2017年9月30日土曜日

脳と心を分けたがる人たち (1)

 それにしても、といつも思う。人はどうして脳と心をこんなに分けたがるのだろう? 先日あるところで脳科学と心理療法という講演を行った。すると参加者の中からこのような声が上がった。精神分析の話しか聞いたことのなかった先生がいきなり脳の話をしたのでびっくりしました。「えっ?」と私は思う。心を語る人間が脳を語ることにはこれほどの違和感が伴いかねないのだ。しかしなぜだろう? 人はどうしてそこまで脳と心をわけるのだろう? しかしそういう私もやはり同じ過ちを犯している。
死についての講演を行ったとき、私は森田療法を創出した森田正馬が死を目前にした態度についてこう伝えた。あるお弟子さんが伝えたことだが、出典は省略する。
森田正馬は,死をひかえた自分自身の赤裸々な姿を,生身の教材として患者や弟子たちに見せることによって,今日言うところのデス・エジュケーションをおこなった人である。彼は1938年に肺結核で世を去ったが,死期が近づくと,死の恐怖に苛まれ「死にたくない,死にたくない」と言ってさめざめと泣いた。そして病床に付き添った弟子たちに「死ぬのはこわい。だから私はこわがったり,泣いたりしながら死んでいく。名僧のようには死なない」と言った。いまわの際には弟子たちに「凡人の死をよく見ておきなさい」と言って「心細い」と泣きながら逝ったと伝えられている。
 森田がその人生をかけて取り組んだ死生学は、実際の死の恐怖を前にして何も意味を持たなかったのだろうか? 死を目前にしてこそその人の到達した人生哲学が明らかになるのではないか? そうだとしたら森田のそれはまがい物だったのだろうか?
この問題を考えるヒントになったのは、先日見たNHKのドキュメンタリーである。
 918日に放映されたNHKドキュメンタリー 「ありのままの最期-末期がんの“看取り医師” 死までの450日」である。末期のすい臓がんで余命わずかと宣告された田中雅博さん(当時69)。という医師のドキュメンタリーである。彼は医師として、そして僧侶として終末期の患者に穏やかな死を迎えさせてきた「看取りのスペシャリスト」だ。これまで千人以上を看取った田中さんの「究極の理想の死」を記録しようと始めた撮影。しかしそれまで落ち着きを保ち、自分の死に泰然自若としていた田中さんから余裕の表情が消え、何かにおびえ、自分の立ち上げた会に最後まで出るといっていた彼が直前になって「帰る」と言い出し、「眠らせてくれ」と繰り返す。穏やかで眠るような死を迎えることを予想していた田中さんの死は、それとは随分異なる姿となった。ただ同様に医師でもある奥方の言葉は一つの考えるヒントを与えてくれる。いつもとは様子がおかしく、混乱しておびえた田中さんを見て、彼女は「譫妄が始まっている・・・」とつぶやく。

 死を目前にして精神に異常をきたし、意識障害の伴った妄想や幻覚、不安や恐怖にさいなまれる状態が譫妄である。このとき脳は明らかに通常の機能を失い、脳という精密機械の歯車が逆回転しだしたような、激しい症状を呈することがある。田中医師の最後も、それまでとは異なった、別人のような風貌を呈していたのである。

2017年9月29日金曜日

日本における対人ストレス (5)

甘えに潜む病理の研究
 これがいろいろあるらしい。一つには甘えさせる側の問題が論じられている。甘やかし、について考えよう。甘えとは「受動的であるとともに能動的」(岡野)な行動であるというのが特徴だ。ところが「甘やかし」は親の都合によるものであり、そこには親からの一方的な押し付けがある。子供はそれを受動的に受け入れるところがある。「子は自分で求めてはいなくとも、甘えを求める弱者の位置に座らされるだけで、無力なままに押しとどめられる()」 甘やかす親は利己的である以上、子供が自分の好きな方法で甘えてくる場合にはそれを受け入れるが、それ以外は拒絶する。子供は母親流の甘やかしを受け入れるための仮面を形成しなくてはいけない。偽りの自己False self の形成である。
たとえばこんな例を考えよう。母親がピアノを娘に習わせようとする。母親は自分が子供の頃に習うことが出来なかったピアノを娘に習わせたい。娘は本当はピアノを習いたくないかもしれない。しかし次の様な母親の声を聞く。「Aちゃんはピアノを習ったらうまくなるかもしれないわね。そう思うでしょ。」Aちゃんは違和感を感じながらも頷くと、母親は「そうだ、Aちゃんにピアノを習わせてあげるわ。でもピアノを買ったりお教室に通わせるのはお金がかかるのだから、しっかり練習しなくちゃ駄目よ。」 Aちゃんはいつの間にか自分が進んでピアノを習いたいと言い出し、親から恩を着せられるという体験をするが、実はこれは押し付けなのだ。しかしそのことが語られないし、母親の中では否認されている。これが甘やかしのメンタリティである。

2017年9月28日木曜日

日本における対人ストレス (4)

自分の気持ちを持つことを禁止される社会
私の臨床で非常に良く出会うのが、「怒りの感情をもてない」、「自分は自分の感情を持っていいということの意味がわからない」という訴えである。これにはいくつかのレベルがあるらしい。まず比較的病理性の浅い「自分の気持ちをもてない」においては、母親の気持ちが優先されて、娘はそれに従うことを強く強制される。それは比較的巧妙に行われることがあり、しかも母親自身がそれに気が付かない。母親は自らの皮膚自我を用い、娘の気持ちを読み取り、また娘にもそのようにすることを要求することもある。
 これを書いていて、「解離性障害」(岩崎学術出版社)に書いた次の事項を思い出した。
「解離が生じやすいようなストレス状況としては、「投影や外在化」が抑えられるようないくつかの状況が考えられる。それらは具体的には以下のとおりである。
状況1 ネガティブな心の内容を否認したり秘密にすることを強要されること。
状況2 ネガティブな心の内容について語ることに対する恥の意識を持つ(植えつけられる)こと。
状況3 ネガティブな心の内容について責任感や罪悪感を持つ (植えつけられる) こと、である。」

 要するに、ネガティブな感情を表現できないような状況が継続するということである。ただしこれは解離を引き起こさなくても、子供にきわめて強い心的なストレスを与えることは確かであろう。その結果として人格の解離が生じ、影の人格の部分が成立することになる。しかし驚くべきことに、それは「親の側の影人格」と呼応しているという場合がある。ある若い女性は、自分の中の影の部分が、母親の中の影の部分と支配-被支配の関係になり、その人格の存続に貢献していたと語った。

2017年9月27日水曜日

日本における対人ストレス (3)

二つの皮膚自我の相違

この文脈で、皮膚自我と言う概念について論じたい。フランスに留学していた頃(1986年、とんでもない昔)Didier Anzieu という人の”le Moi-Peau” という本が売り出された。Skin-Ego ないし皮膚自我と言う概念についての本だ。スキンエゴ、とか言うともっとらしいが、フランス語の「モワポー」って何や、変な語感だな、という印象を持った。この皮膚自我の概念はただものではなく、生物の由来として、神経と皮膚が伴に外胚様系と言う共通の起源を持ち、感覚のオリジンは皮膚感覚であり、・・・というような難しい話から入り、フロイトの概念との様々な交錯について語り、ギリシャ神話に遡り・・・つまり思弁的なフランス人に特徴的なムズかしい本なのだ。
 他方驚きなのは、皮膚自我は日本の鑪 (タタラ)幹八郎先生という精神分析の大家が独自に打ち立てた概念でもあるのだ。彼の理論に「アモルファス自我論」というものがある。そしてそこにこの皮膚自我と言う概念が出てくるのだ。彼はこれをアンジューとは別に(というか彼の「モワポー」理論は知らずに)提唱している。要するに日本人においては、社交的な文脈での皮膚が自我の重要な役割を占めるという理論だ。「顔色を伺う」という表現を見れば分かるだろう。相手の表情を見ながらこちらの表情を決める。相手の振る舞いから内側の心を察する。この理論をそのままウィニコットの偽りの自己、本当の自己の概念と組み合わせてもいいだろう。言うならば、日本人にとっては、偽りの自己に主たる重きが置かれ、本当の自己こそが形骸化していたり、空虚だったりする・・・・・。待てよ、そんなことを言ったら、日本人は精神病水準ということになってしまわないか?否、そんなことはないだろう。ただしこの皮膚自我の概念は、それを通して、true self, false self という概念はいったいなんだったんだ、ということを考えさせられるようなものでもあるのだ。

2017年9月26日火曜日

日本における対人ストレス 続き

外国体験により解放される日本人たち
日本というお国柄がどのような形で個人にストレスを与え合っているかを知る上で非常に参考になるのが、長期の外国滞在を体験した人たちの感想である。彼らのうち何人かが伝えているのは、海外に出ることである種の緊張感から解放され、伸び伸びと過ごすことが出来たということである。彼らの滞在先は、米国、カナダ、英国、フィリピンと多様であるが、いずれも対人間の煩わしさが少ないことに多少なりとも驚いたという。ある自傷を繰り返す20代の女性は、3か月間の米国滞在の間に一度も自傷が起きなかったという。彼らが一様に英語が流暢とは言えず、日常生活でそれを不自由に感じながらも、同時に自由さを味わったということは特筆するべきであろう。ある人が語ったのは、「外国に出ると、人がどう思っているかをいちいち考えなくてもいい。」という。そしてその理由を問うていくうちに、「彼らがそもそもこちらのことを気にしていないし、彼らがお互いにそうしていない」ということに行き着いたという。私は海外の生活が長かったが、そのニュアンスはよくわかる。しかし彼らに気遣いがないというわけではない。たとえば私はドアを人に続いて入っていく時に、ドアを開けて待ってくれるという配慮を米国では当たり前のように感じたが、日本では以外に希薄であることに気が付いた。また日本ではあまり交わさないような挨拶も、米国では当たり前である。これはなぜだろうと考えると、一つの考えに行き着く。日本の社会では、人の気持ちを単に感じるだけでなく、「読む」という部分が入ってくる。相手が痛みを感じているとする。米国人も日本人も、相手の痛みを感じ取るところまでは同じだ。しかしそこから違うのが、相手がそれをどのように望んでいるかを米国では読んでもらうことを期待しないのに、日本においては、「読む」ことを期待され、それにこたえるようにして「読む」。しかしこれは出口のない展開を見せてしまう。「相手が読んでいるかを読む。」「相手が読んでいるかを読んでいるかを読んでもらう。」・・・・・。日本におけるコミュニケーションのパターンはこれなのだ。そしてこれは甘える、甘えられるという関係に似ている。「相手にこちらの気持ちを分かってもらうことを期待する。」「わかって欲しいと期待している気持ちをわかる」「わかって欲しいと期待している気持ちをわかってもらうことを期待する」…。無間地獄である(大げさだ)。
ともかくも海外に出た若者。この無限・・・から解放される。こんなサラッとした関係があるんだ、と分かる。自分はこれまで何をしていたんだろう。

日本は甘えの社会である。それはお互いに甘え欲求をわかることで成り立つ社会である。それは一つのルールとも言えるだろう。そしてそれを知らなかったり扱えなかったりするとうまく生きていけていないのである。

