2015年1月31日土曜日

恩師論 (9)


 子安先輩の思い出は脱線気味だったが、出会いのメカニズムの一つは結局モデリングだね、という話だ。そしてもう一つが勇気づけである。数日前に紹介した岡村氏のエッセイにもあった。「君ならきっとできるよ」、と言われる。自身はないけれどやってみると出来るのである。そうすると背中を押してくれた先輩との出会いは貴重なものになる。 しかしこれは一歩間違うと無茶ブリになってしまう可能性もあるのだ。
 私も時々学生さんに「~をしてみたら?」と提案することがある。「~してくれる?」というトーンの時もある。場合によってはこちらの提案は学生にとっての命令に聞こえることもあるだろう。すると学生は「わかりました。」と言いながらも「これって無茶ブリじゃない?」と思うのかもしれない。本当にそうなのか? これは場合によるだろう。
ある仕事を学生さんにお願いする。それはその人にとっておそらく扱うことが可能だと考えている。これをしてもらえると自分は助かる。そしておそらく彼(女)にとってもその経験が勉強になるだろうと考えるのであれば、それは私にとっても学生にとってもいい体験になるだろう。Win-win というわけだ。ところが私が学生のキャパや都合を考えないでそれを頼んだとする。学生には無茶ブリ、完全に私の側の都合、場合によってはパワハラと認識するかもしれない。とすると恩師による「背中押し」は危険な賭け、エゴの押しつけにもなりうることになる。恩師、先輩の側の良識が問われるということか。
たまたま岡村氏の例が、ピアノが弾けない先生の話だった。その場合の背中押しはその先生にとっても都合がいいという事情があった。しかしたとえばコーチングとか、教育の場合には「~したらどう?」は理解を含まない、より教わる側にとっての利益を考えた指導やアドバイスとなるだろう。私たちは後輩、初心者の振る舞いや仕草を見ていて、ごく純粋に「ああ、~すればいいのに…」と感じることがある。余計なところに力が入っていたり、大事なことが抜け落ちたりするのを見るのはイライラするし、それを訂正することでスキルが向上するのを見るのは心地よい。だから家庭でも教育現場でも部活動でも、職場研修でも、フォーマルな形で、あるいはインフォーマルな形で、アドバイスや指導はありとあらゆる形で行われているだろう。人と人との会話をすべてモニターできたら、そのうちのかなりの部分が一方から他方に対するアドバイスや指導や提案の形をとっている可能性がある。
ところだそれらのアドバイスや指導の中には、全く見当はずれなものがある。それはアドバイスをする側にとっては簡単なことに思えることが、される側にとっては全くの至難だったりすることがしばしばあり、しかも前者にとってはその事情が全くくみ取れないからだ。人間はことごとく自分を尺度に考える傾向にある。朝は決まった時間に起きるということが少しも問題なく行われている大人にとっては、目覚ましを何度もかけても起きない息子や娘の苦労は分かりにくい。「どうして人間として当たり前のことが出来ないの?」という小言は、親の側の全くの無理解の表れとして子供に受け取られる可能性がある。だから先ほどの人と人との会話のうちのアドバイスの部分は、ほとんどが不発に終わっていることになる。それはそうだろう。人が大人しく他人のアドバイスを聞き入れて行動を改善できていれば、これほど平和なことはない。しかしアドバイスの大部分は一方的な押し付けの形をとるのである。
その中でたまたま言われた側の心に響くものがある。それに従ってみようという気持ちになる。それはおそらくは偶然の産物なのだろう。
ルイ・アームストロングが施設のブラスパンドでたまたま与えられたコルネットに出会う。そこから彼の人生が変わっていく。彼にトランペットを手渡した人は、彼にとっての恩師ということになろう。しかし彼は単にトランペットの要因が足りなかったから薦めただけかもしれない。
結局何が言いたいのか。出会いにおける背中押しも、かなり偶然の産物に近いということである。



2015年1月30日金曜日

恩師論 (8)


メロホンとホルンの写真を見て、おんなじじゃないか、と思う人はおろかである。メロホンは右手でピストンを押し、ホルンは左手でキーを押す。持つ方向がま逆なのである。管のグニャグニャの形が違う。ホルンの管の方が長く、幅広い音域が出る。それにホルンは高価である。メロホンは安い。ホルンはかっこいい。大人の楽器だ。メロホンは子供だましの楽器である・・・。しかし私は最初の数ヶ月はメロホンをホルンと勘違いして吹き続けたのだ。だって、そんな違いなんてわからないではないか。
メロホンの立場はまるで下積みである。ちゃんとしたメロディーがないのだ。クラリネットやトランペットなどのメロディーを奏でる楽器たちの下でリズムを刻むだけ。ちゃんとした出番がない。楽器は重い。やる気が起きないなあ、と思っているときに、音楽室のホールでやたらときれいなメロディーを奏でてムードミュージックなどを吹いていたのが子安先輩だった。音色が違う。先輩はもちろんバンドの楽曲でもすばらしい働きをしたが、普段はそんな練習はまったくせず、もっぱら「恋は水色」「恋ごころ」などをビブラートをかけて吹きまくっていた。そんな中学2年生なんているだろうか?子安先輩には様々な伝説が付きまとっていた。楽譜は所見で読めてピアノも弾ける。異常な怪力の持ち主。陸上選手でもある。女性に異常にモテる。時々子安さんはメロホンを手にとり「恋は水色」を演奏したりしたが、驚いた。均一で透き通ったような音。音色がまったく違うのである。彼のマウスピース内での唇の震え方がまったく人とは異なることを知った。私は中学1年の秋にはメロホンを捨ててトランペットに転向し、ひたすら子安先輩の横でトランペットを吹くようになった。そのうち彼がヤマハの銀メッキのトランペットに買い換えるというので、彼がそれまで使っていたドイツ製のヒュッテというメーカーのトランペットを安く譲り受けた。(今でも押入れの奥にある。)そのうち子安先輩の弟分ということになった・・・。なんか恩師の話とはズレてきている。とにかく目の前で同じ楽器を吹き、まったく違った音色を放つ中学二年生を目の前にして、その人物に同一化して憧れてしまうという体験。彼は私にとって恩師というにはあまりに年が若かったが、人に影響を受ける、という意味ではまさに画期的な体験だったのである。

駄目だ、この原稿はボツだな。これも失敗だ。

2015年1月29日木曜日

恩師論(7)


K先輩のこと

彼は恩師、ではないなあ。しかし確実に影響を受けた人である。K先輩は、私が中学に入った時のブラスバンド部の一年先輩である。私は音楽が好きで、見学に行ったブラスバンドのホルンの形に惹かれて担当することになった。後でそれは「なんちゃってホルン」であり、メロホンという楽器だということを知ったわけだ。まあ素人にわかるわけないよね。下に画像を示そう。今日はこれで終わりだ。
ホルン
メロホン


