2016年3月31日木曜日

報酬系 ⑰


ところで突然清原氏の話。まあいいや、K氏にしておこう。極悪人のように扱われるが、やはり病気としてとらえる方がわかりやすい。もちろん覚せい剤を常習する人は、闇の世界とつながっている確率はそれだけ高くなるし、違法な行動に手を染めることも少なくないだろう。でも彼らは、他の犯罪者とは異質の人たちである。
覚せい剤をやった人の脳は、もはや普通の人の脳とは違っている。覚せい剤によるイニシャル・ハイはすさまじく、再びそれを得たいという願望は計り知れない。そうなるとどうなるか。頭はそのことしか考えられなくなるのだ。ちょうど腰痛や頭痛に苦しむ人は、その痛みに頭を奪われ、他のことを考えられなくなるだろう。それと同じことが起きる。もちろんアディクションの病魔に襲われた人なら同様だ。パチンコ中毒の人は、足を洗って何年たってもパチンコのこと以外は考えられないようになってしまうという。
彼は頑張って更生する、というメッセージを公表したようだが、その嗜癖の程度によっても違うものの、彼は覚せい剤をやらなく(やれなく)なったとしても、そのことばかり考えている腑抜け(差別用語ではないだろうな?)の状態になりかねない。それでは更生どころではないだろう。
しかし薬物中毒にも、パチンコ中毒にも、アルコール中毒の人にも様々なレベルの人がいる。問題の薬物や行動を絶って3年たった時に、中毒になっていたものが頭の100パーセントを占めているか、50パーセントなのか、はたまた10パーセントなのかは、人によって異なる。ちょうど100年前にコカイン中毒になったドクターハルステッドとドクターフロイトのうち、前者が廃人になり、後者が創造的な活動を続けられたように( Howard Markel (2011) an Anatomy of Addiction - Sigmund Freud, William Halsted, and the Miracle Drug COCAINE. Vintage Books を読んでその影響を受けて書いている。)
私は絶って3年たっても頭の60~70%を薬やパチンコのことが占めている人は廃人に近いと思う。それらの人は、チャンスさえあれば、ドラッグディーラーと連絡を取ろうとし、パチンコ屋に飛び込むだろう。そうしないことが堪えられないからだ。ちょうど始終頭痛に悩まされている人が痛み止めを飲まずにはいられないように。それに耐えるのは人間として不可能なことなのである。でも幸い頭の10%しか占めない程度の嗜癖の人の場合は、治療が可能であろうと思う。彼らはほかのことに夢中になったり、気を紛らわすことで嗜癖薬物に手を出さないで済むだろう。あとはいかに意志を強く持つかであり、そのためのAA,NA,GA(ギャンブラーズアノニマス) も役に立つのだ。
薬物中毒の人は一般の犯罪者とは異なった施設で、治療に専念するという欧米の考え方が日本にも導入されるべきであろう。精神病の人は犯罪を犯しても心神喪失状態と判断されて免罪の対象になる。彼らが物事の善悪を見極めることが出来なくなっているから、というのがその理由だ。しかし中毒患者は善悪を見極めることが出来ても行動を律することが意志の力ではできない状態にまでなっていることが多い。
しかし彼らが通常の犯罪者とは異なるからと言って、すぐにでも娑婆に出ることが薦められるというわけではない。彼らはある意味では、語弊はあるが、一生娑婆に出ないほうがいいのである。

中毒患者は犯罪者ではない、しかし娑婆に出ないほうがいい???


人の嗜癖は、誘惑物が身近にあるかないかで決定的に違う。私はピーナッツがあると延々と食べてしまう可能性があるが、家のどこを探してもない時に、さすがに店にまで買いに出かける熱意もない。そういう時は難なく過ごせるのだ。一番難しいのは、目の前にピーナッツ(実は正確に言えばピーナッツ・ブリトル。これがタマラない。アメリカにいるとき、すっかりはまって、一時3食がこれになっていたことがある。)
危険なピーナッツブリトル。これに手を出すのはやばい!

 があり、それに手を出さないことだ。ある中の人でも、町のどこを探してもアルコールが手に入らない場所では、苦痛は半減するのである。コカインしかり、ヘロインしかり。だからドラッグフリー、パチンコ屋のない町でも作り、そこで彼らが普通の社会生活をしてもらう、というのが本当はいいのだ。そして入院病棟とは、そんな環境である。(しかしアメリカなどでは、監獄の中でもドラッグのやり取りが行われていたりするから恐ろしい。)

2016年3月30日水曜日

報酬系 ⑯

そう、私自身は享楽的ではなく、むしろすごく臆病である。悪い友達から「シャブをやらないか?」と言われても、絶対に手を出さないタチである。そういう人間に限って「不埒な夢」を見るのだ。