2017年9月25日月曜日

第10章 治療構造を問い直す


治療的柔構造の発展形 ― 精神療法の「強度」のスペクトラム

初めに
本章の内容は、北山修監修の「週一回サイコセラピー序説 (創元社 2017年)に掲載された私の論文をもとに書かれている。しかしこの「週に一度のセッション」というテーマは、私にはどうも謝罪をしているようなニュアンスを感じる。精神分析は本当は週に4度でなくてはならないが、週に一度だってそれなりに意味があるよ、でも週に一度であるという立場をわきまえていますよ、もちろん正式な精神分析とは言えません、分かっていますというニュアンスである。しかしそれは同時に一種の戒めでもある。「まさか週に一度さえ守れていないことはないでしょうね。」「週に一度は最低ラインですよ、これ以下はもう精神分析的な療法とは言えませんよ」という一種の超自我的な響きがあります。さらにこれは時間についても言える。一回50分、ないしは45分以上のセッションでなければお話になりませんよ。それ以下では意味がありませんよ、というメッセージがある。
 私は性格上あらゆる決まり事、特に暗黙の裡の決まり事に対して、疑う傾向がある。というよりそれに暗に従ってしまいそうになる自分に対する違和感というべきだろうか。無意識レベルでは付和雷同型で、私は元来権力に弱いのだろう。決まりに反感を覚えるのは、その反動形成だと思う。もちろん何にでも反対するというのではなくて、現実と遊離している決まりごとに対してそうなのである。現実を教えてくれる者にはむしろ感謝の気持ちが湧く。だから私はノンフィクションや自然科学に関しては極めて強い親和性を感じるのだ。心理の世界では脳科学がそれに相当する。まあ、話を元に戻しますと、「週一度、50分でなくてはならぬ」に反発する。もちろん週一回、50分できたらどんなにいいだろう、という気持ちもそこには含まれる。週4回は私は実行していますし、それを理想化する部分が確かに私の中でもある。しかし私が持っている患者さんの多くが、それを満たさない以上、この原則は私にとって非常に不都合なものでもあるのだ。


2017年9月24日日曜日

第10章 トラウマと精神分析 (2) ④

解離と「関係性のストレス」
解離性障害が明白な対人トラウマ以外の出来事にも由来するという可能性については、筆者は以前から注目していた。特に解離性障害の患者の幼少時に見られる母親との情緒的なかかわりが大きなストレスとなっているケースに注目し、筆者はかつて「関係性のストレス」という考えを提出した(2022)。つまり明白なトラウマ以外にも、幼少時に親子関係の間で体験される目に見えにくいストレスが、解離の病理の形成に大きくかかわっているという視点である。このテーマについて簡単に解説したい。
 「関係性のストレス」という概念の発想は、筆者のわが国と米国の双方での臨床を通して得られた。患者を取り巻く家庭環境が、両国ではあまりに異なるという印象をかなり以前から持っていたのである。米国の場合には、精神科に受診する女性の患者の非常に多くが、実父ないしは継父からの性的虐待を被っているということが半ば常態化してきた。それは日常の臨床で女性患者の病歴を取る際に歴然としていた。そして筆者はそれが渡米前に数年間持った日本での臨床経験とはかなり事情が異なるのではないかという疑問を抱いた。それでも日本に同様にDIDの存在がみられるとしたら、それは何か別の理由によるのではないか、と考えたわけである。しかしそのような印象は筆者の日本での臨床経験の浅さにも起因しているのではないかとも考えた。
 2004年に帰国してから筆者が出会った日本のDIDのケースの多くは、筆者のそのような印象を裏付けるものだった。実父、継父、祖父、兄からの性的虐待のケースは数多く聞かれたが、また多くの患者はそのような性的虐待の経歴を有していなかった。父親はおおむね家庭において不在であり、そもそも娘との接触を持つ機会や時間が極めて制限されていた。そしてその分だけ母親は家で子供と取り残され、そこでお互いに強いストレスを及ぼしあっていたのである。そこにはまたわが国における少子化の傾向も関係しているように思われた。
 そしてこの問題についてさらに考察を進めるうちに、筆者は「母親の過剰干渉」対「子供の側の被影響性」という関係性のテーマに行き着いた。日本における「関係性のストレス」とはある意味での母娘の関係の深さが原因であり、そこでは母親が娘に過剰に干渉することと、娘が母親からの影響に極めて敏感であることという相互性があるのではないか、と考えたのである。つまり米国における対人ストレスのように、加害者である親と被害者である子供という一方的な関係とは異なり、日本的な「関係性のストレス」は、まさに関係性の病理と言えるのである。そして親子の関係の中でも特に母娘にそのような関係性が見られることは、DIDが特に女性に多く見られることを説明するようにも思われた。
 そこでこの「関係性のストレス」において、特に娘の側の心に何がおきているのかを、力動的に考えてみた。そしてそれを「娘の側の投影の抑制」と理解した(岡野、2011)
 DIDの病理をもつ多くの患者(ほとんどが女性)が訴えるのは、彼女たちが幼い頃から非常に敏感に母親の意図を感じ取り、それに合わせるようにして振舞ってきたということである。彼女たちは自分独自の考えや感情を持たないわけではない。むしろ持つからこそ、母親のそれを取り入れる際に、自分自身のそれを心の別の場所に隔離して保存することになる。そしてそれが解離の病理を生むと考えられるのだ。
 彼女たちが自分の考えや感情を表現したり、それらの投影や外在化を抑制したりする理由の詳細は不明であり、今後明らかにされるべき問題であろう。ただし何らかの仮説を設けることもできる。一番単純に考えた場合は、娘の主観的な思考や感情が母親のそれと矛盾するということそのものが、娘に心的ストレスを起こすのであろう。その意味ではベイトソンの示したダブルバインド状況(5)が、実は解離性障害を生む危険性に関連していたということになる。この問題については、実は安 (3) がかつて指摘していたことでもある。
 この関係性のストレスの概念は、先述の愛着障害とも深い関連を有することは説明するまでもないであろう。両者は用語の違いこそあれ、類似の現象を言い現わしている可能性がある。愛着という現象が乳幼児の行動上の所見から見出されるものであるならば、その心理的な側面に焦点を当てたのが、この関係性のストレスということが出来る。そして愛着の障害が母親と子供の双方の要因が関与しているのと同様、関係性のストレスも両者の関与により成立することになる。ただし愛着が幼少時に限定されるのに比べて、関係性のストレスは子どもが成長しても、また成人してからも観察される可能性があるという点が特徴といえるだろう。現にDIDの患者の多くはいまだに母親とのストレスに満ちた関係を継続しているという点は、筆者が直接係わった患者の多くから得られた所見であった(20)。


2017年9月23日土曜日

Passivity, Non-expression and the Oedipus in Japan

  
 書きなおしてみた。今度はうまく行くかなあ。

The purpose of this paper is to discuss the Oedipal issue among the Japanese. Before elaborating on this topic, I would like to mention some of the characteristics of the Japanese that are rather antithetical to the Oedipal manifestation of capacity and power. Japanese culture is often noted for its passivity, secretiveness and non-expression in various social contexts. What is hidden and obscure tends to be given a deeper meaning than what is external and eye-catching. In his work “In Praise of Shadows,” Tanizaki (1934) describes the Japanese inclination to give aesthetic value to “darkness seen by candlelight.” Japanese culture has more affinity to “penumbra” (a partial shadow), the opposite of the “too-much-light-explicit false-self world” (Abram, 2016).
This inclination of the Japanese mind toward passivity and non-expression coincides with my own trans-cultural experience. During my extended stay in the United States, I had many chances to see American family members hugging and kissing each other in airport lobbies when they were reunited or departing. Some of my American friends were puzzled to see Japanese family members showing very little emotion in these situations. Some Japanese would say, however, that overt shows of affection, such as hugging and kissing, as well as verbal expressions such as “I love you” or “I’m proud of you” strike them generally as too blatant and conspicuous, sometimes to the point of being empty and ritualistic.

Another poignant example that may well depict the above-mentioned Japanese characteristics is Japanese people’s behaviors in group situations. They tend to be very quiet and keep a low profile in situations such as lectures and discussions at universities, while students from different countries are rather more assertive and expressive. Quite often, Japanese students are mistaken as subdued and dejected in these situations. (以下略)

2017年9月22日金曜日

第10章 トラウマと精神分析 (2) ③

構造的解離理論の立場 
ここに述べたジャネの理論を基本的に踏襲しつつ、最近新たに理論的な展開を試みているのが、いわゆる構造的解離理論の立場である。いわばジャネ理論の現代バージョンというわけであるが、この理論についても簡単にみてみよう。オノ・ヴァンデアハート、エラート・ナイエンフイス、キャシー・スティールの3人はジャネの理論を支柱にして、解離の理論を構築した(24)が、その骨子は、人格は慢性的なトラウマを被ることで構造上の変化を起こすというものである。健常の場合には心的構造の下位システムは統合されているが、トラウマを受けることでそこに断層が生じる。それにより心的構造は、トラウマが起きても表面上正常に保っている部分(“ANP”)と、激しい情動を抱えた部分(“EP”)に分かれるとする。そしてトラウマの重症度に応じてそれぞれがさらに分かれ、人格の構造が複雑化していくと考えるのである。
 彼らの主著「構造的解離理論」(24)はかなり精緻化された論理構成を有する大著であるが、そこで問題となっているトラウマは、結局は明白な「対人トラウマ」(以下に記述する)いうことになる。彼らは解離性障害をトラウマに対する恐怖症の病理であるととらえているが、そのトラウマとして挙げられているのは性的、身体的外傷、情緒的外傷、情緒的ネグレクト(無視、放置、育児放棄)である。そしてそれらを知る上でのツールとして彼らが第一に用いるのが、「トラウマ体験チェックリストTraumatic Experiences Checklist(18).というものだが、これは上に列挙したトラウマが、いつの時期に、どれほど続いたかを記入するといった形式をとる。その前提となっているのは、やはり明白なトラウマの存在が解離の病理を引き起こしているという「常識」であると言わざるを得ない。
DIDと幼児期のトラウマとの関係
1970年代になり解離性障害が注目されるようになって以来、解離性障害の研究や治療に携わってきたエキスパートたちは、その原因として、幼少時の性的ないし身体的虐待などのトラウマを唱える傾向にあった。リチャード・クラフト、コリン・ロッス、フランク・パットナムなどはその例である (23)。彼らの研究によれば、DIDの患者の高率に、性的、身体的虐待の既往が見られるという。最近の欧米の文献ではこれらのトラウマやネグレクトを合わせて「対人トラウマinterpersonal trauma」と表現するようになってきているので、本稿でもこの用語を用いることにする。対人トラウマが解離性障害の原因である、というとらえ方は、以降精神医学におけるひとつの「常識」となった観がある。(ちなみにこの概念と、以下に述べる筆者自身の概念である関係性のトラウマrelational trauma との混同には注意が必要である。)
1980年代にDIDの研究のカリスマとして登場したクラフトはいわゆる「4因子説」(14)を提唱した。それによると第1因子は、本人の持って生まれた解離傾向であり、第2因子は対人トラウマの存在、第3因子が「患者の解離性の防衛を決定し病態を形成させるような素質や外部からの影響」であり第4因子は保護的な環境の欠如ということである。すなわちクラフトの理論では対人トラウマがDIDの原因として重要な位置を占める。またブラウンとサックスによるいわゆる3 P モデル(7)でも、準備因子、促進的因子、持続的因子のうち促進的因子として親からの虐待等が含まれる。さらにロスの四経路モデルもよく知られるが、それらは児童虐待経路、ネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路であり、そのうち中核的な経路である児童虐待経路が対人トラウマに相当する。このようにこれらのエキスパートの論じた成因論には対人トラウマが解離性障害の主たる原因として登場するが、母子間の微妙な感情的、言語的なズレから来るストレスについての言及はなされていないのである。
解離性障害の原因は愛着障害なのか?

