2013年3月23日土曜日

精神分析と家族療法(6)



 もちろん通常の夫婦の関係はここまで極端ではない。何年も同棲した挙句の結婚であれば、かなりお互いの本当の姿も見えてきている。するとそれでも結婚に踏み切る場合には、マイルールの棲み分けがある程度出来ることが確認されているからであろう。恋愛の際の「勢いでの結婚」というわけではない、別の力学が働くことになる(孤独の回避、など―後述)。しかしそのためにかえって結婚できなくなるカップルはゴマンといる。

マイルールとマイルールのせめぎあい。結局その夫婦が一緒に添い遂げるための一つの条件は、我慢する、相手に譲る、ということになるのだろうか。わけがわからなくてもとにかく屈するのである。どちらが?基本的には両方が、である。マイルールはお互いに分かり合えないものである、ということはすでに述べた。しかも相手のマイルールを変えるのは至難の業である。だから我慢するしかない。でもわけがわからないものの我慢をさせられていると思うから、腹も立つし、バカバカしくも感じる。そのうち一方が他方に洗脳されることでようやく落ち着くかもしれない。
ひとつ例を挙げよう。結婚して数年になるカップル。夫は食事がすむとすぐ終えた皿から流しに運ぶ。食べ物を落としやすいのは、まだ食事の残りが乾いて皿にこびりつく前の状態だ。だから食べ終わったらすぐ水で流しておく。妻はそれが耐えられない。食事を終えて一休みしたいのにせわしなく席を立つ夫。なぜそんなせせこましい考えを起こすの?食事の後はゆっくりコーヒーでも飲めばいいじゃない。男らしくもない。ほらまた、テレビの前を横切らないでよ。
皿をすぐに流しに運んですっきりしたい夫。そんなことを考えずにゆっくりしたい妻。どうでもいいような例かもしれないが、こんなことが生活のいたるところに起き、一緒に居ることの楽しさを確実に低減させるのである。しかしここで夫が「食事の後はじっとしていてよ。わずらわしい・・・」とかため息をつかれているうちに情けなくなった夫が、「そうだよな・・・」と考え出すと、二人のマイルールはそこで一致する。まあそれを私は洗脳、と呼んだわけだが。そして夫婦間では、この種のマイルール同士の妥協点を多く見出しているものである。(私もこの25年間にずいぶん洗脳され、勉強させてもらった。)ただそれで夫婦間の葛藤は解決するかといえばそうではない。一致できない、洗脳しきれない部分が必ず残るからだ。それもお互いにとって本質的な部分が残る傾向にある。
マイルールというにはあまりにひどいが、夫の飲酒、パチンコ、暴力。休みの日は数枚の万札を持ってふらふらとパチンコ屋に行くという「ルール」をかたくなに遵守する夫をどうやって許容できるだろうか?一方では子供の学費にすら困っているのに。
  
それでも一緒にいる
    夫婦はそれでも一緒にいるとしたら、どのような理由か? それは子供を一緒に育てるという仲間意識を除いたとしたら、やはり寂しさからだろうか? 夫婦は子供が成人して家を出ると同時に離婚するというわけではない。そのような例もあるだろうが、大概は子育てが一段落した後も、いがみ合い、ののしりあい、場合によっては口をきかずに(これが結構つらい)一緒にい続けるのである。それはやはり孤独を回避したいからだろうか?おそらくそうだろう。そして孤独を回避する気持ちは、おそらく男性のほうにより強い傾向がある。男は情が薄いくせに、妻から情をかけられたい。どうしようもない生き物である。昨日インターネットでこんなニュースを拾った。既婚男性に対して、未婚男性は平均余命が10歳近く短いというのである。(たしか70 VS 80歳くらいかな。)奥さんはそんな夫の勝手な要求を呑む。女性のほうから三行り半を突きつけない理由は、彼女たちの側の孤独を回避する傾向もあるが、離婚後の経済的な自立が困難ということもあるだろう。
しかしそれにしても、この駄文は、ぜんぜん家族療法の方向に向いていないな。どうにかしなくてはいけない。