報酬系は慣れていくことを生業にしている
なぜ報酬系はこんな意地悪をするのか。これは痛み止めや眠剤により恩恵をこうむる私たちが当然すぎるほど同然持つ疑問であり、不満であろう。
報酬系は慣れてしまう。これは報酬系の持つ、ありがたい、そして決定的に不幸な性質でもある。原因としては二つ考えられる。ひとつは、感覚器自体の性質であり、もう一つは報酬系そのものの性質である。肌触りのいいカーペットに手を当ててみよう。ふかふかでいい気持ちだ。ところがそこに手を置いておくだけとすぐに何も感じなくなる。手を動かすことで感覚器からの肌触りが連続して脳に伝わる。見た瞬間に美しいと思える絵画。もし目を固定してしまうと、おそらく何ら視覚情報が脳に伝わらなくなってしまい、何を見ているかすらわからなくなるだろう。聴覚情報も全く同じだ。感覚器はそこに連続的に異なる刺激が加わることで初めて報酬系に訴えかけるようになる。
そうしてもう一つが報酬系そのものの持つ、慣れとしての性質である。いかなる刺激も、「イニシャル・ハイ」の後は色褪せていく。コカインやアンフェタミンを初めて試した時の強烈な快感は、その人の一生を変えてしまうだけの効果を持つ。人はもう一度あの快感を得たいと繰り返し薬物を用いることになる。これをイニシャルハイの追跡とchasing of initial highと呼ぶが、もう二度と同じ形では得られないのである。
もちろんこれには但し書きが付く。最初の体験がピークに達しなかった場合には、それはイニシャル・ハイとは呼べないであろう。報酬系をドーパミンが満たし、そのリセプター(受容体)のすべてを刺激するに至らなかったら、その快感はピークとは言えない。残念ながら鼻から吸引したくらいではそのレベルには達しない。コカの葉っぱを数枚噛んだくらいでは、それよりはるかに下のレベルである。それらの人はコカインを静脈から注入することで、さらに高い快感を得ることになる。そちらがイニシャル・ハイを提供するだろう。問題はしばらくしてまた同じ量のコカインを静注したとしても、それに至らない。それはどうしてだろうか?
二つの可能性が考えられる。あまりのドーパミンの量に驚いたシナプスが、そのリセプターの数を減らす。いわゆる下向き制御 down regulation だ。しかしこれにはタンパク合成のプロセスを含み時間がかかる。もう一つは、神経細胞が焼き切れてしまう可能性だ。本来神経細胞は、あまりに興奮すると、カルシウムイオンが流入し、アポトーシス(細胞の自然死)を起こしてしまう。つまり快感を与えてくれる細胞が死んでしまい、もはや快感を以前ほど得られなくなってしまうという問題が起きてしまうのである。


2016年3月29日火曜日

報酬系 ⑮


麻薬入りの鎮痛剤も、マイナートランキライザーも、人の痛みや不安を押しなべて解消してくれたのだろうか?あながち否定はできないかもしれない。しかし私の臨床体験はこの疑問に否定的である。まず痛みの問題。私はアメリカで17年間聞いていた患者の痛みは、日本人の患者に比べてはるかに深刻だったという印象を持つ。逆に日本で聞く不安や不眠の訴えは、アメリカ人に比べてはるかに深刻という気がしてしまう。起きていることが逆なのだ。
そうそう、眠剤についても述べておくべきだろう。
実は日本は眠剤天国で、様々な眠剤が処方できる。マイナートランキライザーを主体とした眠剤は多数使用できるし、それこそバルビツール系のより強い、多量服薬で自殺の可能性があり、嗜癖の可能性もある眠剤(ラボナ、ベゲタミンの類。私はひそかに「プロ仕様の眠剤」と呼んでいる) も平気で処方されている。他方のアメリカでは、事実上これらの眠剤の処方はNGである。理由は「嗜癖を生むから」。様々な薬剤が合法的、非合法的に出回っている国で「よくいうよ」といいたくなるが、もちろんだからこその予防手段だ。

さてここでの話題は、魔法の薬たちは、どうして人を幸せにしていないかということである。今日会ったある患者さんは「初めてソラナックスを飲んだ時は、不安がスーッと消えて、嘘かと思いました。」でもこの嘘のようなマジックは、使っていくうちに少しずつ色あせていく。オキシコンチンもしかり。最初はマジックが働く。そしてそのうち効かなくなってくる。薬が体から抜けていくときはむしろ苦しい。いわゆる「耐性」が生じるのである。そこには一つの重要な原則があるように思われる。「嘘のように効く」ほど体制も生まれやすい。ジワジワと、いい感じで効いてくる効果は、長続きがする。だから私は抗不安薬を出すとき患者さんに言う。「とにかくケチケチと使ってください。あなたが使い惜しみをすればするほど、この薬は効果を発揮してくれますよ。事実そうやってマイナー系の抗不安薬や、麻薬入りの鎮痛剤の恩恵に長く預かっている人もまた多いのだ。
ちなみに蛇足であるが、私はマイナートランキライザーは全く使ったことがない。もちろん医者の駆け出し時代に「試のみ」を経験はしているが。麻薬入りの鎮痛剤もしかり。十年ほど前にアメリカで抜糸をしたとき、私の心優しい歯医者は、オキシコンチン入りの鎮痛剤を3日分くれた。私はそれを「いざというとき」のために飲まずにとっておいたが、そのうち古くなって捨ててしまったのだ。

2016年3月28日月曜日

報酬系 ⑭

いまアメリカでは、麻薬入りの鎮痛剤が蔓延し、それによる中毒や死亡が大きな社会的な問題になっている。そのため一定期間に処方できる量を調整しようという動きが起きているのだ。それらの薬とはOxyContin, Percocet and Vicodin だという。オキシコンチン、パーコセット、バイコディン・・・・。懐かしい名前である。私が米国に滞在していた当時、これらの薬は盛んに処方され、横流しもされていた。当時からすでに問題となっていたことを思い出す。
今アメリカの街の至る所で、一種の悲鳴のような声があちこちで聞かれるそうだ。「先生、私の薬を減らすんですか?オキシコンチン一日6錠でもこんなに腰が痛いんですよ。それを3錠に減らすなんて。痛みで死んでしまいますよ。先生は鬼ですか?」
私は一種の感慨に似たものを感じる。日本では痛みに麻薬の入った薬が出ることはない。皆ハナからそんなことを期待していない。その代りアメリカ人なら見向きもしないような、「非ステロイド系抗炎症剤」、オキシコンチンの何分の一も効かないような通常の痛み止めをせっせと飲んでしのいでいる。幸い腰の痛み、肩の痛み、頭の痛みに苦しんでいる日本人が、アメリカ人よりはるかに多いという印象はない。あまり変わらないのだ。
ちなみにこの話には裏がある。日本人のトランキライザーの使い方である。これについては日米が逆転しているようだ。日本の病院のコンピューターの入力システムでは、「ソラナ」と入れるとあとは、「ソラナックス 04.mg 一日3錠、28日分」と自動的に入力される。ソラナックスを一日3錠は「定番」である。2004年に帰国して、初めは驚いた。アメリカではこれが考えられない。ソラナックスなどのトランキライザーは嗜癖になりやすいと言うので、定時薬として処方されることはホントに少ないし、医者の間で顰蹙ものだ。薬中毒を幇助している、といわれかねない。それでいてアメリカではアルコール中毒は日本の10倍以上、そして巷にはマリファナはおろか、コカイン、メタンフェタミンなどが蔓延しているのだ。アメリカ人はマイナー系にすぐに中毒になってしまうので、確かにこの処方に注意深くなっているのは賢明なことである。
ちなみにでは日本人にマイナー系の中毒が多いかというと・・・・。それほどでもない。ちょうどお酒はコンビニでもどこでも買えるが、アメリカ人ほどアル中にならないという事情と少し似ている。
 麻薬入りの鎮痛剤も、トランキライザーも、いずれも一種の苦痛(前者は痛み、後者は不安や不眠)を一時的に取り除く薬だ。人はそれを飲んで、その聞き味に驚く。医学の進歩に驚き、あるいは現代人はもっとそっけなく「あ、痛かったらこれを飲めばいいんだね。」と受け入れる。付けはそのあとにどんどんまわってくる。