ところで最近になり、上記の解離性障害に関する「常識」にある異変が起きている。解離性障害の病因として患者の生育環境における母子関係の問題が最近検討され始めているからだ。特に親子の間の情緒的な希薄さやミスコミュニケーション等を含んだ愛着の問題が注目されているが、この問題はこれまで主流であった対人トラウマに関する議論に隠れてあまり関心が払われずにいた。昨秋日本を訪れたパットナムもその講演の中で養育の問題が解離に与える影響について何度か言及していたのが記憶に新しい。
 解離性障害と愛着障害を最初に結び付けて論じたのはピーター・バラック(4)とされる。彼は養育者が子供をネグレクトしたり、情緒的な反応を示さなかったりした場合に、その子供は慢性的に情緒的に疎遠となり、それが解離に特有の無反応さemotional unresponsiveness に結びつくと論じた。
 リオッティは子どもが情緒的な危機に瀕した時に、愛着反応が活性化されるという視点を提供している(15, 16)。そしていわゆる「混乱型愛着」がDIDに幼少時に見られる傾向にあること、そしてその幼児期の混乱と将来の解離がパラレルな関係にあるという説を提唱した。リオッティによると、不安定で混乱したタイプDの愛着により、自己と他者に関する複数の内的なワーキングモデルが存在することが、DIDの先駆体となるという。これはボールビィ (6) が述べた、養育者の統合されていない内的なワーキングモデルが子供に内在化されるという議論を引き継いだものであった。
 このリオッティの研究を継承したのが、オガワ (19)らの大規模な前向性の研究である。この研究は高リスクの子供126人を19歳になるまで追跡調査した。すると混乱型愛着と養育者が情緒的に関われないことが、臨床レベルでの解離を起こす最も高い予測因子となっていたという。またそれに比してトラウマの因子はあまり貢献が見られないという結果も得られたという。
 解離性障害の形成される過程を愛着の視点から検討することは、これまでの明白な対人トラウマにより解離性障害が起きるという「常識」からは大きく外れることになるが、それは以下に筆者が提唱する関係性のストレスの問題とはむしろ近い関係にある。

2017年9月21日木曜日

第10章 トラウマと精神分析 (2)②

このような事情から解離性障害はPTSDとともに、トラウマ関連障害の代表的なものであると理解されている。しかしトラウマと解離性障害の発症との因果関係を示すことは、実は決して容易ではないという事情がある。PTSDの場合はトラウマの多くは成人期のある限定された機会に生じたもの、あるいは一回限りのもので、そのトラウマはPTSDの発症に先立つ3ヶ月以内に見られることが多い。またそのトラウマはそれを引き起こした出来事が実際に報告されていることも少なくない。たとえば19951月の阪神淡路大震災の後に多くの被害者がPTSDを発症したという事実が知られるが、その大震災そのものは世間では誰もが共有している客観的な事実である。ところがDIDの場合は、既に述べたようにその原因となるトラウマの多くは、幼少時にさかのぼることが多い。そのためにその事実関係や背景となる事情に客観的な裏付けを与えることはそれだけ困難となるのである。
解離とトラウマの関係が認識されなかった時期
病的な解離とトラウマの関係が本格的に注目されるようになったのは、比較的最近のことである。それまでは解離という概念そのものが一般に知られていなかった。解離という概念が19世紀末にジャネらにより用いられるまでは、それぞれの現象に異なる呼称が与えられていた。それらは夢中歩行、催眠、交霊会、憑依、話す文字盤等と呼ばれた。また深刻な解離現象としてはヒステリーとして一括されて扱われてきた。そしてそれらの現象とトラウマは別に結び付けられてはいなかったのである。ヒステリーに関してなどは、それが女性にのみ見られ、女性の性的な欲求が満たされないために子宮が遊走することが原因であるなどという妄言が支配的であった。
 18世紀にいわゆる「動物磁気animal magnetism」を考案したメスメルは、事実上催眠を通して解離現象を治療的に扱った最初の臨床家の一人と考えられている。その弟子のひとりであったM・ピュイセギュールは、いわゆる「受身的な発作passive crisis」において、人格の交代が起きることを発見した。そして同様の現象は、ヒステリーで生じやすいことを見出した(10)。
 その後の催眠の臨床的な応用の歴史については、以下のシャルコーに関する記述に譲るが、メスメルに始まる催眠療法の流れは現在まで連綿と続いている。しかしそこでは被催眠性とトラウマとの関係性は積極的に論じられない傾向にある。近年の催眠学界に大きな影響力を及ぼしたミルトン・エリクソンの著作にも、トラウマの問題はほとんど扱われていない(25)。また近年ヒルガードにより提出された「ネオディソシエーション」の理論(13)についても同様である。
 ヒルガードは催眠の際に、被験者に「これから痛み刺激を与えますが、それをあなたは感じません」という暗示を与えた。そして催眠状態において彼に痛み刺激を与えて、それを彼が感じていないということを確かめた。その後に被験者の中に「隠れた観察者」を呼び出すと、その観察者は痛みを感じていることを伝えた。ヒルガードはこのように人の意識には観察している部分が別に備わっており、それが分離して振舞うという様子を示したのである。
最近の「被催眠性の高い人々 The Highly Hypnotizable Person」という著作(12)は、現代において催眠の立場から解離現象をどのようにとらえるかを知る上で参考になる。高い被催眠性を有する人々には、解離性の病理を有する人が含まれる可能性が高いからだ。しかしそれを参照しても幼少時のトラウマと被催眠性を関連付ける記載は見出せない。それは催眠の研究者たちが、むしろ被催眠性を一つの能力として捉え、治療に積極的に用いるという傾向と関係しているであろう。その立場からは、解離傾向を幼少時のトラウマに起因するものという捉え方はなじまないことになる。本来催眠の立場からの解離の理解は、その由来ではなく、その現時点での意識の構造に向けられるものなのだ(9)。
解離とトラウマ:シャルコーの果たした役割

解離とトラウマに関する理解が進められた歴史の中で、ジャン=マルタン・シャルコーの果たした影響は極めて大きかった。彼はそれまで医学の俎上にすら載らなかったヒステリーが、トラウマや身体的な外傷を基盤にして生じるという点に注目をし、同時代人のフロイトやジャネに大きな影響を与えたのであった。
 シャルコーの影響下にあって催眠を学んだフロイトは、ウィーンに戻ってから催眠を用いてヒステリーの治療をおこない、ヒステリーの性的外傷説(性的誘惑説)を唱えた。1896年に発表した「ヒステリーの病因について」(11)で、フロイトは自らが扱った18例のヒステリー患者全員に、幼児期の性的な誘惑という形でのトラウマがあったと述べている。しかしその翌年には、この説を放棄し、その後精神分析理論を打ち立てることとなった。フロイトがやや唐突な形で行ったこの方向転換の経緯は、その後ジェフMマッソン(17)
によりややセンセーショナルに報告されたことで物議をかもしたことは知られる。
 
マッソンは、フロイトは実はヒステリーがトラウマにより生じるという考えを捨てたわけではなかったが、それにより精神分析が社会から受け入れられなくなることを恐れて取り下げた、と論じた。このマッソンの見解は賛否両論を呼んだが、そこで問題とされた性的なトラウマの記憶の信憑性をめぐる議論は、現在においても常に再燃する傾向にある。ちなみにこのフロイトの性的外傷説(性的誘惑説)については、筆者はそこに誘惑する子どもの側の加担を想定しているという点で、本当の意味での外傷説ではなかったと考える(21)。
 解離とトラウマとの関連性に関する議論を進めた点でやはりジャネの功績は非常に大きなものであった。ジャネは解離性の人格交代を示す患者に関する詳細な記録や観察を行い、現代でも通用する解離の理論を残した。彼は解離がトラウマと深い関係にあるとしながらも、フロイトのようにトラウマ記憶の回復を主たる治療手段とはしなかった。またフロイトに見られたような、性的外傷に全てを帰するという理論には批判的であったという(8)。トラウマと解離の関係について、ジャネは「トラウマ後のヒステリー」と「トラウマ後の精神衰弱」という分類をおこなっている。前者は記憶が解離しているのに対して、後者では記憶は意識下にあり、繰り返し強迫的に回想される傾向にあるという。またジャネは彼が解離の陽性症状(メンタルアクシデント)と呼ぶものについて特にトラウマに関係しているとし、またトラウマの強さと持続時間により、人格の断片化が増すと考えた(8)。しかしジャネが治療で目指したのは、フロイト試みたようなトラウマ記
憶への直接的な介入ではなく、あくまでも人格の統合を目指したものであった。