2015年1月28日水曜日

恩師論 (6)


「出会い」のメカニズム


「出会い」のメカニズム、などと書くと、「出会い」は一つの欠くべからざる性質を持っていて…・と言うことになりそうだが、そうではなく、いくつかの要素を持った複合的なものなのだ、という議論になる。これは仕方がないだろう。治療における「出会いのモーメント」と、そこの部分は同じになってしまうのだ。Gファクターの議論とも似ている。
私自身の体験から言えばやはりモデリングか。目の前でお手本を示してもらったという体験。Dr.Hのことを思い出す。私が30歳代の前半、オクラホマシティで初めて精神科のレジデントトレーニングを行った時のバイザーで彼は小柄であごひげを豊かに蓄えたエジプト人(毛が頭の上から下に移動したタイプ)。いつも笑みを絶やさない、温厚な人柄。「人に温かい」とはこういうことだ、ということを目の前で実践してくれた。(それまで、そういうことは考えたことがなかった。) 私の配属されたのは、VAHospital (軍人病院) で、そこの精神科病棟には数十人のベトナム帰りの心を病んだPTSDやうつの患者さんが群れていた。時にはろれつが回らず、時には意味不明の訴えだ。Dr.Hはどの患者にも誠実に対応するので人気があり、彼が病棟に姿を現すと患者がひっきりなしに話しかけてくる。彼はどんなに忙しくても疲れていてもしっかり対応する。私はそれを横で見ているのである。月曜の朝、病棟である患者さんが何か、非常に取るに足らない「報告」をDr.Hにしてきた。どうにも返事のしようのない、週末の生活の様子についての報告。Dr.Hは“well, Mr.so and so, thank you for telling me. 「私にそれを話してくれてありがとう」となる。英語にはこうやって日本語にすると意味が消えてしまうようなどうと言うことのない表現がある。それにしても「話しかけてくれてありがとう」は「あなたが、そこにいてくれてありがとう」みたいな感じ。そんな言葉ってあるんだ、と新鮮だった。うーん、書いていても説得力がない。どうして恩師のエピソードとしてまずこれが浮かぶのかよくわからない。この言葉は私に向かっていたものでもないし、Dr.Hは特に私を評価してくれたという訳ではない。彼はいつもニコニコ私の話を聞いてくれただけである。しかしこの“thank you for telling me”が効いてしまい、私はDrHのしぐさ、言動を横で見ていてことごとく取り入れるようになったのである。やはりこれは彼の人徳、と言うのだろうか。誰にでも公平、しぐさや主張は質素だが明確。人には常に同じ姿勢。患者も同僚も同じ。
彼のエピソードでもう一つ思いだす。アメリカ人は職場で午後5時が近づくと、急にそわそわしだす。皆がこれから始まるアフターファイブに向けて気もそぞろになる。定刻の5時になる前にはタイムカードに向かっている人もいる。日本人の私は何となく定刻に帰る習慣が合わなかったが、Dr.Hは私を含めたレジデントにきっぱりと言った。「君たちは定刻が来たらさっと帰りたまえ。後は当直の仕事だ。」と言って自分でも帰り支度を始める。時間が来たから撤退、と言う感じ。私はDr.Hから、「勤務時間が来た時の帰り方」を身を持って教わったのである。
 やはりこう書いてみると、出会い、と言ってもその人の人柄が決定的だということがわかる。あの人がこういったから、それが心に残る、と言うところがある。しかしその人との関係がずっと続いたという訳ではない。Dr.Hとは私がその後オクラホマシティを離れてカンザスのトピーカに移ったために音信不通になった。ただ一つ後日談がある。Dr.Hと少し個人的な付き合いをさせてもらおうと思い連絡をすると、彼は彼が行っているキリスト教の活動を紹介してくれた。彼の慈愛に満ちた態度や表情と宗教がそこで重なったのだ。

とにかく…。二十数年たって初めてDr.Hのことを文章にしてみて、特に説得力がない感じがした。私にとっては大きな「出会い」でも、書いてみると大したことがないのだ。文章力の問題だろうか。でも何度も思い出すのはどうしてだろう?やはりこれが「出会い」なのだ。その人にしかわからない、他の人は「どうしてそれが?…」と思うような瞬間。

2015年1月27日火曜日

恩師論(5)

錦織くん、快進撃だね。

恩師論、こんな風にしようという構想がまとまった。

l  絵に描いたような師弟関係:錦織君とマイケル・チャン、松井選手と長嶋茂雄(しかし恩師は常に理想化対象足り得ない(それでもいい)
l  出会いの提供者としての「恩師」
l  見本を目の前で示してくれる:中学時代のK先輩(楽器)、ドクターH(面接の仕方)
l  勇気付けを与えてくれた人恩師:ドクターM, O先生
l  後押し(無茶ブリ)をしてくれた恩師:K先生
l  出会いの機序とは何か? 「~すればもっと伸びるのに」という示唆(本人の中にすでにその考えがあるかどうかはさほど重要ではない← 精神分析的な考えとの違い
l  これが押し付けにならないかが分かれ目。
l  恩師との体験の裏返しとしてのパワハラ
l  世代形成性generativity Erikson)との関係
l  自分が出会いの提供者になること
l  結論:絵にかいたような恩師を求めるな。出会いを自ら内在化せよ。よき恩師になろうとするな。自分から出会いを提供せよ。


2015年1月26日月曜日

恩師論 (4)


ところで先日NHKで錦織とマイケル・チャンの話をしていた。「恩師論」の途中なので、やはり見入ってしまった。わずか一年で錦織を変えたチャン。間違いなく恩師と言って良いだろう。そのチャンは、出会ったときとうとうとフェデラーへの敬愛の念を語る錦織に言ったと言う。「フェデラーを尊敬するなんておかしいよ。本来は戦って破る相手だろう?その相手に惚れ込んでどうするんだい?」的なことを言ったらしい。それからいろいろなメッセージを伝えた。反復練習をさせる、フォームを直す、もっとコートの前の方で戦え、など。チャンのコーチングでは、たくさんの「~しろ」が錦織くんに伝えられた。彼はおそらく「仕方なしに」「半信半疑で」従ったのだろう。そして同時に「自分を信じろ」と何度も繰り返して言ったのだ。
 自分を信じろ、という励ましについてはわかりやすい。勇気付け、岡村孝子さんの例のような背中押し。多くの恩師がこれをやるのだ。しかしたとえば「ジムでのトレーニングを、これまでの一時間から二時間増やせ」というのはなんだろう。どうして彼はチャンに言われるまで、それをしなかったのだろう?錦織くんは、実はトレーニングや反復練習は好きではなかったという。おそらくそれまでに彼にそれを勧めた人はいたのであろうが、チャンほど強いメッセージで彼にそれを促したことはなかったのだろう。それでは錦織くんはその躍進を一方的にチャンに負っているのだろうか?でもそもそもチャンに近づいてコーチを依頼したのは錦織くんのほうなのだ。フクザツ。
観客席で見つめるチャンは、錦織くんのポイントの一つ一つにリアクションを起こし、いわば彼と同一化して苦楽を共にする。錦織くんの成功は彼の成功、サービスの失敗は彼の落胆に直結している。いちいちガッツポーズを作ったり、頭を抱えたり。恩師が弟子に対して「そのためを思い」耳に痛いことをも言う。これは恩師として慕われる人の行動のひとつの大きな特徴だろうが、ではなぜそれが生じるのか。それは恩師の側の弟子への惚れ込みやリスペクトがある。一緒に一喜一憂する「に値する」弟子でなくてはならない。ということは、恩師と弟子の関係は親子関係のようなもの、お互いにコフートの言う自己対象としての意味を持つのだろう。