2016年3月27日日曜日

報酬系 ⑬

さて臨死体験はどうだろう?私の不埒な夢も、もとはと言えば臨死体験において生じる不思議な現象が発想にある。死を目前にした人が体験する至福のとき。時間の流れが変わり、過去の思いが走馬灯のようによみがえるパノラマ体験。死を直前に控えた人間が持つこの特殊な体験については、従来様々に論じられている。もちろんそれを後になって報告する人が「死んで」はいない以上、それらの報告は虚偽や妄想かもしれない。しかしそれにしてはそれはあまりにしばしば、それも極めて過去にさかのぼって報告されている。死を安らかに迎えたいという私たちの願望が創り出した妄想とまでもいえないようだ。
しかし私はこの臨死体験についてもわがままな要求がある。人の死を見ていると、安らかではない死もあるではないか。苦痛の末に死んだことがわかるような姿が、たとえばポンペイの火山灰に埋もれた人々の姿には見られる。死を目前にした人の脳が一生懸命エンドルフィンを出す暇がなかったらどうするのか!もちろんヴェスビオ山噴火による火砕流から逃げ惑った人が焼かれる最後の最後の0.001秒は、それでもエンドルフィンが分泌されて幸せだったかもしれない。でも遅すぎはしないか? やはり死を待つ側としては、確実に心地よい死を迎えたいではないか。そこで不埒な・・・・となる。

臨死体験による死が、身体への侵襲により生じるものでは必ずしもないことは確かだ。私がいつも思い出すのは、「フランドルの冬」による加賀乙彦氏の記述だ(←うろ覚えで出典が間違っているかもしれない。)確か車が崖から落下する途中のほんの2,3秒の間に生じたパノラマ体験を書いてあったが、もちろん自分はこれから死んでいく、という認知が引き起こしたものだったはずだ。それでもエンドルフィンは出てくれるのだ。

2016年3月26日土曜日

報酬系 ⑫


ところが前世紀の終わりにある事件が生じた。それを期に人類はそれまで経験したことのないことに見舞われる。ドラッグの出現である。人類はそれまでは人生で起きること以外の高揚感を味わえなかった。敢えて言えば酒やタバコの類か?しかしその高揚感は高が知れていたのである。いわゆる「嗜癖addiction」という言葉が現在の意味で用いられるようになったのは、19世紀の終わり、モルフィンやオピウム(阿片)が、そして少し遅れてコカインが出回るようになったからだ。それまで人類は苦痛の極致、「激痛」を体験することはあったが、「激快」(そんな言葉はないが)の体験はなかった。ところがドラッグがそれを提供するようになったのである。
何度でもいうが、人間の(そしておそらく動物一般の)脳に、著しい苦痛はあっても、著しい快はなかった。そしてそれが不幸の始まりだったといっていいだろう。さらに不幸なことに、人は最初はそのことを知らなかったのだ。
「ナチュラルハイ」の秘密
ところでナチュラルハイは自然な現象であり、それ自身は害はないというような言い方をした。しかしこれは少し説明が必要である。ナチュラルハイとて、結局は報酬系の興奮である。報酬系は時には強くボタンが押されてしまうこともあるだろう。するとドラッグによるハイに近いことが起きてしまうこともある。ここでそれをひとつ挙げておこう。

それは宗教体験や臨死体験におけるエクスタシー体験である。宗教における祈りにより、儀式により、そして瞑想により人は一種の高揚感やエクスタシーを体験する。それは信仰の高まりであり、神との接触であり、ある種の至高の体験とされた。熱心に信心し、神に帰依することで得られる快感。宗教活動を支えるものの一部はその体験の追及といえるだろう。

