2015年5月31日日曜日

あきらめと受け入れ (5) 

中国による南シナ海の埋立。米中の応酬はどうなるのだろう?

しかしそれにしてもどうしてこのテーマにこだわっているか。まあ一つには「日本語何とか」で発表しなくてはならないからだが(ナンの話だ)、私たちにとって死をどう受け入れるかはそれこそ知性を備えた人間として決して避けられない問題だからだ。
死は回避できない。死は恐ろしい。しかし実は対処可能なのである。それはその性質を知り、そのもの作業を生の中に組み込むという作業を通してなのである。私たちが新車を手に入れた時のことを考えよう。ピカピカの内装、アクセルを踏むと滑り出すような感覚。しかし何年か乗っているうちに必ず車は古くなっていく。塗装が剥げてくる。ワイパーがおかしな音を立てるようになる。でも構わず、車検にも出さないで乗り続ける(アメリカでの話、ということにしよう。日本なら捕まってしまう。) やがてエンジンの掛りが悪くなり、フロンガスもぬけて冷房も効かなくなり、ある日吹きっさらしの街灯もないハイウェイの路上でエンストを起こす。ジャンプスタートをしてもエンジンはかからない。・・・そんな車の乗り方を私たちはするだろうか。おそらくしないだろう。しかし私たちは自分の体や心についてこのような「乗り方」をしている場合が多い。いつかは動かなくなる日を考えないようにしているのだ。しかしエンジンが最終的にかからなくなるにしても、何らかの備えはして置きたくはないだろうか?

ということでやはり最後に戻ってくるテーマ。それは「あきらめと感謝」である。私は死を受け入れることとは感謝だという考えに最近至った。死は、自分が土に帰ることを意味する。いつか私は自己愛をコントロールすることとは、自分をアリンコと見ることだと言ったが、それどころではない。ゴミ以下の粒子に分解して消えていくことである。ということは死を受け入れることは自分が無に帰ることを受け入れることだが、それに比べて私が持っている属性はすべてが神(私は因みに無神論者だが)からのgift ということになる。すると感謝すべきものは無限ということになる。
以前国際医療福祉大学に勤めていた時、勝俣暎史先生に「ありがとう療法」を教えていただいた。毎日感謝すべきものを考えるというのはいいトレーニングになったが、そこで驚いたのは、感謝するということはいかに大変なことか、ということだ。感謝すべきことが無限にあるということは、たちまちその意味を見失ってしまうということだ。


2015年5月30日土曜日

あきらめと受け入れ(4)




あきらめと「老いと死」

あきらめや受け入れの問題は、究極的には、老いと死の問題に結びつく。あきらめの最終形態は、自分という存在の消滅、すなわち死を受け入れることである。ただしその前に必然的に生じるのが、自分の持っている身体能力、健康、認知能力、若さと美貌、財産、友人、家族を一つ一つ失っていく過程である。生きるということはある意味では非常に残酷である。体力や知識や経験を獲得していく期間はある意味では夢中であり、またそれなりの苦痛を伴う。しかしふと一息ついたときには、すでに人生は下り坂なのである。あとは経験や社会的な地位はある程度は増していくかもしれないが、それ以外のことについてはことごとく失われていくのだ。私が興味深く思うのは、この老いと死の問題は、おそらく私たちの思考の中から、あるいは精神療法のテーマとして常に抑圧され、忘れられているということである。フロイトは私たちが抑圧するのは性的ファンタジーや攻撃性だと考えたであろう。しかしそう言いながら老いと死の問題については考えたくなかったのではないか。
 しかし人は言うかもしれない。「私たちが一日ごとに年老い、死に向かっていることはあまりに当たり前すぎて、いまさら論じるまでもないことでしょう。」しかしそれにしては人は死すべき運命にあまりに準備不足で、まじかに迫った死の宣告に打ちのめされ、恐怖を覚える。あたかも死の問題は、扱うことを永遠に先延ばしにし、それが避けられない形で迫ってきたときにそれを扱うことが出来ない。
 私の基本的な立場は、米国の精神分析家Irwin Hoffman のそれに強く影響を受けたものである。Hoffman の立場は人は死すべき運命を受け入れることにより、現在の生をより十全に生きることが出来るというものである。この考えはHeidegger に影響を受けているものの、それ自体は彼の言う弁証法的構成主義の考えに沿ったものでである。弁証法的構成主義とは、人が自らの体験を反復的、儀式的な面と・・・・・と述べるより、すでに書いた森田療法の論文に書いたものをここに再録してみよう。

