パンクセップの探索システム
ところでこれまで本書で論じてきた報酬系と深く関連した概念を紹介しよう。ここら辺はアカデミック話だ。
。私が注目しているニューロサイコアナリシスという学問があるが、この世界での論客にヤーク・パンクセップという学者がいる。彼は「探索システム」という概念を提唱している。以下は「ニューロサイコアナリシスへの招待」(岸本寛史編著、誠信書房、2015年)を参考にする。彼は「探求(Seeking)システム」について、これが最も基本的な情動指令システムであり、あらゆるものが、その探求の目的となるという。そしてそれが従来は「報酬系」と呼ばれたものだとする。そう、パンクセップによれば、探求するシステムこそ、報酬と深く関連している、というよりは報酬と探求ということは同義だと考えられているのである。実際に報酬系は特定の対象を持たず、ただその満足を追い求めるシステムなのだ。
ここでseeking システムの具体的な神経回路を示すならば、それはとりもなおさず報酬系の場所であり、中脳の腹側被蓋野(VTA)から前頭葉へと投射される中脳皮質系と、VTAから側坐核へと投射するドーパミン作動神経・・・・・ということになる。
大体通常の脳科学の教科書ならここで終わるのだが、この報酬系の場所がわかったからと言って、いったいどうだというのだろう?と問うのがこのブログの方針である。これまでの様々な脳科学的研究により、脳のどこを刺激したら快感ないしは不快が生じるのか、ということを私たちは知るようになってきている。それがたとえばパンクセップの言う探求システムというわけだ。しかし最も根本的な問題、すなわち快感とは何か、ということについては、何一つなぞは解明されていない。
生命体の驚くべきことは、この脳のごく一部の報酬系を興奮させるために、あらゆる行動が構成されるということである。これが存在することで、捕食や生殖行動が可能となる。この仕組みは考えれば考えるほど不思議であり、かつ複雑である。それは同様のプログラムを人工知能に作ることを考えれば分かるだろう。
ヤーク・パンクセップは言う。このシステムにより、動物は世界を探索し、求めているものを見つけると興奮するようになる。その「求めているもの」とは食物であり、水であり、温かさであり、最終的にはセックスである。このシステムの興奮により人は好奇心を持ち、知的な意味でさえ探索をするのだ。(だからこれを探索システムとなずけたというわけだ。)
この探索システムは下等動物、aplysia、アメフラシなどにも存在するという。アメフラシは水の中で負の走光性を示し、暗い方を探索する。くりかえすが、パンクセップの概念の面白いところは、この快ということと、世界を探索し、自分の居場所を探すということを結び付けているというところだ。ところが、ここからがよくわからないのだが、彼は快感中枢の刺激を求めてレバーを押すラットも、報酬系と回路が重複するOCD(強迫性障害)も、同じようなコンセプトから説明できるという。ただし後者のOCDの場合は、探索が上手く行かずに、ある種のループに嵌っているということが特徴であるという。その場合には肝心の快感が消失しているということだ。
パンクセップの探索システムが教えてくれること。それはそこに介在するドーパミンは「そそる状態 appetitive
state」には関係していても、「ガツガツ貪り状態 consummatory
state」には関係していないということだ。探索は、「あ、あそこに餌があった。やった!」に関係はしていても、その餌にありついて貪り食っている時にはもう低下している。このことはすでにドーパミンシステムの不思議な振る舞いとして私たちが知っていることである。
そうしてもう一つ驚きの事実を書いておこう。この探索はまた、嫌悪の回避にも関係しているという。不快を避けようとさまよっている(これも一種の探索なのだ)時にも、ドーパミンが活発に活動しているというのだ。
ところでこの部分を書いているとき、私はあるブログの力を借りている。ここら辺、繰り返しね。MyBrainNotes™.com の Sarah-Neena
Koch という女性の手によるこのブログは、脳科学に関するきわめて有益な情報源である。その彼女がこう書いている。報酬系の刺激に関する行動と、強迫行動はどこかとても似ているというのだ。少なくとも脳に刺激を与えるべくレバーを叩き続けるネズミはそうだという。自己刺激をしているネズミは、快感を得ているというよりは、追い立てられた状態に近いという。何かに夢中になり、駆り立てられ、それ自身は心地よくなく、ただただ上り詰めていく状態。ネズミを使って強制的に泳がせるという実験があるが、そのような時もやはりドーパミンが大量に放出されている。それは一種の探索が起きている状態である。そしてパンクセップによれば、快感とはむしろドーパミンが低減していくプロセスに関係しているという。探索が行き着いた先、というわけか。えーっ?
うーん、不思議なるかな、ドーパミン。私たちは通常、快楽とはドーパミンの放出に関係している、と習っている。常識ではそうだ。しかしドーパミンの放出は快楽の予期だけでなく、ストレスの体験の最中にも出る。そして快楽そのものはその低下で起きているというわけである。
この世界に棲む私たちは、常に溢れるばかり情報に晒されている。それは脳の感覚野で情報処理された後に扁桃体に送られる。扁桃体は大脳辺縁系のポータルサイトとでもいう部分で、そこでは、蓄えられた記憶を頼りに、それを避けるか、求めるか、無関心でいるか、という分類をするのだ。情報はそれから下流に流れて、最終的には自律神経系に行き着き、体がいかに反応するかを準備する。たとえば心臓がドキドキしだすとか、汗が出てくるとか。そして扁桃体は、一種のサリエンス・ランドスケープを作る。それは一種のマップであり、世界の何が自分に欲望を抱かせるか、何がそうでないか、というランドスケープ(景色、見晴らし)のことだ。
Sarah はブログでオピオイド(アヘンの類)にも触れて、このオピオイドが一種の形状記憶 shape memory を、世代を超えて形成するということにも触れている。妊娠したネズミにストレス状態 (酸素をあまり与えない、など) に置くと、生まれた子供はより多くのオピオイドを消費する。またネズミが生まれて間もないときにストレスを与えると、より多くのオピオイドを摂取するなどのことが生じるというのだ。