2014年3月31日月曜日

続・解離の治療論(17)

トラウマを背負った子供人格について

これまでの記述してきた子供人格は、遊びが好きで甘える仕草を見せるという、比較的よく出会う人格を想定して論じられた。その場合には「遊び疲れるまで付き合う」という方針がおおむね妥当であろう。彼らは比較的容易にその介入に満足し、やがてあまり出現しなくなる傾向にある。しかし深い外傷を背負った子供人格の場合にはかなり事情が異なるようである。その外傷の深刻さに応じて、それは繰り返しよみがえり、その子供人格の現れ方はフラッシュバックとしての様相を呈し、繰り返し繰り返し、同様の体験を再現する。そこでの子供人格はいわばパニック状態にあり、問いかけに答えることも少なく、また通常のプレイセラピーに応じることも難しい。そしてその分だけ成長したり、遊び疲れて寝てしまったりというプロセスをたどることは難しいようである。

先に簡単に紹介した50代女性ケースである。幼児期にトラウマを体験したことがあり、毎日トラウマの生じた時刻に、決まって泣き叫ぶ子供の人格を内部に感じる。毎日そのたびにパートナーとの電話連絡が必要となる。カウンセリングを受けて数年になるが、依然として子供人格の様子に大きな変化はない。ちなみにこのケースで「遊びに出てくる」タイプの子供人格の様子は観察されていない。

2014年3月30日日曜日

続・解離の治療論(16)

子どもの人格が大人の情報を知っているということ

解離性障害の治療に携わるものにとって、子供人格と対面し、治療的な応対をすることは、治療者としてのキャリアーの一つの重要な里程標であり、少し大げさに言えば「帰還不能点 point of no return 」というニュアンスすらあるように思う。多くの治療者が解離を扱うことで一種の色眼鏡で見られるということを体験する。「あなたもあちら側の人になってしまったんだね?」という憐憫の混じったまなざしを同僚から向けられることだってありうるのだ。見た目は立派な成人の子供人格と、子供に対して行うのと同じようなプレイセラピーを行なうことは、人格交代という現象を認め、受け入れることを意味する。解離性障害を「信じない」立場の治療者にとっては到底そのようなかかわりは受け入れがたいということになるだろう。
 たとえ人格の交代現象そのものは認めたとしても、既に述べた子供人格の「出癖」の問題が頭をよぎるだろう。「子供人格がどんどん出るようになったらどうするのか?」「子供人格をそれとして扱うことで、医原性の人格交代を助長しているのではないか?」子供人格をそれとして扱うまでに治療者は、これらのいくつもの障壁を乗り越えなくてはならないのだ。
解離性障害の懐疑論者にとって格好の攻撃素材となるのが、この表題に掲げた、人格同士の情報共有の問題である。子供の人格との会話で時々不思議に思うのは、その語彙の思いがけない豊富さだ。子供人格は、しばしば幼児期に特徴的に見られるような発語の未熟さを示す一方では、その年齢の語彙にはないであろう単語が話に出てくることがある。たとえばある自称3歳の子供人格は「お姉さんは自動車教習所に行っている」と伝えてきた。しかしこれなどはこの年頃の子供の語彙にはないだろう。
 ここで解離性障害の治療に不慣れな治療者の頭には、またあの考えが頭をもたげてしまう。「やはりこの患者は子供の演技をしているだけではないのだろうか?・・・」「患者の演技に乗っている自分は、果たして治療者として振舞っていると言えるのだろうか?」
 しかし実際にはこのような現象は、DIDの方の持つ記憶や情報ソースには、何人かの別人格がアクセスできる場合があるということ以上の何も意味していない。いくつかの人格が全く異なる記憶を有しているというわけでは必ずしもない。ある仕事を主として人格Aがこなすものの、時にはBが手助けをする、という状況を考えれば良いであろう。その仕事に関する知識や記憶はABによって共有されることになるだろう。
また解離状態の中には、人格状態Aから人格状態Bへの移行が明確なスイッチングをともなわないという場合も考えられる。明白なDIDの症状を備える患者さんでも、「ABのどちらが話しているのかわからない状態」を体験することがある。
また最後にやはり可能性として考えなくてはならないのは、人格ABにスイッチした後も、依然としてAのふりを余儀なくされる何らかの事情がある場合である。DIDがいくつかの人格を有するという事情はしばしば誤解され、まともに信じてもらえないことが多いが、そうなると人格のスイッチングを隠す意味で別の人格のふりをする、ということも起きうるであろう。その意味では子どもの人格が必死に大人の語彙を用いて主人格のふりをし、その場に適応する努力をするという状況もありうることになる。DIDの患者のみが人一倍正直で虚偽的な振る舞いを一切見せないと信じること自体に無理があるであろう。
 ただしそうなると、子どもの人格が大人の語彙を用いること自体がかえって「やはり子供のふりをしているだけだ」と思われる原因となりかねない。その意味では子どもの人格が疑いを抱かせるような振る舞いをすること自体が、その子どもの人格の存在をより疑いのないものにしているとも言えるのである。




2014年3月29日土曜日

続・解離の治療論(15)


子どもの人格が「遊び疲れる」ということ

私が臨床上よく使う表現に、「子ども人格が出てくる際は、遊び疲れるまで相手をしてあげてはどうか」というものがある。実際子ども人格は遊ぶことである程度満足し、その後はゆっくり「休む」「眠る」という印象を受ける。この「遊び疲れ」のニュアンスは患者さん自身の表現にそのヒントが聞かれることがある。交代人格の中には短時間で引っ込んでしまう人がいるが、彼らがしばしば「眠気」を表現するのだ。あたかも彼らが持っているエネルギーに限界があり、一定時間以上は疲れて眠くなってしまうので内側に戻ってしまうということをしばしば聞くのである。
 もちろんこの「疲れ」や「眠気」にどのような生理学的な実態が伴っているかは不明であるが、少なくとも彼らの主観としてはそう体験されるらしい。ということはやはり、子ども人格は仕事中に飛び出してしまう傾向を抑えるためにも、しかるべき場(セラピーなど)でエネルギーを発散したもらうことが有効であると考えられるのだ。
ある30代のDIDの女性は、月に二度のプレイセラピーでは若い男性セラピストと汗ビッショリになるまで卓球に熱中した。それが数ヶ月続いたが、主人格が「体力的に限界を感じ」たのか、遊びはボードゲームに移り、その状態がさらにしばらく続いた。
別の30歳代のDIDの女性は、プライセラピーの間は子ども人格が竹馬に熱中し、翌日大人の人格が全身の筋肉痛を覚え、セッションの頻度を少なくすることを余儀なくされた。

子どもの人格を思う存分遊ばせることには、このように考えるといくつかの利点
がある。一つには、例えばその人格が「ぬいぐるみと思い存分遊ぶこと」を子供時代に実現出来たことがなく、ずっと夢見ていたことであった場合、それがもはや何も特別なことではないことと感じられるようになり、それに飽き、あまり興味を示さなくなることである。これは別の見方をするならば、子供人格が、いつでも出てこられるようになり、解離されたままでいる必然性があまりなくなるということである。もう一つは子どもの人格で遊ぶことが体力的な負担となり、どちらかといえば苦痛を伴うことであることを学習することで、それが出現する動機付けが低下することである。
しかしこのようなプロセスと同時に起きるべきことは、子どもの人格が実現するような遊び心を、大人の人格が持てるようになることである。それにより子どもの人格は隔絶される必要がなくなるわけである。
ここで一つの疑問として生じるのは次の点である。「子供人格と遊ぶことが本来の目的ではなく、大人の主人格が遊べるようになることではないか?」私が限られた臨床経験から言えることは、おそらく両方のアプローチが有効であり、二者択一的な問題ではないということである。しかし次のようなケースはしばしば、子供の方からのアプローチの有効性を示しているのではないかと思う。
前出の50代女性のDIDの方。子どもの人格が「お姉ちゃん」(大人の主人格のこと)の現在の様子を報告する中で、「おねえちゃん」の人生の過去の出来事も話すようになり、具体的な固有名詞や抽象概念が話に混じり、あたかも主人格と話しているのとあまり変わらなくなる場合にしばしば遭遇するようになる。


2014年3月28日金曜日

続・解離の治療論(14)

 さて以上のことわり書きを前提とした上で言えば、子供人格は一般には、出続けている間に徐々に成長する傾向にあるようである。最初は言葉もおぼつかなかった子供人格が、やがてしっかりとして話し方になり、書く文字も「大人びて」いくというケースを見ることは多い。最初は「みっちゅ(3歳)」と言っていた人格が、しばらくして聞いてみると「いつつ」、さらにそののちに「10歳」となるというケースもある。
 一般的に言えることは、その子供人格が比較的保護的なパートナーや、支持的な治療者との間で瀕回に登場するうちにそれが生じていくという印象を受ける。子供の人格が出てきた際に、私は名前と年齢を聞くことが時々あるが、実際に語る年齢が上がっていくことが臨床上確かめられることもある。
 子供人格の成長がどのような意味で望ましいかは、あえて述べるまでもないであろう。成長により人格はそれが持っていた可能性のあるさまざまなトラウマを克服し、言葉に直すことが出来る可能性がある。先に述べた「人格の出現はある意味でフラッシュバックである」という言葉を思い出していただきたい。たとえ子供人格が、遊び専門の役柄のように見えても、それは遊び足りないという意味でのトラウマを負った子どもの頃を表現しているという理解がおおむね正しいだろう。(もちろんこのような目的論的な理解には限界があるということは常に認識しておかなくてはらないが。) 
子どもの人格が「成長」するということは、その子どもが成長を促進するような、つまりは安全でサポーティブでかつ適度の刺激に満ちた環境であることを示していると言えるだろう。そうでないとその子供人格はその人格が成立した時点、多くはトラウマの起きた時点に留まっていることになる。フラッシュバックとはいわば固定して自動的に再生されて、そこに創造性が介入しないような精神活動である。フラッシュバックが繰り返されるということは、精神が凍結されているかのように成長することなくそこにとどまったままの状態であると考えられるのである。
子供人格の成長の話をするとしばしば患者の家族から次のような質問を受ける。「ということは、子ども人格はどんどん成長して行って、やがて主人格のような大人になるんですね。」これに対して私はこう答えている。「うーん、理屈ではそうかもしれませんね。でも大体そのうち姿を消してしまうことが多いようです。」実際に子どもの人格が思春期を経て、やがて「成人するプロセスを私は追えたことがないが、それは私の臨床経験が不足しているせいかもしれない。しかし印象としては、子どもの人格はある程度年を重ねるうちに、その役割を終えて奥で休んでしまうようである。
それでは子ども人格がどのように成長するか、については特別な技法はないのであろう。それは子育てに特に一定のテクニックがないというのと一緒である。治療者に十分な感受性や配慮があれば、あとは子ども人格に遊びを通して自己表現をする機会を持ってもらうということで十分である。子ども人格が言語表現が不十分であるだけ、非言語的な手法、つまりは箱庭、描画、粘土などを主体としたプレイセラピーが用いられることになろう。その過程で決まったパターンが出現するとしたら、その子ども人格はそれにより何らかの過去の体験を再現し、表現することで乗り越えようとしている可能性が高いと考えるわけである。治療者は子どもの人格が安心して出て来てプレイセラピーにより自己表現をするというレベルにまで導くということで、仕事の半分は終わっているのである。繰り返すが、そこに特別な治療技法、テクニックが必要というわけではない。

