2012年11月12日月曜日

『関係精神分析入門』 仲間と本を著すことの喜び(改定版)


この書評に出てくる横井先生、富樫先生、吾妻先生とは学会の期間中に飲みに行った。といっても私はウーロン茶だったが、少し酔った彼らがまた面白かった。
 
もう昨年のことであるが、『関係精神分析入門』という著書を出版した。著者名は私の名前が一番先に出てはいるが、横井公一、富樫公一、吾妻壮という、この分野では錚々たるメンバーとの共著である。実は書いているページ数は私が一番少ないが、音頭を取ったのは私だったので筆頭著者となったという事情がある。
 この本は新しい精神分析の流れである「関係精神分析」をわが国に普及させることを目的としている。この精神分析の流れはまだ日本に定着しているとはいえず、私たちグループはそれを広めようと日頃から努力をしている。その私たちグループの論文を集めたのがこの本なのだ。
 横井、富樫、吾妻各先生という執筆陣は、福井敏先生と私が関係精神分析を日本に導入しようと最初に計画した今から数年前に選んだ、一番この世界で今後も活躍しそうな方々である。彼らと年に一度、精神分析学会の教育研修セミナーで、関係精神分析についてのシリーズを行っているうちに、それらの発表原稿は瞬くうちにたまっていった。それらを散逸させることなく、一書にまとめることが出来ないかという発想を得たのが、2011年の初めであったが、それからは早かった。私の声掛けに応じた彼らは、それまでにたまっていた発表原稿に手を入れ、新たに必要となった章を書き上げた。こうして私はまたたく間に一冊の本の分量になる原稿を集めることが出来たのである。

 この「●術●信」で出版にまつわる裏話を少しだけ書くことを許されるのなら、私は本を「作る」のが仕事であり、趣味である。執着と言ってもいい。そして実はこれだけ筆の速い優秀な執筆陣をまとめて編集をするのは、自分が一人でコツコツ書いて単著を仕上げるよりはるかに楽しい。あっという間にできる。(当たり前である。) そしてこの本を企画することがなければ、これらの論文を連続性のもとに読むことはできなかったのだな、とニンマリするのもひそかな喜びである。そして望むべくは本が売れることによる経済的な効果も期待できる。
しかしそうはいっても実は出版社の側で販売していただき、場合によっては返品を処理していただくという労をとっていただいているから、私は楽な仕事だけをやらせていただいている、ということは自覚しているつもりである。だから自分はいかにラッキーな立場かをいつも言い聞かせてはいる。

 さて本書の出版の背景についてもう一つ。
 本書『関係精神分析入門』は、米国で一つの大きな流れを形成しているRelational Psychoanalysis (関係精神分析)という流れを日本に導入しようとする試みであることはすでに述べたが、実はこの流れは既に関西の分析家達にはある意味では先取りされている。というのも関係精神分析は従来の対人関係学派に端を発しているが、その中心人物であったハリー・スタック・サリバンやエーリヒ・フロム、フリーダ・フロムライヒマン、カレン・ホーナイ達については、すでに神戸の中井久夫先生や広島の鑪幹八郎先生により紹介されているからである。そして対人関係学派の拠点であったニューヨークのホワイト研究所で訓練を受けた鑪先生の後に続いて同研究所に留学した先生方が中心となり、京都には日本精神分析学会とは別個に、京都精神分析・心理療法研究所(KIPP)という機関が設立されている。そこは当然対人関係学派の流れの先にある関係精神分析にもなじみが深いことになる。他方では東京と福岡を中心とした日本精神分析学会は、むしろそのようなアメリカの精神分析の流れを吸収する気運はあまりなく、むしろイギリスの対象関係論の影響が非常に強い。私は後者の日本精神分析学会に属しているが、そこに関係精神分析の流れを取り入れたいというのが私自身の立場なのである。できれば本書が両組織の架け橋のような役割を果たせれば、とも考えている。というのも横井先生、富樫先生、吾妻先生は皆KIPPと深く関わりを持ち、日本精神分析学会へのなじみはあまりないという事情があるのだ。そこで本書は両組織に所属する分析家のコラボ、という意味を持っているのである。
 このように私の個人的な思いばかりを優先させた観のある『関係精神分析入門』であるが、同時に読者にとって何らかの刺激や示唆を与えるきっかけになればと考えている。また本書の出版をかなえてくださった●崎●術出版社の長●川●氏には、いつもながら感謝したい。

