2012年6月4日月曜日

続・脳科学と心の臨床(12)


もちろん精神科医は多くの場合、ブラックボックスの中身を詳しく知っているわけではない。頭蓋骨を開けたら脳がそこに入っていて、額に近い前方にあるのが前頭葉、それから側頭葉、頭頂葉、後方にあるのが後頭葉…くらいは常識だろう。医師は何しろ解剖の授業を経ている。どんなに授業をサボる医学生でも、解剖の実習くらいはしっかりやるものだ。自分の手で脳を切り開いたという経験の記憶は簡単には抜けない。大脳皮質など脳組織の大まかな構造は心得ているものだ。しかし大脳皮質より中心部の器官、視床や被殻、線条体、海馬、扁桃核・・・・となると、もう位置関係があいまいになってくる。もちろん医学用語としてはこれまで散々耳にしているだろう。しかしそれぞれの器官の持つ機能なども細かいことは案外忘れてしまっているものだ。精神科医によっては、脳は勉強不足のために本当にブラックボックスになってしまっているかもしれない。そういう精神科医に聞いてみる。「先生、そんないい加減な知識でいいんですか?もう少し勉強してください。」すると精神科医はこういうだろう。「毎日患者を診るのに忙しくて、勉強どころじゃないよ。」でもその仕事とは、脳科学的な知識を生かして患者に薬を出すことだったりする。精神科医の多くはそんな程度かもしれない。

いずれにせよ心理士よりは脳についての知識のある精神科医の特技は何と言っても薬を使うことだ。彼らは気安く薬を出して、精神の問題を解決しようとする、と思われるかもしれない。たとえば人前で緊張するという人に対して、「じゃ、少し安定剤を出してあげましょう。楽になりますよ。」などという。しかしそれを言われた患者は思うのだ。人前で緊張する、というのは私がずっと前からの悩みだし、それを克服しようといろいろと努力をし、工夫をしてきたのだ。それを薬を飲むだけで治せるのだろうか?いや、もし薬でよくなるとしても、それって薬に頼ってしまうことにならないか?少しも本質的な解決になりはしないのではないか? この反応は多くの心理士にも当てはまるかもしれない。

それを聞いて、ブラックボックスに薬を入れることでその変化をみることに慣れている精神科医は、少し呆れた顔をしてこういうだろう。「だって…それで楽になるのであれば、いいではないか?」ところがそういう精神科医に限って、自分の家族が薬を飲むということには大きな抵抗を覚える。人によっては自分が飲むことにも大きなためらいを感じる。家族や自分自身の脳をブラックボックスとみなすことには、案外慣れていないのもかれら精神科医なのである。