2014年3月27日木曜日

続・解離の治療論(13)


ケース2

40代後半の女性。数年前に結婚してから、最近になり夫の前でしばしば子供の人格が出るようになった。そしてスヌーピーのぬいぐるみを買って欲しいとせがむ。彼女は子供時代に両親にそれをねだっていたが、決して買ってもらえなかったという。夫はそのようなことをしてしまうと子供が出っぱなしになるのではないかと心配して実際に買うことはなかった。患者が私(岡野)のもとを夫を伴って受診し、「別にスヌーピーを買ってあげてもいいのではないか」というアドバイスを受ける。治療者とのカウンセリングはプレイルームで行い、卓球台やバランスボールで遊ぶことが多く、大人に戻った人格はしばしば筋肉痛を訴えた。それから数ヶ月間家でもカウンセリングでも子供の人格が出ることが多かったが、徐々にその頻度が減り、通常の社会生活を送れるようになりつつあるが、夫に買ってもらったスヌーピーのぬいぐるみは大切にしている。


子供人格の成長ということ


 子供の人格と出会うことのひとつの目標が、その子供人格の成長であるという主張は、誤解を招くかもしれない。子供人格は文字通り「成長する」というわけでもないであろうし、何しろ実際に存在する子供でもないのだ。またメタファーとしての「成長」に限って考えたとしても、それを期待できない子供人格もいる。周囲は成長するより先に「寝て」もらいたいと願うような子供人格もいるだろう。それでも当面の治療目標としていえるのは、子供の人格が出現している限りは、それがより自律的になり、節度を持つという意味での成長を果たすということである。その過程でAちゃんが治療者やBさんと話し合うことで、Aちゃんの心境に変化が生じ、「Aさんが仕事をしているときは、あまり邪魔してはいけないんだ、その代わりカウンセリングの時は出てきていいんだ」などと我慢をしなくてはならないんだ」と考えるようになることを期待するわけである。
 
ただしここにも悩ましい問題がある。Aちゃんは必ずしも主人格Aさんのために自分を律するべきだと考える保障はないのだ。むしろAちゃんはAさんのために犠牲になるようなことは全く望まない可能性すらある。私の経験では子供の人格の多くは主人格の「お姉さん」に対して一定の敬意を払う傾向にあるが、例外も多々あるようである。

2014年3月26日水曜日

続・解離の治療論(12)

さてこのような形で定着した子供の人格は、その後どのような運命をたどるのであろうか? それはケースバイケースのようである。通常は一定の期間頻繁に出現したあと、徐々にその頻度が下がっていく。それはあたかも子供の人格それ自身が本来のライフコースを持っているようである。その一定の期間のあいだに、おそらく子供の人格は自己主張をし、ある程度は望みを叶えてもらって満足し、その出現の根拠を少しずつ失っていく。ただしここでライフコースと断っていることは、子どもが満足体験を持つ事が、それが消えるために必然的というわけでもないことを意味している。あたかもうつ状態が多くは自然に改善していくように、一時は頻繁に起きる解離はやがておさまって行く傾向にあるようである。特に子どもの人格が、患者が若い頃に、それも比較的急激に出現するようになった場合には、それだけライフコースも短いという印象を受ける。ただしストレスやトラウマが日常的に体験されている場合を除いてである(後述)。
 もちろんそのライフコースの期間に周囲がどのように接するかにより、その出現の仕方は異なる。より受容的で優しいパートナーとの間には、それだけ頻繁に出現するであろう。また精神療法家がプレイセラピーのセッションを持つとしたら、そのセッションは「毎週子供が遊びに来る」という形になる可能性が高い。しかしそれが永遠に続くことはなく、徐々に子供の人格は出なくなっていくであろう。
 子どもの人格の出現を、それが本来持っているライフコースが終わったと考える以外にも、幾つかの別の理由が存在する。単純なケースでは、遊びばかりのセッションは、主人格そのものにより忌避される場合があり、もう一つには以下に述べるような「子供人格の成長」という問題があろう。

そのような幾つかのケースを紹介したい。
ケース1
20代後半、独身女性。2年前より恋人と同居を始めてから、子供の人格が頻繁に出現するようになる。同居者はある程度遊びに付き合うが、仕事で疲れている時にはあまり相手をしてくれない。カウンセリングが開始されたが、ヌイグルミがたくさん置かれたプレイルームに通されると、その雰囲気に触発されて、毎回患者の子供人格が出るようになった。子供人格はセッションの時間中、夢中で遊び、そのまま同居者に守られて帰るということが繰り返された。数週間経つと、患者は「もうセッションには行きたくありません」というようになった。「毎回行く途中のことまでしか覚えていないし、セッションのことは何も覚えていません。これでは何のためのセッションかわかりません。」ということだった。その後患者の主人格を対象としたセッションを持とうと試みたが、主人格自身はあまり継続的な通院に興味を示さず、しばらく後にドロップアウトとなった。




2014年3月25日火曜日

続・解離の治療論(11)

そこでまず大雑把な回答をするならば、「子供の人格はしばらく定着する可能性があるが、多くはやがて眠りに入る運命にあり、それにより社会適応がより難しくなる、ということは通常は生じない」ということだ。これは多くのDIDの患者さんたちと接した経験から私が言えることである。ただしそのうえで言えば、子供人格の「定着」を促進するべきか、回避するべきかは、やはりとても相対的な問題である。つまりケースバイケースであり、それが良いことか悪いことかは単純には決められないとうことだ。次のようなケースを考えてみよう。

A
さんの子供人格Aちゃんが、パートナーBさんを訪れることが多くなっている、というところまでは同じだ。ここでAさんがパートで本屋さんに勤めているとしよう。3回、勤務時間は一日8時間だ。仕事の内容は大体Aさんにはこなせる範囲だが、日によって客がたくさん訪れたり、クレームを付けるお客さんがいたりするとAさんのキャパシティを超えることもある。Aさんは通常は一生懸命仕事をこなしているが、そのような状況では時々時間が飛んでしまい、Aちゃんにスイッチしてしまい、ホワイトボードにお絵かきを始めたりする。そして同僚や上司が異変を感じて控え室でAさんに控え室で休むように言ったりする。Aさんはしばらくして控え室で横になっているときに目が覚めるというわけである。

実際にDIDの方でこのような形で仕事を維持することに困難さを抱えている人も少なくない。さて問題は、AちゃんのBさんの前での出現が「定着」していることが、Aさんの本屋さんのパート勤務にどのような影響を及ぼしているか、なのである。私がこの点を一番の問題とする理由は、やはり人は仕事や生産的、創造的な日常生活を送ることを最優先に考えるべきだと思うからである。
 その目で見ると、
実際にはさまざまな可能性が考えられる。Aちゃんの「出癖」が明らかに仕事の上でも起きてしまっている場合もありうる子供の人格は、最初はおっかなびっくり、しかしそのうちある程度安心して出るようになる傾向にある。それでは仕事中にも出るようになったAちゃんは、仕事を続けるという彼女の一番の目標にどのように影響するのだろうか。基本的には望ましいことではないだろう。その際は、仕事場での上司がAさんの様子を懸念して、Aさんに精神科受診を勧める場合があるし、その結果としてAさんは休職や退職を余儀なくされるかもしれない。 ただしAちゃんのBさんの前での定着により、逆にAちゃんが職場で出にくくなっている可能性もある。その場合はAちゃんは家でBさんと遊んでもらえることから、職場にまで出る必要がなくなったと考えるべきであろう。
20代後半の女性の患者。母親に子供の人格を拒否しないようにアドバイスをすることで、毎晩母親が添い寝をするようになった。その結果として、それまでは時々職場でも出ていた子供人格は昼間は寝ている状態となり、一日8時間の職務をこなせるようになった。その後数年間の間に徐々に夜の子供の人格はあまり姿を見せなくなりつつある。


2014年3月24日月曜日

続・解離の治療論(10)


子供人格の「出癖(でぐせ)」ないしは定着について


 子供の人格の出現は治療的なのか、あるいはそうではないのか?子供の人格が出る癖(「出癖」)を容認するべきなのだろうか?
この問題は解離性障害の治療の要になるといっていい。この答えは一通りではないが、少なくとも臨床家や家族のあいだには、それを必要以上に恐るという風潮があるということは事実ではないかと思う。そのことは本章の冒頭で述べた通りである。
子供人格が出現するという現象は、臨床場面以外でも頻繁に生じる。おそらく多くのDIDを持つ方が、臨床家のもとにたどり着く前にそれを体験する。例えば次のような状況を想定することができるだろう。
あるDIDを持つ女性の患者Aさんがいる。彼女はBという、十分に優しいパートナーに出会う。AさんとBさんは頻繁に出会い、場合によっては同居するようになる。そしてその前で子供人格Aちゃんが出現するようになったとする。Bさんは最初は驚くが、比較的よく状況を理解するようになり、AちゃんをAさんとは別の人格として優しく扱うようになる。AちゃんはそんなBさんとも仲良くなり、しばしば出て来て、遊びを請うようになる。それが頻繁になり、ひとつのパターンになったとしたら、子供の人格の出現が「定着」した状態と考えていいだろう。
ここでBさんは次のような問題に遭遇するかもしれない。彼が惹かれて付き合うようになったのはAさんである。とすると少なくともBさんにとっては恋人と会う時間はそれだけ短くなる。彼はそれを不都合と感じるかもしれない。あるいはある程度Aちゃんと遊ぶのはいいとしても、それがどんどん長時間に及ぶとしたら、そのことに徐々に不安を覚えるかもしれないであろう。そこでBさんがとる行動はいくつかありうる。ひとつはBさんがAさんについて専門家に相談をしたり、Aさんの受診を勧めたりすることである。もう一つはAちゃんの相手をしないようにし、できるだけAさんと話すように試みることである。さらにもうひとつの可能性としては、BさんはAさんとの関係そのものを終わらせてしまう場合だ。臨床ではこれらのケース全てに出会うことになる。
 これらの疑問の全ては定着した子供人格は、その後ますます出るようになるか、それとも最終的には出なくなっていくのか、ということにかかってくる。
そこでまず大雑把な答えを出すならば、「子供の人格はしばらく定着する可能性があるが、多くはやがて眠りに入る運命にあり、それにより社会適応がより難しくなる、ということは通常は生じない」ということだ。これは多くのDIDの患者さんたちと接した経験から私が言えることである。