2012年11月11日日曜日

精神分析学会が終わった

先ほど仙台から戻ったところである。3日間にわたる精神分析学会に出席したわけだが、今回も得るところが少なくなかった。またいろいろな方たちとの出会いがあった。一つ意外に思ったのは、しばしば精神分析に対するシニカルなコメントが、比較的若い人々から聞かれたことだ。「他の心理士は認知行動療法学会などに行くのに、自分は分析学会に行くと言ったら、変わっているね、といわれた。」などである。しかし他方では演題発表などでは、依然として非常に知性化された難しい内容も目立つ。少しずつ学会参加者の質も変わってきたということだろうか。

2012年11月10日土曜日

仙台から

今、仙台に来ている。日本精神分析学会が開催されているからだ。運営委員ということでその意味で多忙だが、昨日の夕刻の教育研修セミナーは比較的うまくいった。その詳細はさておき…。
昨日仙台入りいたときは久しぶりに大きなポカをしてしまった。仙台についたと思ったら、実は山形。新幹線が福島から分かれて、一方は仙台、もう一方は山形行になったという。確かそんな車内放送を聞いた気がするが、「そんなわけないだろう」と無視。あるいはこの自由席のある車両はきっと仙台に行くだろうと、これも根拠のない考え。しかも…山形についても少しも驚くことなく降り、そこで改札機にはねられて駅員に訴え、そこで指摘されて初めて、「あれ、ここそういえば仙台ではない…」と気が付いた次第。ナサケナイ。その代わり、仙山線というのに乗ったぞ。山形ー仙台間を走るローカル線。それはそれで面白かった。

2012年11月3日土曜日

田●真●子さん、どうだかなあ

原稿がなくなった。ここで下書きさせていただいたものの推敲がたくさんたまっている状態だが。
ところで精神科医としては、(別に精神科医でなくてもいいのかもしれないが)●中●紀子さんの今度の大学認可取り消しの件は、かなりモンダイだと思う。この方はいつもこれだ。どんでん返しをして周囲が困るのを見て、自分の力を誇示する。自己愛パーソナリティ障害の要素をかなり満たしているようだ。本当は楽しんではいけないことに、この方の快感中枢は反応してしまっているのである。しかし頭の中は、「大学はかくあらねばならぬ。私はそれを思ってこのような措置をとったのだ。」という考えしかないのだろう。こういうのって本人のIQ(そりゃそこそこ高いだろう)とは全く異なる問題なのである。

続き


昨日は久しぶりに気持ちいい朝だった。
さてPTSD・解離の続きである。
他方の解離性障害は、やはり主として外傷を基盤として生じるが、その病理はPTSDと大きく異なる。PTSDにおいては、外傷体験がいわば誤った形での記憶として定着し、それが激しい情動反応や身体症状と共に繰り返しよみがえるという形を取る。通常の記憶が、それらの部分的に徐々に薄れていくという形を取って忘却されていくことを考えれば、PTSDはいわば「忘却できない病理」と言える。しかし解離においては、外傷体験はそれを体験した主体もろとも隔離され、逆に主体はそれを通常の形では想起出来なくなる傾向がある。こちらは「想起できない病理」といえるだろう。そこで生じているのは心の働きがいくつかに分離して連絡が断たれるプロセスであり、それを一世紀以上前にピエール・ジャネが解離という用語を用いて概念化したのである。
 深刻な解離性障害における外傷体験が、しばしば幼少時のそれにさかのぼることは、解離という精神現象の持つ特徴とも関係している。一般的に解離は幼少時には非常に活発にかつ日常的に生じる。幼児が空想にふけって時を忘れたり、物語登場人物に乗り移ったようにそれに没頭したり、いわゆる想像上の友達を作り上げて語りかけるといった体験はいずれも解離に関連した症状といえるが、生理的なレベルで誰にでも生じる可能性がある。それらはやがて成長とともにそれは強い情動体験や外傷体験のとき以外は生じなくなる傾向にある。しかし幼少時に外傷体験にさらされた後に、防衛手段としてのその使用が常態化した場合には、それが成人期にいたってもコントロール不能な形で生じるということが観察される。それが解離性障害NOS、解離性同一性障害、解離性遁走の症状として現れるのである。
解離はPTSDのような外傷体験との明白な因果関係が見られない場合にも生じるという点は重要である。本来解離傾向の強い幼児は、肉親や兄弟や友達との間でストレスを体験することでもそれを比較的解離により処理する可能性がある。すると明らかな外傷体験が見られない際にも解離性障害が潜行し、思春期以降に明らかになるという場合も少なくない。その意味で最近では解離性障害は外傷よりはむしろストレスに満ちた愛着関係によっても生じるという見方もある。
解離性障害の中でもいわゆる解離性同一性障害(多重人格障害)は治療上さまざまな戸惑いを臨床家に生むことが多い。しかし交代人格をどのように扱うべきか、それを抑えるべきか、それとも積極的に引き出すべきかといった議論は、外傷性精神障害一般について外傷記憶をどのように扱うかという問題におおむね帰着させることが出来る。それは十分安定した治療関係において注意深く行なわれるべきであることはいうまでもない。それは安易に行なわれるべきでない一方では、時には勇気付けをもって積極的に促される必要が生じる場合もあるのである。

