2015年11月6日金曜日

最近のトラウマ理論 (4)


ところでフランケルは気になるコメントをしている。外的な現実に対抗するときにIWAが起きるのだ。そして攻撃者の取り入れ introjectionは、内的な感情に対処するために起きるのだ、という。後者は様々に加工できるからいい。やっつけることも可能だ。表象だからね。すると上の議論だと、内在化はむしろ表象として組み込むということ。同一化とは、同調型、補足型の両方を心の外(ただし脳の中)に入れてしまうことなのだ。この両者をフェレンチは行っているというのだが、このうち攻撃者の内在化は、フェアバーンの「攻撃者の取り入れ」につながっていくという。
 さて罪悪感の植え付けから話が脱線したのであった。私はAからS’へのかかわりは常に起きているのではないかと思うのだ。こう考えると、黒幕の中には、死にたい自分と、死ね死ね、という自分の共存が説明できるのである。
いかに黒幕の「圧力」を説明するか?
ここでついでに重要な問題について考えたい。なぜ黒幕は内側からの圧力があるのか。そしてそれをいわゆる徐反応に類似した介入により低下させることが出来るのはなぜだろうか?私はこれも広い意味での再固定化現象が生じたものと考えたい。ただしこの場合に加工を受けるのは、記憶ではなく、ネットワークそのものである。それが何らかの形で構造を変え、その結果として脳内での自律性を弱めるのであろう。この自律性の低下についてはわからないが、ここで「切り離されることで自律性が獲得される」という原則を思い出してみよう。黒幕のネットワークは、それが外部とつながりを持つことで自律性を失われる。それは治療場面での再活性化reactovation を繰り返すことにより成立するであろう。

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私の考えはいいから、また戻ろう。ブロンバークが出てくる。現在の解離論者、私が「解離新時代」でも紹介した人だ。彼の解離論もまた、フェレンチのIWAに由来しているという。いやはやフェレンチは最後はあれほどフロイトに論文を煙たがられたが、それが80年たって時代の寵児になっているという感がある。ともかくもブロンバーグは解離における自我状態self-state は、対人関係により決定されること、そして治療者と患者の間の相互の解離という例の議論を展開していることが紹介されている。私は彼の理論、よくわからないけどね。そしてすごい概念が出てくる。PIならぬPD 解離性同一化projective dissociation であるという。しかし解離においては、人の心が他人に「飛ぶ」という現象が実際に起きるのであるから不思議だ。虐待者が、興味を持ったキャラクターが、母親の心にある「こうあれ」というイメージがトンで、心に宿ってしまうのである。