2014年3月23日日曜日

続・解離の治療論(9)


子供の人格が十分に扱われなかった場合

さていったん出現した子供の人格がパートナー(あるいは場合によっては治療者)により十分に扱われなかった場合はどうなるのであろうか? そこには様々な可能性を考えることができる。しかし多くの臨床例に接した上で言えるのは、いったん形を成した(「結晶化した」)子供の人格は、急には姿を消すことはないということである。ただ同居者の拒絶的な、あるいは無視する度合いによりその出現の仕方に差が生じることになる。場合によっては子供の人格はパートナーが留守をしているときに一人で出て遊ぶということもありうる。日中パートナーが仕事に出ている間中の記憶がなく、お絵かきをした跡が残されているというエピソードもしばしば耳にする。
拒絶的なパートナーの前で子供の人格が姿を見せないということは、決してネガティブなことばかりではない。子供の人格を疎ましく思うパートナーの場合には、そこで虐待による更なる外傷体験が生じる場合がある。子供が暴力的になりかねないパートナーの前から身を隠すのにはそのような適応的な意味もあるのである。ただしもちろんすべての子供の人格がそのような「分別」を備えているという保証はない。特に覚醒レベルの下がる夜間や、いったん眠りに入った状態には、子供の人格が迷い出て、パートナーによりどやし付けられるということも起きうる。
いうまでもなくすべてのDIDのパートナーたちが子供の人格を快く受け入れるわけではない。しかし子供に虐待的な扱いしか見せないという場合も多くはないであろう。大部分のパートナーたちは、時折あらわれる子供の人格に対してそれなりに「大人の対応」をし、遊びに付き合い、あやし、寝かしつけるという反応を見せるようである。ただしそこに治療者に求められるような首尾一貫性を期待できない場合が多い。多くのパートナーにとって、子供の人格の出現は予想外のことであり、心の準備ができていないうちに、相手との心的距離が接近していくうちに遭遇してしまうものである。そこでパートナーの母性的な側面を刺激され、子供の部分を含めて一層相手に愛情を感じる場合があるとしても、時には苛立ち、サディスティックな欲求を刺激されることがあり、親のような安定した養育的な態度を保ち続けることが難しいものである。それでもDIDの患者が実際に幼少時に受けた養育よりははるかに保護的で受容的であるために、子供の人格にとって発達促進的となることが多い。



2014年3月22日土曜日

続・解離の治療論(8)

春の兆しは濃厚になってきているが、まだ朝晩はかなり寒い。昨日「●●一番」というカレーチェーン店で、「ポークカレー」というのを頼んだ。ところがルーの中に、形を成している豚肉がひとつも入っていない!その他の具も入っていず、つまり液体のみ。かすかに肉の断片のようなものが見えるだけ。こういうのーって、どーなんだろう?

子供の人格とは、その人の中でまだ扱われ切れていない人格部分という意味を持つ。単純に言えば、その人が子供時代に表現できなかったものが、「うかばれずに」残っていると考えてだいたいは間違いがないだろう。
 DIDの方の多くは幼少時に子供らしさや甘えを十分に表現できていない。その原因は両方向性でありうる。つまり子どもの側で、子供らしい行動を制限していた場合もあれば、親の側で子供の子供らしさを抑制していた場合もある。しかし常識的に考えて、子供らしさを表現することを控えていた子供の方に罪はありえない。子供が自然にふるまうことを自らに制する場合には、それを促すような親からのメッセージが与えられていたと考えるべきである。
ただし親がそのようなメッセージを出していたことを意識していたかどうかはまた別の問題である。幼少時に子供らしさを表現しない子供の場合、大抵は「聞き分けの良い」「いい子」とみなされ、扱われていたことになる。すると子供のそのような性質を褒め、受け入れることは、結果的に子供に子供らしくあることを強く抑制するとしても、親の側にはその意識が欠如していることも少なくない。
ちなみにDIDの方の幼少時の印象として、必ずしも「いい子」ばかりではないことは付け加えておかなくてはならない。DIDの方の母親が「この子は小さいころから頑固で自己主張が強いという一面を持っていました」と証言する場合もあるからだ。その場合には子供の頃から既に、「いい子」の主人格とは異なる人格が時々出没していたと考えられるのである。
このようなことからも、DIDの子供人格の成因の議論に足を踏み込むことは時には危険が伴う。すぐにでも親の批判が始まってしまいかねないからだ。だからここでは一般化した言い方を用いて、子供の人格はともかくも自己表現を求めて出てくる、という程度に考えておこう。これはほぼ間違いないことであろうからだ。


2014年3月21日金曜日

続・解離の治療論(7)


子供の人格への対応

「子供の人格が出たらどうしたらいいのですか?」という問いは、患者の家族からからも療法家からも頻繁に問われる。そこには二つの問いが含まれているといってよい。一つはこちらも子供として接するべきか否か、それとも大人が演じているものとして対応するべきかという問いであり、もう一つは子供の相手をまともにすることにより、子供の出現が定着してしまうのではないかという問いである。
この両方の問いは、どちらも解離の本質に迫り、またこれらに対する安易な回答は非常に大きな誤解を招く可能性がある。ただしこれらの問いが発せられるだけまだいいのかもしれない。多くの場合臨床家は問うまでもなく、すでに「子供の人格は一切相手にするべきではない」という回答を出しているかもしれないからだ。


まずは最初の問いである。あくまでも子どもとして接するべきであろうか?
まず単純な答えとしては、もちろん子供として接するべきであるということだ。それは例えていうならば、母親が子供を連れて面接室にやってきた状況に似ている。最初は母親が治療者と話していたが、途中から子供の方が話しかけてきた場合、治療者はどうするべきだろうか。
 その時に治療者がその子供に対して、「大人が演じているものとして」対応するとしたら、「あなたは子供のように私に甘えたいんですね。」となるであろうが、その子供は何のことが分からなくてきょとんとした目をするだけだろう。話しかけているのは母親に対してではなく、あくまでも子供自身に対してだからである。
 ただし私のこのたとえでは、子供の横に母親がいるというところが重要である。実際に子供の人格が登場する時に、背後に大人の人格が見え隠れすることが多い。やはり子供の人格だけでは心配ということだろうか。子供の人格が前面に出ていて、大人の人格が後ろで観察しているという場合も多い。
治療者が子供の人格をそれとして扱わない場合にはどうなるのだろうか? 大人の人格が後ろで見ている場合には、その治療者の様子を見て「ああ、この治療者は私の子供の人格のことを受け入れてくれないようね。じゃ私が代わらなくちゃ。」ということになるだろう。ここにはその治療者に対する「気遣い」すらありうる。そして子供の人格が引っ込んで大人の人格が再び登場すると、治療者はこう言うかもしれない。「多重人格と言われる人たちの別人格、例えば子供の人格は、それを扱うことで出続けるのです。私は扱わない主義なので子供の人格などは出てきません。その意味でDIDは医原性ともいえるのです。」子供の人格がこの様に時には中途半端で、治療者の対応の仕方に応じて変わることは、一部の治療者の解離現象に対する無理解を助長することにもつながるのである。

子供の人格に応対する時のもう一つの問いについて考えよう。それは「子供の相手をまともにすることにより、子供の出現が定着してしまうのではないか」というものである。実はこの問いに対する答えは微妙なものとなる。それは確かに場合によっては短期的にではあれ子供の出現が「定着」してしまう可能性があるからだ。そしての定着の仕方によってはそれが本人のために好かったり悪かったりもするのである。この事情は、おそらくこのブログで書いているようなペースでしか十分な説明はできないであろう。


2014年3月20日木曜日

続・解離の治療論(3)

なるほど、(3)が抜けていた。


     「できるだけ無視する」は正解なのか?-「子供の人格」の扱い方

解離の治療を論じるにあたって、まずは出来るだけわかりやすいテーマからはじめようと思う。最初に選ぶのが、「子供の人格が出てきたら、どのように扱うべきだろうか?」というテーマである。
 解離の治療においては、ある種の普遍的な問題意識がある。それは患者の示す解離症状を取り扱うことで、解離症状を悪化させてしまうのではないか、という問題意識である。そしてそれが最も端的な形で扱割るのが、実際に出現した子どもの人格を治療者がどのように取り扱うべきか、という問題である。

 この問題についての数多くの治療者の結論は、すでに出ているようである。最も典型的な精神科医ないしは心理士の反応は、次のようなものである。それは患者本人に、というよりはその家族に対して告げられる。
「子どもの人格をまともに取り扱うことで、その人格はずっと出るようになってしまいます。だから子どもの人格は、できるだけ無視してください。」
この種の回答は、たとえ治療者の側が解離性障害の治療を十分に経験し、それに精通していなくても、かなりの確信と自信を持って語られるようである。

私のこの最初の章でのテーマは、このような提言が正しいか間違っているか、という単純なものではない。ただしそれでもこの種の治療者の主張は多くの場合思慮を書いたものであり、治療的とは言えないものなのである。

2014年3月19日水曜日

続・解離の治療論(6)


 以上の様々な状況で子供の人格が出現するが、それは多くの場合、そうと認められずに見過ごされてしまう運命にある。
子どもの人格が実の親の前で出てくることはむしろ少ないが、実際にそれが生じた場合も、親は「この子は時々幼稚なしゃべり方をする」「時々急に依存的になる」と考えるだけでそこに人格の交代が起きているという発想を持たない場合も多い。また子供の人格の方でも自分があまり受け入れられていないと感じられる状況では姿を消してしまう場合も多く、また自分があまり相手にされない場合には「大人しくしている」ことにより、結果的にその存在が見過ごされてしまうこともある。 

