2013年3月26日火曜日

精神分析と家族療法(9)

  家族と接する治療者の役割は、おそらくそこで行われているやり取りを聞き、なるべく良質な、「素朴な反応」を提供することであろう。マイルールはもともとかなり極端なものである可能性があり、他の人にはすぐには了解してもらえない場合が多い。しかし家族で支配的な人のそれがファミリールールとして格上げされ、定着していると、他の家族の構成員はなかなかそれを変えるのが難しいものだ。治療者はそれを外側から見て、なるべく素朴な印象をコメントすることになる。それを聞いた家族は、たとえば「そうか、やっぱりうちのやり方って、ヘンだと思っていいんだ…」とか「これってやっぱりアリなんだ」となる。この外からの視点の注入が鍵なのである。
  ただし治療者が「へえ、食事中にケータイは禁止、ですか? いいじゃないですか。」とか逆に「いっさいケータイに触らない、というのはちょっと厳しいですね。」などと言う事は、たとえそれが治療者の「素朴な反応」だとしても良質なものとはいえない。すぐさま父親、ないしは母親に加担してしまうことになるからだ。葛藤状況にある家族のうちの誰かひとりに味方をするのは、治療的な介入の本来的な目的ではない。よほどその家族で起きていることが非常識だったり、外傷的だったりしない限りは、そのような反応は心の内に留めておくべきであろう。そのかわりそこで起きている状況そのものを観察し、言及することになる。
「なるほど、それをお母さんに呟かれるとお父さんとしてはつらいわけだ・・・」「お母さんのその独り言には、複雑な気持ちがこもっている感じですね。」「娘さんの溜息を言葉にすると、どんな感じかな。」
  これらの問いかけで、家族がこれまで言葉に出来ないでいたファミリールールに対する気持ちを語れるようにする。その行方を治療者はとりあえずは見守ることになる。
  これを書きながら思うのだが、私は家族療法家が家族の問題を一挙に解決するというような夢をあまり抱いていない。それは個人療法家が患者の問題を一挙に解決できないのと同じなのだ。その代わりに家族の構成員に「あれ、そんな見方もあるんだ」「そんなことを考えたこともなかった」というような視点の変換が少しでも生まれるのであれば、その分だけ家族のダイナミクスを動かす力が発揮されると思う。でもそのために必要なのは家族で起きていることをひとことで言い当てることでも知的な解釈を与えることでもないだろう。その代わりに良質な「素朴な反応」の提供ということになる。
  この点も個人療法と同じなのだが、治療者のコメントのうちの何が、家族の構成員にとって「そうか、その見方もあるんだ」という体験になるかは、簡単には予想が出来ない。それが実際に起きて初めてわかるというところがある。それにひとりの構成員の気づきは、他の構成員にとっては何も意味を持たなかったりする。だから治療者は素朴な感じ方を、あまり過大な期待を抱くことなく提供していくことになる。どれかが何かを(望むべくはよい方向に)動かすことをほんの少しだけ期待しながら。
  このように書くと「家族療法にはさまざまな戦略や技法があるのであり、家族療法に門外漢の癖に何を言うか!」と言われそうだ。確かにミニューチンの家族のビデオなどを見ると、一セッションで最初はいがみ合っていた家族が最後にはハグをし合って涙を流す、などということも起きる。しかしそれには、オーソリティである彼自身が一回限りで劇的なセッションを作り上げたというセレモニアルな意味も含まれる、ということを、確かミニューチン自身が言っていた。なかなか劇的なセッションというのは生まれないものである。
  ここであえて言わせてもらえば、家族にかかわる治療者に必要なのは経験に裏打ちされた常識である、と思う。その経験とはさまざまな家族とかかわってきたという意味もあり、また自分の家族と向き合ってきたということでもあるだろう。そうなるとその家族の構成員のどの立場も、それなりに汲み取れるようになる。その上で家族のやり取りを見て持つ素朴な感想は、誰に特に加担をするということにもならず、おそらく家族の構成員にとっても「そのような見方のほうがわかりやすくて納得がいく」という印象を与えることで構成員に採用されやすい。とすればそれなりの家族の葛藤を体験した、ある程度年齢を摘んだ人でないと家族療法は難しいのであろう。
  先ほどの家族の例では、食事の際のケータイについて、父親と母親が異なる考えを持ち、特に夫(父親)の身勝手さに不満を持つ妻母親がファミリールールにも従えないという問題が本質にあるのであろう。治療者はその際の父親の側に立った情けなさやふがいなさ、母親の側に立ったイマイマしさ、娘の側に立った両親への期待と失望をいずれも感じることが出来て初めて中立的な「素朴な反応」を提供できる。
書きながら少し考えが進んでいる気がする。家族療法とは、・・・(つづく)