このように書いていると、錦織―チャンのカップルは、何か絵に描いたような弟子―恩師関係に見えてくる。私が「そんなのないよね」と言っていたような。そう、こういう幸運な組み合わせもあるのだろう。ただしすべての点で二人の息があっていたかどうかは、おそらく傍目からはわからない。世界ランキング二位まで行ったチャンにとって錦織くんが「現役時代の自分より格下」として認識されているとしたら。錦織くんの練習への情熱の薄さにイラっとすることがあったら?あるいは逆に彼の才能をチャンがねたましく思う瞬間があったなら?錦織くんにしてもチャンのことを煩わしく思い、常に一緒には痛くない存在と感じることもおそらくあるであろう。そう、絵に描いたような恩師は、やはり絵に描いたものに過ぎないのではないか、という思いも残る。やはりむしろ親子のようなものかもしれない。その関係は大概は(少なくとも子の側からは)「ちょっとあっちに行ってくれー」と敬遠するような、一緒にいるときを抜けないような存在なのである。

2015年1月25日日曜日

恩師論 (3)

今日は一日会議の日。しかし外は少し春を思わせる陽気だった。


ところで書いているうちに、恩師とは何ぞや、ということが疑問に思えてきた。恩師はどうして「出会いのモーメント」を提供してくれるのだろうか?けっこう自分の都合ということもあるんじゃないか。いつかネットで拾って使おうと思っていたエピソードがある。
背中押す「できるよ」の魔法岡村孝子さんシンガー・ソングライター
読売新聞 20130701 0900
 人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。
 新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。
 学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。
 先生が体調を崩して2~3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。
 それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。(聞き手・保井


これっていい話だと思っていたのである。しかしこれは先生の無茶振り、ということはないだろうか。もちろん筒井先生はいい先生だったのだろう。でも同時に誰かにピアノを弾いてほしかった。彼の都合でもあったのである。すると・・・やはり「出会う側」ファクターか。

2015年1月24日土曜日

恩師論 (11)


恩師の教えはパワハラと表裏一体である?

ある一般的な原則があるようだ。「人に影響力を及ぼす人は、同時に自己愛的で押しつけがましい。」もちろん一般論である。そう断ったうえで言えば、人の他人への影響力は、その人がどれだけ声が大きく、どれだけ自分の考えに確信を持ち、どれだけ他人にその考えを押し付けるかに多大に影響している。影響を与える人間は一般的に言えば、自己愛的な人間ということになる。この例外などあるだろうか?
もちろん素晴らしい理論を持ち、著作をあらわし、人間性にも優れているにもかかわらず、謙虚でつつましく、自己宣伝の全くない、そして自身のない人もいるだろう。影響力を及ぼすということにとって、自己愛的であることは必要条件ではない。ただしその控えめな人がもう少し自信を持ち、もう少し自己表現の機会を持ったならば、さらに大きな影響力を及ぼす可能性がある。その意味で人が影響力を持つことと自己愛的であることにはかなり密接な関係があるのだ。そしてそれはとりもなおさず、弟子との間にパワハラが生じやすい可能性をも表している。ある人が恩師として慕われる一方では、一部の人たちにとってはパワハラを与える存在でもある、という可能性は、十分あるのだ。
このことを出会いの文脈で考えよう。私は恩師とは往々にして理想化できる対象とはなりにくく、また全面的な理想化対象となる必要もない、という趣旨のことを述べた。理想化すべき対象を追い求めていると、日が暮れてしまう。そうではなく、自分にとって多くのものを与えてくれた人との「出会いのモーメント」があれば、それでいいという立場だ。その思い出を大切にすればいい。もっと言えば、ある出会いから多くのものを学び吸収するような自分の側の能力が大切だということになる。これは極端に言えばそこに相手からのまごころやこちらを育てたいという親心がなかったとしても、あるいは押しつけがましい自己愛的な人間でも、不足している分をこちらが補う(外挿する?) ような形で成長の糧とすることができるだろうということだ。少し書き過ぎだろうか?もう少し言葉を継げば、おそらくここで重要な意味を持つのが、その人の持っているレジリエンスなのだ。レジリエンスが高いと、ある体験を学びの機会として利用することができるのだ。

ところでこのことはまたレジリエンスが低かったり、運に恵まれなかったりする人の場合に、自己愛的な人間との間でパワハラやモラハラを受けてしまう可能性をも表している。もし自分が指導を受けるような相手との間に、ある程度の良い出会いがあり、また頻繁にパワハラめいたやり取りがあったらどうなるのだろうか? そしてそれが自分にとっての上司であったり、学問上の師であったりしたらどうだろうか? その人との縁が切れないがために、少しの恩恵と絶大なトラウマを体験することになりはしないか? 臨床を行っていると、そのようなケースにもまた出会うことになる。私は「出会い」などと悠長なことを書いたが、「その人との出会いを大事にし、理想化することをあきらめましょう」という教訓を生かせない状況にある人たちもたくさんいるだろう。それはそのような先輩、上司、教師との関係から逃れることができず、そのような人との運命共同体にある人たちもたくさんいるということだ。かくして恩師の教えはパワハラと表裏一体となりうる、というこの項目の表題につながる。

恩師論 (2)

 だからと言って恩師の存在に意味がないというわけではない。恩師は私たちに人生の上での非常に大きな指針や勇気を与えてくれるなくてはならない存在である。
私が言いたいのは、恩師とはある種の出会いを持てた相手であるということである。その人が継続的に自分に影響を与えるようなイメージは持たないほうが良い。だから出会いの数だけ恩師がいていいのだ。そこで・・・
①恩師との体験は、「出会いのモーメント」である。