子供の人格はなぜ成立するのだろうか

 DIDの患者の圧倒的多数が、子どもの人格を有するという印象がある。既に述べたように、子ども人格の成立するプロセスの詳細は不明だが、ひとつの機序としては幼少時のトラウマの体験があげられる。その子供の人格が出現する時に、常におびえたりパニックに陥っている様子を示す場合には、それがある種のトラウマ体験を担っている可能性が高いことは言うまでもない。
 ある患者の子供の人格は両親の激しい争いごとを体験したままの状態で出現する。その場合は「大丈夫なの?」「僕悪い子じゃないよね」というような言葉を子どもの口調で口にする。
 これらの子供人格の出現のパターンを見る限り、これは一種のフラッシュバックの形式をとっていると考えていいであろう。フラッシュバックとは、PTSDの症状に特徴的とされ、ある種のトラウマをその時の知覚や感情とともにまざまざと再体験することである。そのフラッシュバックが「人格ごと生じる」という現象として、この子供の人格の出現を理解することが出来るだろう。
しかしすべての子どもの人格がトラウマを基盤にして生じるとは限らないであろう。それはいつも陽気にかつ無邪気にふるまう子供人格に出会うこともまれではないからである。別の人格を呼び出そうとDIDの方に協力を呼びけると、それとは異なった子供の人格が飛び出すということがある。あたかもその子供の人格は治療者と遊ぶ機会を待ち望み、呼ばれていた人格の代わりに出てきたかの印象を受ける。
 子どもの人格が他人との接触を求め、一緒に遊ぶことで喜びを表現するような場合には、その人格は患者が幼少時に甘えや遊びを十分に体験できなかったことの代償として成立したと思えることも少なくないのである。


2014年3月18日火曜日

続・解離の治療論(5)

ずいぶん暖かい日である。確実に春の訪れを感じ、嬉しい。


l      ストレスやトラウマを思い起こさせる体験に誘発される場合 ・・・子供人格が形成されるプロセスは明らかではないが、ひとつの機序としては幼少時のトラウマの体験がある。幼児期にトラウマを体験したある患者さんの場合、毎日トラウマの生じた時刻に決まって泣き叫ぶ子供の人格を内部に感じたり、またその人格が実際に出てきたりする様子が見られる。その種の子供人格は登場した際にただ泣いているだけであったり、驚愕の表情を示していたりする。それはあたかもそのトラウマのフラッシュバックが、その際の人格を伴って生じているかのようである。 

l        覚醒状態が低下している場合 ・・・ 多くの子供人格が夜間や就寝前、ないしは眠剤の服用後に出現する傾向にある。この時間帯ないしは状況では覚醒レベルが落ち、大脳皮質による抑制が低下し、一般の人々も退行して子供らしくなる傾向にある。

l        催眠やリラクセーションにより誘導された場合 ・・・ 子供の人格は催眠やリラクセーションにより出てくることが頻繁にあるが、そこには催眠をかける治療者側の受容性ということも関係している。つまり治療者側に子供の人格を受け入れる用意があることで、子供の人格のほうも「安心して」出てこれるということがある。

2014年3月17日月曜日

続・解離の治療論(4)

もちろん子供の人格が誰の前で、どのような状況で出てくるかにより、その対応は大きく異なる。例えば治療者とのプレイセラピーで出現する場合と、夜恋人の前で突然出てきた場合とではだいぶ事情が違うだろう。あるいは患者さん自身が子供人格の存在を意識しているかどうかによってもその対応は変わってくる。
 ここで子供人格が出てくるいくつかの状況をあげてみよう。

l        受容的な人にあって誘発される場合 ・・・子供の人格は、幼くて依存的な部分を受け入れ、抱えてくれるような人との間で出てくる傾向にある。それはたとえば恋人や配偶者、教師、先輩、友人、治療者などである。治療者との最初の出会いでもそれは起きる可能性があるが、多くの場合、相手に慣れ、その人との関係を安全と感じる場合に初めて登場するという可能性がある。
l        ある種の動作に誘発される場合 ・・・あるDIDの方は、アルバイトでポップを書いているうちに、お絵かきモードになり、子供人格に変わってしまうことがあるという。また実際に治療場面で箱庭やスクイグルなどを行っているうちに子供人格になる場合もある。動物のぬいぐるみを渡されることで触発されて出てくることもある。ある思春期の患者さんは、目を閉じて力を抜いて父親の体に倒れ掛かることで人格交代が生じる。
l        視覚、聴覚刺激に誘発される場合 ・・・ 面接室やプレイルームにあるぬいぐるみやバランスボール、玩具、箱庭の用具等に刺激されて、より子供人格が出て来易くなることがある。ある患者さん(30代、女性)は、特定の男性から携帯電話が入り、その男性の声を聞くことがきっかけでその子供人格が出現する。セッション中にも彼が隣にいる患者の携帯電話を通して話しかけることで子供人格に変わることが確かめられた。


2014年3月16日日曜日

続・解離の治療論(2)

私は池谷裕二先生のファンであるが、彼の好著『単純な脳、複雑な「私」』 の最終章は興味深い。これはネットにも公開されているので、私も引用させていただこう。 「幽体離脱を生じさせる脳部位がある」というタイトルだ。 結局池谷先生が伝えているのは、脳の部位にはそこで人間の心のある重要な部分があり、それが自分を外側から俯瞰するという能力である。もともと人には自分を客観視する力がある。「自分の立ち位置を知る」という言い方があるが、全体の中で自分はどのような立場にあるかを知ることは社会生活を送る上で極めて重要だ。しかしそれが、脳の一部分の刺激で、極めて具体的に、リアルに生じるという点が興味深い。
解離の臨床という立場から、私は幽体離脱という現象に非常に興味を持ってきた。乖離傾向の強い人にしばしばこの体験が生じる。入眠時、出眠時にこの体験をする人もいる。気がついたら天井板が目の前にすぐ見えていた、という体験もあれば、天井から自分を見下ろしていたという体験もある。これだけポピュラーだということは、人間には(そしておそらく動物には)一種の監視カメラの装置が実在していて、通常は意識されないながらも自分の姿をモニターしている機構があるのだろう。私はよくシャツの襟をジャケットの外に出しっぱなしで出勤するが(コートを上に羽織った状態で出勤するので、神さんも気がつかない)、何人か患者さんとあったあとにふと首に手をやり、「襟が出ている!」ことにハッと気がつく。あるいは地下鉄で通勤していて、独り言が少し大きめに出てしまって、またまたハッとする。ドアが閉まる間際に突進してくる人を見て、「あっ!」などどいってしまっては、気恥ずかしい思いをする。これはいずれもモニター画面に移し替えて「まずい、おかしなオジさんに見られている」と体験することだ。
角回を刺激すると、幽体離脱が「実際に起きる」とはどういうことか?それはあたかも心の中に思い浮かべているシーンやアイデアが幻覚や妄想となって体験されるような体験と考えることができる。言い換えれば、私たちが「自分の立ち位置を知っている」ときは、幽体離脱を、「心の中で行っている」ということなのだろう。もう少し言い狩れば、幽体離脱を、知覚的にではなく、表象として体験しているということでもある。
ということで以下は、池谷先生の本文から。
幽体離脱を生じさせる脳部位がある 
脳を直接に電気刺激して活性化させる実験がある。刺激すると、刺激場所に応じていろいろな反応が起こる。たとえば、運動野を刺激すると、自分の意志とは関係なく、腕が勝手に上がったり、足を蹴ったりする。視覚野や体性感覚野を刺激すると、色が見えたり、ほおに触られた感じがしたりする。そうやって、刺激によっていろいろな現象が生じるのだけど、なかには信じられない現象が起こることがある。たとえば、これは一昨年(編集部注・講演時点から)に試された脳部位だけど、頭頂葉と後頭葉の境界にある角回(かくかい)という部位。この角回を刺激されるとゾワゾワゾワ~と感じる。たとえば1人で夜の墓地を歩いていると、寒気がすることない?──あります! それそれ、あんな感じらしい。角回を刺激すると、自分のすぐ後ろに、背後霊のようにだれかがベターッとくっついている感じがするようなの。うわーっ、だれかにつけられている。だれかに見られている……強烈な恐怖を感じるんだって。でもね、その背後霊を丁寧に調べてみると、自分が右手を上げると、その人も右手を上げるし、左足を上げてみると、その人も左足を上げる。座っていると、その人も背後で座っていることがわかる。これで理解できるよね。そう、実は、背後にいる人間は、ほかならぬ自分自身だ。要するに、「心」は必ずしも身体と同じ場所にいるわけではないということ。僕らの魂は身体を離れうるんだ。この例では、頭頂葉を刺激すると、身体だけが後方にワープする。この実験で興味深いことは、その「ゾワゾワする」という感覚について尋ねてみると、背後の〝他者〟に襲われそうな危機感を覚えているという点だ。これはちょうど統合失調症の強迫観念に似ている。これで驚いてはいけない。身体と魂の関係については、さらに仰天するような刺激実験がある。先ほどの実験と同様に角回を刺激する。ベッドに横になっている人の右脳の角回を刺激するんだ。すると何が起こったか。刺激された人によれば「自分が2メートルぐらい浮かび上がって、天井のすぐ下から、自分がベッドに寝ているのが部分的に見える」という。これは何だ?──幽体離脱。その通り。幽体離脱だね。専門的には「体外離脱体験」と言う。心が身体の外にワープして、宙に浮かぶといわけ。幽体離脱なんていうと、オカルトというか、スピリチュアルというか、そんな非科学的な雰囲気があるでしょ。でもね、刺激すると幽体離脱を生じさせる脳部位が実際にあるんだ。つまり、脳は幽体離脱を生み出すための回路を用意している。たしかに、幽体離脱はそれほど珍しい現象ではない。人口の3割ぐらいは経験すると言われている。ただし、起こったとしても一生に1回程度。そのぐらい頻度が低い現象なんだ。だから科学の対象になりにくい。だってさ、幽体離脱の研究がしたいと思ったら、いつだれに生じるかもわからない幽体離脱をじっと待ってないといけないわけでしょ。だから現実には実験にならないんだ。つまり、研究の対象としては不向きなのね。でも、研究できないからといって、それは「ない」という意味じゃないよね。現に幽体離脱は実在する脳の現象だ。それが今や装置を使って脳を刺激すれば、いつでも幽体離脱を人工的に起こせるようになった。他人の視点から自分を眺められないと、人間的に成長できないも、幽体離脱の能力はそんなに奇異なものだろうか? だって、幽体離脱とは、自分を外から見るということでしょ。サッカーをやってる人だったらわかるよね。サッカーの上手な人は試合中、ピッチの上空から自分のプレイが見えると言うじゃない。あれも広い意味での幽体離脱だよね。俯瞰的な視点で自分を眺めることができるから、巧みなプレイが可能になる。サッカーに限らず、優れたスポーツ選手は卓越した幽体離脱の能力を持っている人が多いと思う。スポーツ選手だけではなくて、僕らにもあるはずだよね。たとえば、何かを行おうと思ったとき、障害や困難にぶつかったり、失敗したりする。そういうときには反省するでしょう。どうしてうまくいかないのだろうとか。あるいは自分の欠点は何だろうとか。それから女の人だったら、「私は他人からどんなふうに見えているかしら」と考えながら、お洒落や化粧をする。こうした感覚は一種の幽体離脱だと言っていい。自分自身を自分の身体の外側から客観視しているからね。他人の視点から自分を眺めることができないと、僕らは人間的に成長できない。自分の悪いところに気づくのも、嫌な性格を直すのも、あくまでも「他人の目から見たら、俺のこういう部分は嫌われるな」と気づいて、はじめて修正できる。だから僕は、幽体離脱の能力は、ヒトの社会性を生むために必要な能力の一部だと考えている。いずれにしても、幽体離脱の神経回路がヒトの脳に備わっていることは、実験的にも確かだ。そして僕は、この幽体離脱の能力も、「前適応」の例じゃないかと思っているの。だって、動物たちが他者の視点で自分を省るなどということはたぶんしないでしょ。おそらく動物たちは、この回路を「他者のモニター」に使っていたのではないだろうか。たとえば、視野の中に何か動く物体が見えたら、それが動物であるかどうか、そして、それが自分に対して好意を持っているのか、あるいは食欲の対象として見ているのかを判断することは重要だよね。現に、野生動物たちはこうした判断を行いながら生き延びている。だから動物に「他者の存在」や「他者の意図」をモニターする脳回路が組み込まれていることは間違いない。他者を見る能力は、高等な霊長類になると、行動の模倣、つまり「マネ」をするという能力に進化する。ニホンザルはあまりマネをしないんだけれども、オランウータンはマネをする動物として知られている。たとえば動物園にいるオランウータンなんか、自分で檻のカギを開けて出ていく。並んでいるカギの中から、いつも飼育員が使っているカギを探し当てて、自分で開けて脱出できる。つまり、飼育員を見ていて、そのマネするわけだ。野生のオランウータンだと、現地人のカヌーを漕いで川を渡ったという記録もある。他人の眼差しを内面化できるのが人間模倣の能力がある動物は、環境への適応能力が高いし、社会を形成できる。しかし、マネをするという行為はかなり高等な能力だ。他人のやっていることをただ眺めるだけではダメで、その行動を理解して、さらに自分の行動へと転写する必要がある。鏡に映すように自分の体で実現する能力がないとマネはできないよね。ヒトの場合はさらに、マネだけでなく、自分を他人の視点に置き換えて自分を眺めることができる。まあ、サルでも鏡に映った自分の姿を「自分」だと認識できるから、自分を客観視できてはいるんだろうけど、でも、ヒトは鏡を用いなくても自分の視点を体外に置くことができる。そして、その能力を「自己修正」に使っている。他人から見たら私の欠点ってこういうところだなとか、クラスメイトに比べて自分が苦手とする科目はこれだなとか、そんなふうに一歩引いてものを眺める。そういう自分に自分を重ねる「心」の階層化は、長い進化の過程で脳回路に刻まれた他者モニター能力の転用だろう。〈了〉