「死生学としての森田療法」(2013年)より

精神分析の分野では、米国の分析家アーウィン・ホフマン Irwin Hoffman が、他に類を見ないほどにこの死生観の問題について透徹した議論を展開しています。彼の死生学はその著書 Ritual and Spontaneity(儀式と自発性) の第2章で主として論じられています。ホフマンはこの章のはじめに、フロイトが死について論じた個所について、その論理的な矛盾点を指摘しています。フロイトは1915年の「戦争と死に関する時評」で「無意識は不死を信じている」と述べているのです。なぜなら死は決して人が想像できるものではないからだというのです。しかし「同時に死すべき運命は人の自己愛にとって最大の傷つきともなる」という主張も行なっています (ナルシシズム入門)。「人が想像することが出来ない死を、しかし自己愛に対する最大の傷つきと考えるのはどうしてか? ここがフロイトの議論の中で曖昧な点である」とホフマンは指摘します。そして結局彼が主張するのは、フロイトの主張の逆こそが真なのであり、無意識に追いやられるのは、死すべき運命の自覚であるというのです。つまり人は「自分はいずれ死ぬのだ」という考えこそを抑圧しながら生きているというわけです。こちらのほうが常識的に考えても納得のいくものだと私も考えますが、精神分析の世界では。死に関するフロイトの矛盾した主張が延々と繰り返され、場合によっては死への不安はその他の無意識的な概念を覆い隠しているとさえ主張されることすらあるのです。
 さてそこから展開されるホフマン自身の死生学は、サルトルやメルロー=ポンティなどの実存哲学を引きつつ、かなりの深まりを見せています。簡単に言えば抽象的な思考というのは、すでに死の要素をはらんでいるというのです。抽象概念は無限という概念を前提とし、それは同時に死の意味を理解することでもあるというのがその理由ですが、ここでは詳述は避けます。
ホフマンは次に再びフロイトにもどり、彼の1916年の「無常ということ」という論文を取り上げています。そしてこの論文は、死についてのフロイトの考えが、実はある重要な地点にまで到達していたとしているのです。この無常についての原題(といっても英語版ですが)は、On Transience であり、つまりは「移ろいやすさ」というような意味です。この論文でフロイトはこんなことを言っています。「移ろいやすさの価値は、時間の中で希少であることの価値である」。そして美しいものは、それが消えていくことで、「喪の前触れ」を感じさせ、そうすることでその美しさを増すと主張し、これが詩人や芸術家の美に関する考え方と異なる点であることを強調しています。彼らは、美に永遠の価値を付与しようとするというのですが、それはその通りでしょう。詩にしても絵画にしても、それが時間とともに価値を失うものとしては創られないだろうからです。いかに永遠の美をそこに凝縮するかを彼らは常に考えているのです。そしてフロイトの論じる美とは、それとは異なるものとして論じられているのです。
ここでちょっと考えて見ましょう。たとえば花の美しさはどうでしょうか? やがて枯れてしまうから美しく感じるのでしょうか? 美しいと思った花が、実は「決して枯れない花」(すなわち造花)だと知った時の私たちの失望はどこからくるのでしょうか? フロイトの言うように、花はやがて枯れると思うから美しいのではないでしょうか?しかし考えてみれば、芸術とは、いかに美しい造花を創るか、ことなのでしょう。美しい花を描いた絵は、結局は一種の造花ではないか?しかしこのようなことを言ったら、たちまち芸術家から反発を受けるでしょうから、これはあくまでも私の思い付きということにしておきます。
ともかくもフロイトはこのようなすぐれた考察を残しながら、結局は死すべき運命への気づきを彼の精神分析理論の体系の中に組み込まなかったのです。その意味で彼の理論は反・実存主義であったとホフマンは言うのです。そこでホフマンを通してみる死生観とは、私なりにまとめると次のようなものです。
「死すべき運命は、常に失望や不安と対になりながらも、現在の生の価値を高める形で昇華されるべきものである。死は確かに悲劇であるが、外傷ではない。外傷は私たちを脆弱にし、ストレスに対する耐性を損なう。しかし悲劇は私たちが将来到達するであろうと自らが想像する精神の発達段階を、その一歩先まで推し進めてくれるのだ。」
ここに森田正馬の考え方との共通性と微妙な違いも見ることが出来るのでしょう。森田は、「死への恐れは、生に対する欲望の裏返しである」という表現をなさっていると理解しています。生への欲望があるからこそ死を恐れることになる。しかし森田のこの言い方に、私は少し突き放された感じがあったのです。「では生への欲望を抑えることが死への恐怖の克服につながるのか?」と疑問に思ってしまうのです。その点ホフマンの示唆はもう少しその点をクリアに示していると思えるのです。それは「死の恐怖は、それを現在の生と切り離すことから生じる。両者を表裏のものとして見ることで『克服する』というよりはより現実的にそれを生きることが出来る」というメッセージなのです。
次にに死の内面化をどのように目指すかについて考えたいと思います。私はそのためには毎日の生活の中で間断なき努力を行う以外にないと考えます。なぜなら私たちの生は、とらわれの連続だからです。生きているということは雨露を凌ぎ、栄養を摂取し、冬は暖を取り夏は涼を求めるという営みの連続ですが、これらは全て生への執着です。そこで過去の修行者は様々な形で日常的に死の内面化を行う努力をしました。ある人は只管打座に明け暮れ、ある人は経文を唱え、ある人はお伊勢参りをし、ある人は托鉢僧や修行僧となったのです。ただし私たちは療法家ですし、人と関わるのを生業としています。そこで私が考えるのは、やはり人との関わりとの中で日々自らを確かめることができるような営みです。
 特に私が考えるのは、常に我欲を捨て、人に道を譲るという生き方です。ただしその障碍となるのが意外にも、周囲が自分に道を譲らせてくれないという事情です。というのも我が国では年長者や肩書きを持った人間は、その人間性とは無関係に持ち上げられ、甘やかされるという傾向があるからです。しかし歴史的な人物の中には、本当に「この人は我欲を捨て、徹底して他人に謙ることで死を内面化することを実践していたのではないか?」と思わせるような例があります。その一つの例が、作家により描かれた幕末のある傑人の姿です。
ということで私の考察は坂本竜馬や西郷隆盛に向けられます。


2015年5月29日金曜日

あきらめと受け入れ(3)


あきらめと不在

なぜ諦めと不在なのか。それは私たち日本人は不在を愛(め)で、感謝するという心を持っていると思うからである。「詫び寂び」の心は物事が一時的にしか存在せず、やがて消えていくということを愛でるところにあると思う。在の中にすでに不在を見出しているところがあると言ってもいいだろう。私が将来この世からいなくなる。あるいは私は長年暮らしたアメリカのあの町から突然消え、彼らにとっては死んだも同然だろう。私が勤めていた前職場からは、私は完全に消えている。それでも私は彼らの心にある種の痕跡を残していることを知っている。それは私の目の前から消えた人が、転居した人でも、亡くなった人でも、私の中に痕跡を残しているからだ。そして、こんなことを言ってはナンだが、彼らはいなくなったことでより輝いているのである。
 たとえば私は母親には、電話で話していて3分も耐えられないほどのストレスを体験させられた。いかに実家に帰らない口実を設けるかを考えることも多かった。そしてそのような自分に後ろめたさも感じたものである。しかし今私の心に残っている母親は、実はよかった部分をことごとく残してくれているのである。私はそれをありがたいと思うし、母親が亡くなった時から、新たな関係が出来上がったとさえ考えている。不在がありがたいのは、私たちが自由に頭の中で相手のイメージを作り直す自由を与えてくれるからだ。そしてもちろん私は同じことを周囲の人々に対してしているはずである。生きている人間は我儘で、待ったが効かず、煩わしいものである。「生き物」である以上はそこに存在して、一定の場所を占拠し、一定の食物を必要とし、排泄する必要がある。自分一人でできることなど何もなく、ことごとく周囲に依存して声明を成り立たせている。考えてみれば不在が美化され昇華されるのは当たり前の話なのだ。
なぜこの問題が諦めと関係するかと言えば、不在を愛でることが出来るから、私たちは失うことに耐えることが出来るのである。私たちは毎日多くの人と出会い、多くのものを獲得し、そしておそらくそれに負けないくらいのペースで多くの人と別れ、多くのものを失っていく。でも失うことに耐えられるのは、私たちの記憶がそれを留めるからであり、そこからそれらとの新たな関係を作ることが出来るからであろう。