2017年9月20日水曜日

日本における対人ストレス 増補

昨日のをちょっと書き足してみた

日本社会は恥の文化と形容されたり、甘えの社会と称されたりする。これだけを見れば、一般的に人々は和を好み、平和主義的であり、争いごとを避ける傾向にあるように映る。著者も昨年の学会では、日本人の対人過敏性と非・表出性 non-expression をその文化の特徴としてあげた(201753日、台湾にて)。そこであまり強調しなかったのは、その日本社会において人は特異なストレスにさらされているということである。
個人的な体験を最初に述べておこう。私は17年間米国で精神科医として暮らし、10年以上前に記憶したが、いくつかの点で非常に驚いたことを覚えている。人々は職場に遅くまで残り、しかも有給休暇を誰もカウントしていなかった。アメリカでは有給休暇は使い切ることが常識だった。ちょうど期限切れが間近に迫ったクーポンを使うようなものである。それは個人の利益を考えればあまりに当たり前のことだった。しかし日本ではそんなことをする人は誰もいない。そんなことをしたら「周囲から白い目で見られる」のである。あるいは時間が来ても帰る人がいない、というよりそんなことをするとやはり変な目で見られる。家族の為に職場を休むことは自己中心的な行為とみなされる傾向にある。
この問題とカスタマーへのサービスとは表裏いったいであると私は思う。日本の企業も、店員も顧客にいかに心地よさを体験してもらうかを求めている。しかしそのために社員が疲弊するということにもつながる。よりよいサービス、よりよい商品を届けるためには、社員、店員の都合は二の次、という考え方がある。それに比べればアメリカの店は非常におおらかだ。店員同士がしゃべっていてカスタマーを放っておく、ということは常に起きていた気がする。もちろんそんな企業ばかりではない。米国の企業もカスタマーに奉仕するという精神が企業の成功を生む。スターバックスなどはそうであった、とある本に書いてあった。(Charles Duhigg (2014The Power of Habit: Why We Do What We Do in Life and BusinessRandom House Trade Paperbacks)でも大部分の企業ではそうならない。それは個人の都合や快適さが尊重されるからだ。日本に住んでいると自己犠牲が当たり前のようになってしまっていて、どうしてそんな毎日が送れるのだろうと疑問に思うことがある。
もう一つの原体験。これは第一の例とは見かけ上は関係がない。(あるいは本当にないかもしれない。)日本の子供は親からの過干渉に苦しむが、一つには黙ってその気持ちを汲み、知らないうちに親の支配におかれる。そしてその挙句に支配の事実を知り、親からの独立や解放を望むが、そこに試練が待っている。親が子供の意を読み取り、子供が親の意を読み取る。そこに繊細さや敏感さはあるのであろうが、同時にストレスフルな関係でもある。日本で非常に話題になることの多い「母親が重い」というテーマ。これは虐待でもネグレクトでもない別の種類の対人ストレスなのだ。米国の場合は親からのストレスを人はどのように逃れるのか? まず母親がそこまで子供に干渉しない。というのも彼女たちは自分たちの人生での楽しみを追及することの方に忙しいのである。また子供の方はパートナーを見つけて家を出てしまうことが多い。
いったいどうしてこのようなことがおきるのだろう?
甘えとの関連はどうだろうか? 日本では甘えあう関係が注目される。しかし甘えあう関係は互いをストレス下におく関係でもあるのだ。甘えの裏側には相互の支配の病理がある。対人関係における敏感さ、そして受身性。これは前年の発表において強調されたことなので、このことをキーワードにして進めてみよう。
ところでこれが依存の問題とどのように違うのか。依存の場合には、するもの、されるものという方向性が成立している。時にはそこには何らかの代償が発生するかもしれない。依存をする側はある種の見返りを相手に支払うかもしれない。ところが甘えの場合は、甘えさせる(甘やかす)側のニーズが考慮される。甘えるー甘えさせるは相互依存関係といえるだろう。しかもそれはノンバーバルなプロセスであり、契約は存在しない。そしてそのことが相互にとっての負担にもなるのだ。例として、ABに甘えるという状況を考えよう。ABに甘える際、Bがそれを受け入れることを前提とする。もしBにその用意がない場合、Bにとってはそれは負担となり、ストレスとなる。なぜならその甘えニーズを満たすことについては暗黙の強制力が働くからである。その強制力はおそらく日本社会における常識や周囲の目が大きな力を発揮するであろう。


2017年9月19日火曜日

日本におけるストレス

日本における対人ストレス ― 甘えの裏側の病理

日本社会は恥の文化と称されたり、甘えが許容される社会と理解されている。一般的に日々とは和を好み、争いごとを避ける傾向にある。私はこのような特徴を対人間の敏感さと受け身性という観点からかつて捉えたことがある。しかしそこであまり強調しなかったのは、その日本社会において人は特異なストレスにさらされているということである。
個人的な体験。帰国して驚いたことは、有給休暇を誰もカウントしていなかったこと。アメリカでは使い切ることが常識だが、日本ではそんなことをする人は誰もいない。あるいは時間が来ても帰る人がいない、というよりそんなことをすると変な目で見られる。一体どうしてだろう? もう一つの原体験。日本の子供は親からの過干渉に苦しむが、一つには黙ってその気持ちを汲み、知らないうちに親の支配におかれた挙句にその事実を知り、親からの独立や解放を望むが、そこに試練が待っている。親が子供の意を読み取り、子供が親の意を読み取る。そこに繊細さや敏感さはあるのであろうが、同時にストレスフルな関係でもある。日本で非常に話題になることの多い「母親が重い」というテーマ。これは虐待でもネグレクトでもない別の種類の対人ストレスなのだ。米国の場合は親からのストレスを人はどのように逃れるのか? まず母親がそこまで子供に干渉しない。というのも彼女たちは自分たちの人生での楽しみを追及することの方に忙しいのである。また子供の方はパートナーを見つけて家を出てしまうことが多い。

甘えとの関連はどうだろうか? 日本では甘えあう関係が注目される。しかし甘えあう関係は互いをストレス下におく関係でもあるのだ。甘えの裏側には相互の支配の病理がある。対人関係における敏感さ、そして受身性。これは前年の発表において強調されたことなので、このことをキーワードにして進めてみよう。

2017年9月18日月曜日

第10章 トラウマと精神分析(2) ①

はじめに
本章ではトラウマと解離との関係についてさらに論じる。特に最近の新しい動向、すなわち母子間の愛着の問題やストレスもまた解離の原因として注目されるようになっているという事情についても述べたい。
 心の傷としてのトラウマの概念への関心は、わが国でもここ20~30年の間に急速に高まってきた。そこにはアメリカの精神医学の診断基準であるDSM1980年度版(1)に登場した心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder, 以下PTSDと表記する)の概念が大きく影響しているであろう。さらには1995年に私たちを襲った阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、そして昨年の東日本大震災が、私たちに心の傷の意味を考えさせる機会を与えたのである。
 解離性障害とトラウマについては、両者の深い関連性は精神医学的にはひとつの「常識」となっている。心に衝撃を受けた際の一過性の深刻な解離症状は、急性ストレス障害 Acute stress disorder (2)として知られ、さまざまな臨床研究がなされている。ショックを受けて一時的にボーッとなったり、今自分がどこにいるのか分からなかったり、まるで映画のワンシーンを見ている様な気がしたり、あるいはこれまでの人生で起きたことがパノラマのように目の前に現れたり、ということはみな解離の一種と考えられるわけだ。しかし繰り返される深刻な解離症状については、その原因ははるか昔の、幼少時にさかのぼることが多い。ここで深刻な解離症状とは、人格交代現象などを伴う、いわゆる多重人格、ないし最近では解離性同一性障害(dissociative identity disorder, 以下DID)と呼ばれる状態である(2)
   


2017年9月17日日曜日

第7.5章 対人恐怖の精神分析 ④

対人恐怖における謙虚さや謙譲の美徳という意義について

最後に対人恐怖における謙虚さや謙譲の美徳という側面についても触れておきたい。これまで述べたように、対人恐怖はDSM-III1980年)において社交恐怖という形で欧米の精神医学界において市民権を得る形となった。それ以来社交恐怖についての理解と治療を扱った出版物が英語圏でも非常に多くなっている。そこには一種のブームが生じているといっていいが、それらは一様に恥の感情や社交恐怖をなくすべきもの、克服すべきもの、という論調におおむね終始している。それは最近の米国に見られる「恥ずかしがりを克服しよう」という類のタイトルを冠した数多くの著作を目にしてつくづく感じることだ。
もちろんそのような風潮はある意味ではやむをえないことなのかもしれない。欧米社会において社交嫌いで引っ込み思案であることは、社会生活において極めて不利であることを意味する。それと同様に欧米人に控えめさ、謙虚さの意味を説くことにも限界がある。他方わが国には内沼の業績(内沼、1977)に見られるような、恥の持つ倫理的な側面や、それがいわば「滅びの美学」とでもいうべき謙譲の精神につながるとみる立場が存在する。そして対人恐怖症状を持つ人が同時に、他人を優先し、譲歩する傾向を持つことにも注目すべきであろう。
私は対人恐怖の根幹にある力動は、この人に譲りたいという気持ちと裏腹の自分を主張したい願望との葛藤、内沼(1977)が表現するところの 没我性と我執性の葛藤にあると思う。それは既に述べた図式(図1)における理想自己と恥ずべき自己の葛藤と結局は同義であることに気づかれよう。この没我性と我執性の葛藤という問題を全体として扱ってこそ力動的なアプローチと言える。
対人恐怖症状の深刻さはこの両自己像の隔たりに反映されていると説明したが、その隔たりが継続しているひとつの理由は、当人が特に恥ずべき自己の姿を極端に脱価値化するために直視できないことにある。彼らは手が震えたり言いよどんだり、赤面している自分は、それを見たら誰もが軽蔑したりあまりの悲惨さに言葉を失ったりするような姿であると感じている。それらの人々に欠けているのは、おそらく人前で緊張をしたり、パフォーマンスを前にしてしり込みをしたりするのは普通の人にもある程度はおきることであり、その姿を他人に見せたからといって二度と人前に出られなくなったり社会的な生命が奪われたりするわけではないということである。そしてそればかりではなく人前での緊張や引っ込み思案は、他人に自己主張や発言のチャンスを与えるという積極的な意味も担っているということを彼らが知ることは、両自己像の懸隔を近づける意味を持つと考える。
治療関係において恥ずべき自分に対する肯定的なまなざしを向けることを促進した例として、事例Bを掲げたので参照されたい。

事例 A
 (略)

事例 B
(略) 
Bさんと話していて強く感じたのは、アメリカという文化のせいか、彼の控えめな性格が誰からも何らポジティブな評価を与えられていないらしいということだった。彼程度の対人緊張は日本人のあいだでは珍しくないし、だからといってすぐにネガティブな評価を与えられるわけではない。「Bさんが日本の社会に生まれたら、そんなに苦労しなかっただろうに」などと口に出すことはなかったものの、私はしばしばそんなことを考えながら彼との対話を続けた。そしてそのような私の考えは間接的にはBさんに伝えられる結果となっていたと考えられる。
私がBさんの内面を聞き続けて思ったのは、おそらくどのような対人恐怖傾向を持った人にも、健全な自己顕示の欲求は当然ある、という当たり前のことだ。Bさんは治療関係が出来始めたころにこんな話をした。彼は小さいころから目立たず、特に運動も勉強も出来ない子供だったという。そして両親から十分な関心を払ってもらえたということが一度もなかった。そんな彼が小学生のころ、盲腸炎を起こして病院に運ばれるということがあったという。痛みに苦しんでふと見ると、ベッドの周りを医師や看護婦が囲んで自分を見下ろしていた。そのとき痛みに耐えながらも言いようのない心地よさを感じたという。自分の存在を皆が見守っているという感じ。でもその感覚を得るために、彼は普通でいることでは十分ではなく、急病になる必要があったのである。


今だったらどうだろうか?私はBさんともう少しざっくばらんに色々なことが話せたと思う。それで彼の社交恐怖がどれほど良くなったかはわからない。しかし彼に必要以上に居心地の悪さを体験させることは控えることが出来たのではないかと思う。

2017年9月16日土曜日

精神分析とトラウマ(エッセイ)→ 第9章 トラウマと精神分析 (1)