著者池谷裕二(いけがや・ゆうじ)

2014年3月15日土曜日

続・解離の治療論(1)

再び解離のテーマに戻ってきた。随分遠回りをしてきたような気がする。一番計算違いだったのは、「恥と自己愛トラウマ」だった。これは、私がいろいろなところに書いたエッセイをよせ集めたものだったが、読み直してみると、バラバラだった。アンソロジー、エッセイ集とはもともとそのようなものだが、読み手の立場に立った本とは言えないということを感じた。エッセイ集が売れるのは、名の通った書き手だけである。
 そこで自己愛トラウマというタームをもとに全体を編みなおす形となったが、これにふた月以上かかったというわけである。 

 ただし解離の治療論については、まあ覚えている方はいないかもしれないが、去年の夏くらいからせっせと書いていたのである。下地は出来ている。あとはそれを書き直していく作業だ。まあ、どうせ誰も読んでいないだろうが。

2014年3月14日金曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(14) 最終回

目次を書き直してみた。もうこのシリーズはおしまい。随

分続けたな。本書は夏に出版予定である。


省略


2014年3月13日木曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲) (13) 

後書きを書いてみた。
外は強い風と雨だ。今日は全国でいったい何本の傘が壊れるのだろう?

省略

2014年3月12日水曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(12)

第10章もざっと手を入れた。以下は特に変わったところ。

     省略


2014年3月11日火曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(11)

第9章は、最後の部分だけ付け加えた。

本章は、同じトラウマでも、自己愛トラウマではなくて実際の災害におけるトラウマの文脈で論じたが、最後に本書の主要テーマのひとつでもある「加害者の曖昧さ」との関連で述べておきたい。
 震災による津波というという明確な「加害者」(といってもこの場合は自然現象ということになるが)が存在するトラウマも、それを和らげるメカニズムにより発生する「津波ごっこ」が子供に与える影響はそれぞれ異なる。多くの子供は津波ごっこにより津波の体験を自分の中におさめていくのであろうが、参加する子供の一部は心の傷を深めることになるだろう。しかしその際の加害者は曖昧であり、不明なのだ。それはお化け屋敷のお化け屋敷のアルバイトさんや、ナマハゲをかぶっている心優しい青年団の男性にも言えるだろう。彼らはそれを仕事として、あるいは伝統にしたがってやっているにすぎないが、ごく少数ではあれトラウマを生み出してしまう。それでも彼らを加害者と呼ぶべきか。おそらくそうであろうが、しかし社会の中では決して表に出ることなく、そして本人も気がつかない、その意味では曖昧な存在なのだ。このように加害者の曖昧さは、その体験が制度や習慣に組み込まれている分だけより錯綜した事情を呈することになる。

しかし加害者が曖昧であることは決して、トラウマの程度を軽減しない。それはむしろトラウマの淫靡さ増し、被害者の救済や治療の機会をそれだけ奪ってしまう可能性があるのである。

2014年3月10日月曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(10)

3月も10日なのに、寒い毎日が続く。いい加減に暖かくなって欲しい ・・・・・。

第8章を推敲した。文字の間違えのみ。しかしそれにしても、学校は恥をかかすことで生徒を育てるというところがあったな。それに教師のナルシシズムも半端ではなかったきがする。でも確かにいい先生もいた。生徒は親やクラスメートよりは様々な教師を見ながら、そのパーソナリティ傾向やその異常をパターン化し、学んでいくのではないだろうか。

第8章 省略


2014年3月8日土曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(9)

第2章 アスペルガー障害の怒りと「自己愛トラウマ」
はあまり付け加えることはないが、最後に次の部分を書き足した。


アスペルガー障害における「自己愛トラウマ」を扱う事の難しさは、やはり彼らのトラウマの体験の仕方自体が周囲から理解しにくく、また予想がつきにくいということにある。彼らのトラウマの加害者は曖昧であったり不在であることが多いのだ。本章で紹介した「浅草通り魔殺人」の場合には、犯人の「自己愛トラウマ」の「加害者」の女性は最大の被害者なのである。何しろ付きまとわれた男性に対して恐怖の表情を示したというごく自然な反応を見せただけなのだから。

ただし私が最後に付け加えたいのは、以上述べたことはアスペルガー障害を有する人々一般に当てはまるわけではないということである。アスペルガー障害を持つ人々がより高い犯罪傾向や加害性を持つということはない。彼らの大部分は社会に害を及ぼすことのない良き市民である。ただしこの事件に関与したような一部のアスペルガー障害を持つ人に関して、この理解しにくい「自己愛トラウマ」を体験し、それが他者に対する加害行為に発展するという事実を私は述べているだけである。
 これは次の章「凶悪犯罪と自己愛トラウマ」でも述べることであるが、「自己愛トラウマ」を負った人々が少しでも救いの手を差し伸べられることで、致命的な加害行為を防止できる可能性がある。そしてそのためにもこのアスペルガー障害における自己愛トラウマの実態を理解することが最初のステップと言えるのである。

2014年3月7日金曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲) (8)

今日の部分もあまり書き直しをするところはなかった。「無限連鎖型」の謝罪って面白い概念だと思うのだが・・・・。日本人がお互いに頭をペコペコし合っているというイメージ。


