注意を向けるようになったが、それは身体的虐待や性的虐待や、身体的虐待を目撃することが重症のパーソナリティ障害、特にボーダーラインや反社会性パーソナリティ障害の発達に重要な影響を与えるという最近の発見の影響を受けているからだ。つまり私の中では考え方のシフトが起きたのであり、遺伝的な傾向とトラウマを融合するような共通経路が意味するのは、情動の活性化が神経内分秘的なコントロールを受ける上で、遺伝的な傾向が表現されるということだ。…」。(Kernberg,O.,1995,P326)
カンバーグと言えば、1970年代から80年代にかけて境界パーソナリティ障害についての理論を打ち立て、精神医学界にも大きな影響を与えた人物のひとりであるが、その病因としてはクライン派の理論に基づいた患者の持つ羨望や攻撃性が強調された。そのカンバーグの立場のトラウマ重視の立場への移行はおそらく、精神分析の世界におけるトラウマの意義の再認識が起きていることを象徴しているように思える。
関係精神分析の発展とトラウマの重視
伝統的な精神分析理論は、トラウマ理論やトラウマ関連障害の出現により逆風にさらされることとなった。精神医学や心理学の世界で近年のもっとも大きな事件がトラウマ理論の出現であったといえよう。1980年のDSM-IIIでPTSDが改めて登場し、社会はそれから20年足らずのうちにトラウマに起因する様々な病理が扱われるようになった。国際トラウマティック・ストレス学会や国際トラウマ解離学会が成立した。現代的な精神分析(関係精神分析)は「関係論的旋回」を遂げたが、その本質は、トラウマ重視の視点であったといえる。
現代的な精神分析における一つの発展形態として、愛着理論を取り上げよう。愛着理論は全世紀半ばのジョン・ボウルビーやルネ・スピッツにさかのぼるが、トラウマ理論と類似の性質を持っていた。それは精神内界よりは子供の置かれた現実的な環境やそこでの養育者とのかかわりを重視し、かつ精神分析の本流からは疎外される傾向にあったことである。乳幼児研究はまた精神分析の分野では珍しく、科学的な実験が行われる分野であり、その結果としてメアリー・エインスウォースの愛着パターンの理論、そしてメアリー・メイン成人愛着理論の研究へと進んだ。そこで提唱されたD型の愛着パターンは、混乱型とも呼ばれ、その背景に虐待を受けている子や精神状態がひどく不安定な親の子どもにみられやすい。
最近精力的な著作を行うアラン・ショアの「愛着トラウマ」(Schore,
2009) の概念はその研究の代表と言える。ショアは愛着の形成が、きわめて脳科学的な実証性を備えたプロセスであるという点を強調した。ショアの業績により、それまで脳科学に関心を寄せなかった分析家達がいやおうなしに大脳生理学との関連性を知ることを余儀なくされた。しかしそれは実はフロイト自身が目指したことでもあった。
トラウマ仕様の精神分析理論の提唱
以下にトラウマに対応した精神分析的な視点を5項目にわたって提唱しておきたい。
第1点は、トラウマに対する中立性(岡野、2009)を示すことである。ただしこれは決して「あなたにも原因があった、向こうにも言い分がある」、ではなく、何がトラウマを引き起こした可能性があるのか、今後それを防ぐために何が出来るか、について率直に話し合うということである。この中立性を発揮しない限りは、トラウマ治療は最初から全く進展しない可能性があるといっても過言ではない。
第2点は愛着の問題の重視、それにしたがってより関係性を重視した治療を目指すということである。その視点が上述の「愛着トラウマ」に込められている。フロイトが誘惑説の放棄と同時に知ったのは、トラウマの原因は、性的虐待だけではなく、実に様々なものがある、ということであった。その中でもとりわけ注目するべきなのは、幼少時に起きた、時には不可避的なトラウマ、加害者不在のトラウマの存在である。臨床家が日常的に感じるのは、いかに幼小児に「自分は望まれてこの世に生まれたのではなかった」というメッセージを受けることがトラウマにつながるかということだ。しかしこれはあからさまな児童虐待以外の状況でも生じる一種のミスコミュニケーションであり、母子間のミスマッチである可能性がある。そこにはもちろん親の側の加害性だけではなく、子供の側の敏感さや脆弱性も考えに入れなくてはならない状況である。