精神分析はかつては米国を中心にその効果を期待され、広く臨床現場に応用されていたが、現在は全世界的に退潮傾向にあるといえる。無意識の探究のために週に頻回の、それも何年にもわたる精神分析プロセスを経ることを敬遠する傾向は強い。しかしわが国においては、精神分析における治療理念はいまだに期待を寄せられ、また理想化の対象になる場合もある。筆者は精神分析学会とともに日本トラウマティック・ストレス学会にも属しているが、トラウマを治療する人々からも精神分析に対する「期待」が寄せられるのを感じている。それは以下のように言い表すことが出来るだろう。それは精神分析はその他の心理療法に比べてもより深層にアプローチし、洞察を促すものであり、トラウマに関連した症状が扱われた後に本格的に必要となるプロセスである、という考え方だ。
伝統的な精神分析とトラウマ理論
ここで精神分析家としての筆者は、多少なりとも自戒の気持ちを持って次の点を明らかにしなくてはならない。それはフロイトが創始した伝統的な精神分析は、残念ながら「トラウマ仕様」ではなかった、ということである。すなわちトラウマを経験した患者に対して治療を行う論理的な素地を十分に有していてなかったということだ。それを説明するうえで、精神分析の歴史を簡単に振り返る必要がある。
フロイトは1897年に「誘惑仮説」を撤回したことから精神分析が成立したという経緯がある。その年の9月にフリースに向けて送った書簡(Masson ,ed,1985)に表された彼の変心は精神分析の成立に大きく寄与していたと言われている。単純なトラウマ理論ではなく、人間のファンタジーや欲動といった精神内界に分け入ることに意義を見出したことが、フロイトの偉大なところで、それによって事実上精神分析の理論が成立した、ということである。この経緯もあり、伝統的な精神分析理論においては、トラウマという言葉や概念は、ある種の禁句的なニュワンスを伴わざるを得なくなった。
その後のフロイトは、1932年のフェレンチによる性的外傷を重視する論文に対しては極めて冷淡であった。フェレンチの論文の内容はフロイトが1897年以前に行っていた主張を繰り返した形だけであるにもかかわらず、フロイトが彼の論文を黙殺したことは驚くべきことである。彼はまた同様に同時代人のジャネのトラウマ理論や解離の概念を軽視した。このようにして精神分析理論トラウマには、フロイトの時代に一定の溝が作られてしまったのである。
ただし時代の趨勢としてはトラウマの役割を無視できないということは以下のカンバーグの記述にもうかがえるであろう。
「…問題は強烈な攻撃的な情動状態への、生来のなり易さであり、それを複雑にしているのが、攻撃的で嫌悪すべき情動や組織化された攻撃性を引き起こすような、トラウマ的な体験なのだ。私はよりトラウマに注意を向けるようになったが、それは身体的虐待や性的虐待や、身体的虐待を目撃することが重症のパーソナリティ障害、特にボーダーラインや反社会性パーソナリティ障害の発達に重要な影響を与えるという最近の発見の影響を受けているからだ。つまり私の中では考え方のシフトが起きたのであり、遺伝的な傾向とトラウマを融合するような共通経路が意味するのは、情動の活性化が神経内分秘的なコントロールを受ける上で、遺伝的な傾向が表現されるということだ。…」。(Kernberg,O.,1995P326
カンバーグと言えば、1970年代から80年代にかけて境界パーソナリティ障害についての理論を打ち立て、精神医学界にも大きな影響を与えた人物のひとりであるが、その病因としてはクライン派の理論に基づいた患者の持つ羨望や攻撃性が強調された。そのカンバーグの立場のトラウマ重視の立場への移行はおそらく、精神分析の世界におけるトラウマの意義の再認識が起きていることを象徴しているように思える。
関係精神分析の発展とトラウマの重視
伝統的な精神分析理論は、トラウマ理論やトラウマ関連障害の出現により逆風にさらされることとなった。精神医学や心理学の世界で近年のもっとも大きな事件がトラウマ理論の出現であったといえよう。1980年のDSM-IIIでPTSDが改めて登場し、社会はそれから20年足らずのうちにトラウマに起因する様々な病理が扱われるようになった。国際トラウマティック・ストレス学会や国際トラウマ解離学会が成立した。現代的な精神分析(関係精神分析)は「関係論的旋回」を遂げたが、その本質は、トラウマ重視の視点であったといえる。
現代的な精神分析における一つの発展形態として、愛着理論を取り上げよう。愛着理論は全世紀半ばのジョン・ボウルビーやルネ・スピッツにさかのぼるが、トラウマ理論と類似の性質を持っていた。それは精神内界よりは子供の置かれた現実的な環境やそこでの養育者とのかかわりを重視し、かつ精神分析の本流からは疎外される傾向にあったことである。乳幼児研究はまた精神分析の分野では珍しく、科学的な実験が行われる分野であり、その結果としてメアリー・エインスウォースの愛着パターンの理論、そしてメアリー・メイン成人愛着理論の研究へと進んだ。そこで提唱されたD型の愛着パターンは、混乱型とも呼ばれ、その背景に虐待を受けている子や精神状態がひどく不安定な親の子どもにみられやすい。
 最近精力的な著作を行うアラン・ショアの「愛着トラウマ」(Schore, 2009) の概念はその研究の代表と言える。ショアは愛着の形成が、きわめて脳科学的な実証性を備えたプロセスであるという点を強調した。ショアの業績により、それまで脳科学に関心を寄せなかった分析家達がいやおうなしに大脳生理学との関連性を知ることを余儀なくされた。しかしそれは実はフロイト自身が目指したことでもあった。
トラウマ仕様の精神分析理論の提唱
以下にトラウマに対応した精神分析的な視点を5項目にわたって提唱しておきたい。
1点は、トラウマに対する中立性(岡野、2009)を示すことである。ただしこれは決して「あなたにも原因があった、向こうにも言い分がある」、ではなく、何がトラウマを引き起こした可能性があるのか、今後それを防ぐために何が出来るか、について率直に話し合うということである。この中立性を発揮しない限りは、トラウマ治療は最初から全く進展しない可能性があるといっても過言ではない。
2点は愛着の問題の重視、それにしたがってより関係性を重視した治療を目指すということである。その視点が上述の「愛着トラウマ」に込められている。フロイトが誘惑説の放棄と同時に知ったのは、トラウマの原因は、性的虐待だけではなく、実に様々なものがある、ということであった。その中でもとりわけ注目するべきなのは、幼少時に起きた、時には不可避的なトラウマ、加害者不在のトラウマの存在である。臨床家が日常的に感じるのは、いかに幼小児に「自分は望まれてこの世に生まれたのではなかった」というメッセージを受けることがトラウマにつながるかということだ。しかしこれはあからさまな児童虐待以外の状況でも生じる一種のミスコミュニケーションであり、母子間のミスマッチである可能性がある。そこにはもちろん親の側の加害性だけではなく、子供の側の敏感さや脆弱性も考えに入れなくてはならない状況である。
3点目は、解離症状を積極的に扱うという姿勢である。これに関しては、最近になって、精神分析の中でも見られる傾向であるが、フロイトが解離に対して懐疑的な姿勢を取ったこともあり、なかなか一般の理解を得られないのも事実である。解離を扱う際の一つの指針として挙げられるのは、患者の症状や主張の中にその背後の意味を読むという姿勢を、以前よりは控えることと言えるかもしれない。抑圧モデルでは、患者の表現するもの、夢、連想、ファンタジーなどについて、それが抑圧し、防衛している内容を考える方針を促す。しかし解離モデルでは、たまたま表れている心的内容は、それまで自我に十分統合されることなく隔離されていたものであり、それも平等に、そのままの形で受け入れることが要求されると言っていいであろう。
 4点目は関係性、逆転移の重視である。これは患者がPTG(外傷後成長)(Tedeshi, RG 2004)を遂げるうえで極めて重要となる。その際治療者の側の逆転移への省察が決め手となる。
5点目は 倫理原則の遵守である。これについてはもう言わずもがなのことかもしれない。特にトラウマ治療に限らず、精神療法一般において倫理原則の遵守は最も大切なものだが(岡野、2016)、ともすると治療技法として掲げられたプロトコールにいかに従うかが問われる傾向があるので、自戒の意味も込めて掲げておこう。
精神分析における倫理基準(American Psychoanalytic Association. 2007, 抜粋) では精神分析家の従うべき倫理基準として以下の点を掲げている。
1分析家としての能力 competence, 2患者の尊重、非差別, 3平等性とインフォームド・コンセント, 4正直であること truthfulness, 5患者を利用 exploit してはならない, 6学問上の責任, 7患者や治療者としての専門職を守ること, である。
最後にトラウマを「扱わない」方針もありうる
最後に蛇足かも知れないが、この点を付け加えておきたい。トラウマ治療には、トラウマを扱わない(忘れるように努力する、忘れるにまかせる)方針もまたありうるということだ。トラウマを扱う(「掘り起こす」)方針は時には患者に負担をかけ、現実適応能力を低下させることもある。もし患者がある人生上のタスク(家庭内で、仕事の上で)を行わなくてはならない局面では、トラウマを扱うことは回避しなくてはならない場合も重要となる。治療者は治療的なヒロイズムに捉われることなく、その時の患者にとってベストの選択をしなくてはならない。そしてそこには、敢えてトラウマを扱わない方針もありうるということである。具体的には黒幕的な交代人格を扱わない、あるいは少し無理にでも「お引取りいただく」ということに相当する。DID治療の原則としての「寝た子は起こさない」(岡野)がこれに該当する。
この方針の妥当性については、ある意味では答えが出ている。ほとんどのDIDの患者について、非常に多くの交代人格が、実質的に扱われないままに眠っているからである。

Masson, J.M. (1985) (Ed.) The complete letters of Sigmund Freud to Wilhelm Fliess, 1887-1904. Cambridge: Harvard University Press. フロイト フリースへの手紙 1887-1904.J.M.マッソン編 河田晃訳 誠信書房 2001年)
Kernberg, O (1995) An Interview with Otto Kernberg. Psychoanalytic Dialogues, 5:325-363 
Schore, A. (2009) Attachment trauma and the developing right brain: origins of pathological dissociation In Dell, Paul F. (Ed); O'Neil, John A. (Ed), (2009). Dissociation and the dissociative disorders: DSM-V and beyond., Routledge/Taylor & Francis Group, pp.107~140. 
新外傷性精神障害 岩崎学術出版社、2009
Tedeshi, R.G., & Calhoun, L.G. (2004). Posttraumatic Growth: Conceptual Foundation and Empirical Evidence. Philadelphia, PA: Lawrence Erlbaum Associates.
岡野憲一郎 編著(2016)臨床場面での自己開示と倫理.岩崎学術出版社 
Dewald, PA, Clark, RW (Eds) (2007) Ethics Case Book: Of the American Psychoanalytic Association 2nd Edition..