日本人の「無限連鎖型」の謝罪と「自己愛トラウマ」の回避

次に日本人の謝罪について考えてみると、こちらのほうは逆に過剰さが特徴ではないかと思う。私たちは日常生活でも、かなり頻繁に「すみません」を口にする傾向にある。そして「すみません」の持つ過剰さは、その頻度だけでなく、その言葉の意味そのものにある。「すみません」とか「申し訳ありません」の本来の意味を考えると、「自分のしたことは、いくら謝っても謝り尽くせません」と言っていることになる。「すみません」は、「決して罪滅ぼしをして済ますことはできるだろうか、いや出来ない」を、「申し訳ありません」は「言い訳をすることはできるだろうか、いやできません」を意味し、いわば反語的な表現といえる。それを用いることで謝罪の気持ちを強調する修辞的な表現なのだ。そこに過剰さがあるのである。
同様の事情は、感謝の意を伝えるような場合にも当てはまる。「ありがとう」は、「有難い」、つまり「これはありえないほどの恩恵をいただきました」という意味である。あるいは「すみません」も「申し訳ありません」という本来は謝罪のための言葉も、贈り物を受け取る際に頻用されることを考えれば、日本語においては謝罪も言葉だけでなく、感謝の言葉も同様の過剰さを持っていることになろう。
過剰な謝罪や謝意は多くのバリエーションを持つ。たとえば「なんとお礼を申し上げていいか・・・・」、「お詫びの言葉もありません・・・・」、「お目汚しですが・・・」、「なんとお礼を申し上げていいか・・・・」などはいずれもそうである。そしてこのバリエーションが「過剰さ」の微妙な違いを含んでいるといえよう。
このような謝罪や感謝の過剰な表現を受けた相手の反応はどうだろうか。必然的にそれを否定する形で返すことになる。極端な謝罪や感謝をそのまま受けるわけには行かないからだ。しかし同じ日本語である以上、その否定もまた過剰に行われるだろう。こうしてこの種のやり取りは延々と続くことになる。私が先ほど「無限連鎖型」と呼んだこの種の日本語のやり取りは、日本語の謝罪や謝意の表現が持つ過剰さと関係していたのである。
「無限連鎖型」のやり取りは、行動面についても見られることがある。たとえば会食をした後には「私が払います」「いやいや、私が・・・」というやり取りが、レジの前で一種の儀式のような形で繰り返される。あるいは日本人同士お辞儀による挨拶は、あたかもどちらがより深く相手に頭を下げたかを競い合うような形で行われる。この無限連鎖的なやり取りは、お互いに明確な優劣や雌雄を決することを永久に回避するための装置のようなものといえよう。それは優劣や責任の所在を明確化する傾向にある欧米人のやり取りとは非常に対照的なのである。
これらの無限連鎖型のコミュニケーションの役割は何か? 私はその主たる目標は相手に対する謝罪や感謝を過剰に行うことで、相手が自己愛トラウマを体験するような事態を回避することではないかと思う。
相手を褒める行為は、それを褒められた相手が「真に受けた」場合に、褒めた側に自己愛の傷つきを伴う可能性がある。「あなたは素晴らしい」は同時に「私はそれに比べて劣っています」というメッセージでもあり、それを相手から正しいと認められてしまう形になるからだ。その際に褒められた相手が褒め言葉を「真に受けず」に「それほどでもありません」「いやあなたこそ立派です」と返すことは、その自己愛の傷つきを軽減することになるのだ。
相手に謝罪する行為は、自らの非を認めるという意味で、やはり自己愛の傷つきを伴う可能性のある行為である。だから謝られた相手は、それが可能な場合は「いえ、こちらこそ」という返し方をすることで、謝罪する側の自己愛の傷つきを軽減し、深刻な自己愛トラウマを回避するという目的があるのである。


2014年3月6日木曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(7)

現代型うつはフォビアである、という言い方を変え、職場で体験した(自己愛)トラウマに対する反応である、という言い方に変えただけ。故にほとんど細かい部分しか直さずに済んでいる。私はこのエッセイ集の副題として、「曖昧な加害者」という表現を入れようとしている。自己愛トラウマとは、トラウマなのにも関わらず、加害者がしばしば特定されない、主観的なものという意味である。職場でのパワハラも多くは、上司が愛のムチと思って施しているものであるというのが、この加害者の「曖昧さ」という意味だ。ただしそこには無意識的な攻撃性も当然含まれるであろう。

第6章 「現代型うつ病」と職場でのトラウマ
「現代型うつ病」や「新型うつ病」という言葉を昨今よく聞く。マスコミでは20067年あたりから扱われることがより顕著になったようである。この概念は一種の流行といっていいが、それなりに誤解されているような気がする。そこでこの概念について考察を加えてみたい。ここで浮かび上がってくるのは、私たち日本人が職場で体験する様々な自己愛トラウマである。

まずは「現代型うつ病」という概念から始めよう。これには独特のネガティブな色がついている。それは次のようなものである。
最近若者が仕事を放り出して安易に会社に休暇願を出す。特に病気でもなさそうなのに、医者は「うつ病」の診断書を書き、それを聞きとして提出する。何かおかしい。現代の若者に特徴的な病気ではないか?うつはうつとしても「現代型うつ病」とでもいうべきであり、その本態はうつではなく、単なる怠けである・・・・。
2007年の「こころの科学 #135」はこの問題を特集したが、サブタイトルがそれっぽいトーンである。「職場復帰 うつかなまけか」。この書の冒頭で編集を担当した松崎一葉先生(筑波大学)が書く。
本当にうつ病なんですか? なまけなんじゃないんですか?」こうした人事担当者の問いに窮する企業のメンタルヘルス関係者が増えてきた。近年、企業内で増えているのは、従来のような過重労働のはてにうつになる労働者たちではなく、パーソナリティの未熟などに起因する「復帰したがらないうつ」である。
従来のうつの場合は、治療早期にもかかわらず、早く復帰することを焦るケースが多かった。ところが近年では寛快状態となり職場復帰プログラムを開始しようとしても「まだまだ無理です」と復帰を出来るだけ回避しようとするタイプが増えてきている。」
さらに「人事担当者には、外見上の元気な姿や友人と楽しく語るさまを見れば、「なまけている」としか映らない。会社を長休職していることに「申し訳ない」という気持ちは少ない。主治医の診断書は「うつ状態にてさらに一ヶ月の休養を要す」と毎月さら新される。「いったいいつまで休むつもりなのか?」と人事担当者や上司は苛立つ。時には、このような状況が就業規則で定められたギリギリの休職期限まで続く。」(松崎一葉)

本屋で見かける関連書籍も似たような論調で書いてある。目につくものだけでもこれだけあるのだ。

l        林公一 擬態うつ病 2001年 宝島社新書
l        林公一 それは「うつ病」ではありません! 宝島社新書 2009
l        吉野聡 それってホントに「うつ」?  講談社α新書 2009
l        香山リカ「私はうつ」と言いたがる人たち 中公新書  2008
l        香山リカ 仕事中だけ「うつ病」になる人たち 講談社 2007
l        植木理恵「うつになりたいという病」集英社新書、2010
l        中嶋聡「新型うつ病」のデタラメ  新潮新書、2012
l        香山リカ 雅子さまと「新型うつ」 朝日新書、2012年。
l        吉野聡「現代型うつ」はサボりなのか 平凡社新書 2013

林公一先生の著書を除いてここ数年で出版されたものばかりであるが、ある意味では林先生の先見の明を示しているのかもしれない。そして林先生の本(「擬態うつ病」)の論調がまさに冒頭で示したとおりである。

果たして「現代型」、「新型」のうつなのか?

まずは現代型うつ病とは本当に現代型、新型なのかという話から始めたい。結論から言えば、同様の状態は古くから知られていたということである。いくつかの概念が提唱されてきた。それらは例えば「逃避型抑うつ」(1977年、広瀬徹也氏)、「退却神経症」(1988年、笠原嘉氏)「現代型うつ病」(1991年、松浪克文氏)「未熟型うつ病」(1995年、阿部隆明氏)、「擬態うつ病」(2001年、林公一氏)、「ディスチミア親和型」(2005年、樽味伸、神庭重信氏)などである。
これらのネーミングからわかるとおり、「本当のうつ病」とは少し違うもの、何かそこに性格的な未熟さや、怠け心などの疾病利得の追及が見え隠れするもの、というニュアンスはあった。ただし笠原先生の「退却神経症」は例外である。こちらは「神経症」つまりノイローゼというカテゴリーで論じていることになる。このの概念を提唱した笠原嘉先生は今でもご健在だが、彼が1980年代からすでに、現代の「新型うつ病」の概念を先取りしていたことがわかる。彼はこう書いている。

 [退却神経症は] 単なるなまけ病ではないか?それがどうも違うのである。どちらかというと、よくやる人たちだった。「退却」などという軍隊用語を借用したのは、そのことを言いたかったからだ。まじめにやっていた人たちの、突然の戦場放棄である。(退却神経症(P89) (笠原、1988)
さらに
「少し暗い感じはするが、立派な青年である。・・・ところがちょっと気になることがある。23日の休みを断続的に繰り返しているのだが、自分はなやんでいるはずだ、と思っていたのに、彼自身はけろっとしている。・・・周りの人が大変心配しているのに、ご本人は意外に「ヌケヌケ」している。・・・(p27)」退却神経症 (笠原嘉 1988)
「もしうつ病なら、現代の精神医学はかなり効率の高い治療法を提供できるからである。・・・これに対して退却神経症の治療法は、うつ病のときほど画一的ではない。・・・退却神経症はノイローゼなので、つまり社会適応への挫折なので、治療は人それぞれであらざるを得ない。(p59)
ところでこのように「新型」の特徴をとらえているにもかかわらず、笠原先生の概念だけ「退却神経症」という、鬱以外の診断名を考えているのは興味深いところである。これは私が後ほど述べる、「現代型とは結局はうつというよりは一種の恐怖症である」という主張とも重なる。云うまでもなく恐怖症は神経症の範疇に属するのだ。
笠原先生は実は1970年代には、いわゆる登校拒否の問題を扱うようになってきている。そして同様の心的メカニズムが、若者の出社拒否についてもあるであろうと考えている。そしてその背景にある概念が、その頃米国ではやったいわゆる「アパシー・シンドローム(apathy syndrome)」の概念であった。これはハーバード大学の精神科医R.H.ウォルターズ(R.H.Walters)によって提起された概念である。簡単に言えば青年期における発達課題である『自己アイデンティティの確立・社会的役割の享受』に失敗した時に発症リスクが高まるとされる。ただし現代の米国精神医学ではあまり聞かれないのだ。