2015年5月28日木曜日

あきらめと受け入れ(2)

あきらめと希望
私は死すべき運命 mortalityを受け入れることは、人生に希望を失う事とは別のことであろうと考える。死すべき運命を受け入れた人が、毎日暗い顔をして過ごす、というのは変だ。死すべき運命を受け入れることは、毎日の生をそれだけ豊かにするものだからである。それはどうしてだろうか。「どうせ死ぬのだから」は、「今日生きていてもしょうがない」にはならない。「だからこそ今日、というより各瞬間が楽しい」になるのである。桜はどうせ散ってしまうから愛でる価値がない、と思うだろうか?明日は散ってしまうからこそ今日の桜が美しく見えるのではないだろうか?
私はこの死への覚悟の問題を、どうしても認知的なプロセスとして考えたくなる。たとえば朝目を醒まし、桜が咲いているか散っているかが気になるとする。外に出て枝を見上げると、昨日の風雨で散ってしまっている。あなたは悔しく悲しい思いをするだろうか?それともあきらめ、受け入れるだろうか? おそらくいつ散ってしまうかもわからない桜だからこそ愛でる人は、既に散った桜を見てもそれを受け入れる人なのである。ちょうど生を享受する人は、明日までの命とわかってもそれを受け入れるように。認知的には何が違うのだろうか?
例えば確率50パーセントの宝くじを、十分に覚悟を決めて買ったとする。(現実にはそんな確率の宝くじなどありえないが。)当たりだったら嬉しいだろう。しかし外れでもさほど落ち込んでしまうことはないかもしれない。それは外れの場合の心の準備もしていたからである。だからと言って当たった場合の喜びがそれだけ減じるという訳でもないだろう。半ばあきらめていただけに (まさに文字通り) 嬉しいという事もあるはずだ。桜をいずれは散るものとして見るとは、散った時の失望の準備をしているという事だ。いわば喪を半分はもう済ませていると言ってもいいだろう。
このように考えると、あきらめの境地にある人は、自分の持っているものに対する喪の作業を半ば済ませている、と考えることができるが、どうやってもを済ませることができるのだろうか?リネハンの「徹底した受容radical acceptance」の考えによれば、それは練習だという。ほんとかな?
ちょっと訳してみよう。(Radical Acceptance Sometimes problems can't be solved. Post published by Karyn Hall Ph.D. on Jul 08, 2012 in Pieces of Mind

徹底した受容(以下RA) は練習が必要となるようなスキルである。交通が渋滞しているとか、泳ぎに行こうと計画していた日に雨が降っている、とか、楽しみにしていたデートの日に相手が病気になった、などはいずれも何とか対応できなくてはならない。 そのようなときにはつらいが、「受容しないことの辛さ」をそこに付加しないようにしなくてはならない。愛する人を失うのは、誰にとってもつらいのだ。しかし受容はそこから回復することを意味する。現実に抵抗することは、回復を遅らす。・・・まず自分の呼吸に注意を集中せよ。あなたが持っているであろう思考、例えば「こんなはずじゃなかった」とか「これはフェアじゃない」などが過ぎ去るにまかせよう。そして自分自身に受容の言葉を与えよう。「これが現実なのだ」そしてこれを何度も何度も繰り返そう。





2015年5月27日水曜日

あきらめと受け入れ(1)


l  日本人とあきらめ
このパンフレットに書かれた内容に、私はずいぶん考えさせられた(ナンの話だ?)
日本のサッカーはワールドカップに敗退した時、帰国した成田空港でファンたちに「ありがとう」と慰労されたという。これが、自国民から怒りを持って迎えられたブラジルやそのほかの国のチームとの違いだという。なるほど。考えさせる。あるいはワールドカップ敗戦後、スタジアムに残り、散らかったゴミを掃除している日本人の様子が撮影され海外で賞賛の声を集めている。これもワールドカップつながりの同じ類の行動と言えるだろう。
勝っても負けてもフェアな精神でそれを受け入れる。敵を称賛し、味方も慰労する、という態度である。私の中ではこれは武士道精神と結びつくが、もちろん日本の専売特許というわけではなく西洋でも騎士道 Chivalry があった。(ただし騎士道は、それが理想とされてもどこまで遵守されたかはいっそう不明であろう。最後にはレディファーストくらいしでしか形が残っていない感じだ。)
私の中でこの問題に直結してしまうのが、第二次世界大戦の後の占領軍の受け入れの話である。もちろん私はその場にはいなかったが、私が生まれるわずか10年余り前のことである。戦争などとんでもない昔の話だと感じる平成生まれの人々が増えつつある今、こんな話でもしておく責任を感じている。これも私の理解している範囲ではあるが、進駐軍は、日本人が一億総玉砕を覚悟に、決死の覚悟で彼らといわば差し違えるのではないかと思っていたら、全然そうではなかったのが意外であったという。確かに先の大戦で、日本軍は最後には特攻隊精神で敵に当たり、一見死さえ怖れぬふるまいを見せた。しかしどうして終戦と同時に手のひらを返したような振る舞いを見せたのだろう。
 しかし私の中では、終戦間際の特攻精神と、占領軍のあっけない受け入れが、同根であるという気がするのである。それは日本人の持つ没我性の異なる表現でしかないように思える。没我性とはその対極にある我執性とともに精神病理学でしばしば取り上げられる人間の基本的な心性の一つである。没我性とは一言でいえば、他のために我を没する心性だ。内沼の表現を借りれば、身をささげて相手と一体となるということだろう。(後で実際に調べなくちゃ。) しかしこれは利他性の文脈だけで論じるべきではないだろう。そこにはマゾヒズム、自虐性の要素が必ず含まれると考えるべきだ。さらには利己性とも究極的にはつながるだろう。どういうことか。わが身を没して対象と一体化し、それに貢献することは、そのこと自体による快感やそれが将来身を利するであろうという予測とも関係しておかしくない。特攻精神が目指していたものが国家や国体なるものへの忠誠心やそれとの融合であったなら、原爆を落とされて圧倒的な力でねじ伏せられた日本人が急にその忠誠を誓う先を米国に向け変えたということではないだろうか。
 私は極めてノンポリで、政治音痴である。そしてこの種の反米的な考えに凝り固まっているつもりではない。何しろ17年過ごした米国は、私にとって第二の故郷である。むしろ親米的な人間だ。そして強い国が仲よくすることがいかに大きな力を生み、また周囲の地域に安定をもたらすのかについてもいつも考えている。私たち日本人が、被爆国としての恨みを米国に向けないことは幸いだと思う。何しろ恨みの連鎖は人間社会の不幸の始まりだからだ。それでも私には我が国の政治家の一部が示す親米の立場に、「迎合」の文字を透かして見てしまう。私たちがどんなひどい仕打ちを受けたのか。小林よしのりが、「反米はマナーだ」と書いていたが、その通りだと思う。そもそも没我的な心性をより多く持ち、そこに美的な価値さえ見出す傾向のある私たち日本人が常に念頭に置かなくてはならないのは、私たちは強いものに弱く、迎合し、身を捧げてしまいやすい民族であるということだ。