2017年9月15日金曜日

第7.5章 対人恐怖の精神分析 ③

Andrew Morrisonの恥の理論

コフート理論の影響下で対人恐怖に類する病理を自己愛との関連で論じられるという方針を明快な形で示した論者としてAndrew Morrisonがあげられる。彼が1989年に著した「ShameThe underside of Narcissism 恥-自己愛の裏の面」は精神分析における恥の理論に大きな影響を与えた。その主張は次のように非常に明快である。「恥とは自己愛の傷つきである。Kohutははっきりとは言っていないが、彼の理論は恥の理論である(「恥の言語で綴られている。」Morrisonは恥の体験はコフート的な意味での自己の病理として捉えられるとした。
ここでMorrison に倣い、コフートの自己愛の理論から対人恐怖心性について考えてみよう。
Kohutの中心概念 (Kohut, 1971) は、平易な言葉では次のように説明されよう。人は敬愛している他者から認められ、敬意を表されるという体験を、「あたかも人が生存のためには空中の酸素を必要とするように」(コフート自身の表現)必要としている。それが自己対象selfobjectの持つ「理想的な両親像であるということ idealized parental imago」と、「ミラリング mirroring」の機能である。精神的な意味で生き続けるためには、それらの自己対象機能を果たすことの出来る他者を必要としている。幼少時は主として親がその役割を果たすであろう。そして成長してからも、友人や先輩や同僚や配偶者との間で、同様の関係を持つ。しかし親により自己対象機能を果たされなかった場合に子供は健全な自己の感覚を養われずに、コフートの言う意味での「自己愛的な病理」を持つようになるとした。Morrison によればそれは恥体験および恥の病理として言い換えられることになる。そしてそのような患者との治療関係においては自己対象転移が見られ、それに基づき治療が進展していくことになる。
Morrisonの説に従えば、ここからKohut理論に沿った治療論が展開されるわけであるが、これを対人恐怖に対する精神分析的なアプローチとして用いることには一つの問題がある。それは対人恐怖ないしは米国における社交恐怖という病態が、Kohut-Morrison流の恥の病理と微妙にずれるということである。これはMorrisonが恥の体験イコール自己愛の傷つきという単純化を行っていることから来る問題ともいえる。対人恐怖者は、自己愛の病理のみにより説明できるかといえば、必ずしもそうではないであろう。単純に考えれば、自己愛的ではない人も、対人恐怖的ではありうる。
ただしMorrisonの治療論を読むと、その対象を対人恐怖や恥を感じやすい人々に限定して論じるのではなく、自己愛の病理一般を恥という視点から見直すというニュアンスを持っており、これはこれで非常に内容が深いという印象を受ける。彼は恥の防衛として生じるさまざまな病理、特に他人に対する憤りや軽蔑といった問題も自己愛が満たされないことから来る怒り(「自己愛憤怒」)という視点から扱っている。これはパーソナリティ障害に広く見られる問題を扱う手段としては非常に有効であろう。ただしそこに現れる患者像は、対人恐怖というよりはDSM的な自己愛パーソナリティ、すなわち自己中心的であり、他人を自分の自己愛の満足のために利用するといったタイプにより当てはまるという印象を受ける。

岡野の対人恐怖理論の図式

私が対人恐怖に対する精神分析的な考察を行った際に導入したのが、二つの自己イメージの葛藤という図式である(図1、岡野、1997)。それをここで紹介したい。これは冒頭で記述した対人恐怖の心性を力動的に説明しようとした試みであり、また先に述べた自己愛の病理の理論を基盤としたものとも異なったものであった。
人は自分を理想化したイメージと、恥ずべき自分というイメージの二つを分け持つことが多い。そしてそれぞれは別個に体験される傾向にある。冒頭のスピーチの例では、スムーズにスピーチをしている自分のイメージが理想自己に相当するが、いったん言いよどみ、冷や汗をかき、「ああ自分は駄目だ!」という思いと共に、今度は「恥ずべき自己」のイメージに支配されるようになる。いわば自己イメージの「転落」が生じるわけだが、それが著しい恥の感情をうみ、それが対人恐怖の病理の中核部分を形成すると考えるのである。
この両「自己像」のあいだの分極に関して重要なのは、この分極の上下の幅がその人の恥の病理の深刻さにつながるということだ。なぜなら恥多き人ほど、「自分は人前で自由に心置きなく自分を表現したい」と夢見ることが多く、それは現実とかなりかけ離れたものとなる傾向にあるからだ。また恥多き人ほど「自分はなんて駄目なんだ!」と思う時の落ち込み幅も尋常ではない。彼らはほんのちょっとした失態で「こんな駄目な人間は生きている資格がない」、とまで思ってしまうのだ。だからこそ対人恐怖傾向のある人においては、「理想自己」はより高く位置し、恥ずべき自分はとことん低く位置する傾向にあり、両者の懸隔は大きくなる。
逆に対人恐怖的な傾向が少ない人の場合は、両者の距離はあまり開いておらず、時には両者は融合して中心付近により現実的な自己として存在している可能性がある。パフォーマンスを職業として選択し、すでに場馴れしている人にとっては、両者の分極する程度はより限定されたものとなるだろう。たとえばプロのレポーターであれば「自分の技量はこんなところだろう」というレベルを想定していて、日常の業務ではそれを大きく超えていることに驚くことも、それが極端に裏切られることも多くはないはずだ。彼らは自分に対する期待値も過度に大きくはなく、したがってそれだけ失望も少ないということになる。プロのパフォーマーなら自分の姿のビデオ再生を見ても、自分がイメージしていた姿と極端に異なるものを見ることはない。つまり「理想自己」から「恥ずべき自己」への転落はおきにくいのだ。ところが対人恐怖傾向のある人間は、自分のパフォーマンスの姿を写真で見ることすら強烈な恥の感情が沸き起こるものである。それは自分がこうあって欲しい、こうであればよかったというイメージが肥大し、そのために現実とのギャップに大きく失望するという悪循環が成立してしまっているからだ。
「対人恐怖」の治療状況における転移関係について

ところで図1を見る限りでは、二つの自己像の反転現象はあたかも自分という内的世界で生じているというイメージを与えるかもしれない。しかしたとえば一人自室で文章を音読していても、よほど臨場感を伴わない限り、対人恐怖症状としての声の震えは生じない。ところがそこで目の前にたった一人が存在しているだけで動揺し、声の震えやどもりを引き起こされることがある。その意味では両「自己」の分極や反転現象は対象との関係により大きく依存することになる。
このことは対人恐怖症状について扱う治療環境を考える上でも重要である。通常は転移関係は治療関係の深まりとともに発展し、そこに患者の病理も反映され、それが治療的に扱われるわけであるが、対人恐怖症状についてはそれが必ずしも当てはまらない。むしろ治療者がまだ見知らぬ、あるいは出会ったばかりの時期にもっとも華々しくなり、それから徐々に軽減していく傾向にある。しかし対人恐怖の力動的な治療に必要とされる患者治療者関係は、あからさまな対人恐怖症状が患者の側に誘発されないような安全な環境が保障されていることが前提となる。その様な環境で初めて、治療関係によりさまざまに動く患者の心境に焦点を当てた治療が行なわれる。それは基本的には支持的で、古典的な分析状況とはかなり異なるものとなるはずだ。
私がかねてから治療実践に生かしているのは、そのような安全な環境を提供した上での、認知療法的な枠組みの導入である。分析的な枠組みと認知行動療法的な枠組みの共存は伝統的な分析的療法の立場からはなじみにくいかもしれないが、今後はさらに試みられるべきものであろう。精神分析的な枠組みは、認知行動療法的なプロセスにおいて生じたさまざまな心の動きについて語る場も提供できるという点で、後者の効果をより高めるというのが私の考えである。そのような例として次章では症例Aを提示したい。



第7.5章 対人恐怖の精神分析 ②

このようなパフォーマンス状況の典型例として人前でのスピーチを考える。誰でも自分が言いたいことを饒舌に話したいものである。自分が表現すべき内容を、弁舌軽やかに話せているときは気持ちがいいものだ。しかし途中で言葉がつかえたりどもったりして、内心の動揺も一緒に表現され始めたらどうだろう。しかも一度口ごもった言葉は、もうすでに目の前の人の耳に届いていて、決して取り戻すことが出来ないのである。人前で話すことが苦手で、それに恐れを抱いたり、そのような機会を回避したいと願ったりしている人達は多いが、彼らはこのような悪夢のような瞬間を味わった結果として、それに対する恐怖症反応を起こしているのである。
以上は症状として見た対人恐怖に関する議論であるが、対人恐怖にはこれにとどまらない部分が関与していることが多い。それは本来他人の目にさらされると萎縮しやすく緊張しやすい、という性格的な素地があり、他人に対する恥や負い目を持ち、人との接触に際して相手を過剰に意識してしまうというパーソナリティ構造である。それが基礎にあり、そこから顕著な対人緊張症状(赤面、声の震え、どもりなど)を生じて対人恐怖の全体像を形作っていることが多い。このことを私は対人恐怖の持つ二重性として捉えている。ここでの二重性とは、対人恐怖が症状を有する症状神経症という側面と、一種のパーソナリティ上の特徴および障害という側面を併せ持つということである。
対人恐怖に伴う性格的な基盤については、森田正馬(1960)が「ヒポコンドリー性基調」と呼んで論じている。またDSMの疾病分類に従うならば、多くの社交恐怖の患者が、回避性人格傾向、ないしは回避性パーソナリティ障害を有するという事情と同様である。

精神分析の文脈から見た恥の病理
従来精神分析においては、社交恐怖を扱う試みは少なかったが、皆無ではなかった。比較的近いところでは舞台恐怖 stage fright (いわゆる「あがり症」)についてのGabbard の論文(Gabbard, 1979)において、同テーマにおける精神分析的な論考の展望を行っている。そこには Bergler (1949)Ferenczi (1950)Fenichel (1954) らの論文が挙げられている。
Bergler は「舞台恐怖」を voyeuristic terror(覗き見恐怖)を原因とするものと考えた。すなわち幼少時に原光景を覗き見たことへの罪悪感への防衛として、覗きを行った主体を聴衆へと転化した結果、それに対する恐れが生じているとする。Ferenczi (1950) は、舞台恐怖にある人は極度の自己注視の状態にあり、一種の自己陶酔状態にあるとした。Fenichel は「舞台恐怖」は無意識的な露出願望、およびそれが引き起こす去勢不安が原因になって生じるものとして説明した。彼によれば対人恐怖的な心性の背後にあるのは、抑圧された露出的衝動であり、患者はそのような衝動を持つことについて懲罰されることの方を選ぶ。その場合聴衆は超自我ないし去勢者として機能し,そこに聴衆を前にした恐怖感が生まれる,と説明する。
これらの説によれば、対人恐怖症的な症状は幼児期のリビドー論的な葛藤の再現ないしはそれに対する防衛として理解されることになるが、臨床的な実用性は乏しいように思われる。ただしFenichel のいう露出願望というのは、患者の持つ自己愛的な側面、自分をよく見せようという願望を捉えているという意味では、私が先にパフォーマンス状況に関する説明の際に触れた、「他者への表現を積極的に行う部分」と同じ文脈にあると言えなくもない。
このような古典的な解釈に比べて、Gabbard の提案は対象関係論的であり、私たちの常識的な理解の範疇にあるといえる。彼は上がり症が一種の分離個体化にまつわる不安に由来すると説明する。ステージに立つということは、「ここからはすべて自分でやらなくてはならない。誰も助けてくれない」という再接近期の不安の再燃につながり、それがあがり症の本質として説明されている。ただその説明だけでは一面的で物足りなく、より心の中の力動に一歩踏み込んでいない嫌いがある。
ちなみにこのGabbardの論文は当時の時代背景を反映したものであった。それまで対人恐怖的な議論は欧米では少なかったが、その流れを変えたのが1980年のDSM-IIIであり、そこに収められた社交恐怖social phobia という新たな概念であった。この社交恐怖は「ひとつないしは複数のパフォーマンス状況に対する顕著で持続した恐れ。そこで人は見慣れない人の目に晒されたり、他人からの批判の目に晒されたりする。人は恥ずべきhumiliatingだったり恥ずかしかったりするembarrassingような振る舞いをすることを恐れる。」とされている(American Psychiatric Association, 2000)。ここに見られる社交恐怖ないしは社交不安障害は細かい点においては異なるものの、多くの点で対人恐怖と類似し、いわば対人恐怖の米国版といった観があった(岡野、1997)。