さて私はこれまで「現代型」のうつ病について何度となく講義で話したり、講演をしたりしたが、概して精神科医からの受けはよろしくない。「現代型うつ」なんてマスコミがでっち上げたものであり、まともな精神科医が論じるべきではない、という話もよく聞く。あるいは先ほど述べたように、同様の概念は遥か昔からある、という議論も多い。しかしすでにみた「それは『うつ病』ではありません!」や「それってホントに『うつ』?」や「『私はうつ』と言いたがる人たち」、「仕事中だけ『うつ病』になる人たち」などの著作とともに、この「現代型うつ病」というテーマで本を書いているのもれっきとした精神科医の先生方なのである。
その中でより格調高く、アカデミックな色彩が整えられており、精神科医がまともに議論しているのが、「ディスチミア親和型」(うつ病)という概念で、樽味伸、神庭重信といった精神科医達が提唱している概念である。(「うつ病の社会文化的試論-とくにディスチミア新和型うつ病について 日本社会精神医学会雑誌  13:129-136, 2005」神庭重信先生は九州大学大学院の教授であり、この概念の名付け親は、九州大学大学院生の樽味伸(たるみ しん)という方である。(20057月、33歳で死去なさったそうである)。
 このディスチミア新和型うつ病については、これはもともとメランコリー親和型といわれる、ドイツのテレンバッハという精神病理学者が主張したうつ病の性格特性の考え方が下敷きになっている。メランコリー親和型とは、生来几帳面で責任感が強く、対人関係でのストレスを打ちに溜め込みやすい性格である。ところが現代型うつに特徴的な性格傾向はそれとはむしろ逆な、責任を他人に転嫁するようなタイプと考えたのである。そしてそれをディスチミア新和型の性格傾向と捉え、それを持つ人がなりやすいうつ病をディスチミア新和型うつ病と呼んだのである。ただしその内容を読んでも現代型うつ病や新型うつ病とほとんど変わらない。ただ精神医学的な体裁が整っているという点が違うという印象を受ける。
ちなみにこのブログでは2011年の2月以来この話をするのは3回目であるが、そのときも掲載した表だが、今回もまた掲載する。ディスチミア親和型の性格特徴を見ると、まさに現代型うつ病そのものであるということがわかるだろう。
ところでこれらの現代型うつ病の概念に真っ向から反対する精神医学者もいる。その代表として中安信夫氏が上げられる。中安先生は私が昔ご指導いただいた先生で、高名な精神病理学者である。彼はDSM反対論者としても知られるが、ある論文(中安信夫、ほか:「うつ病の広がりをどう考えるか」日本精神神経学雑誌、2009年の第6号)で次のように主張している。
「そもそも伝統的には、うつ病は次のように分類されていた。内因性と、反応性(心因性)と。これは基本的には妥当な分類だ。後者は抑うつ反応と、抑うつ神経症に別れるが、ある種の出来事に対する反応という意味では似ている。両者の違いといえば、「時が癒す」ことが出来れば抑うつ反応。「時が癒し」てくれなければ抑うつ神経症。つまりもともと性格の問題があると、時間が経っても体験の影響を受けつづけると考えられるからだ。ところが最近のDSMはこの基本的な分類を混乱させている。特に「大うつ病 major depression」という概念が問題だ。そもそもDSMの「成因を問わない」という方針が大間違いであり、従来の診断からは当然抑うつ反応や抑うつ神経症になるべきものが、「大うつ病」に分類される。なぜなら症状をカウントして9項目中8項目を満たす、などと機械的に診断を用いることで、簡単に大うつ病になってしまうからだ。従って「新型うつ病」という新しいうつ病も存在しない。それは本来は、心因反応や抑うつ神経症という診断をつけるべきものであり、それがDSMにより大うつ病と誤診されたものであるに過ぎない。その診断書をもって休職届けを出す人が増えた、というだけの話である。」
 
中安先生の意見をまとめると、DSMは本来深刻なうつではない状態を、うつ病という診断にしてしまうという問題がある、ということだ。それに対する私の意見は以下のとおりである。私は伝統的な意味でのうつ病とは言えない、中安先生のおっしゃる意味での継承のうつ状態が増えてきているという事実はやはり認識するべきではないかと思う。それはたまたまDSMを使うと深刻なうつ(大うつ病)と診断されてしまい、混乱を招くが、この敬称のうつ病が増えているという可能性自体は否定できないであろう。課題はなぜそのようなうつが増えているか、ということである。
私は中安先生は、DSMの大うつ病の概念を全面否定することに性急なあまり、理論的な整合性を犠牲にしてしまっているのではないかと思う。先生はかねてからDSMの「成因を問わない」という「操作主義的」な点を痛烈に批判なさる。しかしDSMのそのような性質は、もちろん多くの問題を含んでいるものの、精神医学の歴史の流れの上である程度の必然性をともなってできたものであり、その価値を白か黒かで簡単には決められないと私は考える。中安先生は輝かしい業績のある、日本の精神医学の頭脳とでもいうべき存在ではあるが、DSMに対する反発や怒りが、彼の臨床観察の精度を落としているように思えてならない。
 うつをひとつの症候群とみなして、「不眠、抑うつ気分、食欲の減退、自殺念慮・・・・などをいくつ以上満たしたら、うつ病と呼ぼう」という約束事はやはり必要と思う。なぜなら何をうつ病と呼ぶかが、人によりあまりにも異なるからだ。うつを内因と心因に分けるという発想自体が過去のものになりつつある。それが内因性でも心因性でも、症状が出そろえばうつはうつ、なのである。一見心因性と思われたうつが、結局長引いて深刻なうつになる、ということが実際に起きるからだ。そうすると脳に直接働く抗鬱剤も効くようになる。それほど心因性の疾患という概念は曖昧な点を含んでいる。何が心因かが結局は主観的な問題でしかありえないということを、この四半世紀のあいだの外傷理論の変遷が示しているのだ。
 
いっそ、うつ病と考えないほうがいい

さて私もまた現代型うつという概念にやや批判的なのであるが、それは中安先生やそのほか精神科医の意見とは異なる意味でである。私は現代型うつと呼ばれるうつのタイプは昔から存在してたということ以外にも、その病態はあまり典型的なうつ病とは言えない以上、あまりうつ病と考えないほうがいいのではないか、むしろ笠原先生のように「神経症」の部類として捉えるべきなのではないか、という意見をもっている。ただし単なる神経症というわけではなく、ある程度の抑うつ傾向を伴った神経症であり、会社での不適応状態が主たる原因である場合が多い。うつ症状としては軽度だから、仕事の時間以外ではむしろ元気が出るということも生じる。しかしそれは彼らが「怠けている」と決め付ける根拠にはならないのだ。
そもそも現代型うつ病を論じるうえで一番のキーワードは、「なまけ」であった。私たちは(特に日本人は、というべきだろうか?)なまけということに敏感だ。「自分はなまけているんじゃないか?」と常に自分に問いただしていると言うところがある。あるいは人に「なまけてるんじゃないか?」と思われているのかと常に気を緩めないようにしている。
 みなさんの中に、学校を休む時に「これは病気ではなくてなまけではないのか?」と自らに問うたことはないだろうか?それでも体温計で熱が8度代以上だと、休むことに後ろめたさをあまり感じずにすむ。病気である、具合が悪い、ということを数値で客観的に示すことができるからだ。ところがうつ病のような気分の問題は、それが数値化されないだけに厄介である。現代型うつ病がこれほどネガティブなトーンで語られるのも、それが「実は本物のうつ病ではなく、なまけである」という可能性を示唆しているからだ。確かに彼らの行動には、「病気による休職期間に旅行に行く」とか「就業時間の間は元気がないのに、それを過ぎたら嬉々として飲み会に出席する」などの行動が見られることが報告される。するとそれが「仕事中だけ『うつ病』になる人たち」(香山リカ先生、講談社)となってしまうのである。 
 しかし実際は、一切のことに興味を失うのは重症のうつの場合で、うつが軽度の場合は、いろいろな中間状態が起きうる。あるうつの患者さんはこう言った。「うつになると、楽しんでやれるということが非常に限られてくるんです。」「友達と会っている時は精いっぱい笑顔を作り、盛り上がるようにします。そして帰るとどっと落ち込むのです。」これらの言葉は、うつ病の人が外からは生活を楽しんでいるように見えても、案外内情は複雑であることを示していると思われるであろう。
そこで2年前にこのテーマについて論じたときに、ちょっと当たり前の図を作ってみた。再びここに掲載しよう。縦軸は、ある行動の量、横軸はうつの程度を示す。

そして行動としては、快楽的な行動(自分で進んでやりたい行動)と苦痛な行動(義務感に駆られるだけの行動)を考え、それぞれがうつの程度により低下する様子を示した。うつの深刻度が増すとともに、快楽的な行動も、苦痛な行動もやれる量が下がってくる。ただその下がり方にずれがあるのだ。うつでない場合(Aのラインに相当)は、快楽的な行動だけでなく苦痛な行動も、それが必要である限りにおいては出来る。うつが軽度の場合(Bのラインに相当)は、苦痛な行動は取りにくくなるが、興味を持って出来ることは残っている。うつがさらに深刻になると(Cのラインに相当)両者とも出来なくなるわけだ。
行動を、快楽的なものと苦痛なものにわける、という論法は、故安永浩先生の引用するウォーコップの「ものの考え方」理論に出てくる。苦痛な行動は、私たちがエネルギーの余剰を持つ場合には、エネルギーのレベルを持ち上げることでこなすことができる。賃金をもらうためにだけ行う単純な肉体労働であっても、「ヨッシャー、ひと頑張りするか!」と自分を鼓舞することで、若干ではあっても快楽的な行動に変換できるからだ。(つまり行動自体は苦痛であっても、それをやり遂げて達成感を味わうための手段にすることで、それは幾分快楽的な性質を帯びることになるわけだ。「やる気を出す」、とはそういうことであり、うつの人が一番苦手とすることである。)
私が特に注意をしていただきたいのは、Bのラインの状態であり、好きなことは出来ても義務でやることは出来ないという状態だ。このような場合、好きなことを行うのは、自分のうつの治療というニュアンスを持つ。うつが軽度の場合、例えばパチンコを一日とか、テレビゲームを徹夜でする、とかいう行動がみられる場合があるが、これはそれによる一種の癒し効果がある場合であり、うつの本人にとっては、「少なくともこれをやっていれば時間をやり過ごすことができるからやらせてほしい」という気持ちであることが多い。しかしそれを見ている家族や上司は実に冷ややかな目を向けるのである。「あいつは仕事にもいかないで一日中ゲームをやっていてケシカラン。やはりなまけだ・・・・。」


結局決め手は自殺率である 張賢徳医師の見解

ところで精神科医の張賢徳先生のご意見は、現代型うつ病という概念を保っているものの、私にとっては好感が持てる。上述の精神神経誌の同じ号に掲載された彼の説を私がまとめてみよう。
 張先生によれば自殺者の90パーセントが精神障害を抱えており、過半数がうつ病であったという。そして「うつ病患者は増えているのか」という本質的な問題については、二つの可能性について論じている。ひとつはうつ病が受診するようになったからであり、もうひとつはうつ病概念が拡散したからということだ。その上で彼はやはりうつ病は実数が増加しているという立場を取る。
 そして先生の結論はさすがである。「内因性でも、それ以外でもうつはうつだ。自殺は起きうるではないか。ちゃんと対応しなくてはならない。」
私も同感である。わが国での自殺人口は去年(2012年)は2万7千人台であり、15年ぶりに3万人を切ったとはいえ、先進国の中でも若者の自殺は依然として高い傾向にある。そして若者を中心に広がっていると言われている現代型うつの年齢層が自殺に関しても高い率を示している以上は、たとえ「現代型」「仕事中だけうつ」だとしても深刻な状態として扱うしかないであろうと思う。


結局職場でのトラウマからくるフォビア(恐怖症)ではないか?