 ということで全然あきらめの話になって行かないなあ。

「大文字の解離」理論 (6)

スターンの「フォーミュレイトされていない体験」と解離 
ここで現代の解離論者ドンネル・スターンに目を向けてみよう。基本テキストとしてDonnel B. Stern: Dissociation and Unformulated Experience: A Psychoanalytic Model of Mind (in “D book”) を用いる。

「解離はトラウマとの関連で論じられることが多いが、解離の理論は自分が堪えられない体験に対して用いられる自己防衛のプロセスとして理解される。」確かにそうであろう。しかし自己防衛になっていないこともある。山を歩いてクマに突然出会い、袋ネズミが擬死反射を起こして横たわる。でもここには問題がある。一つはそれにより余計食われてしまうかもしれない。それに自己防衛というよりは「スイッチオフ」の状態といえるのではないか?卑猥な言葉を聞いたビクトリア朝の貴婦人が卒倒する。これは自己防衛なのか、それともスイッチオフなのか、演技的なのか。どれ一つとも決められないところがある。
「解離はフロイトの精神分析とは対照的な心の理解である。」それもよくわかる。「私は解離の問題に、サリバンの著作を通して遭遇した。」あなたもですか、という感じである。なかなか「ウィニコットの著作を通して」「フェアバーンを通して」という人には出会わない。やはりサリバンの影響力は偉大だ。どうしてだろう?自分ではあれほど論文を書こうとしなかったのに。「サリバンは古典的な分析家と違っていた。彼は欲動と防衛の衝突という観点ではなく、重要な他者との関係で実際に起きたことwhat had actually happened in relationships with Significant othersを見据えていた」わかるわかる。ただしこの頃思うことだが、「実際に起きたこと」ではなく「実際に体験したこと」であろう。というのもすべては患者が何を実際に体験したか(何が実際に起きたか、ではなく)にかかっているからである。