2016年3月25日金曜日

報酬系 ⑪


ところで不「不埒な」、という表現を使っているが、私自身にはこのような夢を見る根拠がある。人の一生は儚い。大抵の人が、人間が体験しうる最大の苦痛や恐怖も、最上の幸福も体験せずに、普通の人生を営むのではないか。そして人はやがて老い、力尽き、死んでいく。おそらく病院のベッドでごく少数の人に見送られながら。おそらく彼は10年ほど前だったら、「死ぬまでにあれもして、これもして…」と夢見ていた可能性がある。しかしおそらく彼はその10分の一も、百分の一も体験することなく死期を迎えるのだ。彼がチャンスを逃したからだろうか?おそらくそうではない。いざとなるといろいろな事情があり、できなかったのだ。
ある男性は死ぬ前に彼のあこがれの国ギリシャでゆっくり過ごしたいと思っていた。そのための地図まで買い込み、地中海のクルージングの資料を取り寄せていた。しかし彼は「多忙」のために結局ギリシャに行くどころか、国内旅行に行くことすらできずにいた。長年連れ添った奥さんは彼の働き者の性分を知っていて、おそらく夫婦ともども地中海の島々を回るということは実現しないと思っていた。いろいろな仕事に駆り出され、結局休みはつぶれてしまう。そのうちその男性は軽い脳こうそくを患い、それをきっかけにうつ状態になった。久しぶりに会ってギリシャの夢を持ち続けているかを聞くと、「もうギリシャのことなど頭にないよ。もうこんな体じゃ無理だし…。」と情けなさそうな顔をした。腕ほどに痩せ細った彼の足を見ると、もう自力で歩くことさえもままならないことがわかる。私はむしろ彼が義理者のことをもう忘れてしまっていることを聞いて安心した。願望を持ち続け、それをかなえられない自分の姿を憂うほどつらいことはないだろう。
彼が特別なわけではない。みんなこうなのだ。意欲があり、体力の旺盛な御老人ほどこのような晩年を迎える傾向にある。いろいろな役職を頼まれ、引退の時期が延びていく。そのうち体を壊すのをきっかけに、病床へと「引退」するのだ。
何か暗い話になってしまったが、私が言いたいのは、多くの私たちは快楽を十分に享受することなく死に至るということである。おそらく筆舌に尽くしがたい苦痛やトラウマを味わった人は多い。しかし筆舌に尽くしがたい快楽は事実上味わうことが出来ない。そう私たちが幸運にもさほど辛いことを体験せずに人生を送ったとしても、この上ない喜びを味わうことはおそらくない。人間の脳はそのように出来ているのだ。痛みや苦痛はそれにより気絶するまでに極まることはあっても、幸せのあまり気を失うということはない。それに幸せとはジワジワと、あとになってから思い出されるようなものかもしれない。
私たちの人生の中で典型な幸せの絶頂を想像しよう。私はすぐにオリンピックの金メダルが思い浮かんでしまう。北島康介が「チョー気持ちいい」(2004815アテネオリンピック 男子100m平泳ぎで金メダルを獲得した時に発した言葉)と叫んだ時、彼は間違いなく気持ちよかったのだろう。アスリートがそれを目的として何年も苦しいトレーニングを積むとき、その喜びは甚大だろう。でも私たち一般人が喜びの絶頂を体験するとしたら、受験に成功した時、恋人の心をつかんだ時、程度のことだろう。
私が専門とするトラウマの精神医学では、過去のトラウマの記憶が何度もよみがえり、日常生活が送れなくなる状態がある。いわゆる心的外傷後ストレス障害と言われるものであり、その記憶があまりに生々しく蘇るために、今現在行っていたことを続けられなくなり、過去の記憶の再生に心を奪われる。それが時には何の前触れもなく怒るのである。
ところが幸せな体験はそのような形を通常は取らない。たとえば私にとって最高の楽しい思い出がいくつかあるが、それは突然襲ってきて仕事が出来なくなるような形をとらない。せいぜい時々「こんなこともあったなあ」と思い出されるだけである。

2016年3月24日木曜日

報酬系 ⑩



ところでこの不埒な夢の前には前文がある。確か「脳から見たこころ」に入れたと思うが、自信がない。2012720日のこのブログに、私は次のように書いてある。

米国ルイジアナ州のニューオーリンズにチューレーン大学があるが、そこで1950年代に初めて精神科と神経内科を合体させたのがロバート・ヒースだった。彼がこの話の主人公である。脳の深部、脳幹に隣接して中隔野という部位があるが、ネズミでそこを壊すと激しく興奮することが知られる。逆にそこに電気刺激を与えると・うっとりしてしまうというのだ。そして彼が注目したのも人間のこの部位であった。その実験のフィルムが残っているという。ストレッチャーに横たわる若い女性の姿。その脳には電極が埋め込まれていて、そこに電気が流れるようになっている。以下はバーンズの著書からの引用。

女性は微笑んでいた。「なぜ笑っているんですか?」とヒースが尋ねる。「わかりません」と彼女は応えた。子供のように甲高い声だった。「さっきからずっと笑いたくってしょうがないんです。」彼女はくすくすと笑い出した。「何を笑っているのですか?」女性はからかうように言った。「わかりません。先生が何かなさったんじゃないの。」「私たちが何かしていると、どうして思うんですか?」・・・

こうして実験は続けられたが、ヒースと彼女の会話には明らかに性的なものが感じられたという。ヒースは他の患者にも中隔野への刺激を行い、その多くはそれを快感と感じたというが、反応は人それぞれであったらしい。電極をほんの12ミリ動かしただけで、むしろ苦痛の反応を引き起こしたりする。中にはそれにより激しく怒りを表出した人もいて、ヒースの実験を非人道的であると非難する学者もいたという。

結局バーンズの本からわかることは、快感中枢に電極をさして最後を迎えるというアイデアはうまくいきそうにないということである。彼の記述の重要な指摘を再び引用する。

「特に人間の場合に顕著な脳深部刺激のこうした不安定さから、痛みと快感は、脳の別々の部位に存在するわけではなく、むしろ同じ回路の様々な要素を共有していることがわかる。」(139ページ)

脳深部刺激はそれ自体がまだ非常に粗野で大雑把な技術でしかない。極めて複雑な集積回路の中にドライバーを突っ込んで電気を流すようなところがある。たまたまそれはある部位に行なうことでPDの症状を軽減するという福音をもたらした。しかしそれを人の心をコントロールするレベルに持っていくためには、まだまだ前途多難という気がする。

このヒース先生の実験のこと、ネットでは結構拾える。私が知らないこともあった。どこかにソースがあるのかもしれない。ともかく彼は暴力的な患者、抑うつ的な患者、統合失調症の患者などにこの脳の深部への電極の挿入を試み、かなりの成果を上げたという。特に暴力的な患者さんは、主として快感中枢を刺激することで暴力をかなり抑制することができたという。しかしそれ以外にも…・というのでいろいろなエピソードが報告されている。女性に30分間のオーガスムを体験させた、とか男性の同性愛の「治療」を行ったなど。そしてとくに重要なことも書いてある。「もっとも重要なことは、この種の治療では、耐性が見られないことだ」本当だろうか?

