二者関係の力学
家族と言っても少し漠然としているから、夫婦の単位から考えよう。やはりなんといっても家族の核は夫婦である。最近は日本でも核家族化が進んでいるために、そこに一人の子供が加わるというのがもう普通の形になっている。そこで話は夫婦などの二者関係に戻るのだが、なぜ二人の人間の同居はほとんど常に葛藤を伴うのか。
私の仮説は、そもそも二人の成人が「弱肉強食」の世界に入りかけてしまうから、というものである。人は普通はパーソナルスペースを持っている。そこでは自分のものを自分の好きな通りに置き、好きなように使うスペースだ。職場に自分の机を持っている人は、デスクトップに何を置くかは、ほぼ自由に決めているだろう。ここに写真経て、ここにティッシュ、あそこにペン立て。…一番上の引き出しにはそのほかの文房具類を入れて、二番目には… (私の場合は、すべてゴチャゴチャである。) 自分の置き場所を把握しているから、たぶんホッチキスの針が切れたときはどこを探せばいいかも知っているし、切手の位置も把握している。机を離れる前には、一通りきれいにしておく、などの自分だけの法律が行き届く場所だ。その法律をマイルール、と呼ぼう。
さて二人の同居する空間では、隣の人の机との共用スペースがる。そこではマイルールがぶつかる場所である。そこに紛争が生まれる。ちょうど新幹線で、三人掛けの椅子の両側に人が座っていて、間の席に当分人が来そうにないという感じだ。そこのスペースに、隣の人が自分の週刊誌か何かをポンとおいてあると、「おいおい、そこって私のスペースでもある、ってこと考えてくれてる?」と、少しイラッとするだろう。さて二人の同居状況は、そこでマイルールが交錯し、火花が散る、という事情が常態化していることを意味する。そしてマイルールを持つのが当たり前である以上、狭い空間で共有部分が増えるだけ紛争が起きることは当たり前である。そしてそうそう、もう一つの大事な原則を忘れていた。
「人は互いに相手のマイルールが理解できないのがふつうである。」
マイルールが衝突した際、どちらかが譲るという決まりが成立している関係は、だから問題が生じにくいことになる。一方のマイルールが他方を常に支配する。ある場合には地位で、ある場合は体力の差で、また別の場合は迫力の差で。子供が小さいころは、親のマイルールが子供のマイルールにならざるを得ないし、それに子供あまり疑問を挟まない。上司と部下が一緒に旅行したら、上司の言い分が優先されるから、これもあまり目立ったトラブルはないはずだ。ラブラブのころのカップルは、お互いに相手のマイルールに過剰に自分を合わせようとするから、これもあまりトラブルが起きない。そう、トラブルは両者の力関係が拮抗してマイルール同士の衝突が起きやすくなった場合に生じる。
ここで余談だが、面白いニュースを見つけた。
30年姉妹同然のゾウ、突然ケンカ状態…別居へ
北九州市小倉北区の「到津の森公園」で30年以上、姉妹のように育ってきた雌ゾウ「サリー」(推定36歳)と「ラン」(同35歳)が、昨年秋から突然けんかを始め、別々に展示される事態が続いている。仲むつまじさが人気だったが、原因がわからず同公園は頭を悩ませている。
2頭は1979年3月、北九州とスリランカの青年会議所同士が友好関係にあった縁で、動物親善友好大使として同国から寄贈された。ともに親を亡くしたゾウの「孤児院」で育ち、来園時は小さな2頭が寄り添って歩く姿が人気に。成長して約4トンもの大きさになると、サリーが先に餌を受け取るようになったが、鼻を絡ませじゃれ合うなどいつも一緒で「本当の姉妹みたい」と親しまれてきた。
ところが昨年10月、運動場を囲む深さ約2メートルの堀の底に転落したサリーが発見された。堀の手前に電気が通った柵もあり、自分で越えたとは考えられず、ランが落としたと疑わざるを得なかった。
以来、体をぶつけ合う、蹴る、尻尾や鼻をかみ合うなど争いが絶えず、来園者から心配する声も寄せられるように。同公園は昨年12月、「2頭が少し落ち着くまで1頭だけの展示になっています」と看板を設置。来園34年目で初めて交代で1頭だけ展示し、もう1頭はオリに入れる措置を取った。「やや体が大きいサリーの立場が上だったが、最近、体調を崩して痩せたため、ランが形勢逆転を狙ったのだろうか」。ゾウ担当の勝原和博さん(46)は困惑しつつもそう推測する。
(2013年2月28日15時36分 読売新聞)
つまりこれまでは上司と部下の関係でうまくいっていたカップルがいきなり同列におkれたために起きた不仲、とは言えないだろうか。