サリバンにとっては、一番の防衛は、フロイトの抑圧ではなく、解離だった。なぜなら一番回避しなくてはならないのは、過去のトラウマの再来だからだ。」このように考えると、対人関係学派=トラウマに基づいた理論=解離に基づいた理論という図式がピッタリくる。どうだろう。わが国では「対人関係学派=6070年代にはやった、時代遅れの理論」とみられがちだが、全然違うことになる。これほど時代の最先端を行っている理論はない、ということだ。サリバンは半世紀以上時代を先取りしていたということができるだろうか。
 さてスターンの立場であるが、彼は「解離を自分の状態を分けるという防衛プロセス」として捉えるという。まあこれは立場だから仕方がない。私にとっては解離は同時に「起きてしまうもの」だが、スターンは分析の人だ。これをどちらかと言えば能動的な防衛として捉えるという点は譲れないのだろう。となると先ほどの例でいうと、倒れる貴婦人は、それにより自らの心の崩壊を防いでいる、という論法だ。でも自己の状態を分けるということ自体が、心の崩壊というところはあるから、私としてはこの点は譲れないのだが、まあ読み進めてみよう。
「フロイトは言った。抑圧されるべき心の内容は、意識から追い出される repulsedby the CSと同時に無意識に以前抑圧されたものからは吸引されるattracted by previous repressed contents in the UCS
さてこのフロイトの議論で面白いのは、「抑圧されたものは常に表現されるような圧力を加える。欲動の派生物は常に解放されることを『願う』のである。」そしてこのような傾向があるからこそそれに対する無意識的な防衛も必要になる。なぜならその解放は最終的に不快を招来するため、防がれなくてはならないからだ。私がここの部分のくだりを特に面白いと思うのは、このことはまさに解離についてもいえることだからだ。解離された心の内容も、あたかも表現を望んでいるかのようだ。これはそもそもフラッシュバックと同類と考えるならば、「解離されたトラウマ記憶は表現されることを『望む』」と言い換えてもいいだろう。ところがフロイトにとってはトラウマではなく、あくまでも欲動なわけだが。やはりこのフロイトの欲動への固執は、分析の方向を誤らせているね。これは孫うことのない事実という気がする。私もフロイト派だけど。まあ続けよう。スターンはこういう。「意識の内容は特に選択されたわけではない。ある意味では防衛されることがなかったものが昇ってくるというだけだ。意識内容は欲動と防衛の衝突の副産物であるという。意識内容とは戦いが終わって煙が晴れた時にそこに残っているものなのだ。」何もそこまでいうことはないとは思うが、確かにフロイトはそのような言い方をしたのだ。
この後スターンは私にはよく理解が出来ないが、多分妥当なことを言う。「フロイトの時代は、人は心はある十分に形の与えられた内容物を持っていると考えていた。The mind – and, therefore, the UCS – is composed of fully formed contents.そしてそもそも私たちの知覚は所与であり、すでにそこにあるものがそのまま心に入ってくる、と考えたのだ。」「知覚が構成主義的に概念化され直したのは、それからはるかにあとの話だ。(Bruner & Klein, 1960)」「だからフロイトは考えた。ある事柄を意識しないということは、心がそれを意識しないように仕向けているのだ。なぜならそれはそこにすでに形を成してあるのだから。」
確かに私たちは何かを体験した時、それがすでに十分に形を成してfully formedそこにある、と思いがちだ。これはどうしてだろう?自分でもよくわからない。しかしプリミティブな心なら、それを信じていたのだろう。何しろ昔の人は、あることを知覚するとは、そのものの表面が薄くはがれて目に入ってくるからだと考えた。机、とわかるのは、その薄皮がはがれて目に入ってくるからだ、と。(昔大学で広松渉先生の哲学の講義で、そんな話を聞いた。) 匂いに関してはそんな考え方をわしたちはしているかもしれない。林檎の匂いを嗅いだ時、小さな「リンゴの粒子」が鼻に入ってくることを想像しないか。これって一種の「逆ホムンクルス」ではないだろうか?
 フロイトなら、例えば人間には絶対に性的願望と攻撃的な衝動があると考えたであろう。だから治療場面でそれが出てこなければ抑圧されていると考えるし、夢の内容はかなり強引にそれらの表れとして解釈されたはずだ。性的、攻撃的欲動の存在については、それはどのような人間にもあるプライマリーなものと考える人は結構いるかもしれない。しかし私はそれらが重要ではあるにしても、その程度には差があるし、それがプライマリーなものとも思えない。もっとプライマリーなものがあるとしたら、「人に自分の存在をそうと認めてほしい」という願望かな。これなら赤ん坊に常にみられる。(ただし発達障害の場合は事情は異なるが。) でもそれらを十分形を成したものfully formed と見るだろうか?文脈によりその強度も対象も異なるだろうし、時には姿を見せないこともある。攻撃的な人だって自分の愛する子供の前ではそれは一時は姿を消すだろうし、優しく子供に接している時の彼の攻撃性が「抑圧されている」とは考えにくい。でもそれは当たり前のことではないだろうか?攻撃性にしても性的欲求にしても、そこにポンとあるのではなくて、ある種の刺激による反応という形で、例えば電車で横入りをする人を見た時に腹が立ってどなり声を発してしまうという形で存在するだけではないか。
でもこのような考え方は、曲がりなりにも心理学や精神医学の知識をある程度持っているからであろうか?そもそも学問とは縁のない世界に育ったら、江戸時代の貧農の長男として生まれ、毎日畑を耕すだけの毎日だったら、私は机を見てそうとわかるのは机の薄皮がはがれて目に入ってくるからだ、と思うのだろうか?
 とにかくスターンが繰り返し言うことはこうだ。フロイトにとっては、真実とはすでに形を成してそこにあり、おそらくは唯一であり、それに対して私たちは目をつぶっているだけである。その抑圧を解いた時にはそこに現れてくるものである。
でもおそらくこのような考えを持っている人たちは結構多いはずだ。今の世の中でも。特に心理、精神医学関係でない人の場合にはそうかもしれない。
スターンは何度も強調する。抑圧モデルというのは無意識にある唯一の心理があり、それは客観的な現実に「対応」している、と考える。これを彼は「対応」理論 correspondence theory と呼ぶ。これを従来の分析かはかたくなに守ってきたのだという。この「対応」理論によれば、人の理解は絶対的で、文脈に依存せず、真理はいつも同じ真理、ということになる。ここら辺は私もある程度納得できる。たとえばクライエントが「偽善的」であるという性質を考える。それは文脈で変わることはない。見方によっては偽善的な振る舞いや言動が、別の視点からそうでない、ということを認めないことになる。スターンがこれを何度も強調するのは、この次に「定式化されていない体験unformulated experience(以下UEとしよう」というのを持ち出すからだ。そしてそれに基づいた考え方が解離であるという。

「定式化されていない体験」-解離に基づいた心のモデル

でもそれとは異なる見方をしたらどうだろう、というわけだ。「もはやこの対応理論に従っている人などいない。」なーんだ、それでいいのか。「ところが多くの分析家がこれに固執する様子を見せている。」ホント、どうしてだろうね。「そこで私が提唱するのが、解離に基づいたUE理論」。
少し見やすくすると
l  抑圧に基づく分析理論=真理はひとつ、客観的な現実に対応している。
l  解離に基づく分析理論=UE

