2016年5月12日木曜日

トラウマ治療として共通因子を探る (2)

1.従来の精神分析のトラウマに対する立場
私の周囲には、それまでさまざまな治療法に興味を持っていた人たちが、ふと一念発起して精神分析のトレーニングを始めるということが時々起きます。精神科医として、臨床と研究をつづけ、論文を書き、大学病院での地位を築き・・・・という道を歩む代わりに、精神分析という奥の深い道を、時間と労力をかけて極めたいという意図を持つ人が少なくないのです。東京の精神分析協会員は若いキャンディデート(候補生)が増加していく傾向にあります。
もちろん精神分析には100年の歴史がありますから、その国際的なシステムは非常に整っていますし、トレーニングのフォーマットや従うべきルールもすべて決まっています。精神分析家になりたい人は審査面接に合格すると分析の候補生となり、自らの教育分析を受け始めたのちに、ケース(コントロールケースとよばれます)を開始します。また同時に週末には精神分析の理論に関する授業を何時間も受けることになります。
これらの一つ一つにはきわめて長い時間と労力と時間が費やされます。そしてどんなに最短でも数年をかけて、また多くの人は10年以上もかかって、精神分析家の資格を得ます。なぜそれだけ時間がかかるかといえば、自分の精神分析を週4時間、自分が週4回の分析を行うケースを少なくとも二つ(アメリカでは3ケースでした)、自分のケースのスーパービジョンを週に2時間、週末の何時間にも及ぶ授業などを合計すると、それだけで週に20時間以上、まるでパートタイムの副業を持つような状態になります。しかもコントロールケースから入るお金は通常わずかですし、教育分析家やスーパーバイザーに払うお金や授業料などによる支出の方が膨大になりますから、トレーニング中は経済的にも非常に厳しい状況になります。更には教育分析に通うだけで、一日何時間も通うということが起きてきます。自分の教育分析家が都合よく同じ町に住んでいるとは限らないからです。そこでそれらを一度でこなす事は事実上できず、それを引き延ばして部分的にやって行くしかありません。それに日本の場合は分析学会で発表したり原著論文が受理されなくては、分析家の資格が認められません。
それほどの苦労をして精神分析を極めたい、という気持ちが彼らの中にもあり、私の中にもあったのです。ところが実はそこで獲得されることはきわめて主観的で、個人差の大きいものです。あえてその成果を数値化できにくい世界の話といえます。
そのような精神分析的な営みの特徴を一言で言うならば、「症状に意味を問う」「症状の背後にあるものを探索する」ということでしょう。少なくともフロイトが追求した精神分析はそうだったのです。このトラウマティックストレス学会で話題となるようなケースは、さまざまなトラウマやストレスを体験しています。それは幼少時の親子関係における問題であったり、学校での苛めの問題であったり、性的な被害の問題であったり、自然災害によるものであったりします。それらのさまざまなトラウマやストレスは多くの症状を引き起こします。私たちは彼らのトラウマ記憶を扱い、恐怖や屈辱や恥の感情を扱い、それとともに症状は徐々に程度は改善して行きます。そこで治療の対象となっていたのは、あくまでも加害者ないしは加害的な事象により被害をこうむったということ、いわば被害体験という受け身的な体験です。しかしその後は患者さんはどうなっていくのでしょうか。おそらく患者さんたちは自分たちの体験に対して受身的な姿勢を保つだけではなく、それに対峙し、その意味について考え、それを克服して行かなければなりません。また同時にどうしてそのようなトラウマが生じたのかについての振り返りも必要になってくるでしょう。それらはトラウマ症状がある程度解決した段階で問題になってくるものですが、その段階で、治療者にここから先何ができるのか、という思いを持つのでしょう。また別のケースでは、症状を扱ってもなかなか改善せず、その人がその背後に持つパーソナリティの問題を伺うことが出来、それを扱わない限りそれ以上の進展は見られないだろう、と治療者は感じるかもしれません。そのようなときに精神分析的な考え方が必要と感じられるのでしょう。
ただし残念ながら従来の精神分析理論は、少なくともトラウマが扱われた後の治療にむけられたわけではありませんでした。フロイトが精神分析を創出して行ったプロセスを考えればわかるとおり、フロイトはトラウマの代わりに、内的な欲動を扱うという考えを持ち、それを発展させたのです。そこにはやはり、トラウマをそれとして扱うことを放棄したというニュアンスがあります。そのために今でも精神分析においては、トラウマ理論は敬遠されがちであるという事情があります。そしてそのことが、精神分析家がPTSDや解離性障害を扱うことを従来は難しくしてきたという事情があるのです。分析家は原則としてトラウマを扱わない、という不文律が成立していたといってもいいでしょう。こうして少なくとも欧米では、精神分析家とトラウマを扱う治療者の間には一種の対立関係があったのであり、だからこそトラウマをう扱う治療者が精神分析にある種の期待を抱くという事情が意外であり、また若干当惑を抱かせるという事情でもあるのです。

この精神分析の伝統はトラウマにどちらかと言えば背を向けていたこと、精神分析の伝統は残念ながら「トラウマ仕様ではなかったこと」は、実は多くの分析を専門としないセラピストたちが知らないことであり、彼らの期待を向けられる精神分析家の立場としては、最初に断っておかなくてはならないことなのです。