恩師との体験について考えると、治療体験とどこか似ている。ボストングループの「出会いのモーメント」でもいいし、村岡倫子の「ターニングポイント」でもいい。その出会いで何かが起きることで、物事の考え方が(いい方向に)変わる。そこには治療関係と似たことが起きるのだろう。(というより臨床についてのセミナーなので、そちらに近づけなくちゃね。)
ただしメンターとの出会いは、現実という海の中にある。治療関係のような一種の「ぬるま湯」ではない。だから出会いは外傷ともなる。
テレビでこんな話をやっていた。ある野球選手が、監督から、試合でのミスを何度も言われたという。「お前のアレであの試合は負けたんだ。」それをことあるごとに口にされたという。悔しい思いをしたその選手は、監督を恨んだが、そのうち毎朝ランニングをして体を鍛え、それを晴らそうとした。そして一年後に大きく成長し、試合で立派な結果を残すことが出来た。後にその監督は言ったという。「あいつは負けず嫌いだから、発奮すると思い、わざとああいうことを言い続けたのだ。」 それを聞いた選手は、その監督に対する深い感謝の念がわいたという。
 どうなんだろう、この話。まあ、ありえない話ではないけれど、現実という海の中でこれが起きると、この種の体験がトラウマになって、監督を恨み通す選手も当然出てくるだろう。この種の美談の裏に死屍累々としているのは、「いやな監督(先輩)にいびられ続けてすっかりやる気を失ってしまった」という体験談なのだろう。
この話の教訓1.監督のいびりに発奮した選手がなんと言ってもえらい。これを仮に「出会う側」ファクターと呼んでおこう。
2.監督は本当は単に意地悪だったのかもしれない。そしてこの選手により監督として「育てられた」のかもしれない。本当はわからないけれどね。
とにかく私たちが陥りがちな過ちは、恩師は一人の尊敬すべき人間という考えである。たいていの人間はそうは行かない。なぜなら優れた点とショーもない点を持った生身の人間に過ぎないからだ。だからいろいろな人から出会いをもらい、それを自分で統合するしかない。人生のあの部分であの人から何かをもらった。それでいいのだ。


2015年1月23日金曜日

恩師論 (1)


恩師について書く必要が生じた。
最初の前提である。私は素晴らしい恩師に出会えて自分を導いてもらった、というたぐいの話を聞くのが嫌だ。そう思う理由は二つある。
一つは、私がおそらくいい恩師に出会えていなくて、そのような話をする人がうらやましくてしょうがないのだ。テレビで松井秀喜氏が、長嶋茂雄氏という偉大な恩師から、手取り足取りバッティングをコーチしてもらったという話を聞いた。やはりどこか羨ましいし、悔しい。だから好きになれない。まあ、これはふざけた理由だ。だから私は●●さんが××先生の話をすると腹が立つのである。それはうらやましいからだ。

二つ目はもう少し真面目な理由である。それはなかなか理想化できるような人はいないからだ。ある非常にいい出会いがあり、その人に心酔したくなっても、その人は別の側面を持ち、全面的な理想化に耐えない。というよりは人の全側面を知ると、その人を理想化することはおそらくできなくなる。だから恩師とは距離を置いて、理想化を続けられることで初めてその人にとって一生の恩師、という感じになるのではないだろうか?恩師はあまり身近にいてはいけないのである。おそらくどんな恩師でも、いつも近くにいるとうざくて仕方なくなるだろう。どこかでラカンについて書いてあったが、ラカンはおそらく身近にいたらとても耐えられないような人であったという。でもあれほど理想化されている人もいないのではないだろうか?

2015年1月22日木曜日

第11章追加分(3)

実はRossはもっとクリアーに、このDSSのことを言っている。それは1997年のDissociative Identity Disorder Diagnosis, Clinical Features, and Treatment of Multiple Personality second Edition, John Wiley & Sons, Inc, 1997.においてである。実はこの記述に私は深い印象を受けたという経緯がある。この本では、「おそらくDSSがあるであろう」という言い方をし、もっと直接的な解離性統合失調症dissociatve schizophrenia (以下、DS)という用語を用いている。「DSはおそらくシュナイダーの一級症状、ESP体験、奇妙な身体的妄想、ボーダーライン基準、小児期のトラウマにより特徴づけられる」とする。さらに「統合失調症の陽性症状は本来解離性の要素を持つであろう」「統合失調症の特徴は陰性症状であり、DIDの特徴は「後トラウマ性」post-traumatic featureであるとする。彼はさらに83人のDID患者を虐待群、非虐待群の二群に分け、前者ではシュナイダーの一級症状が6.3見られたのに対し、後者では3.3であったとする。
この書におけるRossの主張は非常にクリアーでわかりやすい。まずschizophrenia DIDは別物であり、前者は陰性症状で、後者はPTSD的なところである。(そのとおり!!)統合失調症の急性期の、陽性症状が盛んな時期は、ある意味で脳の一部の組織がウイルスや免疫システムの異常により「熱を持った feverish」(ロスはそう言っている。炎症を起こしている、というニュアンスだろう。)状態である。ところで統合失調症を病んでいる人にも、当然トラウマを被った人がいる。その人は解離症状をそれだけ多く示すだろう。
もちろんDIDと統合失調症が排他的である必要は必ずしもない。また統合失調症とトラウマの既往が排他的である根拠は全くない。つまりはDSSは、DIDと統合失調症の合併例である、ということになる。これはそれなりにわかりやすい。どうしてこの路線のまま進まなかったのだろう?

2015年1月21日水曜日

第11章追加分(2)

イスラム国の跋扈。日本人の人質の問題。結局サダム・フセインによる強権が及んでいた方がまだよかったのだろうか? 本当に歴史は分からないものだ。

さてロスの論文の559ページ。ここら辺から話が分からなくなっていく。ロスは、DSSには三つの重要な特徴があるという。それらは幼児期のトラウマ、解離症状、そして多くの合併症。そしてこれらを満たす人の多くは、PTSD,解離性障害、うつ病、BPD の基準をも満たすという。えー?どういうこと?それではDSSという単位を設けることの意味があるのだろうか?そしてDSM-5に向けたDSSの診断基準として、次の6つを提案する。1.解離性健忘、2.離人症、3.2つ以上の異なるアイデンティティか人格状態、4.幻聴、5.広い合併症、6.深刻な幼児期のトラウマ。えー、よくわからない。だってDIDの方々もこれらを満たすだろう。ということはこのクライテリアではDSSDIDを事実上区別できないのではないだろうか?ということでますます謎は深まる。読者をおいてロスはブロイラーの理論に移る。ブロイラーは言うまでもなく、1911年にschizophrenia の概念を打ち立てた人だ。ここの議論は分かりやすいが、明確に次のように述べているところが面白い。「ブロイラーのschizophrenia は、DSMDIDと同一のものである。」えー!
そのあと話は、一度統合失調症という診断が下った人の中にSCID-Dなどで高い指標が示される人がいて、DSSに該当するであろうということ。これはよくわかる。

ということでロスのDSSの概念は結局私にとっては意味不明のままである。どうしてこういう問題が起きるのか。私なりに説明したい。
統合失調症の特徴はなんといっても予後の悪さである。陰性症状が決め手なのだ。そしてもう一つ、現実検討能力の低さ。妄想や幻聴に惑わされてそれを現実に起きていることと区別できなくなる。幻聴の存在はある意味では統合失調症とDIDを分ける決め手にはならない。どんなに幻聴がひどくても、それが別の人格からのメッセージであることがわかり、あるいは自分の思考との混乱が生じてもそれが時間限定であり、また陰性症状がなければ、それはDIDに特徴なのだ。ところがロスのクライテリアにはその両方を区別する力がない。またDSM-IVも同罪である。なにしろ「②対話性の幻聴、ないしは振る舞いにコメントしてくる幻聴、の場合のどちらかなら一つでよい」のであれば、DIDの人の多くが統合失調症の診断基準を満たしてしまうからだ。

ということで、このままだとロスのDSSという概念、ねぞが深まるばかりである。業界ではある程度認知されているのだろうか?

