2017年2月20日月曜日

錬金術  21

今日はここら辺の推敲だった。

偉大な魂はブレない報酬系を持つ
 最後に偉大な魂と愛他性の問題について触れたい。物事に固執せず、余計な期待をせず、諦めがいい心と愛他性問題はどのように関連しているのだろうか? あるいは両者に果たして関連性はあるのか? 実はあるのだ、と私は考える。
 愛他的であることは、自己愛的な満足を得ることとは対極的である。自己愛な人とは、他人から満足体験を吸い取る人である。人が自分を振り向かなかったり、自分を称賛しなかったりすると不満に感じ、怒りを覚えるのだ。愛他性の場合は、他者からの関心、愛情という入力ではなく、自分からの出力が問題となり、それは出力である以上自分のコントロール下に置くことが出来る。人から愛される保証はなくても、人を愛することはいつでも好きなだけ可能なのである。 ただし「諦めのよさ」それ自体は、愛他性と常に一体とはなっていない。愛他的であることは「諦めのよさ」に貢献する要素であるとしても、愛他性を含まない諦めの良さもある。たとえばプロのトレーダーを考えよう。一つの銘柄で思いがけない損失が出たからといってアツくなることなく、それはそれで諦め、善後策をもって冷静に対応するだろう。他方投資の依存症に陥っている人の場合は、損失が出ると諦めるどころか一気にカーッとなって、それを取り戻そうと、さらに無理な投資をするかもしれない。優秀なトレーダーであるということは、例の射幸心がいたずらに刺激されないことである、と言い換えることができるかもしれない。しかし私の中では、それは死生観ともつながっていく。というかそちらに結び付けていかないと話が面白くない。