2015年9月8日火曜日

米国における精神科レジデントトレーニング(最終稿)


 忘れないように、予定日前に提出。これに変換ミスがあったらモンダイだ。
私の発表は、自分自身の米国でのレジデントトレーニングの体験(19891993)をもとにしている。しかしその私の経験はすでに20年以上前のことであり、現在行われているトレーニングとは幾分異なるかもしれないのでご了承いただきたい。ただし今回この発表のために調べた限りでは、現在の米国でのトレーニングシステムは当時とあまり変わっていないという印象を受ける。

1.米国での精神科レジデントトレーニングの諸特徴

最初に米国のレジデントトレーニングの特徴をいくつか箇条書きで示したい。
● スタンダードが成立している
米国でトレーニングを開始した際に何よりも印象深かったのは、そのシステムが日本に比較してはるかに整っていたということである。私は日本の医学部を卒業後7年目で参加したわけだが、まさに精神科医としての修業を米国で一からやり直したという実感がある。私が日本での研修医時代に所属していた精神科は、当時としてはかなり充実したプログラムを提供していたことを思うと、米国のトレーニングのレベルの高さを改めて感じさせる。その期間の長さ(4年間)にも大きな意味があろう。ただし私の体験した一年目のオクラホマシティのトレーニングと、2年目以降のメニンガー・クリニックでのトレーニングを比較する限りは、プログラムの質にはかなりのばらつきもあるようである。

●スーパービジョンが徹底している
スーパービジョンの体制が整い、スーパーバイザーとレジデントが互いに評価しあう関係が成立していることが挙げられる。(これについては後に詳述する。)

●外国人医師に門戸が開かれている
米国におけるトレーニングが、外国人医師にも開かれていることはありがたい。歴史的に見て、米国では戦争時には医師が不足し、外国の医学部卒業生を採用するということを繰り返してきた。つまりそこには自国の戦略としての意味でもあったのである。また外国人医師は、米国出身の医師にとって人気のない臨床現場、たとえば地方の州立病院やVAホスピタル(軍人病院)などに職を求めているという印象を受けた。

●他の職業を経験したレジデントが多い
米国では中年期以降になってからの転職は決して少なくなく、他の分野の職種を経験した人が医学部を経て精神科のトレーニングを行う場合が少なくない。また医学のほかの専門分野から精神科に移ってくる医師も時折見られる。
●ボード(専門医試験)への準備を含む
トレーニングの終了後に受験する専門医 (ボード認定医) に向けての準備期間という意味を持つ。

2.報告者の経験したトレーニング

続いて報告者の経験したレジデントトレーニングについて簡単に紹介する。私は1982年に日本の医学部を卒業し、精神科の研修の後臨床に携わり、5年後の1987年に米国にわたった。そして最終的にレジデントトレーニングを開始したのが1989年の6月であった。
米国のレジデントトレーニングを開始するためには、先ずマッチングプログラムにエントリーしなくてはならない。その為にはUSMLEUnited States Medical Licensing Examination、米国医師免許試験)に合格しておく必要があるが、これは幸いなことに、日本を含め世界各地で随時行われている。ただし今後の問題としては、USMLEの受験資格が、特定の基準にあった医学部(日本の医学部のほとんどは、まだそれを満たしていない)の卒業生に限定されるようになるという計画がある。
私は大学を卒業するまでは、将来渡米するという考えははなかったが、クラスメートの中には、卒試や国家試験の勉強と同時にECFMGUSMLEは当時はそう呼ばれていた)の受験の準備をしている仲間がいた。しかしこの試験の出題傾向は日本の国家試験とはかなり異なるので、両方を同時に準備するのはなかなか難しいであろう。私は卒後3年くらいからECFMGに挑戦するようになったが、臨床科目の試験(clinical science)は一度で受かった。しかし一番の難関は基礎医学(basic science)の試験であり、解剖学や薬理学や生理学などを復習する必要があった。そのために何度も受験をしなおし、7回目にしてようやく基礎医学の方を通過した。すでに渡米していて、留学生の身分で勉強する余裕が出来てようやく合格できたのである。

マッチングへのエントリー
最近では米国のレジデントトレーニングの方式が、日本でもかなり取り入れられている。米国ではメディカルスクール(わが国の医学部に相当するが、4年制の大学を卒業後に入学する)の4年目の後半になると、学生たちはマッチングプログラムにエントリーし、自分の志望する科のトレーニングプログラム(アメリカ全土で200程度)の候補をいくつか選び、面接を受ける。米国全土にいくつも応募をしている場合には、各地に泊まりがけで赴き、そのうえで学生は志望順にプログラムの順位付けをする。またそれぞれのプログラムは面接や書類選考をもとに、採用したい候補者たちの順位をつける。その上で両者をマッチングにかけ、その一次募集の結果が発表されるのが3月である。
ただしそこでマッチング漏れをしてしまう医学生も、またプログラムもあり、双方が3月の発表の翌日から二次募集に移ることになる。私の場合にはメニンガー・クリニックには次点で落ち、2年目からの編入の道を選ぶためにも、一年目だけはどこかで済ませなくてはならなかった。そこで定員割れのプログラムのリストを頼りに手当たりしだい電話をかけ、4つの州にあるプログラムの面接を受け、最終的には最寄のオクラホマシティのプログラムに潜り込むことができたのである。