第3点目は、解離症状を積極的に扱うという姿勢である。これに関しては、最近になって、精神分析の中でも見られる傾向であるが、フロイトが解離に対して懐疑的な姿勢を取ったこともあり、なかなか一般の理解を得られないのも事実である。解離を扱う際の一つの指針として挙げられるのは、患者の症状や主張の中にその背後の意味を読むという姿勢を、以前よりは控えることと言えるかもしれない。抑圧モデルでは、患者の表現するもの、夢、連想、ファンタジーなどについて、それが抑圧し、防衛している内容を考える方針を促す。しかし解離モデルでは、たまたま表れている心的内容は、それまで自我に十分統合されることなく隔離されていたものであり、それも平等に、そのままの形で受け入れることが要求されると言っていいであろう。
第4点目は関係性、逆転移の重視である。これは患者がPTG(外傷後成長)(Tedeshi,
RG 2004)を遂げるうえで極めて重要となる。その際治療者の側の逆転移への省察が決め手となる。
第5点目は 倫理原則の遵守である。これについてはもう言わずもがなのことかもしれない。特にトラウマ治療に限らず、精神療法一般において倫理原則の遵守は最も大切なものだが(岡野、2016)、ともすると治療技法として掲げられたプロトコールにいかに従うかが問われる傾向があるので、自戒の意味も込めて掲げておこう。
精神分析における倫理基準(American Psychoanalytic Association. 2007, 抜粋) では精神分析家の従うべき倫理基準として以下の点を掲げている。
1分析家としての能力 competence, 2患者の尊重、非差別, 3平等性とインフォームド・コンセント, 4正直であること
truthfulness, 5患者を利用 exploit してはならない, 6学問上の責任,
7患者や治療者としての専門職を守ること, である。
最後に―トラウマを「扱わない」方針もありうる
最後に蛇足かも知れないが、この点を付け加えておきたい。トラウマ治療には、トラウマを扱わない(忘れるように努力する、忘れるにまかせる)方針もまたありうるということだ。トラウマを扱う(「掘り起こす」)方針は時には患者に負担をかけ、現実適応能力を低下させることもある。もし患者がある人生上のタスク(家庭内で、仕事の上で)を行わなくてはならない局面では、トラウマを扱うことは回避しなくてはならない場合も重要となる。治療者は治療的なヒロイズムに捉われることなく、その時の患者にとってベストの選択をしなくてはならない。そしてそこには、敢えてトラウマを扱わない方針もありうるということである。具体的には黒幕的な交代人格を扱わない、あるいは少し無理にでも「お引取りいただく」ということに相当する。DID治療の原則としての「寝た子は起こさない」(岡野)がこれに該当する。
この方針の妥当性については、ある意味では答えが出ている。ほとんどのDIDの患者について、非常に多くの交代人格が、実質的に扱われないままに眠っているからである。
Masson, J.M. (1985) (Ed.) The complete
letters of Sigmund Freud to Wilhelm Fliess, 1887-1904. Cambridge: Harvard University Press. (フロイト フリースへの手紙 1887-1904.J.M.マッソン編 河田晃訳 誠信書房 2001年)
Schore, A. (2009) Attachment
trauma and the developing right brain: origins of pathological dissociation In
Dell, Paul F. (Ed); O'Neil, John A. (Ed), (2009). Dissociation and the dissociative
disorders: DSM-V and beyond., Routledge/Taylor & Francis Group,
pp.107~140.
新外傷性精神障害 岩崎学術出版社、2009
Tedeshi, R.G., & Calhoun, L.G. (2004).
Posttraumatic Growth: Conceptual Foundation and Empirical Evidence.
Philadelphia, PA: Lawrence Erlbaum Associates.
岡野憲一郎 編著(2016)臨床場面での自己開示と倫理.岩崎学術出版社
Dewald, PA, Clark, RW (Eds) (2007) Ethics Case Book:
Of the American Psychoanalytic Association 2nd Edition..