この時期に同時に見られたのは、対人恐怖様の心性について、自己愛パーソナリティ障害の一型として記載しようとする動きであった。Broucekはその恥についての精神分析的な考察のモノグラフ(Broucek1991)の中で,自己愛人格障害をこのような趣旨に従って二つに分けている。それらは「自己中心型self-centered」と「解離型 dissociative」と呼ばれている。このうち「自己中心型」の方は誇大的で傍若無人な性格で、従来からの自己愛パーソナリティが相当するのに対し,「解離型」では,むしろ引きこもりがちで恥の感覚が強く,対人恐怖的な人ということになる。これらの理論の背景になったのは、1970年代より米国の精神分析会において大きな潜在的な力を持つことになったコフート理論であり、そこで事実上取り上げられることになった恥の感情およびその病理であると考えられる。

2017年9月14日木曜日

第 7.5 章 対人恐怖の精神分析  ①


そもそも対人恐怖とは

わが国において従来頻繁に論じられてきた対人恐怖(現在では社交不安障害という呼び名がそれに相当するだろう)は、精神分析的にはどのように扱われているのかというのが本章の中心テーマである。対人恐怖と精神分析というテーマについて考えるならば、わが国における精神分析の草創期の、森田の姿勢を思い出す。リビドー的な理解を試みる分析学派の論着に対して、森田生馬は果敢に論戦を挑んだと祝える。それから約一世紀たつが、果たして精神分析は対人恐怖を扱う理論的な素地や治療方針を提供するに至ったのだろうか?
 まず精神分析ということをいったん頭から取り去り、対人恐怖とは何かについて論じることからはじめたい。
私個人は、対人恐怖とは「自己と他者と時間とをめぐる闘いの病」と表現することが出来る。対人恐怖は 自分と他者との間に生じる相克であるが、そこに時間の要素が決定的に関与しているということだ。
一般に自己表現には無時間的なものと時間的なものがある。無時間的とは、すでに表現されるべき内容は完成されていて、後は聴衆に対して公開されるだけのものである。表現者の表現は事実上終わっていて、その内容自体は基本的には変更されない。絵画や小説などを考えればいいであろう。両者とも作品はすでに出来上がっている。それが公開される瞬間に、作者は完全にどこかに消え去っていてもよく、それがいつ、どのように公開され、どのような聴衆の反応を得ているかについてまったく知らないでもすむのである。それに比べて時間的な表現とは、今、刻一刻と表現されるという体験を経ている。そしてこの後者こそが対人恐怖的な不安を招きやすい自己表現である。それは以下のような事情による。
私たちは社会生活を営む際、自分自身の中で他者への表現を積極的に行う部分と、なるべく隠蔽しておく部分とをおおむね分け持っているものだ。社会生活とは前者を表現しつつ、後者を内側に秘めて他人とのかかわりを持つことである。このうち無時間的な表現は、上述の通り、それが人目にさらされる際に作者は葛藤を体験する必要はない。しかしそれが時間的なものであり、時間軸上でリアルタイムで展開していくような「パフォーマンス状況」(岡野、1997)では事情が大きく異なる。もしパフォーマンスが順調に繰り広げられるのであればさしあたり問題はない。人は自己表現に心地よさを感じ、それがますます自然でスムーズなパフォーマンスの継続を促す。しかし時には何らかの切っかけで、表現すべき自己は一向に表されず、逆に隠すべき部分が漏れ出してしまうという現象が起きうる。そこで時間をとめることが出来ればいいのであるが、大抵はそうはいかない。対人恐怖とは時間との闘いであるというのは、そのような意味においてである。


対人恐怖の症状に苦しむ人は、通常はある逆説的なかの切っかけでではしているという。いるという。現象に陥っている。それは自分の中の表現されてしかるべき部分と同時に、隠蔽すべき分も漏れ出してしまうという現象である。

2017年9月13日水曜日

第8章 終結を問い直す ③

治療者との内的な関係が残る

精神分析理論とも異なり、別れの否認にもつながる可能性のある「自然消滅」にもそれなりの意味があるのだろうか? そうだとしたら、治療関係には、あるいはそれを含めた人間の関係には、明確な別れがないからだろう。別れても、その人とは関係は心の中でつながっているからである。あとはごくたまに顔を合わせて、あるいは墓前で手を合わせて「確かめる」だけでいいのである。お別れや終結は、一つの、しかも重要な区切りではあっても、関係自体は決して終わらないのである。
こう言うことには少し勇気がいるのだが、人間はある時期が来れば、別れることで、よい関係に入ることが出来るとは言えないだろうか。もっと勇気を出して言えば、それが死別であっても、である。安定した穏やかな関係は、距離のある関係である。距離を持ちつつ、心の中ではお互いを考えているのだ。臨床家ならわかっていただけるだろう。過去に出会ったケースで頭に時折浮かんでこない人はいるだろうか?私はいつも回想の中で出会っているし、対話をしているのだ。それは別れ方によってはほろ苦いものになるかもしれない。そしておそらく向こうもそうやって出会っている。人との関係がそういうものである以上、別れは言葉では言わないものである。あるいは言ったとしても必ず「いつかまた会いましょう。」私はこれは特に別れや喪の作業の否認とは必ずしも言えないと思う。
とすれば終結とは、常に起きうるし、毎回起きている種のものであることがわかる。いつも「これで終わりかもしれない」ことを言語化しないものの、その覚悟で会うのだ。こうなるとドロップアウトすらも終結ということになる。


この後長~い終結例(当然省略)

2017年9月12日火曜日

精神療法と倫理 推敲 ①


 精神療法における倫理

精神療法において問題となる倫理

精神療法における倫理の問題は極めて重要である。臨床家としての私が常日頃それを思うのにはある理由がある。

事例 (省略)

このカウンセラーの取った行動は特に駆け出しのカウンセラーにはありがちな対応であろう。そこで問うてみる。このカウンセラーの行動は倫理的だったのだろうか?
もちろん一概にこのセラピストの行動の是非を論じることが目的ではない。一つ考えていただきたいのは、このセラピストの行動に関連した倫理性には、大きく分けて二つが存在することだ。
①   クライエントの気持ちを汲み、それに寄り添う行動だったか?
②「治療者としてすべきこと(してはならないこと)」に従った行動だったか?
私が長年のスーパービジョン体験から感じるのは、このうち②に関連した懸念が少なくともセラピストの意識レベルでの関心のかなりの部分を占めているということである。「セラピストとして正しくふるまっているのか」という懸念は、おそらく大半の経験の浅いセラピストの頭の中には常にあろう。彼らはスーパーバイザーに治療の内容を報告しなくてはならない。そこでは「それは治療者としてすべきではありません」と言われることへの恐れがある。そしてそれは多くの場合、①を検討する機会を奪うことにつながる。またもしクライエントが自分の気持ちを汲んでもらえなかったとしても、それを直接治療者に訴えかけることはあまりおきないであろう。その結果としてクライエントは気持ちを無視され、いたたまれない気持ちになってしまう可能性がある。
ところでこのような問題を考える際に、倫理に関するある理論が助けとなる可能性があるが、そのことは臨床家の念頭にはないことが多い。それは1970年代より倫理に関して提唱されている、道徳的倫理か、慣習的倫理か、という分類である。その提唱者の代表である Elliott Turiel は、道徳的な決まりmoral rulesと慣習的な決まりconventional rulesとの区別を挙げ、次のように説明する(Kelly, et al, 2007) 。「前者はより普遍的で、それが守られない場合には具体的な被害者が出るが、後者は地域や文化に依存し、守られない場合に具体的な被害者が出ない。」この分類は前出の①,②に相当することは明らかであろう。そして臨床家が①、②のどちらを優先させるかで、その振る舞いはまったく異なったものとなるであろう。もちろんこれら①、②に優劣はない。これらは倫理側の異なる側面であり、どちらが優先されるべきかは状況に依存する。しかし Turiel が示す通り、慣習的な決まりを犯しても具体的な被害者が出ないのに対して、道徳的な倫理を犯した場合には患者が犠牲になることは少なくないという事情がある。それはたとえば治療構造を守る()ことで患者の気持ちがくみ取れなくなる()という形を取ることになる。

Turiel, E. 1979: Distinct conceptual and developmental domains: social convention and morality. In Howe, H. and Keasey, C. (eds), Nebraska Symposium on Motivation, 1977: Social Cognitive Development. Lincoln: University of Nebraska Press.
Kelly, D., Stich, S., et al (2007) Harm, Affect, and the Moral/Conventional Distinction. Mind & Language, Vol. 22 No. 2 April 2007, pp. 117131.
  
治療技法と倫理との関係
上に精神療法においては道徳的倫理と慣習的倫理が問題とされ、一般に後者が重んじられる傾向について論じた。そこで話を戻し、そもそも精神療法における倫理の問題がどのような変遷をたどったかについて論じたい。
別の論文(岡野、2016)でも論じたが、精神療法における倫理の問題は、精神分析における倫理の問題を振り返ることでその歴史的なプロセスの大筋を追うことが可能であろう。
フロイトが精神分析を生み出した当時、分析家の倫理性を問う表立った必然性はなかったと言っていい。あえて言うならば、精神分析的な原則に従うことが倫理的でもあったのだ。精神分析の原則に従うのが正しい治療である、という考えはフロイトの理論の提示の仕方に由来すると言っていい。フロイトがは多くの治療原則を明確に、あるいは暗黙に設けた。それらには禁欲規則、自由連想、受け身性、匿名性等があげられよう。そして解釈の重要性を「金」と呼び、それ以外の治療手段を「混ぜ物(合金)」と呼び、後者に大きな価値下げを行った。それ以来精神分析理論を行うものにとっては、この規則を遵守することが正しいことと考えられた。症状の改善や行動の変化は、いわば歓迎すべき副作用ではあっても、治療の本質とは関係がないとされたのである。Quoted in Roazen, 1975, p. 146)
MacKendrick, K (2007) Discourse, Desire, and Fantasy in Jurgen Habermas' Critical Theory, P83, Routledge.
フロイトは本来人間の倫理性に対しては悲観的な見方をしていた。1818年オスカーフィスカーにあてた論文で、彼は次のように述べる。「倫理は私には遠い存在です。(中略) 倫理に関しては、私は高い水準のものを持っていますが、私が出会った人たちは無残なまでにそこからかけ離れています。」