トレーニングの実際 ― 午前の授業、午後のクリニカルアサインメント、夜の当直
  
米国のレジデントトレーニングは、最初の一年は「インターン」と呼ばれ、そのうち最初の半年は専門外の科を回ることを原則とする。精神科の場合は一般内科、神経内科などがそれに相当する。本格的な精神科のトレーニングは、1年目の後半から開始される。
レジデントのスケジュールは、ウィークデーの午前中が大体授業に充てられる。授業としては一般精神医学、小児精神医学、司法精神医学、種々の精神療法、薬物療法など多種多彩であるが、その概要はACGMEAccreditation Council for Graduate Medical Education卒後医学教育認定機関)のガイドラインに定められている。
 ところで授業内容のその質と量については、各プログラムによって相当差があるようだ。私もオクラホマシティのプログラムとメニンガーのプログラムの違いに驚いた。オクラホマの方は毎年のように定員割れが生じ、他方のメニンガーは米国でも12を争うプログラムである理由が理解できた。
午後のクリニカルアサインメントは、トレーニングプログラムと提携した、市内のいくつかの医療機関における臨床実習である。レジデントが数多くの種類の臨床機会を得るように、異なる種類の医療機関が用意され、各レジデントはそれぞれがローテーションを組んで3か月ないしは6か月ごとに各機関に派遣されることになる。 
夜間ないし休日の当直の業務は、トレーニングできわめて重要な意味を持つ。当直先は通常はその時の派遣先の医療機関であり、週に一日ないしは二日の頻度で当直表に組み込まれる。当直医は、病院内のベット、シャワー付きの当直室で、あるいは自宅が近隣であれば家で待機し、呼び出された場合には病院に駆けつけ、精神科の患者と対面をすることになる。
当直医の重要な任務のひとつが、ER(救急治療室)の担当である。米国では総合病院は通常精神科の病床を備えており、またERには、精神科の患者も他科と同様に運ばれてくる。その最前線で患者の対応をするのがレジデントなのである。当直医は運ばれてきている患者のアセスメントを行い、入院が必要な場合には必要な書式を埋め、検査や処方のオーダーを出し、病棟まで患者を誘導し、スタッフに患者の状態を説明してオーダーを確認する。すなわち一人の精神科医がやれることをすべてこの時期に出来るようにならなくてはならないわけである。この当直業務を開始するレジデントの二年目が、学習カーブが一気に上がる期間なのだ。ただし身分がレジデントである以上は、スーパーバイザーが常に自宅で待機し、レジデントがピンチの時は電話で指示を出したり、実際に駆けつけて対応したりすることもありうる。
余談だが米国の医療のマンパワーの非常に多くが、レジデントに依存しているところがある。レジデントは通常は薄給なため、当直によるアルバイト代が生活の支えとなるだけでなく、重要なトレーニングの機会となっているのだ。
 
米国におけるスーパービジョン
米国におけるレジデントトレーニングにおけるスーパービジョン体制に言及したい。その一番の特徴は、それぞれのクリニカルアサインメントでスーパーバイザー(以下、バイザー)を与えられ、少なくとも週に一度50分の個人セッションを持つというシステムが徹底しているということである。これは日本の臨床現場ではなかなか出来ないことであるが、日本では医師は医局にはデスクが割り当てられるが、自分自身のオフィスは与えられないのが一般的であるという事情が関係しているであろう。米国の場合は、少なくともレジデントの段階から、医師は必ずオフィスを与え、そこで患者やスタッフと会う。そしてスーパービジョンもアポイントメント制で、週に一度は決まった時間にバイザーのもとを訪れる。バイザーが行うレジデントの臨床活動について評価もそこでのスーパービジョンに基づく。もちろんそれ以外にも必要であれば、バイザーから病棟や外来で指導を受けることになる。
スーパービジョンのもう一つの特徴は、バイザーとレジデントの関係は、互いに評価し合うという関係にあるということだ。レジデントはいわゆるリトリートを通じて、バイザーを評価するという機会が与えられる。リトリートとは半年に一度、臨床現場を離れた会場やレジデントの個人宅で1年から4年までのレジデント全員が集合し、途中にバーベキューを焼いたりゲームをしたりしながら、授業やスーパービジョンの現状について話し合い、また教員(経験ある精神科医たち)やバイザーたちを評価する機会である。そしてそこで得られたフィードバックが、教員やバイザーが次期に担当する授業やスーパービジョンを決めることになるのだ。レジデント達からマイナスの評価を受けることで、彼らはレジデントの指導医としての立場を失うことにもなるのである。
 私は米国でのレジデントトレーニングは基本的にはとてもフェアに行われているという印象があるが、それはバイザーの方もまたレジデントからの評価を非常に気にかけるという、ある意味で非常にシビアな関係がそこにあるからである。