2015年1月20日火曜日

第11章追加分(1)


統合失調症の解離性サブタイプ という題で書くが、これが難しいんだなあ。何を書いているのか自分でもわからずに進める。
 コリン・ロスらにより提唱されている「統合失調症の解離性サブタイプ、以下ややこしいからDSSと省略して表現する。」という概念は、上述の「精神病と解離性障害を区別すべし」という概念とある意味では相容れないので、検討する価値がある。1980年来両者は混同される、ないし互いに誤診される、という論調が主流を占めていたからである。そこに、「統合失調症の解離性サブタイプ」という議論を持ち込んだのが、ロスであった。(Ross, C. A. (2004). Schizophren ia: Innovations in diagnosis and Irealment. New York: Haworth Press.)
私が依拠するのは、the theory of a dissociative subtype of schizophrenia in Dell, Paul F. (Ed); O'Neil, John A. (Ed), (2009). Dissociation and the dissociative disorders: DSM-V and beyond., (pp. 487-493). New York, NY, US: Routledge/Taylor & Francis Group pp.557-568

仕方がないから文章を追っていく。彼はそもそも解離には4つの意味がある、というんだが、それほど大事じゃなさそうなので飛ばそう。とにかく解離はいろいろな疾患に合併して生じる。これはいい。そしてロスによれば、「統合失調症にも合併する」、と書いてある。これは・・・・まあいいか。読み進めよう。「解離症状とは、トラウマにより心が断片化したことによる。これはDIDにもDSSにも当てはまるというのだ。フンフン、つまり両者は区別しているのね。そして統合失調症のクライテリアの問題に入っていく。この本が書かれたのは数年前だから、当然DSMIVに依拠している。そして、例の妄想、幻覚、混乱した発話、混乱した行動、陰性症状、の5つのうち2つ。ただし、とある。①妄想が奇異である場合。②対話性の幻聴、ないしは振る舞いにコメントしてくる幻聴、の場合のどちらかなら一つでよい。ということで確かにDSM-IVの統合失調症の診断基準には大きなバグがあった!なぜならおそらくかなりの数のDIDの患者さんはこの②を満たしてしまうからである。

2015年1月19日月曜日

ユルイ(8)

「弱い解離」と「強い解離」??
このように考えると、解離にはどうやら二種類のものを想定した様がよさそうだ、という発想になる。本書でも出てくるが、いわゆる「解離性障害」で言う解離。これを「強い解離」と呼ぼう。この解離は、それこそそれを受け持っている人格状態自体が変わり、元の人格は後ろで遠くから眺めているような感じであったり、あるいは寝てしまってその間の記憶がなかったりする。
 そしてもうひとつは誰でも起きているような解離。上の患者さんに起きているような解離だ。こちらは「弱い解離」。こちらのほうはひとつのことにとらわれている状態で、他の考えが浮かんでこない状態。精神分析でいう「スプリッティング」に似ている。「あなたなんか大嫌い!」といっている時に、相手とはもう永遠にさよならをしたいと本気で思っている。「もう二度と会いません!」と本気で宣言したりする。要するに普通の子心の状態では浮かぶようなもうひとつの考え、つまり「でもこれまでの縁もあるし、相手にもそれなりにいいところがあるし・・・。実際にこれでさよならなんて、アリエナイ・・・」この部分が心の近くの部分にあるからこそ、私たちは「大嫌い!」という気持ちを本気の本気では言わないのである。しかしときどき私たちは「魔がさして」しまうことがあり、本気でそのときの気持ちに乗ってしまうのである。(これをアクティングアウト、と呼ぶ。)
 この「強い解離」と「弱い解離」という分類は私が適当に言い出したことと言うとそうでもない。実は精神分析的な解離の議論が最近高まっている。そしてその論者の筆頭であるドンネル・スターンが最近日本で翻訳が出版された「精神分析における解離とエナクトメント-対人関係精神分析の核心」という著書で導入している分類である。
精神分析における解離の議論

ということでこの前置きでもうひとつ触れなくてはならない問題がある。それは最近精神分析の世界で解離の議論が高まってきたということである。私がこれまで論じてきたとおり、精神分析と解離とは水と油の関係であった。ジャネとフロイトの確執、ライバル関係ということでも説明したとおりである。ところがこれも実にアメリカ的、という気がするのであるが、精神分析の世界でもいつの間にか、ごく当たり前のようにして解離の議論が始まっている。「精神分析で解離ですか?」と効けばおそらく「そんなの、当たり前じゃないですか?」といわれそうな雰囲気だ。確かに解離はトラウマの文脈で論じられる。そしてトラウマの議論は、それが精神分析の患者さんであろうとなかろうと、頻繁に話題にされるテーマである。それならば精神分析で解離の議論が生じないほうがおかしいということになるが、それが一気にエナクトメントという議論と結び付けられる形で議論されるようになってきている。
 しかし精神分析で論じられる解離とDIDや解離性遁走のような「解離性障害」において論じられる解離とは幾分、というよりかなり違っているのが現状である。それはそうだろう。精神分析家たちが日常的にDIDの患者さんに出会っているということは想像しにくいからだ。

2015年1月18日日曜日

ユルイ話(7)


私たちの心も解離的である
確かに私たちにとってDIDの患者さんが報告する体験は驚くべきものである。自分の中に他人が存在するという現象は、通常では考えられないことだ。しかしそうならば、自分が自分であるということは途方もなく不思議なことなのだ。自分はどうして目の前のAさんではなくて私なのか?あるいは子供時代の思い出を一つ取り出してみよう。あたかも自分がその当時に戻ったようにそれを心に再現するというのはどういうことだろうか?