ところでニューヨークタイムズには、ヒース先生がフロリダで84歳で亡くなった時の追悼文が掛かれている。19999月のことだ。そこには、統合失調症に対する画期的な仕事を行った医師、として記載されている。そして例の実験のためか、CIAにマインドコントロールに関する研究を依頼されていたとある。そしてなんと、彼は本を書いているではないか! ”Exploring the Mind-Brain Relationship'' (Moran Printing, Baton Rouge, 1996)

少し高いが、取り寄せることにする。


2016年3月23日水曜日

「精神分析におけるトラウマ理論」の入稿原稿

締め切りのはるか前から着手し、9割出来た状態で止めていたが、締め切り前の見直しで、本文チェックだけで数時間。これからまだ文献整理だ。論文を書くのは時間がかかるなあ。


精神分析におけるトラウマ理論

                          岡野憲一郎
                 
はじめに

現代の精神分析において「トラウマ」が一つのキーワードとなりつつあることは、ある意味では時代の必然といえる。 それは精神分析理論の変遷という歴史的な流れの中に位置づけられよう。Sigmund Freud 1890 年代の終わりに「性的誘惑仮説」を棄却して内的欲動論に向かい、それが精神分析理論を生んだと一般に理解されている。Freud はその後の理論の発展(Freud, 1926)で、欲動論の一部を大幅に修正したが、それにより彼は新たにトラウマの問題に関心を向けたとみなすこともできる(岡野、1995)。しかし Freud は基本的にはリビドー論や欲動論的な視点を終生堅持し、いわゆる「葛藤モデル」の代表として位置付けられ、それは伝統的な精神分析の主要なモデルであり続けた。後に様々な学派により、養育上の欠損やトラウマを病因として重んじる、いわゆる「欠損モデル」が提唱されたが、Freud の立場はそれとは理念上一線を画していたと言える。そのためか1970 年代以降になり、PTSD や解離のトラウマに基づく病理が盛んに論じられ始めた時、主として関係精神分析を代表とする新しい精神分析の流れがトラウマの問題をいち早く取り上げたが、伝統的な精神分析はその対応に出遅れたという感があった。しかし最近ではトラウマ理論の影響は精神分析の世界に広く浸透し、クライン派によるトラウマ理論も提出されるに至っている(Garland, 1998)。

精神分析へのトラウマ理論の取入れ

精神医学全体を眺めれば、1980年のDSM-III (American Psychiatric Association, 1980) PTSD (心的外傷後ストレス障害)および解離性障害が診断項目として掲げられて以来、心的なトラウマの精神への影響に対する関心は急速に高まっている。個々の精神分析家もその影響を受け、その理論を修正発展させることはある意味では自然のことであろう。その例としてOtto Kernberg をあげることが出来る。Kernberg は米国で1970年、80年代に境界性パーソナリティ障害についての理論を展開した (Kernberg, 1984)。その彼が同障害の病因として論じていたのが、クライン派の考えに沿った患者の生まれつきの羨望や攻撃性であった。しかしその後1995年には、次のように述べてかつて提唱した理論の一部修正を行っている。
同時に私は生まれつきの攻撃性についても曖昧ではなくなってきている。問題は生まれつきの、強烈な攻撃的な情動状態へのなりやすさであり、それを複雑にしているのが、攻撃的で回避をさそう情動や、組織化された攻撃性を引き起こすようなトラウマ的な体験なのだ。私はよりトラウマに注意を向けるようになったが、それは身体的虐待や性的虐待や、身体的虐待を目撃することが重症のパーソナリティ障害の発症にとって重要な因子となるという最近の発見の影響を受けているからである。つまり私の中では考え方のシフトが起きたのだ。」(Kernberg, 1995, p.326
この Kernberg に見られたような路線変更はおそらくほかの学派に属する分析家においても程度の差こそあれ見られた可能性がある。しかしトラウマ概念の導入の仕方やその治療的な扱いは、学派によりさまざまに異なるのも事実である。たとえば前掲書に代表されるクライン派の捉え方(Garland, 1998)によれば、トラウマとは Freud のいう刺激障壁が破られることにより生じ、トラウマ的な出来事は、内的な恐怖や空想の中で最悪なものを確証させることであると理解される。そしてその治療技法としてはやはり転移解釈が主たる技法であるという主張がなされる。それと比較して、間主観性理論の立場に立つ Robert Stolorow のトラウマ論(Stolorow, 2007)は、トラウマをより関係論的でコンテクスト的にとらえる。そしてトラウマは、愛する人がいつ何時死ぬかもしれないという現実を自覚することにつながり、その孤独を理解してくれるのは、同様のトラウマを体験した治療者でなくてはならないとさえ主張する。
 このように精神分析においても最近はトラウマへの注目がみられるが、むしろその流れは精神分析の歴史の中に既に存在しつつ、ある意味では傍流として扱われていたという事情がある。その源流を Freud の初期の理論に位置付けてみよう。