では果たしてUEとはなんだろう?日本語訳を調べなくては。そこで解離モデルの説明に入る。「知覚は決して感覚的所与sensory givenではない。知覚はUE として入力され、構成される。スターンは以前この議論について言語的な意味しか考えていなかったという。しかし非言語的な意味なども含まれると考えるようになったという。たとえばいちゃつきflirtation がそうであり、それは非言語的な意味として対人間のかかわりの中で創造されるという。
このように考えていくと、抑圧モデルと解離モデルでは、ちょうど逆の考え方をしていることがわかる。解離モデルでは、意味は創造するものだ。最初からそこにあったものに対する抑圧をとくというものではない。意味は最初から可能対としていくらでもある。その中で耐えられないものは、フォーミュレイトされないままでいる。抑圧だと自然な出来事は抑圧されていたものが解除されて、ちょうどビーチボールが水面に浮き上がってくるような状態。ところが解離モデルだと、耐えられるものがフォーミュレイトされて意識に上る。ちょうどレンズがあってそれがフォーカスを当てたものが上ってくるようなものだという。
 このように考えると解離されたものは、そこに形を成していないものということになるが、これが抑圧モデルとかなり異なる(というか正反対の関係にある)のはわかった。しかしたとえば「別人格」などはどうだろう?同じように考えるのだろうか?あるいはトラウマ記憶でもいい。Aさんにとってトラウマ記憶は解離されていて思い出せない。するとAさんにとってはそれは存在しない、ということか。つまり抑圧されているというわけでもないというわけだ。
で、スターンはこんなことを言っている。「解離とは、好奇心を無意識的に拒絶することである。」うーん、わからない。というか、もう無意識的、というのがわからなくなってきている。無意識的って、簡単に言うな!といいたい。「ガダマーによると、私たちは決して現実そのものを知覚することが出来ない。」(別に、ガダマーじゃなくてもいいそうなことだが。)「そのわかり、私たちは現実を構築するのだ。」と。そしてその構築の際に依拠するのが、バイアスと先入観だ。ところが、新しい体験とはそのバイアスや先入観を超えたところにあるというのだ。そうだろう。期待を裏切る新しいものが、体験として記憶に残るのだから。
そしてスターンは言う。「留まることのない好奇心は、解離の対極にある。」・・・少しずつわかってきた。解離とはそこに新しいものを見ないこと、新しそうなものを見ても、「それは~である」と定式化 formulate しないことであるという。言い換えると、解離とはフォーミュレイトされていない体験ということになる。
この後論文は、「強い解離」と「弱い解離」という分類について紹介する。彼は「受動的な解離 passive dissociation」、ないしは「弱い意味での解離 dissociation in a weak sense と「能動的な解離 active dissociation」、ないしは「強い意味での解離 dissociation in a strong sense」があるという。前者は私たちが単に心の一部に注意を向けない種類の体験といえる。それに比べて後者は無意識的な動機により私たちがある事柄から目を逸らしている状態で、こちらはトラウマに関係しているという。この両者を本書では呼びやすく、「強い解離」と「弱い解離」と呼ぶべきであろう。


2015年5月26日火曜日

「大文字の解離」理論 (5)

フェアバーン

私はフェアバーンについての特別の知識はほとんどないが、一つ押さえておかないことは、そもそも彼の「スキゾイド」の概念は、結局スプリッティングの概念、解離の議論、ということなのだ。
「ヒステリーの症状を伴う患者の研究により、以下の点に確信を持った。それは「ヒステリー」の解離現象は、自我のスプリッティングを含み、それは私が「スキゾイド」と呼ぶものと、その語源的な意味合いにおいて同一であるということだ。」(P92.
フェアバーンの代表作である、”psychoanalytic studies of the personality” (Routledge, 1952 ) には、「ヒステリー性の解離」という呼び方で、何度か解離に関する言及がある。それを読んでみる。「二重ないしは多重のパーソナリティの本質的にスキゾイドな性質については、ジャネ、ウィリアム:ジェームス、モートン・プリンスらによる多くの症例を通して論じられてきた。」

Fairbairn, W.D. (1952). Psychoanalytic Studies of the Personality. , 1-297. London: Tavistock Publications Limited.ロナルド・フェアベーン、人格の精神分析学 (講談社学術文庫1995.

しかし、では何をスキゾイドと呼ぶのかについては、とにかくよくわからないね。フェアバーンは、彼らには三つの特徴があるという(p.6)。全能感、孤立と超然さisolation and detachment、内的現実への関心の三つ。うーんよくわからない。フェアバーンにはとにかくからゆる病理にこのスキゾイド現象を見ているようだが、他の人には、結局どういうことかよくわからないような。ただ時代背景からいったら、1911年にブロイラーが schizophrenia を提出しているから、潜在的な病理は神経症憲にもたくさんいますよ、ということを言いたいのだろうか?もちろんすでにフロイトはなくなっているが、草場の陰で絶対言っていると思う。「だからさあ、意識が分かれる、という議論はやめようよ。力動的な議論が出来なくなっちゃうし。大丈夫なの?」というくらいか。

しかし私の印象では、スキゾイドの議論はフロイトが危惧したであろうようにはならず、もう少し穏当な路線で進んでいったようである。スキゾイドの議論についてはガントリップのまとめが一般的に受け入れられているようであるので、少し読んでみよう。「対象関係論の展開」(小此木、柏瀬訳、誠信書房、1981年、Harry Guntrip (1971)  Psychoanalytic theory, therapy, and the self, Basic Books) の第6章「スキゾイド問題」を読む限りは、その理論はトラウマ理論からは離れているということ。ニュアンスとしてはこんな感じだ。「ウィニコットも言っているように、『程よい母親』のケアを受けられないと、子供は偽りの自己ともいえる外面の下に、真の、傷つきやすい自己を分裂させる。これがスプリッティングの本質だ。」
実際にガントリップはこう書いている。
「冷たく、感情を欠いた知的な人物の外的な防衛がもし突き破られるならば、内に秘めた、傷つきやすくて、大変によく深く、しかも恐怖にみちた乳児的な自己が夢や空想の世界に現れてくる。ただし、このような自己は、外的な世界がみている表面的な自己、つまり偽りの自己(ウィニコット)から分裂・排除されている。」
こんな風に言えるだろうか。精神分析で始まったシゾイドの議論は、むしろ解離の議論から離れ、準 schizophrenia 状態としての schizoid の方向へとずれていってしまった。そしてトラウマの議論の代わりに、養育不全の問題へと推移していってしまったのである。
結局精神分析における解離の問題が、トラウマとの関連で再び焦点づけられるには、サリバンの登場を待つしかなかった。現代の精神分析における解離理論をけん引するドンネル・スターン先生は言う。「サリバンは古典的な分析家と違っていた。彼は欲動と防衛の衝突という観点ではなく、重要な他者との関係で実際に起きたことwhat had actually happened in relationships with significant othersを見据えていた」。そう、やはりフロイト理論は欲動論との結びつきを強調し過ぎが仇になったわけだ。ただしこのスターンの提言について、「実際に起きたこと」ではなく「実際に体験したこと」とすべきであろう。というのもすべては患者が何を実際に体験したか(何が実際に起きたか、ではなく)にかかっているからである。それが現代的な精神分析の見方である。
「サリバンにとっては、一番の防衛は、フロイトの抑圧ではなく、解離だった。なぜなら一番回避しなくてはならないのは、過去のトラウマの再来だからだ。」(スターン) このように考えると、対人関係学派=トラウマに基づいた理論=解離に基づいた理論という図式がピッタリくる。どうだろう。わが国では「対人関係学派は196070年代にはやった、時代遅れの理論」とみられがちだ(実は私もひそかにそう思っていたところがある。白状しよう。) が、全然違うことになる。これほど時代の最先端を行っている理論はない、ということだ。サリバンは半世紀以上時代を先取りしていたということができるだろうか。
 