3.痛恨の失敗談

最後に私がレジデントの頃に体験した失敗談を披露したい。私はトレーニング中のトラブルはしばしば患者との間ではなく、より気を抜きやすいスタッフとの間でおきるという考えを持っている。つまりそれは上司や同僚や、場合によっては看護スタッフとの間で生じる可能性が、より高いのである。そしてこの失敗談もまさにそれに該当したものである。
 ある晩の当直のことだった。オクラホマ州の精神科レジデントとして、私は3つのERを訪れる精神科の患者の対応をすることになっていた。3つのERとは、軍人病院、オクラホマ総合病院の成人部門、同病院の小児思春期部門の3つのERで、距離的には歩いて4分くらいでつながっている。通常は当直をすると大体一晩に、平均して2人はアセスメントをしなくてはならない。運が良ければだれも訪れず、ゆっくり本でも読んで過ごしていられるが、運悪く数人の入院などがあれば、ほぼ徹夜になる、という賭けのような時間が流れていく。入院が必要な患者のアセスメントは、身体検査や処方のオーダーや膨大な書類作成を含めると、どんなに頑張ってもひとケースにつき2時間近くかかる。5人の入院で徹夜は必至という状態だ。当時はケータイは普及していなかったが、ペイジャーという一種のポケットベルを携えてメディカルセンター内の当直室に待機していた。ペイジャーがピーピーとなるたびにドキドキしたのを覚えている。
 その日は夕方から軍人病院で一人の入院があった後は、しばらくは動きがなかった。私は「運がよければ、今晩はこれで休めるかな」と願っていた。ところが夜9時近くになり、小児思春期部門のERから、二人の精神科の急患のために呼び出されました。「やれやれ、今晩は遅くなりそうだ」と覚悟を決めてアセスメントを開始し二人目を終える直前に、今度は成人部門のERから、入院の必要があると思われる患者のアセスメントの要請の連絡が入ってきた。もう夜の11時を回っていた。「これはどう考えても睡眠時間は34時間だな」と思っていた時に、思春期部門もナースから無情にも、たった今、もう一人の患者が運ばれてきたと告げられた。一晩に5人の患者。もう絶望的である。ともかく私は成人部門のERに行ってからまた小児思春期部門のERに引き返さなくてはならない。ERのアセスメントは当然来た順番で行われるからだ。私は新たな患者が来たことを告げたナースに対して決して面白い顔をせずにそこを立ち去ったはずである。口では「わかりました。でも成人部門の患者が終わってから、戻ってきてみることになります。…」と伝えたつもりになっていたのだが。
不幸なことが起きると、私たちは周囲もそのことを察して同情してくれることを勝手に期待する傾向がある。しかしそのナースは私の訛りの混じった英語からは、私の置かれた状況を感じ取れなかったのだろう。その後私は成人部門のERで一人の患者を入院させ、夜中の2時過ぎに小児思春期部門に戻ってきて残っていた一人の思春期の患者を診た。すべて終わったころにはもう明け方であった。私はそれなりに疲労感と充実感を感じながら、仮眠をとる暇もなく翌日のトレーニングプログラムに参加したわけであるが、数日して私は小児思春期部門のERからクレームをつけられていることを知った。それは例のERのナースからのもので、「ドクター・オカノは、ERに患者が来たと告げられながら、診察をすることなく立ち去った」と報告したという。そのナースは、私が職務を果たさずに、帰ってしまったと判断したのだ。そのナースは深夜11時までのシフトだから、私が明け方に戻ってきたことを確認せず、そのまま帰ってしまったのである。私はバイザーや、レジデントトレーニング部長に一生懸命事情を説明したが、結局は私がナースに十分に意図を伝えられなかったことに問題があったということで、3か月の観察期間の対象となってしまったのである。(私はその3ヶ月は特に慎重に勤務し、その後は無事メニンガー・クリニックに移籍することが出来た。)

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以上、米国におけるレジデントトレーニングについて、私自身の体験をもとに、失敗談も含めて述べた。紙数の関係で、ボード(専門医試験)には触れられなかったが、別の機会に論じたい。