フロイトの「誘惑仮説」の見直し

Freud は精神分析理論を構築する前の段階では、トラウマの問題に深く関心を寄せていた。1893年の「『ヒステリー研究』に関連する3篇」(Freud, 1893)で、Freud はトラウマを以下のように定義している。
神経系にとって、連想を用いた思考作業によっても運動性の反応によっても除去することが困難な印象はすべて、心的外傷になるのである。(全集1., p307
これは脳科学的な視点を取り込んだ現代的な理解と符合する、先駆的ともいえる主張だった。
Freud は当初はヒステリーの原因として、上述のような心的トラウマの中でも特に幼少時期の性的トラウマを重んじていた。Freud 1896年には、扱ったヒステリーの18例すべてに性的なトラウマが聴取されたという報告を行った(Freud, 1896)。これが後に「誘惑仮説」と呼ばれるようになったものであるが、その時ウィーンの医学界の反応は非常に冷淡なものであったとされる。さらに同年126日に Willhelm Fliess にあてた書簡では、Freud 虐待者はすべて父親であったという見解にまで至ったとされる(Makari, 1998 。しかしその翌年の921日に、突然同じく Fliess あての書簡(Freud, 1986)で、この「仮説」が Freud  自身により棄却されたのであった。
この Freud のやや唐突な「翻意」に関しては従来さまざまに議論されてきた。しかし後に新たな資料が公開され、近年はそれに基づき、この「誘惑仮説」がFreudにより棄却された経緯を再検討する動きがみられる。その中で1980年代に発表された Jeffrey Masson ”Assault on Truth (真実への襲撃)Masson, 1984 は、それが Freud 自身が学問的ないしは社会的な孤立を恐れるあまり真実をねじ曲げたためであったという説を提示し、大いに議論を巻き起こした。しかし Masson の著作には学術的な誤謬も多く、またその扇動的な内容は多くの批判にさらされた。最近ではこのテーマに対するより冷静かつ公平な見解がみられる((Makari, 1998, Lothane, 2001, Reisner, 2003)
それらの研究が一様に強調するのは、Freud の「翻意」は自らの見解を180度切り替えたものだったわけではなく、むしろ「すべてのヒステリー患者が現実に性的なトラウマを負っていたというわけではない」という、より穏当な見解への方向転換を意味していたということである。そこには Freud が当時の疫学的研究の結果を受けて、父親がヒステリーすべての原因であるという見解をそれ以上保持できなくなったという事情もあったとされる(Makari, 1998) 。むしろ最近の研究の大勢は、Freud は「誘惑仮説を決して捨て切れなかった」という見解(Lothane, 2001)に向かいつつあるのだ。
現代的な観点から検証した場合、Freud の「翻意」には様々な理由があったにせよ、以下のような理論的な推移があったと考えるのが妥当のようである。初めは Freud はトラウマとなるための必要条件は幼少時において、虐待者の手により性器への過度の刺激が生じたことと考えた。しかしその後、それは直接の性的な暴行だけではなく、子供がファンタジーや自慰行為を行い、それを抑圧することでも生じるという発想に推移したのであるMakari, 1998)。つまり Freud は幼少時に「性的誘惑」は決して起きずに、すべてがファンタジーであったと結論付ける必然性もまたなかったのである。
 むしろ Freud のトラウマ理論において問題だったと考えられるのは、性的な暴行を受けることにより偶発的に生じる可能性のある性的興奮と、自慰などによる性器の刺激が全く心的な意味合いを異にするという点、そして性的な意味合いを持たない虐待も当然存在していたという点などに十分な注意を向けなかったことである。言うまでもないことであるが、幼少時に生じる加害行為には性的な意味合いを欠いた身体的な暴力も、精神的な虐待もネグレクトも存在する。それらもまた当然ながら幼児を脅威におとしいれ、その主体性を蹂躙し、傷つける行為である。Freud がそのようなトラウマの基本的な性質に重きをおかず、性的な興奮という観点でしか考えていなかったことが問題であるといえよう。
ちなみに本稿でも用いている「誘惑仮説」という表現の中の「誘惑」という言葉が持つ問題についても近年指摘されている(Makari, 1998)。「誘惑」という言葉には誘惑する側とされる側が想定され、子供が性的虐待に間接的に加担したというニュアンスを与える可能性があるからである。
上述のように Freud は幼児に対する性的な虐待の存在の事実を全面的に否定することはなかったが、トラウマに関連した解離という現象やその概念については、きわめて否定的であったといわざるを得ない。Freud は「ヒステリー研究」以前の 1892年の時点では、Joseph Breuer の解離に関する見解 (いわゆる「類催眠状態」) に全面的に同調して次の様に述べる(Freud, 1893)。

したがって、我々はその限りにおいて既に、ヒステリーの素因の特徴づけをもくろむ次のような仮定を取り上げることなくして、ヒステリー諸現象の成立の条件を論ずることは不可能であつた。その仮定とは、ヒステリーにおいては一時的な意識内容の解離が容易に生じるということと、連想によって結びついていない個々の表象複合がいきなりばらばらにされてしまうという事態が容易に生じるということである。よって我々はヒステリーの素因を、そのような状況が(内的な原因によって)ひとりでに発生するか、あるいは、外部からの諸影響によって容易に誘発されるという点に求めることになるのだが、その場合に我々は、ある系列においては、この二つの要因がさまざまに程度を変えて関与しているものと見なしている。(全集 1.p.308

ここには解離が生じる原因として、当人の持つ素因とともにトラウマ因を重視したバランスの取れた見解が示されている。しかしすでに「ヒステリー研究」(Freud, 1895)において、Freud は類催眠状態の概念は本来自らのものではないとし、Breuer の同概念の、トラウマや退屈さのために不快な体験がスプリットされるという考え方には、力動性という概念が欠如していることを、以下のように批判したのである。

奇妙なことではあるが、私は自身の経験において真性の類催眠ヒステリーに遭遇したことがない。私が着手したものは、防衛ヒステリーヘと変化したのである。(p.365
手短に言えば、私には、類催眠ヒステリーと防衛ヒステリーはどこか根っこの所で重なり合っているのではないか、そして、その際には防衛の方が一次的なのではないか、という疑念を抑え込めないのである。しかし、これについては何もわからない。(同 p.365)

フロイトはさらに Pierre Janet の解離理論についても、患者がもともと持つその人の心の弱さやスティグマに還元されるという点について批判を行っている(Freud, 1895)。近年のトラウマ理論における解離の概念の扱われ方は、本稿の後半で再び論じる。