2012年11月2日金曜日

PTSD・解離



このごろ朝晩が冷えてきた。
もう一つの方も、下書きをしてしまう。「PTSD・解離」というテーマである。

PTSDや解離性障害は、主として米国の精神医学において1970年代から注目されるようになった精神科的な障害である。1980年の米国の診断基準DSM-IIIがこれらを正式に採用したことで、その認知度が世界レベルで一気に高まった観がある。その背景には60年代、70年代を通じてベトナム戦争の帰還兵に見られた様々な外傷性の反応への注目があったが、女性の性被害や小児への虐待等の様々なレベルでの外傷の存在への社会の気づきもあった。PTSDも解離性障害も人類に普遍的に存在をしていたと考えられる以上、これらの障害への注目は、私たちの社会がそれを受け入れるための機が熟したことを意味していたと言えるだろう。
 PTSDは生命の危険や身体的な保全を脅かすような外傷体験に続き、外傷を生々しく想起するフラッシュバックや、外傷がいつ襲い掛かるかもしれないと神経過敏になることによる過覚醒、それらと表裏一体となった感情の鈍麻や周囲への無関心といった症状が特徴となる。その症状の性質や程度は外傷の性質にも、それを受けた患者本人の感受性にもよる。その多くは発症後3ヶ月程度で軽快するが、それ以降になると長期化することが多い。深刻なPTSDにおいては、トラウマをきっかけにその人の人生が180度変わってしまい、著しい対人関係や社会適応上の困難をきたすことがある。人を信用できなくなり、社交の場を一切避けるようになり、また抑うつや不安にさいなまれ、精神科の薬が手放せなくなり、事実上の隠遁生活を送るようにすらなる場合も少なくない。ただし軽傷のPTSDに関しては少なからぬ数の人々が、それと自覚して治療を受けることなく体験している可能性もある。
 PTSDは当初は戦闘体験やレイプ被害など、それを体験した場合には誰にとっても外傷となるような深刻な体験を基にしたものと考えられていた。戦争体験がもととなった精神障害については、すでに20世紀初頭に記載があった。しかし現代的なPTSDの理解では、この病態はそれ以外の様々な外傷体験の後にも生じることが明らかになってきた。そしてPTSDの概念も、むしろリスクファクターを多く持つ人により多く見られるものという理解が深まった。具体的にはうつ病や不安性障害などのそのほかの精神疾患を持っている場合、慢性の身体疾患を抱えている場合、幼少時の虐待や肉親との別離等を体験している人たちは外傷体験によりPTSDをそれだけ発症しやすいということである。また発症の原因となった外傷についても、パワーハラスメントや言葉の暴力、事業の倒産、ペットの喪失などの様々なストレスがPTSDに類似の症状を示すことがあり、あらためてPTSDの外傷をどのように定義するのか、従来のストレス-脆弱モデルに従った神経症概念とどのように区別するのか、という課題が新たに生まれるといっていい。さらには幼少時からの繰り返される外傷や捕虜などによる長期にわたる外傷などが、フラッシュバックなどを含めたより深刻で慢性的な対人関係上の障害を生むことも知られており、それをどのように診断基準として取り入れるか(いわゆる複合型PTSDの概念など)という問題もある。PTSDとしてはこのくらいでいいか。