昔米国にいた時にある患者さん(40代女性)からメールを受け取った。

ひとり娘のテスがハイスクールのプロム(卒業の舞踏会)の準備だというので一緒に買い物に出ました。娘はクラスメートのボブに誘われてうきうきしているんです。ところがドレスを選んでいる途中に、自分が急に不機嫌になってしまったのに気が付きました。どうやらハイスクール時代の私が、心のどこかで激しく泣き叫んでいるようなのです。その時の私はプロムに男の子から誰にも誘われず、さびしく家にいました。ジャニス・イアンの「17歳のころ」のレコードを何度も聞きながら。私がそんな思いをしたのに、テスはいい気になってプロムに参加できるなんて。なんだかテスが娘ではなくて、敵に見えてきました。旦那に逃げられて女手一つでテスを育てた私と違って、彼女は幸せな結婚をするのかと思うと腹立たしくてたまりません。先生、わたしは悪い母親なのでしょうか?

この患者さんは別にDIDの症状は持っていない。しかしこのようなことが起きる。これも一種の人格のようなものではないだろうか?そしてそれなら回覧板を携えて畦道を歩いていた私も「もう一人の私」として心に棲んでいるということにはならないだろうか?

2015年1月17日土曜日

ユルイ話(6)

親の意図は自分の意図? 解離が生じる道筋

私は家族や指導している学生にものを頼むのが苦手であった。近くまで買い物に行ってほしい、書類のコピーを取っておいてほしいなど、ちょっとしたことなら自分でやってしまいたいと思うことがよくあった。「こんなことを人に頼むのは悪い・・」と普通に思っていたのである。しかし学生を指導する立場になって10年、少しずつ頼む楽しさを味わうようになった。それは端的に「頼まれる」楽しさを相手の心に読めるようになったからだと思う。
自分自身を思い出してみれば、子供のころ親にものを頼まれるのは苦ではなかった。というより頼まれるという実感もなかった。親の意図は、すぐさま自分の意図になったからだと思う。幼いころよく隣の家まで回覧板(もう死語になっているはずであるが)を持って行ったことを覚えている。父親が脱サラをしたせいでとんでもない田舎での暮らしを始めるようになった小学生時代、隣家といえば数百メートル先の農家であった。そこまで畦道を歩いていく。途中に用水路があったり昆虫を採ったりする。首尾よく隣家にたどり着き、回覧板を渡すとねぎらわれ、紙に包んだお菓子を貰ったりした。まあそんな話はともかく…。
 私が50年前の子供のころの私の中に確認したのは、回覧板を届けることに対する不満とか、怒りとか、親への恨みとかが全く見当たらないことである。回覧板を届けることくらいなら苦痛などないから、というかもしれない。しかし親がそれまでの都会生活を捨てて途方もない田舎に引っこんで事業を始めたことで被った途轍もない変化、2時間近くかけた汽車通学、駅まで2キロ半の、夏冬を通した自転車通学などを思い出しても、不満などなかったのである。そしてこれがもっと大変なことでも、私は不満などなく耐えた可能性がある。それはそもそも「親のせいで~なった」という発想の欠如なのだろうと思う。親の方針により私の生活に生じた変化、そしてそれが懲罰や見せしめや意地悪の意図を含んでいないものに関して、私はそれを自分が自主的に選択したものと同様と見なしていたのである。
 ただし私が2キロ半の雪道を自転車を押して通う日に苦痛を感じていなかったと言えば嘘になる。ただ「頑張ったね」というメッセージは確実に受け取ることが出来ていた。これは大きかったかもしれない。でもだから耐えられていた、とは思わない。大げさに言えば、それを自分の運命と思って甘んじていたのだろう。
 親の意図は自分の意図。これは実は子供の適応にとって重要なことなのであろう。そしてもちろん「親の意図」は友達の意図、先生の意図、国家の意図、という風に拡大しうる。なぜ自分はこの母国語を話すのだろう?なぜ青信号なら渡って、赤なら止まれ、なのだろう? なぜ式典では「君が代」、なのだろう?そんなことをいちいち考えていたら子供はあたりまえの「日本人の小学生」には永遠になれないかもしれない。タイムマシンでクロマニオン人の幼児を連れてきて日本の小学校に入れても、当たり前に周囲と同化してポケモンや妖怪ウォッチに夢中になるはずだ。環境はすでにそこに動かしがたいものとして存在し、自分はいつの間にか従っている。ミラーニューロンが十分に働く間はそれが自然に生じる。そのことへの疑問も生じない。そして親の方針や意志はその最たるものなのだ。(それに比べて六十近くなっての新しい地への適応がいかに大変なことか…。)
解離の話をする時になぜこんな話をしているかというと、虐待やトラウマや、それに関連した解離の問題も、またこのテーマに沿って理解すべき問題と思うからだ。親に叩かれること、命令されること、あるいは無視され、生きている意味を奪われるような言葉を浴びせられること。それらはおそらく無反省に受け入れられる。ただそれに伴う不満は実は存在する。他方でそれは本来ないはずの不満なのだ。親の意図は自分の意図と同じだから…。

ここから解離が始まる、というシナリオに、読者の方はおそらく賛成であろう。しかし私には一つのピースが不足しているように思う。どうして心の中に、親に対する怒りや不満が、心の別の部位で生まれるのだろうか?もともと子供の心には生じるはずのないそれらの感情が? 私たちはここで仮説的にならざるを得ないだろう。私の考えはこうである。子供の適応能力はおそらく私たちが考える以上のものである。その中には様々な思考や情動のパターンが存在するのであろう。それはドラマを見て、友達と話して、物語を読んで入り込む。その中には辛い仕事を押し付けられて不満に思い、相手を恨む人の話も出てくるだろう。子供のミラーニューロンはそれをわがことのようにして体験する。子供の心には、侵襲や迫害に対する正常な心の反応も、パターンとしては成立するはずだ。つまり親からの辛い仕打ちを受けた子供は、それを一方では淡々と受け入れ、心のどこかでは怒りや憎しみを伴って反応している。子供が正常な感性を持ち、正常なミラーニューロンの機能を備えていればこそ、そうなのである。後は両者を解離する機能が人より優れているとしたら、それらは別々に成立し、隔離されたままで進行していくのであろう。そこから先はまさにブラックボックスである。実に不思議であり得ないことが起きるのだ。解離の臨床をする人間に必要なのは、この不思議な現象を説明できないことに耐える能力なのだろう。