サリバンの解離理論

サリバンは解離された自己の在り方を表現し、理論化した。彼の「よい自分 good me,「悪い自分 bad me」そしてこの「自分でない自分」という概念化にそれが表れている。最初の二つはおそらく多くの人が日常的に体験しているであろう。自分という存在に対する意識が、二つの対照的な自己イメージに分極化するという体験は、程度の差こそあれ、私たちの多くにとってなじみ深いはずである。自分の力を順当に発揮でき、「自分は結構やれるじゃないか?」と思えるときのセルフイメージ(「よい自分」)と「自分って全然だめだな」と思う時のセルフイメージ(「悪い自分」)とは、しばしば他人の評価により反転する形で体験されることがある。
 それに比べて「自分でない自分」は、むしろ非日常的でしばしば病的な形で現れる。その時の自分があたかも別の世界に逃げ込んでいるような状態、苦痛や恐怖や屈辱のために心をマヒさせるような形でしか、その体験をやり過ごす事が出来ないような状況において出現するのだ。さらに具体的に彼の言葉を追うならば、彼は「自分でない自分」は「深刻な悪夢や精神病的な状態でしか直接体験できず、解離状態としてしか観察されない」と考えた(Sullivan, 1953)。この時の体験は、それが深刻な苦痛が伴う為に決して学習されず、またより原始的な心性のレベル(彼のいう「プロトタキシック」、「パラタキシック」なレベル)でしか体験されないとしたのである。
 現在では、このサリバンの「自分でない自分」の概念は、トラウマや解離の文脈で再評価されるようになってきている。精神医学、心理学においてトラウマによる心の病理が再認識され、臨床家の注意が向けられるようになったのはここ30年ほどのことである。30年というと非常に長いという印象を与えるかもしれないが、その中で精神医学的、精神分析な考え方が徐々に変革を迫られていることを考えると、その動きは激動に近い。それを考えると、サリバンの治療態度はきわめて患者の側に立った共感的な態度ということが出来る。そしてそれで思い出すのが、フェレンツィなのである。サリバンが米国に訪れたフェレンツィの話を耳にし、自分に近い存在と感じて弟子のクララ・トンプソンをブタペストに遣ったのもきわめて合点がいくのである。


2015年5月25日月曜日

「大文字の解離」理論 (4)


橋下さんの会見の感想。大阪都構想が頓挫して、彼はどうして笑っていられるのだろうか?強がり、だろうか?半分はそうだとしても、半分は違うだろう。それは彼の心の中で敗北することが想定されていたからだ。受け入れていたのである。恐らくそれは、「政治家なんかやらなくてもオレは食っていけるんだ!」ということなのかもしれない。他のこれと言って芸のない政治家にはできないことだ。あの姿は覚悟や受け入れについて考えるうえで参考になる。「間違ってたんでしょうね」と言えること。ただし正しい、間違い、という問題ではないと思うが。


攻撃者との同一化について

攻撃者との同一化という防衛機制は、通常はアンナ・フロイトが提出したと考えられている。彼女の「自我と防衛機制」に防衛の一つとして記載されているからだ。(Freud, Anna (1936) The Ego and the Mechanisms of Defense, International Universities Press.) 
ところがフェレンツィの元の意味は、これとは随分違うという議論がある。フランケルという人の論文だ。(Jay Frankel (2002) Exploring Ferenczi's Concept of Identification with the Aggressor: Its Role in Trauma, Everyday Life, and the Therapeutic Relationship. Psychoanalytic Dialogues, 12:101-139.
彼の議論に従ってみよう。アンナ・フロイトの本には防衛機制として出てくる。その定義としては次の様に書かれている。「攻撃者の衣を借りることで、その性質を帯び、それを真似することで、子供は脅かされている人から、脅かす人に変身する。“by impersonating the aggressor, assuming his attributes or imitating his aggression, the child transforms himself from the person threatened into the person who makes the threat” (p. 113).
しかしこれはかなり誤解を招くし、そもそもフェレンツィの考えとは大きく異なったものだというのが、フランクルの主張であり、私もそう思う。なぜならフェレンツィは、子供が攻撃者になり替わる、とは言っていない。彼が描いているのは一瞬にして自動的に起きる服従なのである。「言葉の混乱」を少し追ってみよう。