Ferenczi の先駆性

上述の通り、Freudは精神分析理論を構築する過程でトラウマのテーマから距離を置くようになったが、他方ではSándor Ferenczi が幼児期の性的トラウマに関する関心を高めていった。しかしそのFerenczi の見解はFreud 自身によって敬遠され、彼の理論が精神分析の本流に位置づけられることはなかった。ところが近年になってこのFerencziの先駆性およびトラウマ理論の重要性が見直されつつある。2008年にはニューヨークにFerenczi Center も立ち上がり、またわが国でも森茂起(森、2005)らによる翻訳や紹介により、Ferencziの業績が再考される機会が与えられているFerenczi,1994,1995
それらの研究が示すのは、Ferenczi の驚くべき先見の明であり、後のトラウマや解離に関する理論を事実上先取りしていたという事実である(Aron, Harris, 1993) Ferenczi の業績の再評価は、そのまま精神分析における外傷理論の再評価を意味しているとも考えられるであろう。
Ferenczi の理論の先駆性を示す概念の一つに、「攻撃者との同一化」がある。この概念は、一般には Anna Freud1936) が提出したと理解されることが多い。彼女の「自我と防衛機制」(AFreud1936に防衛の機制一つとして記載されている同概念は、「攻撃者の衣を借りることで、その性質を帯び、それを真似することで、子供は脅かされている人から、脅かす人に変身する。」(p. 113)と説明される。しかしこれは当初 Ferenczi 考えたものとは大きく異なったものであったことが指摘されている(Frankel, 2002)。Ferenczi がこの概念を提出した「大人と子供の言葉の混乱」(Ferenczi, 1933) を参照してみよう。
「彼らの最初の衝動はこうでしょう。拒絶、憎しみ、嫌悪、精一杯の防衛。『ちがう、違う、欲しいのはこれではない、激しすぎる、苦しい』といったたぐいのものが直後の反応でしょう。恐ろしい不安によって麻痺していなければ、です。子どもは、身体的にも道徳的にも絶望を感じ、彼らの人格は、せめて思考のなかで抵抗するにも十分な堅固さをまだ持ち合わせていないので、大人の圧倒する力と権威が彼らを沈黙させ感覚を奪ってしまいます。ところが同じ不安がある頂点にまで達すると、攻撃者の意思に服従させ、攻撃者のあらゆる欲望の動きを汲み取り、それに従わせ、自らを忘れ去って攻撃者に完全に同一化させます。同一化によって、いわば攻撃者の取り入れによって、攻撃者は外的現実としては消えてしまい、心の外部ではなく内部に位置づけられます。」(p.144-145)
 このように Ferenczi は、この概念の意味するところとして、「子供が攻撃者になり代わる」とは述べていない。彼が描いているのはむしろ、一瞬にして自動的に起きる服従なのである。トラウマの犠牲になった子供は、むしろ虐待者に服従し、自らの意思を攻撃者のそれに同一化する。そしてそれは犠牲者の人格形成や精神病理に重大な影響を及ぼすことになる。Ferenczi はこのプロセスを特に解離の機制に限定して述べたわけではないが、解離性同一性障害の症状を示す症例の場合に、この攻撃者との同一化が、彼らが攻撃的ないしは自虐的な人格部分を形成する上での主要なメカニズムとする立場もある(岡野、2015)。

解離の理論との関連

精神分析におけるトラウマ理論に関して、近年とみに論じられることの多い解離に関する理論に触れておく必要があるだろう。その先導者ともいえるDonnel Stern Phillip Bromberg の著書はすでに邦訳も入手可能である(Stern, 2010, Bromberg, 2011)
Bromberg によれば、解離は基本的には正常心理においても生じ、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるが、深刻な解離はトラウマへの反応として位置付けられる。そして従来の精神分析における抑圧は不安に対する反応であり、抑圧理論のみに基づく場合には、患者が葛藤を経験できていないような外傷的な状況でさえ、常に精神機能を組織化しているように考えることになってしまい、それが古典的な分析理論の限界であると論じる。彼の立場からは、葛藤への防衛が必ず解釈により解決するという姿勢そのものもまた問題となる。
Bromberg はまた、トラウマを発達上のいわば「連続体」としてのそれ、すなわち「発達トラウマ」としてもとらえる。この発達トラウマはまた、発達早期に親から受け入れられ、必要とされるという体験が欠如することにも関係する。彼はこの種のトラウマ trauma を、性的虐待や暴力などに代表される、大文字のトラウマ Trauma と区別する。この発達との関連で Bromberg はまた、解離とメンタライゼーションとの関係についても論じ、Peter Fonagy John Allen (Allen, Fonagy, 2006) などの研究者による業績と自分の治療論を非常に近い位置においている。
このように Bromberg の立場は基本的にはトラウマモデル、ないしは欠損モデルのそれであり、そして彼が主として依拠するのは Harry Stuck SullivanSullivan, 1953の理論である。すなわち解離において生じるのが Sullivan の概念化した「私でない自己 not-me」として理解されているのである。その意味で、Bromberg の解離理論はトラウマ理論と対人関係学派との融合というニュアンスがある。
Stern Bromberg の解離の議論に特徴的なのは、その機制をエナクトメントの概念と絡めて論じる点である。エナクトメントは二者的な解離プロセスであり、そこでの解離は患者だけではなく治療者をも包む繭のようなものとして表現される。そしてそれを治療的に扱う分析状況として Bromberg が提唱するのが「安全だが安全すぎない」関係性であるという。つまり早期のトラウマを、痛みを感じながらもう一度生きることを可能にする関係性なのである。Bromberg はまた治療技法のひとつとしてFreud の「自由にただよう注意」(Freud, 1912) に注目する。これは Freud が「強制的な技法」ではない自由な技法として提唱したが、これが患者の言葉の意味を見出すという作業にとってかわることにより、後世の分析家たちにとってはその目的を果たさなかったという。しかし関係精神分析的な「聞き方」とは、「絶えずシフトしていく多重のパースペクティブ」に調律することで、それは両者によるエナクトメントにも向けられるという。
Bromberg の解離理論は、すでに新しい精神分析の行先を見越し、そこに解離と心の理論、愛着、脳科学などがキー概念として統合されることを提唱していることが特徴である。ただ彼が扱う解離は、健忘障壁を伴う精神医学的な「解離性障害」とは異なるという印象を受ける。