2015年1月16日金曜日

解離NOS診断の変更


今朝は朝から町が焦げ臭いと思ったら、「京都の喫茶店『ほんやら洞』全焼」だって。バスもなかなか進まなかった。

一昨夜は院生さんたちとゆっくり話す機会があった。いろいろ彼らも考えているんだなあ。

解離のNOS(ほかに分類されない解離性障害)についてちょっと追加した

最初に―NOS診断の変更

解離性障害に誤診はつきものと言っていい。本章では現代的な見地から再び解離性障害の診断で問題になるほかの疾患との鑑別の問題について論じたい。
その前に解離性障害の診断についてひとこと述べたいことがある。それは解離性障害の診断は「ユルめ」につけた方がいいということである。解離性障害にはDIDを筆頭にいくつかの種類があるが、十分な根拠に乏しい場合には「解離性障害」の診断にとどめておくべきであろう。たとえば内部にいくつかの人格部分の存在がうかがわれる際にも、それらの明確なプロフィール(性別、年齢、記憶、性格傾向)が確認できない段階では、特定不能の解離性障害(unspeficied dissociative disorder)としておくことが適当である。また解離性の遁走のエピソードがあり、それが主たる訴えとなっている場合、その背後にDIDが存在する可能性を考慮しつつも、初診段階では解離性遁走の診断に留めるべきであろう。解離の診断は治療関係が深まり、聴取される生活歴や出会うことのできる人格部分が広がるにつれてより正確なものとなっていく傾向にある。
ただしこの「特定不能」という診断は、従来の「ほかに分類できない解離性障害」(いわゆる「DDNOS」とは少しニュアンスが違っていることには気を付けるべきであろう。従来のNOS診断は、単なる「ゴミ箱」ではなかった。DSM-IV-TRではそれらは1.DIDの不全形、2.成人における現実感喪失で、離人症を伴わないもの、3長期間にわたる協力で威圧的な説得(洗脳、思想改造、または人質になっている間の教化)を受けた人に起こる解離状態。4.解離性トランス障害(いわゆる文化結合症候群など)5.一般身体疾患によらない意識の消失、昏迷、または昏睡。6.ガンザー症候群などの、いわば「下位分類」が設けられていた。その結果として多くの解離性障害(全体の40%)がこのNOS not otherwise speficied に入ってしまうという問題があったのである。
 DSM-5 ではこの点の改善があった。すなわちこのNOS診断が二つに分かれたのである。それは「他の特定される解離性障害other specified dissociative disorder」と「 特定不能の解離性障害 unspecified dissociative disorder」である。そしてこれまでのNOSは前者の「ほかの特定される」にほぼそのまま横滑りした形にしている。そして後者が本来の意味での「ゴミ箱」診断となっている。これは要するに「ゴミ箱」を小さくし、分類できるものはしていこうというDSM-5の方針の反映といえよう。

鑑別診断の話に戻ろう。解離性障害の併存症や鑑別診断として問題になる傾向にあるのは以下の精神科疾患である。統合失調症、BPD(境界パーソナリティ障害)、躁うつ病、うつ病、てんかん、虚偽性障害、詐病、など。これらの診断は必ずしも初診面接で下されなくても、面接者は常に念頭に置いたうえで後の治療に臨むべきである。    

2015年1月15日木曜日

ユルイ(5)

プリズムというストーリー
まあいろいろ反論はあるのだが、とりあえずプリズムの本文を読みだしてみた。間もなく私は一つの疑問を抱き始めた。百田氏自身は「症候群」なのか、それともそれを論駁するつもりなのか? それともどちらでもいいから、ストーリーをともかく紡ぎたいのか?もし彼が「多重人格」の本当の姿を知らしめたいのであれば、どうしてこの「解説」に我慢できるのであろうか?
ざっとストーリーの展開を紹介する。主人公梅田聡子は既婚女性、主婦業の傍ら家庭教師を始める。成城の豪邸で広い庭のあるうちに住む小学生を担当することになる。この庭の存在が物語の展開にとって非常に重要である。主人公は休憩時間に庭に出て、ある男性と知り合う。その男性はその豪邸の離れに住む、そこのご主人の弟という設定である。次々と異なる姿を見せるその男性は、どうやらいくつかの人格を備えた人らしいということになるが、聡子はそのうちの一人の人格に興味を抱く。その男性も彼女に恋心を持つ。そして二人の関係は進展していく。聡子はその男性に同伴してセラピストに会いに行き、そのセラピストに、治療への協力を請われる。そのプロセスで百田氏はDIDあるいは解離性障害一般に懐疑的な人間として、主人公の配偶者である、博学のジャーナリストを登場させ、その口から現在の解離性障害を取り巻く様々な問題を語らせるのだ。そのあとストーリーは様々に展開して…(省略しすぎか?) まさかと思ったが本当に恋愛ものになり、すべてがしかるべき方向に展開する。主人公は男性の一人の人格卓也と本格的な恋愛関係に陥るが、その卓也は主人格である宏志に統合される運命にあり、その恋愛は悲しい結末を迎える。

もちろん小説であり、不自然な点は満載であるが、百田氏がDIDを真摯に理解し、患者が持つ様々な迷いや苦悩をそこに織り込もうとしていることがわかる。統合の過程はあたかも人格を実体的に扱い、一つの人格が別のそれに吸収されて融合するプロセスが「絵に描いたよう」に描かれているきらいはある。

2015年1月14日水曜日

ユルイ(4)

実は同じような論法が「新型うつ」にもみられる。新型うつの人は、自分がうつだと「思い込む」けれど、本当のうつではない。そしてうつの診断書を書いたり、薬物を投与することでますますややこしくなるから、医師としては「そっけない態度」を取るのがいいであろう、というわけである。
ただしこのようなことを書くとまた色々議論がややこしくなる。「新型うつとDIDを一緒にするとは何事か!」という人が出てくる。そのような人の話を聞くと、DIDは正真正銘の病気だが、新型うつは偽物だ、という主張をする人と、それと真逆の立場をとる人がいるはずだ。ただし私の眼には似たもののように映る。
しかしもう一つの問題はより本質的と思われる。私はおそらく多くの「見事な多重人格」に出会っているが、彼女たちの大半は、症状により自己アピールをする人たちとは程遠いということだ。彼女たちの多くは解離症状や人格交代について自分でも把握していない。単に時々記憶がなくなる、一人でいても声が聞こえる、という体験でしかなく、時々異なる話し方や記憶を持つ人としてふるまうということを、他人に指摘されてわかる。そして多くはそのことを他人にはできるだけ隠そうとするのだ。なぜなら彼女たちは他人から「おかしい」と思われることを非常に恐れるからである。どうしてそのような人たちが症状を「アピール」していると言えるのだろうか?解説者の先生の持つDIDはこのように、かなり深刻な誤解や誤謬に満ちている。そして私にはそれが単なる学問上の立場の違いとは思えない。おそらく深い偏見や差別心に根差しているような気がする。これはもう、そのように感じられるものだ。理屈ではないのかもしれない。

人は差別心を多く持つ。私も自分が差別的な傾向を持つことを自覚する。「□□の人たちはちょっと…」の□□の中に該当する人たちが私にもいる。そして解説者もDIDの患者さんたちを□□の彼なりのバージョンに入れてしまっているように感じる。残念なことである。

2015年1月13日火曜日

ゆるい(3)