2012年11月1日木曜日

続き

 今朝は少し寒かった。「一年のうち一番過ごしやすい日」(ただし気温についてのみ)は、先週くらいがピークだった気がする。
以下は昨日の続き。

 以上パーソナリティ障害の中でも境界パーソナリティ障害(以下B PD)に関し、症状レベルでの特徴について述べたが、その病理の本質に迫る際には患者の持つ成育歴、特に過去の養育上の問題等についての理解を深める必要がある。B PDの病理の中核には極めて重篤な同一性障害、すなわち自分という感覚の不安定さや自己価値観の乏しさが見られる。そしてその背後には深刻な成育上の問題が見られることが多い。欧米においては、BPDの幼少時に、性的虐待やネグレクトなどの既往が多く見られる点が報告されるが、幼少時に外傷体験を持つことは、自分の存在の重要さやこの世に生を受けたことの意味を見いだせないという問題を生む。ただし虐待やネグレクトの既往はBPDの症状を示す人のすべてに当てはまるという訳ではない。幼少時にそれらの明白な外傷体験が存在しなくても、親との十分な愛着関係を持てなかったことは、その後の人生で安定した他者との関係を結ぶことの困難さをも引き起こす。安定した友人関係や恋愛関係は、そこにそれにより極端にぶれることのない自尊心や自己慰撫self-soothing の能力を前提とする。しかしBPDにおいては、しばしばそれらの欠如のために、対人関係上の様々な問題が生じる。そしてそれらの能力はそもそも母子との愛着関係にその素地が築かれるものとして理解されている。その意味ではBPDは虐待やネグレクトをその典型的な原因とする様な愛着障害が基盤にあるという立場がある。

 BPDの持つ諸問題が愛着の障害及びそれによる関係性の問題に深く根ざしているという事実は、患者が精神的に不安定となり、激越な苦痛を体験するのがしばしば対人関係上の問題であることがその証左となる。患者は親しい友人や恋人との関係で激しい理想化を向け、それを親密で一体感を持ったものにすることを考える。その傾向の強さは、患者がほとんど慢性的に持つ空虚感をそれらの関係が一時的に埋めることと関係している。しかしそのような試みが成功しないことで極めて深い失望を味わう。その結果としてアクティングアウトや自殺企図を示すことが多い。そしてそのアクティングアウトは、再び訪れた空虚感を別の、より自己破壊的な手段で一時的に充足させるという意味を持つ。
 BPDにおけるアクティングアウトの中でも、自傷行為は極めて顕著でかつ重要である。患者は対人関係等で極めて不安定になった際に、しばしばリストカットや過食嘔吐等の自傷行為を呈する。しかしこれらはBPDが経験する著しい空虚感や失望、焦燥などを和らげる意図がある一方では、自分から去っていく対象に対する激しい攻撃性の発露としての意味も持つ。それは結果として周囲の人々を翻弄し、うんざりさせるという問題をともなう。
 この対象に対する攻撃性に関しては、それがどの程度深刻かはBPDの対人関係上の問題を占ううえで極めて重要な指標となる。その行動化のために職を失い、友人や恋人や配偶者が去る一番のきっかけは、激しい攻撃性の表出であることが多い。ただし筆者は攻撃性をBPDの中核症状として捉える必要は感じないが、それは患者が慢性的な空虚感等の同一性障害を持ちつつも、他者の攻撃という行動特性を持たないケースも多くあると考えるからである。しかしこの事は逆に言えば攻撃性を欠いたBPD がそうとして認識されないという可能性を意味する。
 BPDにおける自傷行為の問題については、その解離症状との関与の理解が重要であるが、それについては稿を改めて論じる。

字数としてはこんなものか。