トラウマ理論と愛着理論

最近のトラウマ理論との関連でやはりぜひ触れておきたいのが、「愛着トラウマattachment trauma」の概念である。この概念を提唱しているのが、臨床家でもあり脳科学者でもある Allan Schore である(Schore, 2009)。
Schore は乳児が生後の一年間で、母親と乳児の間できわめて重要なコミュニケーション、彼が言うところの「右脳間でのコミュニケーション」が生じ、そこで精神生物学的な意味での調律が行われるとする。この時期に乳児の大脳皮質は十分発達してはおらず、今後の発達を支える意味でのいわば基礎工事が、母子間で行われるのだ。そこでは匂いや音、皮膚感覚などを通して、大脳辺縁系間でのコミュニケーションが行われ、乳児の覚醒レベルが維持されていく。そこで大切なのは、刺激が大きすぎず、少なすぎずということであり、母子が情緒的に同期化していることである。もしそれが起きないと、母子間で一種の情緒的な衝突、Schore が「間主観的衝突」と呼ぶものが生じ、それが乳児の情緒不安定の成立の妨げにつながる。Schore はこの深刻な事態を「愛着トラウマ」と呼び、その後の様々な情緒的な問題や解離症状につながると論じる。
 
この愛着トラウマの際に生じる自律神経の過覚醒状態について、Schore は最近の Stephen Porges polyvagal theory (Porges, 2001)と関連付ける。この理論によれば、副交感神経系には腹側と背側の二種類があり、腹側迷走神経は、通常の日常体験において働き、適応につながる。しかし極度のストレス下では背側迷走神経という、いわばアラーム信号に匹敵するシステムが働き、低覚醒状態、痛み刺激への無反応性といった解離症状が生じるためのメカニズムが発動するのである。
この Schore の議論の背景にあるのが、精神分析における愛着理論の歴史である。John Bowlby により始まる愛着理論は、Mary Ainsworth (1970) らのストレンジ・シチュエーション・パラダイムの研究を経て愛着のタイプ分けの研究につながったが、その後継者 Mary Main らが新たに提唱したのが、いわゆるタイプ D の愛着である(Main, & Solomon, 1986)。このタイプ D では非常に興味深いことが起きる。タイプA, B, Cにおいては、ストレンジ・シチュエーションにおいていったん退室した母親が子供の元に戻ってきた際に、子供はしがみついたり、怒ったりという、比較的わかりやすいパターンを示すが、タイプ D の子供はむしろ混乱と失見当を呈する。Schore は、それを解離性の反応とし、それを愛着トラウマと結び付ける。このパターンを示す子供の親はしばしば虐待的であり、子供にとっては恐ろしい存在なため、子供は親に安心して接近することが出来ない。逆に親から後ずさりをしたり、他人からも距離を置いて壁に向かって行ったりするということが起きるのである。
 このように Schore はトラウマの理論を愛着の失敗ないしは障害としてとらえ、それを上述の解離理論とも結びつけて論じているのである。そして特定の愛着パターンが解離性障害と関係するという所見は、時には理論や予想が先行しやすい分析的なトラウマや解離の議論にかなり確固とした実証的な素地を与えてくれるのだ。
 
トラウマ理論は「誘惑的」か?

最後に精神分析における最近のトラウマ理論に対する批判的な見方についても触れておこう。 Steven Reisner は「トラウマ: 誘惑的な仮説」という論文(Reisner, 2003)で、昨今のトラウマ理論への批判を展開する。彼はトラウマ理論のナラティブにおいては、トラウマはいわば病原菌のように取り除かれるべきものとして扱われ、他方の患者は被害者であり、特別な存在であるという考え方が支配的になっているとする。そしてその背景には政治的な意図が見えるという。その文脈で Reisner が紹介している論文 (Young, 2001)は、DSM-III (American Psychiatric Association, 1980) の作成委員会において、戦闘兵を犠牲者として扱い、障害者年金を獲得することのできる存在として位置付けるべきとの議論があったと報告する。そしてそのためには「戦争神経症」という診断はふさわしくなく、「トラウマを受けることによる反応」というニュアンスの診断、つまりPTSD が必要であったというのだ。そしてそれがこの概念の大きな成功を生んだのである。
 Reisner は現在のトラウマ理論には、自己愛の問題が絡んでいるという点も指摘している。米国では、トラウマは「崇高な位置」を得ており、トラウマのサバイバーは権威を与えられ、尊敬のまなざしで見られる傾向にあるという。そしてトラウマの体験は、芸術家や創造者がなかなか得られないものを手にすることを可能にし、トラウマの語りにおいては、被害者は無知で純真であることが期待されている、とする。さらにトラウマの被害者は責任を逃れる事が出来、トラウマの犠牲者は一般大衆に代わって苦しみを背負っているとも論じる。そしてこのような考えの典型として、Jody Messler Davies ら(1994)の次のような文章を引用する。
「誘惑仮説は、患者の子供時代の現実の人々に見られる証拠に基づくものである。それは自分の自己愛的な満足を得るために子供を利用する大人を罰するものであった。それに対してエディプス葛藤は、子供時代の性的虐待は、子供自身の性的な願望によるファンタジーによるものだということを強調するのである。」
 そして中立性を守ろうとする分析家は、結果として被害者側の方に過剰に寄り添ってしまうと批判する。
Reisner は昨今のトラウマ理論が有するこれらの傾向自体が「誘惑的」であるとし、そこへの過剰な加担が精神分析理論の基本的な精神である無意識の意識化、ないしは洞察の獲得は異なる方向性を示していることに懸念を表明している。

最後に

現代の精神分析におけるトラウマ理論の占める位置について論じた。トラウマ理論が徐々に大きな位置を占めることには時代の要請があり、またそこには伝統的な精神分析に不足した視点を補う意味もあったと言えるだろう。しかしトラウマ理論にはそれに偏重した場合の様々な問題があることは、本稿で最後に触れたとおりである。私たち臨床家が、葛藤理論とトラウマ理論が真に臨床的な意味を持つ形でバランスを取りつつ、私たちの患者の理解に用いられることを願う。