今朝、少し暖かい気がする。
昨日の勉強会は・・・・大変だった。普段考えていることを伝えているだけなのだが。


「ゆるい」の続き。

敢えて反論するならば・・・

「自分が多重人格だと装っているのではなく、そう思い込む」というのはどのような現象だろうか? 一種の錯誤、勘違いなのだろうか? たとえば自分を統合失調症であると「装っているのではなく、そう思い込む」人なら、そうでない理由をきちんと説明することでその誤った考えを捨てるかもしれない。そこには理路整然とした説明が功を奏するだろう。とすれば○○先生もそうすればいいだけのことであろう。ところが彼はそのような訴えについては相手にせず、そっけなく向き合うだけであるという。統合失調症と勘違いしている人にもそうするだろうか? 「装っているのではなく、そう思い込む」状態について理解しようとすると、結局一つの結論に至る。それはそのような状態は妄想に最も近いということである。そうならばそれを否定することも、それに乗ることも逆効果ということになる。それこそ素っ気ない態度をとることになろう。しかし○○先生はDIDを妄想とは考えていないようである。DIDと統合失調症などの精神病とは異なる病態であるという理解はあるからだ。

2015年1月12日月曜日

ユルイ (2)

それにしても成り行きで読み始めた「プリズム」(百田尚樹)結構面白いな。私はフィクションが苦手なのだが・・・・。

解離否認症候群?
私は非常に優秀で臨床能力の高い方々でもこの種の過ちに陥っていることを非常に興味深く思う。彼らのロジックは、以下の項目に表わされるように、ほぼ一定しているように思う。そのためにこれは一種の「症候群」と呼んでいいような気がする。と言ってももちろんこれは病気とか障害というたぐいのものではない。一種の誤謬であり、それは多分に文化的なものである。長い間解離性障害は子宮の病と見なされていた。過去十数世紀にわたって、優れた知性を備えた人々が多く輩出したにもかかわらず、その誤謬を決定的に論駁することはなかったのだ。ということはこれはそのような思考を担う文化が支配的であり、人はそれに抗することができなかったと考えるべきだろうか?
ともかくもその「症候群」を満たす項目である。
解離否認症候群は以下の6項目にわたる主張をほぼ全面的に受け入れるものである。
1.私は定型的な解離性同一性障害に出会ったことはほとんどない。
2.ただし自分を解離性障害という患者さんには何人かであったことがある。
3.自分がいくつかの人格を持つという主張はアピールであり、それを一つのアイデンティティと見なしている。
4.最善の対処の仕方は、人格部分が出現した場合に、それを相手にしないことである。
5.相手にしないことで、人格部分の出現は起きなくなる。
6.解離性障害はおおむね医原性と見なすことができる。

メニンガー記念病院で研修したころ、すなわち1980年代後半から1990年代にかけて、そこに多く存在した精神分析家たちはこのような思考から脱することに葛藤を持っていたことが伺われる。私が敬愛するDr.Gはこの種の誤謬はもう捨てていたが、同じく敬愛するDr.Bはまだまだ懐疑的であった。不思議なことに精神分析的な思考に親和性を持つほど、このような誤謬に固執する傾向にあるという印象を持つ。

2015年1月11日日曜日

解離のユルイお話


世の人々は解離性障害をどのように理解しているのだろうか?いやもう少し焦点を絞るのであれば、世の中の精神科医の先生方は、どうなのだろうか?
 先日「プリズム」(百田尚樹、幻冬舎文庫、2014年、ただしオリジナルは2011年)を手に取った。解離性障害をテーマにした小説である。本文を読む前に「解説」を読んだが、そこに書かれている某精神科医の言葉には本当に失望した。これを読むことでますます一般の人々のこの障害についての誤解が深まることは間違いない。

私自身は、岩本広志のような「見事な多重人格」とは出会ったことがない。ただ、あたかも多重人格だけれども実はそれを装っているだけ(決して詐病ではなく、本人がそのように思い込むところに病理がある)といったケースなら何名か知っている。多重人格といういかにもドラマチックでしかも精神科医が関心を向けそうな症状を呈することで、自分自身をアピールしている。私はこんなに辛いんだ、こんなにユニークな私なのに(あるいはそれゆえに)世間は私を退ける、私はもっと注目され特別扱いされるべきだ―そんな気持ちが多重人格という大胆な症状に仮託されているのだ。(中略)こうしたケースに薬など無用である。人格変換という「派手な症状」にはあえてそっけなく向き合い、アピールなんかしなくてもあなたは十分言い切る価値があるし意味があるという事実を理解してもらうことに力を注ぐ。催眠療法とか精神分析などの込み入った療法を採用すると、むしろ本人は「多重人格である私」を肯定された気分になって勢いづいてしまうので、淡々と対処していく。・・・


実はこの文章はまさに精神科医が示してはいけない態度が満載となっているのである。

2015年1月10日土曜日

第7章の最初の部分を付け加えた

78)解離と再固定化療法


本章では解離とTRPの関係について考える。
 記憶の改編や再固定化について論じた後に解離性障害について考えると、改めて解離という現象の不思議さを感じる。ABという、互いに健忘障壁のある(つマリオ互いに相手の行動を覚えていない)人格部分について、それに相当する神経ネットワークABを考えてみる。Aの活動にはネットワークAの興奮が、Bの活動にはネットワークBの活動が関与しているとするのだ。すると常にこの二つはその人の中で頻繁に興奮しているはずなのに、この二つがつながらず、共鳴もしないという現象が起きていることになる。あたかもつながる機会がありながらわざとつながろうとしない二つのネットワーク群、という印象を受けるのである。
 このABの疎通性の欠如はおそらくABの間にシナプスの形成が行われていないという状況とだけではないのではないかと私は考える。Aが興奮しているとき、Bが抑制される、という機制が生じているのではないか。そうでない限り、人格間のスイッチングは起きないのではないかと思う。そう、思考ないし記憶の神経ネットワーク間のつながりは、両者を結ぶ神経線維があるかないか、だけでなくそれが興奮系か抑制系か、という問題も含む、実に複雑な話なのである。 
 ちなみに最近の日本の研究で、解離性の健忘の際、実際に海馬の抑制が生じているという研究がある。私たちが解離状態であることを思い出せない場合、すなわちたとえばAの人格部分がBが体験したことを想起できない場合、脳のある部分(この研究によれば前頭葉の特定の部分ということである)が、その記憶をつかさどる部位を抑えている、ということが生じているとのことだ。Kikuchi H1, Fujii TAbe NSuzuki MTakagi MMugikura STakahashi SMori E. Memory repression: brain mechanisms underlying dissociative amnesia. J Cogn Neurosci. 22 (3):602-13.
 このことも私の上述の仮説を支持しているように思われる。
 すると解離の際の再固定化が目指す形は、
A
の興奮+Bの抑制 → Aの興奮+Bの抑制の解除 
という形を取ることになるのであろうか。つまりAという神経ネットワークが興奮と同時に抑制しているBの抑制を除去するということである。このことは例えば、Aという記憶がBという「ネガティブな記憶」を伴っていると考えてもいい。ここでいうネガティブな記憶とは、想起できない記憶 disremembered memory という意味である。