2017年9月11日月曜日

第8章 終結を問い直す ②


心理療法の場数をこなし、ケースの中断という事態をある程度客観視できるようになると、また反応も違ってくるものだ。しかし治療者にとってイニシャルに近いケースだと、ケースに関して起きる不都合なことはすべて、自分に責任があると考えてしまう。しかも「何が悪かったのか?」の決め手が通常は得られない。クライエントはその理由をわざわざ説明しに来てはくれないからだ。(上にあげた例はどれも、主治医の私が治療者に紹介したクライエントたちがドロップアウトした後に語ってくれた内容である。)すると、何もかも、すべて自分が悪かったのだ、ということになる。初心の治療者は、こうしてますます自信を失っていく。
 私はそのような「手負い」の治療者が救われる唯一の方法は、自分を選んでくれる患者の登場であると思う。そう、クライエントのドロップアウトによる傷心の治療者救い出し、育て上げてくれるのもまた、クライエントの存在なのである。おそらく心優しく、時には厳しいスーパーバイザーの存在よりも。逆に言えば、そのようなクライエントにいつまでたっても出会えないとしたら、その治療者は仕事を変えることを真剣に考えなくてはならないだろう。
心理療法家がこのドロップアウトとそれからの立ち直りをその生業の初めに体験することの意味は大きい。それはある重要な現実の体験である。クライエントは支払うお金と費やす時間に見合ったものを受け取ることができないセッションには来ない、ということだ。クライエントはその点に関してはあまり偽らないし、そこには遠慮も気遣いも少ない(あったとしても、通常の社交上働くそれらに比較すればかなり少ないだろう)。心理療法は実力社会であり、クライエントはこちらの力量を推し量り、来る価値がないと判断したセッションには現れないのである。これほど正直なフィードバックはあるだろうか?心理療法家はそのような厳しい体験を通して、自分の仕事を確立していくのである。

治療は本当に終わるのか?
そもそもラポールを形成する段階まで進んだことのない初心の治療者にとっては、その先の治療過程を経て、終結や別れの作業に至るプロセスは、遠い苦難の道の末の出来事と想像されるかもしれない。しかしあるクライエントに選んでもらえた治療者は、あたかもクライエントと一緒にストーリーを読み進めるようにして歩を進めていく。時にはクライエントが先導してくれたりもする。それは苦難とは程遠く、興味をそそりワクワクするようなプロセスであろう。しかしそれはまた心を痛め、ハラハラし、自らの人生を振り返る機会となるような経験でもありうる。私は終結とは、そのストーリーの結末、結論、集大成、とは考えない。むしろそのストーリーに附属するもの、たまたま訪れる一区切り、というニュアンスの方が近いのではないかと思う。その意味では、終結は人間の死に似ている。
少し極端な問いかけをしたい。「治療関係に終わりはあるのだろうか?」もちろん精神療法に終わりはつきものだ。開始された心理療法と同じ数の終結や中断が生じるはずである。しかし終結や中断は、定期的て継続的ななセッションの終了を意味してはいても、それで治療者とクライエントの関係が切れるわけではない。こう考えることは、終結を重んじ、それに向かってワークするという分析的な立場とは異なるということも確かであろう。しかしこう言ってはなんだが、終結をきちんとしたいというのは、実は治療者の側の理屈であり、ニーズであったりする。
治療関係はいったん始まったら永久に終わらない、というのは暴言であろうか?しかし私たちはなぜ、一度治療関係に入ったクライエントとは、治療終結後も私的な関係に入ることを非倫理的と考えるのだろうか?終結した患者は、いつ何時また問題を抱えて舞い戻ってくるかもしれない。それを二度と受け入れないという理屈を治療者は持っていないはずだ。もしそうだとしたら終結自体が一区切りという意味での仮のもの、ということになりはしないだろうか?少なくともクライエントの側は、「また何かあったらおいでください」と治療者から送り出してもらうことを望んでいないだろうか?
その意味では治療関係に入るということは、その瞬間が、通常の人間関係の終わりであるとすら言える。私は昔精神科の外来で出会い、人間的にも惹かれると感じた相手(患者とはあえて呼ばず)と、今こうして治療者患者関係に入ることで、決して私的な関係には入れない関係になってしまっていることに思い至り、不条理さを感じたことがある。初診面接とはその人とのパーソナルな関係の可能性の終わりであり、いつ終わることもない治療者クライエント関係が始まりでもあるのだ。
終結したクライエントが舞い戻ってくることに治療者が心の準備をしておくという立場は、「一度終結したらもう会わない」という、多くの分析家が持っている立場とはかなり異なる。しかし精神科医として臨床に携わる際には、前者の方が普通であり、医師も患者もそれを前提としている。臨床心理士やカウンセラーも同様であろう。そのようなケース、いわば常連さんが心理士の生計を支えていることすらありうる。そしてこのことは、例えば弁護士にしても税理士にしても、おそらくあらゆるサービス業について言えることだ。彼らにとっては終結や中断は、一区切りであり、関係自体は永続的なのである。

一番多い「自然消滅」のパターン

通常の、特に精神分析的な構造を持つことのない、上述のような明確な終わりを持たない心理療法は、実際どのような「終わり方」をすることが多いのだろうか?私の体験を少し書いてみたい。
私はこれまでに、数多くの心理職の方々の心理療法を担当する機会を持ったが、彼女たち(女性の方が多いのでこのように呼ばせていただく)がドロップアウトするということは、まず考えられない。彼女たちはきちんと終結の予定を立て、そのためのワークを行い、そして去っていく。それにはそれなりの理由があるのであろう。彼女たちが臨床心理職として心についての作業を重ね、治療のプロセスについてもその意味を自覚し、その心理的な起承転結をわきまえている可能性があるだろう。またドロップアウトの持つ破壊性を身をもって承知している彼女たちが、それを自らが行うことには大きな抵抗を感じるということもあろう。さらには狭い業界であるために、いずれは治療者と別の機会で顔を合わせることも多く、あまり失礼な終わり方は出来ない、という思考が働くかもしれない。
それに比べると一般のクライエントの終結の仕方はずっとそっけなく、また自分本位(いい意味を含む)であることが多い。彼らはそれほど、あるいはまったく「きれいな終結」を意識しないであろう。そこにはむしろ現実的な事情が働き、偶発的でより自然な形での終結、私がここで「自然消滅」と呼ぶプロセスがかなり多く見られる。
「自然消滅」それ自体はシンプルな理由で生じる。冒頭で「治療の終結は、クライエントの側に治療継続の動機付けがなくなるから」という言い方をしたが、それがここに当てはまる。クライエントは治療の継続する一定の期間を通じて、治療者から「何か」を受け取るのだ。それは人生の難しい局面に差し掛かっているクライエントへの、洞察を促すような介入かもしれないし、治療者のある種の情熱かもしれない。「安全基地」や「抱える環境」の提供でもありうる。治療が継続する限り、クライエントは治療者からの「何か」にそれなりの満足を得るだろう。しかしそれと同時にクライエントは幾分かの不満をも持つはずである。「こんなものだろうか?」「別の治療者ならもっとしっかり話を聞いてくれるのだろうか?」「少しもよくなっていないではないか。」そのうち「この治療者との関係では、これ以上は望めない。もちろん精一杯やってくれたことはわかるが。」などの気持ちを抱くはずだ。これは程度の差こそあれ、必然的に起きる。いかなる治療も理想化された関係性の不完全なる代償に過ぎないからだ。そして治療者の側も、「自分はもうすでに力を尽くした」や「もう伝えるべきものは伝えた」という感覚、あるいは「自分には力不足だった」という思いが起きるようになるだろう。あるいは「そもそもクライエントが安くない料金と貴重な時間を費やして通ってくるのに見合うだけのものを自分が提供できていないのではないか?」などとも考えるかもしれない。
 この治療者とクライエントの思いは、通常はある程度通じ合うものなのだ。両者はおおむね歩調を合わせて治療の終了に向かう。そしてここが「自然消滅」の特徴なのだが、このプロセスは通常は、それについての話し合いや言語化などがあまり行われないのである。あるいはたとえ言語化が行われたとしても、それによっては触れられない終了へのプロセスの主体は非言語的に進行して行く。
そのようなドロップアウトでもない「自然消滅」の実際の起こり方も、既にみたドロップアウトのプロセスと少し似たような過程を経る。徐々にキャンセルが増えていく。毎週から隔週へと、セッションの間隔があいていくという形をとることもある。一セッションごとの料金が高く設定されている場合には、この頻度の変化はかなり明確な形でその動機の低下を反映しているであろう。ただしこれには患者の仕事やスケジュールの変化が、その直接的な根拠として絡んでいたり、治療者の側の都合が重なっていたりする。そしてふと気がつくと、12ヶ月ほど、あるいは半年ほど会っていないということが起きてくる。お互いに「自然消滅」が起きかけていることを意識しているのだが、それについての口は重い。それを言語化することはよほどシンドいのである。
さて心理療法において終結は大切であるという意見を持ちつつも、私はこの言葉にならない終了プロセスもまた味があると思っている。それは何よりも治療者とクライエントの両者が、それを体感し、味わっているからである。私は別れは言葉を交わすことではなく、味わい、感じ合うものであると思う。それは時には言葉にすることで、その重要な性質が損なわれる性質のものであるかもしれないのだ。敢えて言えば、すべて言葉にするのは、日本の文化に必ずしもそぐわないという気もする。取り立てて口にせず、しかし別れが近づくのを味わう。ここで口にしないのは相手への気遣いでもある。
 大切な人との別れの日に、一言も言葉を交わさずにいつもの道を歩いた、という体験を、私たちは持っていないだろうか? 言葉にしないことで耐えられる別れがある。あるいは別れそのものがはるか先に進行してしまっていて、言葉では追い付かないのだ。それはもちろんフロイトに言わせれば、「別れの辛さを否認している」ことにもなるかもしれない。しかし言葉にしないことで味わう別れもあるのではないだろうか? それが精神療法において生じることも自然なことだと私は考える。
この「自然消滅」のもう一つの特徴としては、クライエントの側に、あるいは治療者の側に、「いざとなったらまた会える」という気持が残されているという点が挙げられる。そこら辺をあいまいにする意味でも、別れをあまり口にしないというところがあり、この側面はまさに否認であり防衛かもしれない。でもそれさえ奪い去る根拠があるかについては、私には自信がない。

私はこの種の自然消滅的な終結を考えた場合、親子関係を二重写しにしている。あれほど濃密な時間のなかで、あれほど親を必要とし、親の側も自分の存在がこれほど求められるのだと感じていた子供との関係が、ある時期からどんどん遠ざかっていく。気がつくと子供は自分たちを必要としていないどころか、ことさら遠ざかっていこうとするのである。あたかも自分の世界を築くためには、親との関係はかえって足かせになるとでも言わんばかりに。そしてある日家を出て行ってしまう。時にはほとんど喧嘩別れのようにして。親は自分の命が少し軽くなったことに少しホッとすると同時に、一抹の寂しさを覚える。
 ところが子供の方も親のほうも、関係が終わったとは露ほど思っていない。子供の方は、「今はとりあえず必要ない。でもいずれはまた帰っていくだろう。」程度の気持ちはある。親のほうも「今は自分の人生で精一杯なのだろう。でもやがて帰ってくるだろう。」実はその「帰っていく」は盆暮れや法事程度なのだ。それこそ親の臨終のときでなければ、あるいはそのときになっても「別れ」は告げられない。それどころか、親の側が「私ももう長くは…」とでも言おうものなら「何を言っているの?」とすぐにでも否定されてしまうのがふつうである。こうして決定的な別れの言葉は回避され、その代わり別れはより心に刻まれるのである。こうして私たちの人生における別れは「自然消滅」の形をとる。