「[暴行を受けた子供の]最初の衝動は、拒絶、憎しみ、嫌悪、そして力による抵抗であろう。『いやだいやだ、こんなのいやだ、強過ぎて痛い!あっちに行って!』である。極度の恐れにより麻痺させられるのでなければ、これかそれに似たものが直接の反応であろう。子供は身体的に精神的にどうすることもできず helpless 、彼らがたとえ思考によってでも抵抗するにはあまりに彼らのパーソナリティは不十分にしか固まっていない。Their personality is still too insufficiently consolidated for them to be able to protest even if only in thought. 「大人の圧倒的な力と権威により彼らは黙らされる。しばしば彼らは感覚を奪われるのだ。しかしその恐怖そのものは、それが頂点に達した際は、攻撃者の意図に力づくで自動的に服従させ、攻撃者の願望の一つ一つを予期し、それに服従させる。つまり自分自身をすべて忘れ、攻撃者に同一化するのである。Yet the very fear, when it reaches its zenith, forces them automatically to surrender to the will of the aggressor, to anticipate each of his wishes and to submit to them; forgetting themselves entirely, to identify totally with the aggressor.」「 攻撃者との同一化のことを取り入れと呼ぶとすれば、その結果として、攻撃者は外的な現実としては姿を消し、精神外界的ではなく、精神内界的になる。しかし精神内界は、あたかもトラウマ的なトランス状態のように、夢のような状態において一次過程に従属し、つまりそれは快感原則に従い、それは陽性ないしは陰性の幻覚に形を変える。As a result of the identification with the aggressor, lt us call it introjection, the aggressor disappears as external reality and becomes intra-psychic instead of extra-psychic; however, the intra-psychic is subject to the primary process in dreamlike state, as is the traumatic trance, that is, in accordance with the pleasure principle, it can be shaped and transformed into a positive as well as negative hallucination.」「ともあれ攻撃は動かしがたい外的な現実としては姿を消し、子供はトラウマ的なトランスの中で、以前のやさしさの状態を維持するのである。In any event, the assault ceases to exist as an inflexible external reality, and the child, in his traumatic trance, succeeds in maintaining the former situation of tenderness.」「 しかし何といってもこの攻撃者への同一化、すなわち恐れに基づく同一化が引き起こす子供の情緒生活の最大の変化は、大人の罪悪感の取入れなのだ。そしてそれが子どもの遊びの中に、処罰すべき行動を表す。Yet the most important transformation in the emotional life of the child, which his identification with the adult partner, an identification based on fear, calls forth, is the introjection of the guilt feeling of the adult, which gives hitherto innocent play the appearance of a punishable act.
「子供はそのような攻撃から回復した後、極度に混乱し、事実すでにスプリットし、同時に無垢でかつ罪悪感を持つ。When the child recovers after such an attack, he feels extremely confused, in fact already split, innocent and guilty at the same time.

この後、攻撃者の大人は攻撃の事実を否認し、極度に道徳的になる。そして「どうせ子供だから何もわからないだろう」と思う。子供は母親に助けを求めるが、相手にしてもらえない、という記述が続く(以上、同論文298299ページ)。そしてこの記述。
「この観察の科学的な価値は、十分に発達していない子供のパーソナリティは、突然の不快に対し、防衛ではなく、脅してくる、ないしは攻撃してくる人物への同一化と取入れであり、それは恐れに基づいた同一化である。The scientific importance of this observation is the assumption that the still not well-developed personality of the child responds to sudden unpleasure, not with defense, but with identification and introjection of the menacing person or aggressor, identification based on fear.
フェレンツィはさすがである。なぜなら現代的なトラウマの考え方をすでにほとんど先取りしているからだ。なぜそういうことができたのか?それは臨床素材をしっかり見ていたからだ。レーベンフックが光学顕微鏡を用いて観察を発表したのは1600年代の後半だが、もし100年前にその顕微鏡を手に入れた人がいたら、同じ植物の細胞の画を描いただろう。フェレンツィもすでに1930年代に、現在のトラウマ論者と同じものを同じレベルの心の顕微鏡で見ていたということになる。
私はフェレンツィのこの論文を部分的に訳してみて、何も付け加えることはない。攻撃者との同一化、取入れという考えは今でも生きていると思う。

フランケルはここで、攻撃者との同一化は二種に分かれるという。一つは攻撃者の主観的体験。もう一つは攻撃者が思い描く子供の体験。わかりやすく言えば、「いつもいい子でいろよ!」という体験と「僕はいい子だ」という体験である。これを Heinrich Racker の同調型と補足型の同一化という議論から説明するのだ。このことはトラウマを負った子供がなぜ攻撃的な人格を宿すかという人の一つのヒントを与えてくれると言っていいであろう。これに従うならば、アンナ・フロイトの意味の「攻撃者との同一化」は同調型の方だけを論じたものといえるだろう。

「攻撃者との同一化」という概念の問題

ただし、私はここで一つ提言したいことがある。この概念は誤解されやすいということである。しばしば私も含めて誤解しやすいのは、このようにして解離の人の中に黒幕的な人格が形成されるということである。その可能性も否定はできないが、フェレンツィの言っていることを理解するならば、それだけとも言えない。言葉の混乱の翻訳の一部をここに再録しよう。「大人の圧倒的な力と権威により彼らは黙らされる。しばしば彼らは感覚を奪われるのだ。しかしその恐怖そのものは、それが頂点に達した際は、攻撃者の意図に力づくで自動的に服従させ、攻撃者の願望の一つ一つを予期し、それに服従させる。つまり自分自身をすべて忘れ、攻撃者に同一化するのである。つまり、攻撃者の意のままになる、ということを言っているにすぎない。これは他者を攻撃する人格部分がこのようにして成立するということを言っているわけではないのだ。これはむしろ「あんたはお姉ちゃんでしょ。いい子でいなさい!」と言われて「いい子」になる子供に似ている。別に「攻撃者」でなくても、解離傾向の強い子供は同一化するのだ。やはり攻撃を受けた際に生じることは、私の「第3の経路」に従う気がする。
子供の取り入れの力はおそらく私たちが考える以上のものである。様々な思考や情動のパターンが雛形として、たとえばドラマを見て、友達と話して、物語を読んで入り込む。その中には他人から辛い仕事を押し付けられて不満に思い、その人を恨む人の話も出てくるだろう。子供はそれにも同一化し、疑似体験をするだろう。脳科学的にいえば子供のミラーニューロンがそこには深く関与しているはずだ。こうして子供の心には、侵襲や迫害に対する怒りなどの、正常な心の反応も、パターンとしては成立しているはずなのだ。つまり親からの辛い仕打ちを受けた子供は、それを一方では淡々と受け入れつつも、心のどこかでは怒りや憎しみを伴って反応している部分を併せ持つのである。子供が高い感性を持ち、正常なミラーニューロンの機能を備えていればこそ、そのような事態が生じるだろう。あとは両者を解離する傾向が人より強かったとしたら、それらは別々に成立し、一方は「箱の中」に隔離されたままで進行していくのであろう。実に不思議な現象ではあるが、解離の臨床をする側の人間に必要なのは、この不思議さや分かりづらさに耐える能力なのだろう。