十数年アメリカで暮らしてみた結果として思うこと。日本の職場は結構こまかく、その意味で厳しいということだ。とにかくキッチリとした仕事を要求される。日本の学校環境も同様に厳しい。生徒同士がお互いをしっかり見守り、皆が同じ方向を向いているかがチェックされる。そして厳しいのが上下関係である。「ジャングルの掟」は至る所に存在する。(アメリカではもちろん闇の世界は「ジャングルの掟」である。会社や学校を一歩でたところは既に闇の世界が顔を覗かせる。でも日本は表の世界に、学校や職場にその種の厳しさが淫靡なかたちで存在する。)
 私が診察室で出会う、会社に行けなくなった患者さんのかなりの部分が、上司とのやり取りでトラウマを背負っている。ひどく暴言を吐かれたり、夜中近くまで詰問されたり。無茶ぶりをされたり。それらはかなり深刻な自己愛トラウマの原因となっている。その結果として抑うつ気分や倦怠感、仕事に対する意欲を失い、欠勤がちになって医師のもとを訪れる。医師の多くは、「それはがんばりが足りないからだ」「あなたの弱さだ」とはねつけるが、一部は診断を下す。その場合はまずはうつを考える。もちろんそのような患者の多くは抑うつ症状を持っている。しかし同時に会社での仕事の環境に対する不安を抱いている。これは漠然とした不安というよりは、上司や同僚とのかかわりによって体験されたトラウマに基づくもので、職場に戻ることを考えたり、それを思い出させるような状況に遭遇した時に不安に襲われるのだ。
 トラウマとは不思議なもので、その当座はさほどインパクトを持たなくても、その場を離れてしまうと逆に恐怖感が増すことがある。休職になった後は、それまで毎日通っていた職場に行くこと自体に強烈な不安がともなうことがある。離婚した後前夫(前妻)に対して、その後にさらに恐怖感が増大していき、その持ち物に触れなくなる、ということもよくある。
このような状況を考えると、実は現代型うつにおける症状のかなりの部分を説明できる。なぜ休職中はうつが改善するのか。なぜ5時以降は元気を取り戻すのか。それは彼らの示す症状がうつというよりは不安、さらにはある特定の状況に対する恐怖症として説明できるのだ。
この状況はうつというよりは、登校拒否の児童に似ている。学校に行けなくなった子供は、通常は同時にそれに対する強い後ろめたさを感じている。すると学校が引ける夕刻までは外出することに抵抗を覚える。行き交う人々が、自分が学校を休んでいるという事情を知っていて、それを責めてくるような気がするのだ。
 しかし下校時間以降や週末などは違う。あたかも世界が違ったかのように解放された気分になるのだ。登校拒否については従来は「学校恐怖症 school phobia とも呼ばれていたが、この名前はもっともなのだ。
現代型うつではこの登校拒否と似たような状況が起きているのだが、それが「現代の若者が未熟になった」という議論に結び付けられるかはわからない。しかしおそらく現代の若者の傷つきやすさが絡んでいることは否定できないだろう。新入社員として入っても上司から少し小言を言われただけで落ち込んでしまう、逆切れしてしまうという状況はあるのかもしれない。
 これを「わがまま」と取るか、「未熟さ」と取るか、あるいは脆弱さや打たれ弱さと見るかは立場により違うだろうが、ともなく現代型うつが発症する一つの条件と言えるだろう。でもともかくも職場がこわくなっている。そして自宅療養を申し出て精神科医を受診しても、精神科医はこれを「甘え」や一種のうつ、としてみる以外の方針を持たない。だから「うつ状態により今後〇〇週間の自宅療養を必要とする」という診断書を出す。しかし本人は本格的なうつではないから、休職中はそれなりに動けるし、職場のことを忘れようと、旅行やカラオケや飲み会に参加することもできる。しかし復職の時期が近付くと不安が募り、医師に診断書の延長を求める。これはなまけというよりは、職場でのトラウマによる恐怖症の発症としてとらえるべきなのだと思う。

それでも「甘え」が関係しているのではないか、と考える人に

ということで私の「職場のうつはトラウマを原因とするフォビアである」という説を述べたわけだが、これは幾つかの反論を呼びそうである。「だいたい職場で上司から叱責されたくらいでトラウマと言い立てるのは間違っているのではないか?」「一昔前も上司は厳しかったが、部下はそれに耐えて立派に成長していった。具合が悪くなり医師に診断書を書いてもらうのは、現代人の弱さや甘さではないか?」
実は私はこのような意見には反論ができない。その通りのような気もする。
この問題は別の章(  )でも触れたことなのであるが、トラウマとは非常に主観的なものである。加害者は多くの場合不特定であり、曖昧である。その経緯は別として、自分が不当な形で被害にあったと感じることが、その被害のトラウマ性を増すのだ。
 電車で誰かに偶然足を踏まれたとする。それが偶発的なもので、踏んだ人に悪意がないと分かるならば、それをトラウマとはあまり感じないであろう。ただ痛いだけである。しかし誰かに悪意をもって足を踏まれたと感じたなら、そのことを容易に忘れることはできず、警察に被害届けを出したくもなるだろう。たとえ足を踏んだ人がぐうぜんであって悪気がないと言い張っても、踏まれる人の感じ方が優先する。
 職場での上司からの叱責は、それが不当であり、あってはならないこと、と考えることで、トラウマとしての性質をます、という事情がある。上司は「親心」とか「愛のムチ」とかと考えていても全く別の受け取り方をされている可能性が大きい。とすると私たちが個人としての権利を自覚し、職場や学校でのパワハラやいじめを糾弾するという社会は、それらによるトラウマへの感受性をます社会ということになる。これは実に複雑な問題を含むことになろう。
 さて、このトラウマへの感受性という問題、もうひとつの日本人の最近の傾向とも関係している。それがモンスター化現象(第 章を参照)である。
3年まえにネットでこんな記事を拾った。

 重体患者より「先に診ろ」院内暴力が深刻化(20112201124分読売新聞)
 香川県内の医療機関で、職員が患者から暴力や暴言を受ける被害が深刻化している。先月には県内で、傷害や暴行の疑いで逮捕される患者も相次いだ。 これらの「院内暴力」に対処するため、ここ数年、専門部署を設置したり、警察OBを常駐させたりする病院も増えている。・・・ 県も今年度、暴力の予防に重点を置いたマニュアルづくりに乗り出しており、医療現場での対策強化が進んできている。 ・・・ 県によると、県立の4医療施設では、2~3年前から医師や看護師への暴言が目立ち始め、次第にエスカレートしているという。最近では、被害に悩んで辞職した看護師も出ている。担当者は「理不尽な暴力にじっと耐えている職員も多く、把握できているのは氷山の一角。本当の被害は計り知れない」とため息を漏らす。・・・

 私はこれはあると思う。ある塾の講師(40代女性)は、ここ数年になり急に保護者のクレームが多くなったとしみじみ語っていた。彼女はそのためのストレスが尋常でなく、うつ状態を悪化させてしまったのである。学校での親のモンスター化が言われるようになったのもここ10年程のことである。私自身も以前だったら考えられないようなクレームを患者さんからいただくことが起きている。(もちろん私は悪くはない、という意味では言っていない。私の至らなさを以前は患者さんたちはあまり口に出さずに我慢していた可能性がある。) 引きこもりの増加と同時に、クレイマーの増加は実際に起きているのだろう。これは了解できる。理由は分からないが。ただこれと、日本人の未熟化や、新型うつ病とを単純に結び付ける訳にもいかないだろう。
 確かに日本人は人との接触でまずいことがあった場合に、激しくクレームをつけるようになったのだろう。しかしこれを現代人の未熟さと結びつけるのは早計である一つの理由がある。なにも現代社会のあり方を最も敏感に表現しているはずの若者についてそれが起きているというわけではないということなのだ。おそらくモンスター化している親の年齢や、救急医を困らせる患者の年齢としては、30代、40代の中年層なのだろう。そしてその他罰傾向が、職場でのうつの際にも現れていて、それが現代人は都合よくうつになる!という印象を与えている気がする。つまり以前のように静かにうつになるのではなく「職場のせいでうつになりました」と声高に主張することで、会社側も心証を害し、苦々しく思うであろうからだ。
 ただこれは日本人の行動パターンが、少し変わってきたからであると考えたほうがわかりやすいように思う。何度も例に出して恐縮だが、私が2004年にアメリカから帰って体験した逆カルチャーショックの際は、日本人が依然として「理由もなく我慢する」傾向が強いことを改めて感じさせられた。しかしいまそれが少しずつ変わりつつあるということだろう。ただどのように自己主張をしたらいいか、その力の加減がわからない。だから時々突然怒りをぶちまける。これはモンスター化現象の最初の兆候とも言える。すると対応する側もどうしたらいいかわからないで戸惑っているのだろう。技をかけるだけで受け身を知らない柔道のように。するとサービスを供給する側(病院、学校、医師、など)が今度は「理由もなく我慢する」立場になっているのだ。
 既に述べたことだが、アメリカ社会の場合は分かりやすい。患者さんが声を荒げると、あっという間にスタッフが「911」をダイアルして警察を呼ぶ。あるいはその前段階として警備員が呼ばれる。(少し大きなビルで、警備員が配置されていないことはない。大声が聞こえた直後には、すでに警備員の姿が見えることが多い。)
 ところが日本の病院などでは、患者さんが怒鳴り散らすのを前にして、職員が平身低頭、ということがよくある。まあアメリカと違い、患者さんがいくら声を荒げても、まさか米国のように懐から銃を取り出す、ということは起きないから、職員のほうもタカをくくっているというべきだろうが。
最後はモンスター化現象の話に進んだが、この現象は結局はこのように自己愛トラウマによる被害としての現代型うつ病と表裏一体の関係にあるということを示せたのではないかと思う。